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ルージュナは、今日も元気!

「ほらっ、早く掃除をするんだよっ。まったくこのクズが! そんなことじゃ、また食事は抜きだね」


「本当にそうですわ、お母さま。この子少し顔が良いからって、良い気になってるんですよ!」


「そ、そんなことは……」


「言い訳なんてするんじゃないよ。早くお行き!」


「はい。お掃除頑張ります! 行ってきます」

シャキンと背筋を伸ばし、その場をダッシュで逃走する少女が一人。



 こんな風に虐げられ、ホウキを投げられるのはこの家の長女。男爵令嬢のルージュナ・ユコーン。

 義母と義妹はいつもこんな感じで、彼女を責めるのが日常だった。

 義母はトランコーツ、義妹はミロソ。義母の生家はラメン子爵家である。


 父はシオン・ユコーン男爵で、ルージュナの亡くなった母はナルートとは恋愛結婚だった。

 両親を亡くしたナルートは、隣国の叔父の家へ行く旅の途中で父と恋に落ち、嫁入りしたのだ。


 先代の祖父母は良い人で、平民であるナルートを心から受け入れていた。素性も調べないで呑気なものである。


 ただただ幸福な生活は、山でナルートが失踪してから一転した。

 男爵家のある場所は山と畑ばかりである。

 ナルートは山菜を採りに行って帰って来ず、みんなで必死に捜索したが、服の切れ端だけが見つかっただけだった。


「ナルート、ナルートぉ! 戻っておくれ。何処にいるの。うぅっ」

「熊かのう。一人で行かせるんじゃなかった」

「私も付いて行けば良かったわ。あぁ……」


 そんな事態に父は嘆き悲しみ、祖父母も肩を落として辛そうだったが、ルージュナはまだ幼くてよく分からなかった。

 けれど急にナルートが傍にいなくなったことで、漸くそういうことなのだと理解できて泣いた。


「お母さん、寂しいよ。帰ってきてよ。ふえ~ん」


 枕を濡らして眠るその涙に誰もが胸を痛め、その頬に触れ涙を拭ったシオンもまた、瞳に涙が滲んでいた。




◇◇◇

 一か月が経ち、ナルートの捜索は打ち切られた。

 その後現れたのが、義母であるトランコーツ・ラメン子爵令嬢である。


 父は銀髪と切れ長で緑瞳の凛々しい系で、林業もする筋肉のある長躯の人気者だ。

 ただ田舎の男爵で、まわりに娯楽もないことがマイナス点だったらしい。

 あとはあんまり恋愛に関心がなかったことも、母に出会うまで独り身の原因だった。


 アピールしなくても残っている、キープ物件らしかった父が結婚した時は、それなりに令嬢達には衝撃が走ったらしい。



 結局プライドが高く派手好きのトランコーツは、伯爵令息に迫っていたが振られて行き遅れた。仕方ないから(シオン)で妥協しようとしたのに、既に母と結婚していたのは予想外だったようだ。


「ちょっと、何勝手に結婚してるのよ。はぁ? 相手は平民ですって。私の方が良いでしょ、変わんなさいよ!」


 言葉は悪いけれど、父と母の結婚前にこんなチャチャを入れたらしい。世迷いごとを聞く訳など、なかったけれど。



 その後喪が開けた時、ラメン子爵が父に頼み込んだ。もうその時には、28才を越えていた彼女(トランコーツ)


「大変失礼なのだが、トランコーツを貰ってくれないか? 持参金をたくさん持たせるから。あの子がいると長男の嫁と揉めて大変なんだよ。君なら優しいから、あの子と合うと思うんだ。なあ、頼むよ。お願いだ」


 ラメン子爵は、ユコーン男爵領の作物や薪を購入してくれるお得意さまだった。最初は断っていたシオンも、申し込みから一年を過ぎた頃には、受け入れるしかなくなった。


 ラメン子爵からの商品の買い取りに、制限がかかったからだ。


「こんなことはしたくないのだが……。ねえ、頼むよ。お願いだぁ」


 脅迫ともいえる行動。

 けれど他に産業も力ない領地で、逆らうことはできなかった。


「分かりました。結婚します……。ですから」

「うんうん、それで良い。それで良いんだよ。すべて解決だ! わははっ」


 

 そんな感じでトランコーツと結婚式が挙げられ、彼女が嫁いで来た。

 先妻の子であるルージュナは、最初から目の仇にされていた。

 彼女はシオンと同じ銀髪と緑瞳の大きい瞳だったが、顔立ちが先妻と瓜二つだったから余計に。



「義理とはいえ、母親が平民なんて。私の傍に寄らないで頂戴!」


 その言動に体が震え、泣きそうになるルージュナは幼いながら美しかった。


「えっ(恐いよ。何このおばさん!)」


「何てことを言うんだ、トランコーツ。この子に謝ってくれ!」


 暴言に注意するシオンは、トランコーツに言い返される。


「嫌ですわ、そんなこと。でも……。貴方が夫の役割をこなすなら、考えてみますわ。ふふっ」


 シオンの腕を取り胸に押し当てるトランコーツは、妖艶に微笑んだ。そして5才離れた妹のミロソが生まれるのだ。


 けれども…………。

 シオンがいる時は穏やかにルージュナへ振る舞うトランコーツだが、仕事で出かけると態度が一変した。


「ああ嫌だ。平民の血なんて、汚いこと。それにつけてもミロソの可愛いこと。ぜんぜんお前とは違うよ。突っ立ってないで床掃除でもしなさい。お荷物が!」


 そんな態度に使用人は顔をしかめるも、子爵が付いているトランコーツには意見ができない。以前に苦言を呈したメイド頭は、打ち据えられて追い出されていたから。

 それもシオンが居ない時に。


 けれどそれを、誰もシオンに言えずにいた。

 相談することで、苦悩することが分かっていたからだ。


 泣きながらルージュナを抱き締めた後、メイド頭は痛みを堪えながら男爵家から消えたのだ。

 最後にルージュナに謝りながら。


「お嬢さま、申し訳ありません。私がもう少し堪えて、お守りするべきでしたのに。本当に、うっ、ぐすっ、なんでこんなことに。できるならお連れしたい……」


 苦しげな顔のメイド頭は、自分の孫のように可愛がっていた彼女を前に、後悔を吐露する。

 ルージュナは泣きながら、その胸に顔を埋めた。

 もう会えないことだけは、幼い彼女にも解ったからだ。


「元気でいてね。痛いの早く治してね」

「はい、はい。お嬢さまもお元気で。きっとお天道様は見ているはずですから、頑張って下さいね」


 トランコーツの侍女から追い立てられるようにして、メイド頭は追い立てられた。


 ルージュナは一人、部屋で声を潜めて泣いた。

 声を出せば煩いと怒鳴られるからだ。


「うっ、うっ、寂しいよ。お母さん、お父さん。一人は嫌だよう。え~ん」


 その様子を見て、嬉しげなトランコーツ。そしてそれを見て真似るミロソは、同じようにルージュナを扱うようになるのだ。


「お父さんは、いつもルージュナばかり可愛がるわ。平民の血の醜い子なのに。あんなの居なくなれば良いのに!」


 そう呟くミロソの顔は、母親と同じように醜く歪むのだった。




◇◇◇

 シオンはラメン子爵に商売の一部を任せられ、家を空けることが多くなっていた。けれど彼がいる時だけトランコーツは、ルージュナを可愛がるような声をかける。


「ルージュナは進んでお手伝いをする良い子ですわ。とても助かってますのよ」

「っ……(進んではしてないわ。命令するからじゃないの!)」

「そうなのかい、ルージュナ。偉いなあ。さすがお姉さんだ。ミロソも元気でね。これからも家のことを頼むよ、トランコーツ」

「任せて下さいな、シオン。貴方も男爵家の為に頑張ってね」

「ああ、そうするよ。家族の為にも頑張るとするよ」


「早く帰って来てね」

「気をつけてね」

「しっかりお勤めを。全て私が采配しますわ」

「ああ。みんな元気でね」


 トランコーツの様子に安堵し、ルージュナとミロソの頭を撫でてから、シオンはまた長期の仕事で家を後にする。もうその頃には、使用人達はトランコーツの言いなりだった。こっそりルージュナの味方をしていた者達は、密告されて辞めさせられたのだった。


 日々の食事さえ粗末なものや残飯なのに、それも滅多に貰えなくなり、ルージュナは山の恵みを求めた。木苺やりんご、蜜柑と木になる果実や草も口に入れ飢えを凌ぐ。


「家って私のご飯もないくらい大変なのかな? ううん、たぶん嫌がらせよね。せめて野菜の現物で良いからくれないかしら?」



 家に帰れば空腹が満たされないまま、使用人として家事に従事した。


 ミロソには家でぬくぬくと家庭教師から学問を学ばせ、ルージュナのことを家庭教師に聞かれれば、勉強が嫌いで来ないのだと嘘を吐くトランコーツ。


 時々貴族家で交遊を深めるお茶会にも、出席するのはトランコーツとミロソだけだ。時に冷やかすようにルージュナのことを聞かれるも、「あの子の母の血のせいか、社交は苦手みたいで」と、優雅に微笑むのだ。


 彼女の性格を知る者は、「きっと継子虐めでもしているんでしょ」と思うが、深くは関わらなかった。下手につついて報復されるのを恐れたからだ。


 年々虐げられ、次第に痩せていくルージュナ。

 



◇◇◇

 ある冬の日。

 とうとう体に力が入らなくなり、意識も朦朧とする。


「ああ、もう力が入らないわ。私ダメみたい。……お母さん、私良い子にしてたから、迎えに来てくれる?」


 その日はルージュナの13才の誕生日だった。


 静かに目を瞑る彼女は、粗末なベッドにその身を横たえた。


 嫌がらせのように彼女のベッドは売りに出され、その金はトランコーツのものになっていた。



 けれど彼女が諦めかけた時、彼女の体から声が聞こえてきた。


『ヤレヤレ。やっぱり人間なんか面倒だねぇ。それにこんなに大人しく生きてるなんて、馬鹿馬鹿しい!』


 次の瞬間、むくりと体を起こしたルージュナの体は、窓を開けて二階から飛び降りた。


 そして冬の山深くを走って行くのだった。



◇◇◇

 もう駄目だと思っていたのに、気がつくと彼女の気力は回復していた。空腹感もなく満たされ、今までにない気分の良さがあった。


「なんだかいつもより調子が良いわ。あんなに具合が悪かったのに。私ったら丈夫なのね」


 死にかけた記憶を曖昧にし、元気に起き上がるルージュナ。けれどその口元には鮮やかな血が付着していた。


 井戸水で顔を洗う彼女が、それに気づくことはなかったが。



◇◇◇

 家で食事を食べさせず、雪で食べ物も探せない冬の期間。シオンはラメン子爵の依頼で、隣国へ使いに出ている。雪が溶けるまで山は越せず、2か月は男爵領地には戻れない。


 トランコーツは今がチャンスとほくそ笑んだ。


「今なら不幸な出来事があっても、いろいろ対処できるんじゃない? だってシオンは居ないんですもの。ほほほっ」



 だがユコーン男爵家には、先妻の子がいることを世間に知られてる。

 シオンとナルートに似た美しい娘だ。

 幼い時から美しかった彼女(ルージュナ)に、会ってみたいと希望する貴族家の声が複数あった。

 それはただの興味だけでなく、虐げられている子が無事かの有無も確認したいという偽善の意味もあった。


 ただの一度も姿を現さないなんて、不自然極まりない事だ。


 とうとうある集まりで、チャーシ公爵夫人タマミから声がかかった。50代の貴族夫人達のご意見番で、貴族の良心とされる人物である。


「15才のデビュタントの前に、一度お披露目してはいかがかしら? あと数年は準備期間ですが大層美しい娘さんらしいので、今後の婚約者選定の為にも顔合わせするのに損はないと思いましてよ。それとも余計なお世話だったかしら?」


 男爵夫人であるトランコーツにしてみれば、雲のような人に声をかけられたことは、本来光栄なことである。


 けれどそれ以上に大ピンチになった。


 あの鶏ガラのように痩せ、顔色の悪いルージュナを茶会に連れて来れば、批判は免れない。けれど連れて来なければ、余計な疑いがかかるというものだ。しかも公爵夫人に念を押されたのだから。


 まあ疑いじゃなく確信犯なのだけど。


 だから急遽、ルージュナに食事を取らせようとしたトランコーツ。少しでも肉付きを良くし、何とか誤魔化しを図ろうとしたのだ。


 けれど急にこんなことをされれば、ルージュナだって疑うのが普通だ。


(今まで何も食べさせなかったのに、なんで急にこんなに食べさせるの? まさか毒! でも入ってるのかしら? 恐い! 何にもいらないから殺さないで!)


 まあ、これが普通の反応だろう。

 ルージュナは最期の晩餐のように感じていた。


 だから極力少量を食べ、すぐ席を立ち外で吐き出した。


「く、口をすすげば大丈夫かな? もう恐過ぎるよ。何なのよ、いったい!」


 せっかく金のかかった高カロリー食も、何の足しにもならないのだった。


「ま、まあ、今まで食べてないから、胃が受け付けないのかもね。様子をみましょうか?」


 なんて呑気なトランコーツだが、その母の様子を見てミロソは勘違いした。


「何なのよ、今さら一緒に食事をするなんて。私嫌だわ。もしかして家の為には、あの美しさが必要で大事にすることにしたとか? 私ではダメだと…………。く、悔しい~」


 まったくの的はずれとは言えない。

 きっとトランコーツなら、成金でも年寄りでも支度金の多いところに売り飛ばすだろうから。

 

 そんな母の思考とは食い違い、憎しみを(たぎ)らすミロソ。トランコーツの言動は保身でしかないのに。


 だから彼女(ミロソ)はシェフに言い、ルージュナの肉を自分に渡すように指示した。

(あんな子に高級肉なんて渡さないわ! そのくらいなら私が食べ尽くしてやるんだから!)


「あんな子に肉なんて贅沢よ! いいこと、私にあの子の肉の殆どを取り分けなさい。やらないと酷い目にあわすからね。分かった?」


「は、はい。お言いつけの通りに!」


 シェフはトランコーツの苛烈さを知っている。その娘であるミロソだとて性格も悪いし、そっくりなので逆らえない。


(ルージュナ様はどうせあまり食べないし、まあ良いだろ。肉があるように、その部分には野菜を被せるようにしてと。まあ、良いかな?)


 そしてミロソは、ルージュナの分の肉やおかずを食べることになり、体積を増やしていくのだった。

 食べ過ぎると太ることを、ミロソは知らなかったのだ。



 その後も順調に口におかずを含み、吐き出すことを繰り返すルージュナ。正直油も調味料もギトギトで体に悪そうだから、食べなくて正解だった。


 何しろ短時間で太らせようとして組まれたメニューだし。


 ルージュナは万が一の為に、部屋にドングリやクルミを蓄えはじめた。

(いざとなったら、これを持って逃げよう!)

 そう決意して。


 その後彼女の肉付きを見て、食事はまた残飯くらいしか与えられなくなり、逆に安堵したルージュナだった。




◇◇◇

 その後も毎夜。

 ベッドに横たわり、眠りに就いたルージュナの部屋に声が響く。まあ今は単純に、口で喋っていただけなのだが。ルージュナの意識は、確かに深く落ちている。


 それはナルートの血を引いた、彼女(ルージュナ)ならではのことだった。


 ナルートはいわゆる人外。

 猫又だった。

 ※猫の尻尾が2つに分かれている、人に化けたり人の言葉を話したりする妖怪である。


 人間と猫又のハーフであるルージュナ。ナルートは様子を見ていたが、ルージュナには5才までその特徴が見えなかった。


 そんなある日。

 ナルートは山に山菜採りに行った際、猟師に追われ逃げ出した。一瞬、猫又であることがバレたのかと思って。

 途中で猫又に戻りかなり遠くまで逃げた後、こっそり家に戻ってみると、なんと自分の葬儀が終っていたのには驚いた。


 軽く混乱したが、もしかしたら追われたのは勘違いだったのかと、その周囲を探ることに。けれどやっぱり狙われたことを知るナルート。


 何と猫又ではなく、人間のナルートが狙われていた。トランコーツ・ラメン子爵令嬢に。怒りで殺ったろうかと思ったが、未だ猫又に目覚めないルージュナに万が一にも迷惑がかかってはいけないと自重した。


 だがその後に、シオンを脅して結婚したのには閉口した。

「はぁ、何なのあいつ? 嫌われてんのに嫁ぐとか? この女マゾなの? 

 まあね、この領地は貧しいから、飢えを凌ぐ為と思えば、シオンが身を投げ出すのもしょうがないか。

 優しい領主だもんね、あの人。

 そこが魅力だったしさ」


 いろいろ心配で、その後を追跡したくなったナルート。


 ルージュナが虐げられているのも知っていたが、猫から妖怪になったナルートから見た虐げられ基準は、あまりにも温かった。


「屋根があって何か食べれるなら良いじゃない。

 私の猫の時は、家もなくて生ゴミを奪い合ったもんよ。

 私の子ならまだまだ平気よ。頑張れるわ!」ってな感じだった。

 元々猫だからね、やっぱり人間の基準とちょっとズレていた。



 そんな訳で猫又に戻ったナルートは、目線が猫又だった為に、ルージュナを助けに行かなかったのだ。野生界の教育的指導で。


 けれどもずっと、ルージュナの傍にはいたナルート。


 それでもルージュナの空腹時には、軽い暗示をかけて木の実のある場所に誘導したり、草が美味しいと思い込ませて食べられる草を教えたりしていた。


 だが次第に食事を減らされた冬のある日、とうとう直接援助が必要だと思うほどの緊急事態が来た。

 ナルートも覚悟を決め、自分の血を飲ませて覚醒を促そうとしたのだ。


 だけどその前に、自らの力で猫又の血に目覚めたルージュナは、その覚醒のままに夜の山で大きな女鹿を倒し貪っていた。

 恐らく人間部分のルージュナは気づいていない筈だ。


 その後はトランコーツの的外れな食事に警戒し、全て口に含んで吐くを繰り返すルージュナに大笑いしていた。

 何とも酷い一方通行である。




◇◇◇

 でも………………。 


 夜毎雪山に走り本能のままに貪るのを見ると、確かに我が子だと安心する自分(ナルート)がいた。


 警戒心ゼロで走るので、もし見つかったら大事になる。それこそ人間の世界で生きられなくなる。だからこそナルートは付いて行き、人に遭遇しそうな時はその者に暗示をかけて気を逸らしたのだ。


 同族に見られたら、過保護だと馬鹿にされる行為である。

 それでも構わないと思ったナルート。

 だって愛娘は、まだ人間として暮らしているのだから。

 本来なら自覚しても良いものだが、ルージュナ本人が本能的に気づかないようにしている可能性がある。

 人間として生きる為に。

 だからナルートは、その後も傍で見守ることにしたのだ。


 シオンに会いたい気持ちもあるが、もう後妻のトランコーツもいるし、商売に目覚めて働いている彼には自分は不要だと思えた。

 出て行ったって、今さら何だよ状態で大混乱の未来しか見えない。


 まあそんなこともある。

 伊達に200年生きてない。

 酸いも甘いも粗方経験してる。

 寂しいけどさ。

 会いたいけどさ。

 まあ、仕方ないと割り切ろう。


 愛しい者は元気で生きているのだから。




◇◇◇

 そして数か月後、約束された茶会の日。


 ルージュナは背丈が伸びたことで、銀髪と緑瞳の大きい瞳がさらに際立ち、その肌は絹のように滑らかだった。


 見紛(みまが)うことなき美貌が、そこにはあった。


 初めてのお茶会に、シオンは張り切って衣装を準備した。銀の髪に似合う空の青のドレスに、虹色に色付けしたスパンコールを裾に可愛く誂えた逸品だ。


「気が乗らないかもしれないけれど、せっかくの公爵夫人のお誘いだものね。頑張るんだよ、ルージュナ。サポートよろしくね、トランコーツ、ミロソ」


 シオンはトランコーツの戯言を信じ、ルージュナが社交嫌いだと思っていた。

 ナルートと同様に社交が苦手な娘だから、これが最後の参加になると思い、記念にと気合いを入れたドレスをプレゼントしたのだ。

 ミロソ達はいつも自分で買っているから、好きな物を選んで貰えば良いと思って。


 けれどさすがに気合いが入りすぎたようだ。

 ルージュナは「綺麗ね。ありがとう、お父さん」で済んだが、ミロソは嫉妬に歪んだ。


(私はドレスをプレゼントされたことなんてないわ。なんでルージュナだけ。…………やっぱりあの子が綺麗だから、私より大事にするのね。悔しい!)

(な、何よ。あの優雅なドレスは! それもルージュナだけに。やっぱり先妻の子が大事なのね。憎いわ。シオンもルージュナも!!!)


 なんて嫉妬の嵐が渦巻いていた。


 けれど…………。

(ミロソはいつの間にかプクプクして。子供は可愛いな。ルージュナより5才も下だから、今は色気より食欲なのかな?)

 こんな感じで女心が分からないのも、キープ男子だった由縁かもしれない。


 そしてミロソはルージュナ用のこってり肉を食べまくり、横に成長していた。

 トランコーツが毎月 彼女(ミロソ)の為にドレスを作成していたが、太るたびに布代が高額になっていき、デザインもムームーみたいになっていた。

 それもまたミロソの怒りに繋がるのだ。


 トータルで見ると、遥かにトランコーツとミロソの衣装やアクセサリーの方が高額なのに、何も付けていない肉体美が優れているルージュナの方が輝いて見えるのだ。


 ほら、ルージュナって、毎夜狩りに出て走りまくっているから、アスリートみたいに筋肉が付いてて肩も太股もパンパンだから。

 普段は衣類で隠れてて見えないけれどね。

 新鮮な生肉は、購入したらかなり高額。

 それが自給自足でガンガン手に入るのだから、発育良く成長もした。

 背丈も胸部も順調に大きくなっていた。

 生肉の賜物で……。

 まあ無意識の摂取だからね。




 準備で入浴や化粧を施した侍女達は、肉体美に驚愕した。


(ろくに食べてもいないのに、何て均整のとれたプロポーションなの。ヴィーナスの絵画みたい)

(すごく綺麗。あの長い睫毛に潤んだ瞳。先妻のことは知らないけれど、きっと美しい方だったのね)

(たくさんの家事を言いつけられて、動いているせいなのかしら? こんなにしなやかなに筋肉がつくなんてね。私も頑張って動こうかしら?)


  気合いの入った侍女に仕上げられ、世にも美しい少女ができあがった。

 侍女が楽しんだのは言うまでもない。


(くそっ。何でさらに美しくなってるのよ。どうせ私は醜いわよ! だからお父さんもあの子が好きなのよ!)

(なんでこんなに美しくなってるの? あの肌の艶はどうして? 化粧水も乳液も与えてないのに。悔しい!)



 そんな嫉妬など感じられないほど、ルージュナはドレスを窮屈に感じていた。

(お父さんがくれたドレスだけど、コルセットが辛いわ。元々太ってないと思うんだけどな。お茶会ってお菓子がたくさん出るって聞いたのに、食べられるかな?)


 普段はお菓子どころか、食事も当たらないルージュナ。

 ここ数か月は怪しいご馳走だったので、出たけど食べてはいないし。

 だからトランコーツが来てからの初おやつに、彼女の意識は飛んでいた。

 いざとなったら、コルセットを勝手に弛めようと思っていたほどに。

(おやつが優先よ。お土産に包んでくれるかな? 楽しみだぁ)



 社交。それは出会いの場のはず。

 けれどそんな教育を受けていない彼女(ルージュナ)は、目的なんて知りもしない。


「お茶は音を立てずに飲む。お菓子は少しずつ摘まみ、大口を開けない。余計なことを喋らずに笑顔でいなさい」


 トランコーツに強めの圧で言われ、頷くルージュナ。

 お菓子を前に拒否はない。



 社交の場で男女共に彼女(ルージュナ)の美しさに息を呑み、常に笑顔を貼り付けた彼女の回りのお菓子が高速で消えていった。


 騎士訓練のお陰でそれをつぶさに捉えていた第三王子パイタンは、ルージュナに自分用の高級菓子を差し出した。


「これも食べてみろ。うまいぞ」

「うん!」


 ルージュナは彼が王子だと知らないから、挨拶もせずに無邪気に皿を受け取り、満面の笑顔でお礼を言った。


「えへっ、ありがとう。頂きます(自分のお菓子をくれるなんて、この人は良い人だ!)」


「っ……。ああ、全部食べろ。じゃあな」


 照れながら席に戻る王子は、既にハートを撃ち抜かれていた。

(あいつは確か、男爵令嬢だ。う~ん、男爵か、そうか。でも可愛いかったな、あいつ。

 無口でツンとしてるかと思えば、あんなにニコニコして。さては俺に惚れたな。くふふっ)


 そのにやけた顔に、婚約者である公爵令嬢サンラータンは、膝の上の扇子をバキリッと折った。

 ガクブルの侍女だが、すかさず新しい物を手渡す。


「お嬢さま。お取り替え致します」

「ありがとう、バニラ。助かりますわ。ウフッ」


 怒りを抑えた微笑みに、『ひぃ、助けてお母さん』と心で叫びながら仕える侍女はさすがだ。淑女の階段登り中の彼女(サンラータン)の顔は、歪んでいて恐いのだ。

 いわゆる派手顔だから。

 化粧でさらに迫力も増していた。


「あの女、危険ね。私の王妃になる障害になりかねない」



 サンラータン・スパイス公爵令嬢。

 第三王子パイタンの婚約者で、第一王子ショユンを蹴落としてパイタンを王位に就けようと目論む、公爵家当主()の指示に従う才女。そして野心家だ。


 (たぎ)らす彼女は燃えていた。


 その一方でパイタンは王位に興味なし。

 第一王子と第二王子は王妃の子で、彼は側妃の子だ。国王がその側妃を愛でるので、王妃は面白くない思いをしている。

 パイタン自身、よく生きてるなと思っている。


 彼は安心して暮らせるように瑕疵のない王子を演じていただけで、できれば早く臣籍降下したいと思っている。

 既に食事の毒混入や暗殺未遂は経験済みだし、視察では誘拐も二度ほど経験している。


 助け出したのは彼の従者の元貧民アクアリィ。

 彼の家族も隣国の権力闘争で破れ、この地に逃げた時に離散した。

 元侯爵家の嫡男である。

 パイタンが街で拾い従者にしたら、忠誠を誓ったらしい。

 瑕疵を恐れ頑張りすぎて、逆に公爵家に担ぎ上げられそうなのは想定外である。


 ちなみに、第一王子の婚約者は公爵令嬢(政略)。

      第二王子の婚約者は伯爵令嬢(恋愛)である。




◇◇◇

 そしてプクプクなミロソは、周囲の令嬢に嘲笑われていた。


「何あれ? 変なドレス」

「見ちゃダメよ、気の毒だから。太って他のデザインにできないんじゃない? それでも、でっ腹は隠れてないけどね。くすっ」


「姉はあんなに美しいのに。これじゃあ、僻みたくなるわよね」

「でも、あんなに肌艶が良いのだもの。虐待はしてないんじゃない」


「そうね。あの美しさに嫉妬して、逆にストレスで大食いってところかしら?」

「可哀想ね。姉妹でなければ、それほど気にならないのに」


「後妻だもの、その辺は仕方ないでしょ。選べなかったのですもの」

「そうね。それはもうね。くふっ」



 トランコーツは屈辱を味わっていた。

 何故かミロソが突然激太りし、小豚みたいになってるし。

 それにルージュナが来たせいで、トランコーツも先妻と比較され貶されたのだから。

 トランコーツ自身の顔は醜くはないが、普通である。  

 ミロソは残念なことに母親似だった。


 まだシオンが初婚ならこんな比較はされなかったし、ルージュナもいなかったのに。


 そしてミロソもまた、ルージュナと比べられ勝手に憐れまれ貶されて、羞恥で顔を朱に染めた。


『『これもすべて、ルージュナのせいだ!!!』』



 そんな感情とは無関係に、もっもっとクッキーやケーキを咀嚼し、食い溜めするルージュナだ。

(お菓子最高。何とか自分で作れないかな? もうこれ、いつ食べられるか分からないから、悔いのないように食べないとね)


 席のお菓子を食べ終えると、好きに取れるお菓子スタンドのあるテーブルに移動し物色するルージュナは、素早い手つきで口にお菓子を消していた。

 まるで手品のように。


 それを見たパイタンは、また声を潜めて笑うのだった。

 一応、眉目秀麗で何事にも動じないと評判なのに。

 お付きの侍従アクアリィも渋い顔で王子を見ている。


「ちょっと、パイタン様。サンラータン様が、あの子を睨んでますよ。自重して!」と、耳もとで囁くアクアリィ。


「ああ、すまないな。何かツボに入ってさ。くくっ」

「もう。しっかりして下さいよ。でも本当、消えてますね。くふっ、ごほん、ごほん」

「な、面白いよな。はははっ」


 けれどその様子は、周囲に好ましい印象を与えた。


「あの、しっかりされた王子でも笑うんだね」

「うん、優しい笑顔だ」

「なんか僕らと同じだ。親近感湧くね」

「でも何が楽しいんだろ? 何かあるのか?」


 キョロキョロと周囲を見るも、特に異変はない。

 きっと多くの同世代を見て、その成長に笑みを深めたのだろうとの結論に至った複数名。

 パイタンに優しい印象がプラスされたのだった。



 トランコーツとミロソだけは何もかもうまくいかず、イライラのうちにお茶会は終わった。


 ルージュナはハンカチにお菓子をくるんで、無事持ち帰りに成功した。


「わ~い、明日のおやつ確保だ。やったー!」



 遠くでパイタンが忍び笑いしていた。


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