第6話
獣道。道と名前はついているものの、実際は人一人通れるだけの幅だけ、雪の積もり方が浅いというだけだった。
股ほどにまで積もっている雪を、先頭を進むプロスペローが足で踏み固め、所々深くなっているところは荷物から取り出した円匙を使って掻き分けている。それでも一歩獣道から外れてしまえば、肩を越えるほどに積もった雪に埋まってしまうだろう。
「ずいぶん、慣れてらっしゃるんですね、ラッセル」
ラッセル、雪山などで深く積もった雪をかき分け、そして踏み固めて道を作り出す技術だ。プロスペローが踏みそこなった雪を踏み固めながらカタリーナがそう尋ねた。
「慣れているからな。昔はシプカ峠でも同じことをやった」
「シプカ峠……」
カタリーナは頭の中の世界地図の中から同じような地名を探し出そうとするも、一向に出てこない様子だった。そんな様子を見てプロスペローが答える。
「バルカンだよ。私がここに来た後はブルガリアとか言う国になったらしい場所だ」
「それって……」
今度は頭の中の歴史年表を思い出す。ブルガリアの独立は確か19世紀の半ば。そうだとしたら今カタリーナの目の前で雪をかき分けている男は……。
「露土戦争、後世はそう呼ぶ。私は、そのころ君たちが言うところのオスマン帝国軍に居てね」
苦笑するようにプロスペローはそう答えた。つまりはロートルだよとも付け加えた。
「シプカで友軍を助けようとしたら、いつの間にか天界に居た。それからずっとこの仕事をしている。ディミトリウスも似たようなものだ、彼はシエラレオネと言う国らしいがな。だろう?」
そういって指差し代わりに雪の付いた円匙を最後方にいたディミトリウスに向けた。それに気づいたディミトリウスがひらひらと手を振りながら返事をしてくる。
「そう、シエラレオネ内戦に参加してったってわけ。ローデシア出身だけど色々あって南アフリカ軍に入って、上官ぶん殴って除隊して、傭兵家業をしてたらこんな所に居るわけよ」
「こんな任務だ、いきなり素人に装備持たせて後片付けしてこい何てのは、無理な話だ。俺たちみたいな経歴の持ち主がリクルートされてくる」
周辺を警戒しながらも、バートラムがそう言った。どこか自虐的な響きが含まれているようだった。
「ちなみにカタリーナも分かっていると思うけどバートラムも荒事には慣れてるよ、フランス外人部隊だったっけ?」
「第二外人落下傘連隊。ザイールのコルヴェジが最後だったな」
「カタリーナは? 自衛隊に居たことは聞いたけど、二次大戦後に戦場に出たって話は聞いたことが無いぜ」
「私は戦死じゃなくて……殉職なの。災派のときに崖崩れの中に子供を見つけて、その時に……」
「……ああ、ごめん」
「いいんです。その代わりに、私の願いが叶っていれば、あの子は無事に救助されているはずですから」
「私たちの中では、君が一番まともかもしれんな」
そう皆言って笑った。勿論、声を抑えて。
「それにしても、私たちみんなおんなじ世界から連れてこられたんですね。箱庭……異世界がいくつもあるなら、もっと進んだ技術や能力を持った人たちも居るかと……」
「俺たちがいた世界が、すべての異世界の中で一番進歩してるからな。女神さまが言うところには、あとの箱庭はまだまだ発展途上も良い所だそうだ」
「なるほど……SF世界は夢のまた夢ですか」
そう。残念ながら、レーザー銃も超能力兵士も、フィクションにしか過ぎなかった。
氷点下を下回る気温の中でも、雪をかき分けながら進めば、やがて額から汗が流れるほどになってしまっていた。途中に小休憩を挟み、水分と体温を保つためのカロリーを補給、そして凍傷を防ぐためにインナーや靴下を着替えることを2度ほど繰り返したあたりで、開けた場所に出てきた。
先頭を歩んでいたプロスペローが、拳を固めたままの形で右腕を上げた。止まれ、のハンドサインだ。皆中腰になり、小銃を構える。
窪地になっていたそこは、雪深くない季節には狩人や山菜取りたちが休息するために拓かれたのか、明らかに人の手で切り倒されたと思われる切り株が点々と存在していた。
プロスペローの肩越しに、カタリーナが開けた窪地へと目をやれば、白一面しかなかった風景の中に、火を焚いた後の黒と、我々が身に着けている装備と似た色をした物資が、点々と落ちていた。露営の跡だ。
そして、窪地を取り囲むように隆起している丘の稜線、その外縁に沿うよう生えていた木々が、異様なシルエットをしているのに気が付いた。
観測班の死体が、木に磔にされ、まるで案山子のように並んでいた。