第2話
忌々しい帰還報告を終え、バートラムが外に出てみれば、そこには忌々しいほどの青空が広がっていた。澄んだ青空と雄大な雲々、しかし、それらはまるで自然の物には見えず、かつて故郷で見たフレスコ画、それともバロック期の宗教画、仏教画にさえ見えるところもある。まるですべての宗教の天国がキメラの様に混ざり合った空だ。
天国などというものを想像し、絵画を制作していた画家と会う機会があるのならば、その殆どが想像を超えるグロテスクさを持っていると伝えてやりたい。
ここは、天界。俗に天国とも呼ばれる場所に、バートラムは立っている。
神々がおわす世界。雲の上に浮かぶ島々に、それぞれを渡るための虹の橋。始めこそ戸惑っていたものの、慣れてしまえば不便なことこの上ない。移動をするためのトラムの一つでも設置したらどうだと文句も付けたくなる。
不満ばかりを頭の中で逡巡させながら、いくつか虹の橋を越えたところで、白一色で統一された建物に足を踏み入れた。
無機質なように見えて、軍靴の硬い底で踏んでも音一つ立たない素材でできたその建物は、バートラムたちが普段寝泊まりをしている官舎の様なものだった。部屋に戻ってひと眠りする前に、一階に併設されているバーに立ち寄る。
『バッカス』と安直な名がつけられた看板の出たそこは、所謂リラクゼーションルームも兼ねており、ミニシアターやビリヤード台も備え付けられていた。
そんな一角、長テーブルのカウンターに一人の女性が、グラスを握りしめたままうつ伏せに倒れていた。そこへと近づき、隣の席へと腰掛ける。
「ご苦労だったな、カタリーナ」
その言葉に反応したのか、突っ伏したまま器用に首だけを回転させ、カタリーナと呼ばれた女は、アジア系特有の顔を醜く歪め、バートラムの方を恨めしそうに睨んだ。
「そんな顔で俺を見られても困る」
「……ええ、それでも本当にあんな事、禁止条約の違反まで」
「天界にはジュネーブも国連も存在しないからな。天使様の指令一つでどんなことだってやるのが俺たちだ。ここに転生される時にあの女神様に説明された通りさ」
そう言い、バートラムがテーブル表面をコツコツと二回叩くと、何もない空間から忽然とグラスが現れた。もちろん中には琥珀色をした芳醇な液体が満たされている。
「三途の川を渡ってる途中で引きずり出され、転生なんて呼び方をするなら、そうです」
カタリーナもバートラムに倣いって机を叩き、四角い木の箱、升に入った細長いグラスを出現させる。中身は無色透明な液体だが、果実酒にも似た甘い香りが漂っていた。
「サンズ?」
バートラムには聞き馴染みのなかった単語だ。
「貴方の出身地でいうところの……カロン、いえアケローンに近いものです」
「成程、冥府との境界線か」
納得と言った顔で、琥珀色をした液体を一気に飲み下した。
「……確かにやっている仕事はクソだが、代わりの報酬は受け取った、だろう?」
「ええ、どんな願いでも叶えてやると言われ、それにすがった。その結果がコレ。全く自分の想像力不足を呪いたくなります」
吐き捨てるようにそう言うと、カタリーナもグラスを一気にあおる。
何かしらの理由によって元居た世界での生命を終え、新たな命を授かり、異世界へと飛ばされる“転生”。その該当者の多くは、転生時に授けられる能力を持って新たな世界での生と使命を謳歌している。
しかし、その中には勿論例外と言うものが存在する。能力に溺れ使命を果たさぬ者。果たしたとして、今度は蛮王として世界を我が物とする者。そして今回のように、天使たちの管理する箱庭に致命的なダメージを与えてしまう者。
意図的か、無意識的にかに関わらず、そんな勇者たちを処理するために、勇者たちとは別枠で天使たちによって“転生”させられたのが彼らだった。すべては神より授かった箱庭を維持し続けるために。
「勇者たちがその箱庭の世界でしか通用しない能力をもらう様に、俺たちには一つだけ死ぬ前に果たせなかった願いを叶える権利を……ってな。詐欺師の口車に乗っちまったわけさ」
願いと言う対価を先払いで貰った以上、使命は果たさなければならなかった。彼らもまた天使たちの持つ箱庭から連れてこられた以上、そこで起きた因果については天使達の匙加減一つで無かったことにされてしまう可能性だってある。
「お互い、何を願ったにしろ、対価を受け取ってしまった以上働かないといけなくなっちまったわけだ」
そんな折、バートラムの腰につけていたポケットベルが振動する。同じように机の上に置かれていたカタリーナのスマートフォンも明かりが点滅していた。
画面には二人とも同じ数字が表示されていた。聖書に記されている、神より与えられた力を持った使徒の反逆を示す数字。つまるところ、緊急招集の数字だ。
いつの間にかテーブルの上に二人分のグラスが用意されていた。乳白色をした液体がなみなみと注がれている。神酒。とっとと酔いを醒まし、無理やりにでも体力を回復させるためのものだった。
顔を見合わせ、ため息をつくと、一気にグラスを空にした。