第1話
バートラムが立つその場所は、一見すると教会の祭壇のようにも見えた。アーチ状の窓からは穏やかな陽光が差し込み、外では小鳥の囀りが旋律を奏でている。
バートラムが祈りを捧げる司祭の位置にいるとするならば、救世主を祭る位置には玉座が存在し、そこには一人の女性が鎮座していた。
「無事に、任務は完了したようですね」
光に包まれた部屋で耳にしたその声は、鼓膜を響かせるのではなく、脳の言語をつかさどる部位に、直接語り掛けてくるように思えた。
「はい、勇者が転生時に持ち込んだ異物は、間もなくあの世界からは消え去るでしょう」
帰還報告。請け負った任務の進捗と、その帰結の報告を、手元のクリップボードに挟んである書類をめくりながら行っていた。ついさっきまで着込んでいた防護服からは着替え、背広型の灰色をした軍服に身を包み、小脇には白いケピ帽を抱えている。
彼の姿に対し、椅子に深く身を沈める女性は筒型のワンピースに身を包んでいる。薄い布が体のラインに沿って張り付いているような格好だが、そこには妖艶さなどを打ち消す程の神々しさが見て取れた。
「まず、転生時の服。特にスニーカーに付着していた泥に含まれていた糸状菌、またそれによってもたらされる植物病害は、森林地帯の四割近くを汚染していましたが、今回の作業で根絶が可能でしょう。木が枯死した後は、現地に残っている観測班が四方から火をつけ、エルフの森は山火事で焼失したというカバーストーリーと共に消え去ります」
「汚染の元となってしまった衣服はどうしました?」
「エルフの村で衣服を着替えた折、そのまま村に保管されていたようですね。中心部にあった教会に存在が確認されています。エルフの森を焼き払う時に一緒に燃え尽されます」
一度顔を上げれば、後光の差す慈母の笑みを携えた女性が満足そうに頷いた。
「見事な働きぶりです。それで、もう一つのイレギュラーに関しては?」
はたから見れば女神の様な、いや実際女神そのものの笑みを向けられたバートラムだが、内心は穏やかではない。
「はい。もう一点、勇者が“元の世界”から持ち込んだ性病、今回は梅毒ですね。これに関しては“あの世界”において抗体が存在しないため、感染者そのものの処分を行いました」
「確か勇者と交わったのは……」
「魔王討伐のパーティメンバー、その全員です」
まず、回復役だった“あの世界”の第二王女。勇者死後、尼僧になっていたところを急襲しボウガンで射殺。魔王軍の残党が行ったかのように見せかけるため、わざわざトロルたちが使う鏃まで再現させた。
次いで、パーティー内ではタンクの役割であった女騎士。彼女は簡単で、単騎での乗馬訓練時の事故を装い処理した。致命傷を与えた後、死体は川へと流した。運が良ければ漁師の網にでも引っかかるだろう。
そして最後、呪文使い、あのエルフだ。
「“あの世界”のエルフは集住と同時に、乱婚の文化を持っていたので、感染が発覚した時点において集落内での感染者特定は不可能となっていました」
「まぁそれは……」
とぼけた声を出しやがって、眉間にわずかなしわを寄せながらバートラムは続ける。
「しかし幸運なことに他種族間での性交渉を行うことはなく、勇者と行ったものが特異的な物であったため、集落ごと殲滅することで感染拡大を阻止、今回はそのために化学兵器を使用しました」
無論、今この時でさえも放置され、落葉の下に横たわる大量エルフの亡骸も、森と共に灰になり、やがて土へと還るだろうとも。
女神は満足そうにうなずく。
「それは幸運でした、バートラム。わずかばかりの犠牲を払うことになりましたが、これで“あの世界”の均衡は保たれるでしょう」
わずかばかりの犠牲。そう、目の前に佇むこの慈母の様な女神にとって、あの大量殺戮は自分たちの箱庭を維持するためなら些細なものに過ぎない。
元はと言えば、この目の前で泰然自若と微笑んでいる女神が、事前の検疫や処置をすっ飛ばして、病気持ちの勇者を異世界へと送り飛ばさなければ起きなかった出来事だ。
女神は立ち上がり、祈るように手を胸の前で組む。
「これであの世界にも再び神の恩寵が降りそそぐことになるでしょう、まさに神の尖兵としての役割、大儀ですよバートラム。そなたに祝福あれ」
なるべく表情には出さないつもりではいたが、ほんの少しだけ奥歯を噛んだ。
「……祝福あれ」