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始動

 神保町のとある出版社。その中に『週刊ジャーナル』編集部がある。

 妙高ちとせはここに席を置いている。以前はフリーのルポライターだったが、2年前にようやくここで正社員となり、生活は格段に安定した。彼女が書いたある事件のドキュメンタリー本がベストセラーになり、それが認められた。なんとか編集部の末席にたどり着いたのだ。

 週刊ジャーナルは王道の週刊誌とは一線を画している。オカルトものを扱ったり、際物を載せて見たり、少し胡散臭い噂話も載せる。もちろんエロもそれなりにある。はっきり言って図書館に置いてもらえる本ではない。

 今年の春から編集長が替わり、妙高とはさほど年も変わらない若い人間になった。ただ、昨年までは副編だった男である。よって妙高とは円滑な関係を築いている。

 その割とイケメン風の白井編集長が妙高に話をしている。

「ちとせの話を聞くと誘拐事件よりもイタコのほうが面白そうだ。そっちを記事にしないか?」

「私もそうは思うんですけど、11歳の少年ですからね。先方も記事は厳禁だって言うし、載せるのは問題が大きいと思いますよ。それらしくほのめかす程度にしないと後々トラぶります」

「まあ、そうなるか。じゃあ、誘拐事件はどうするんだ」

「それなんですけど、あの情報である程度は追えるんですが、事件解決とまではいかないですよね。やっぱり事件は解決してなんぼですから、警察に頼まないことには無理があります」

「それはわかるんだが、そんなイタコ情報で警察が動くか?」

「そうなんですよ。そう思って知り合いの刑事に聞いてみたんですけど」

「知り合いは武蔵大和署だったか」

「そうです。まあ、それ以外にも色々動いたんですが、みんな上を通さないと動けないっていうんですよ。そうなると増々無理ですよね」

「まあ、警察も縦社会だからな。当然そうなるな。じゃあ、うちの紙面で動かしてみるしかないのか」

「それも手なんですが」そう言いながら妙高は何かありそうな顔をする。

「何か当てがあるのか?」

「ちょっとないこともないんで、少し任せてもらってもいいですか?」

「いいけど、ああ、つまりはもっとでかい記事にできるってことだよな」妙高がうなずく。「じゃあ任せるぞ、ダメなら早めに言ってこい。手っ取り早く記事にするから、うちもそんなに余裕があるほうじゃないからな」

「はい、ありがとうございます」

 妙高には少しだけ当てがあった。今晩、その当てと会う約束をしていた。

 白井はひととおり話が終わったところで、「話は変わるけど、ちとせはこの歌手を知ってるか」と、自分のパソコン画面を見せる。

 そこには若い女性歌手がいた。女子高生ぐらいの歳だろうか、かわいらしい容貌でどこか日本人らしくない。そして何かの歌を歌っている。

「誰ですか?」

「リー・ムーチェンって言う歌手なんだけど、最近、評判になってるんだ」

「ああ、そういうの私うといんですよ」

「まじかよ、困るな、週刊誌の記者がそんなんじゃ。ちょっと聞いてみなよ」

 パソコン画面の中でその女性歌手が歌う。瞬間、妙高の何かが揺さぶられるような感覚に陥る。パソコンから流れる歌声なのでそれほどいい音ではない。それなのに言葉もなく彼女の歌声を聞き続けてしまう。この感覚は何なのだろうか。どこか懐かしい気持ちになる。一通り聞き終わってようやく妙高が話す。

「なんかすごいですね」

「そう思うだろ、台湾人らしいんだけど、今度日本で売り出すらしい」

「へー」

「ちとせも知ってる事務所だよ。プラチナシード」

「ああ、あそこですか」

 妙高は以前、プラチナシードという事務所に取材をしたことがあった。

「アジアの歌姫を探せって企画で、大々的にオーディションをやったらしいよ。そこで彼女を見つけたんだって。ちょっと当たってみてくれるかな。かわいらしいし、グラビアもいけそうだろ」

 妙高は画面を見ながら、彼女の容姿を確認する。確かにどこか作り物のような完全美であり、それでいて可愛いらしい面も持っている。ルックス的にも日本受けはしそうである。

「わかりました。私のパソコンに資料を送ってもらえますか?」

「了解」


 夜、虎ノ門駅近くの居酒屋、個室もあるこじんまりとした割烹系の居酒屋である。もちろん、妙高の安月給でなんとかなるお店だ。妙高はビールを飲みながら客人を待っている。相手の勤務地から近いということでここになった。とにかく忙しい人のようでここがいいそうだ。

 ビールのお代わりを頼もうと思ったところで、入り口にその相手が見える。お店の人に案内されながら顔を見せたのは冷泉三有だった。

挿絵(By みてみん)

「すみません、遅くなりました」

 そういって妙高の前に座る。その瞬間、何かいい匂いがする。刑事とは思えぬ容貌に加えてこの香水はなんだろう、男なら一発で恋に落ちるな。

「忙しそうだね」

「そうですね。所轄の頃とは違います。事件が終わりなく続いていきます」

 冷泉はこの4月から本庁捜査一課勤務となっていた。今日の飲み会はその異動祝いも兼ねている。

「そうなんだ」

 妙高が冷泉と会うのは2年ぶりだろうか、その前は武蔵大和署から目黒署に異動になる送別会に参加した。結局、彼女が異動するタイミングだけで再会していることになる。

「そういえば妙高さんも正社員になられたんでしたね。おめでとうございます」

「ありがとう、この歳だし、いつまでもぶらぶらできないってのもあったんだよね。田舎もうるさいからさ」

「そうですか」

 店員が来て冷泉も生ビールを頼み、追加の料理を注文する。

「捜査一課は冷泉さんが希望してたところだよね」

「そうですね。いずれは行きたかった部署になります」

「どう、やりがいはある?」

「難しいですね。自分の力量と職場が見合っているのか、その辺がよくわかりません」

「まさか、そんなわけないでしょ。十分やれてるんじゃないの。所轄の頃だってエリートだったよね」

「そう思ってるのは妙高さんだけですよ。警察機構はまだまだ旧態依然として男社会ですから、そこまでの評価は無いですよ」

 生ビールが来て乾杯する。冷泉が一気に半分近く飲み干す。

「すごい飲みっぷりだね」

「はは、のどが渇いてます」

 今日も一日走り回ったのだろうか、初夏のこの時期だと汗もかくのだろう。なるほどそれで香水なのか。

「なんかいい匂いのフレグランスだね」

「ああ、すみません。匂いますか」

「いや、純粋にいい香りだと思って」

「これ、柳沢さんから頂いたんです。ヨーロッパ旅行で買ったらしくって、私はよくわからないですが、単なる匂い消しで使ってるんです。恥ずかしい話、このところシャワーで済ますことも多いんです」

「そんなに忙しいんだ」

「要領が悪いだけなのかもしれません」そういっていつもの笑顔を見せる。この笑顔で何人の男どもを狂わせたのだろうか。

「柳沢さんってプラチナシードの社長さんだよね」

「ええ、そうです。ああ、でも今は代替わりしてます。彼女はリタイヤされたんです」

「え、そうなの」

「そうです。ご主人が体調を崩されてしまって、療養を兼ねて田舎に引っ越されたんです」

「そうだったんだ。まだ若かったよね」

「そうですね。世間ではまだまだ働き盛りと言う歳ですかね。それと芸能界だと成功すれば社長は死ぬまで現役ですから」

 そうだった成功した芸能プロダクションの社長は生涯現役が常だった。話がプラチナシードになったのでこれ幸いと例の歌姫の話を振る。

「冷泉さん、この歌手知ってる?」

 妙高はそう言って、スマホを使って先ほど編集長から送られてきた画像を見せる。

「はい、詳しくは知りませんが、彼女は柳沢が最後に手掛けたオーディションの優勝者です。台湾出身のリーさんでしたか」

「そうなの、これから日本デビューするんでしょ」

「そうですね。オーディションは1年前でしたか、アジア全域から有望な歌手を募ってやったと聞いてます」

「彼女は元々有名だったのかな?」

「そうみたいですよ。台湾やアジア各国でもオーディション番組を総なめしたらしいです」

「そうなんだ」

「柳沢が珍しく興奮気味に話していたのを覚えています。すごい素材を見つけたって」

「茉莉華の時をほうふつとしたわけね」

「その話はやめてくださいって」冷泉は笑みを浮かべながら言う。冷泉は大学生の頃に茉莉華と言う芸名で芸能界デビューをしていた。当時はすごい人気で妙高からはいつもそう言われてからかわれている。

「でも彼女の歌声は独特です。唯一無二というか、誰もが魅了される声です」

「そうなのよ。画面越しでも相当なインパクトでさ、どういう人なのかな」

「取材されればいいと思いますよ。プラチナ側も売りたいところですから、両者の思惑が一致するんじゃないかな」

「そうだね。そうする」

「プラチナシードは藤井さんが社長をやってます」

「藤井さんってまだ若いよね」

「そうですね。42歳だったかな」

 なるほど、彼は柳沢が目を掛けていた事務所のエースだった。まさにスピード出世だ。

 場も温まったところで、妙高はいよいよ本題に移る。

「話は変わるんだけど。今、取材で幼児誘拐事件を扱ってるんだ」冷泉の顔が真剣身を帯びる。「横田友里さんと言って群馬県で幼児誘拐事件があったの覚えてる?」

「もちろんです。8年前でしたか、彼女はスーパーで誘拐されたんですよね」

「そうなの」

 そう言って妙高は例のイタコの少年の話を始める。冷泉はそれをじっと聞いていた。

「というわけなの。この内容で警察は動けないかな」

 冷泉は少し考えてから話す。「難しいですね。そのイタコの少年をどこまで信用するかということですよね」

「彼はこれまでも何回も行方不明者を見つけていて、イタコを経験した誰もがそれを信じてるらしいんだよ」

「それはわかるんですが、警察がそれを鵜呑みにするには確証が無さすぎます」

「でも現状、警察はあの事件に関して何の手掛かりも無いんでしょ」

 冷泉は再び考える。「わかりました。まずはその事件の担当者に話を聞いてみます。それとその少年に私が会うことはできますか?」

「イタコに?」

「そうです。自分の目で確認してみたいです」

「そうだね。わかった。動いてみる」

 

 奈良橋川で発見された遺体は腕のみで、その後の捜査でも他の部位は見つからなかった。よってさらに上流の二つの池があやしいという判断から、本庁の第二機動隊の支援を受ける。潜水するには機動隊の力が必要となるのだ。本日と明日で番太池と赤坂池の潜水捜査をおこなうこととなる。

 朝から犯罪対策課はその番太池で待機していた。池は幅10m、長さは20m程度の農業用漲水池になっている。周囲は金属製のフェンスで囲われており、元々水は濁っている。そのため水中をうかがい知ることはできない。野次馬対策で周辺には立ち入り禁止のロープが張られている。それでも腕発見のニュースが巷を賑わしたせいもあり、たくさんの野次馬がスマホ片手にその周りを取り囲んでいる。

 今日も梅雨の中休みで比較的過ごしやすい気温となり、風も心地よい。そんな中、潜水服を来た機動隊員一名が潜ろうとしている。

「見つかりますかね」鮫島が心配そうに聞く。

「どうかな。見つかっても困るが、出てこないとなるとさらにやっかいだな」神保が答える。

 隊員が勢いをつけ、音を立てながら潜る。池はそれほど深くないはずだ。何かあればすぐに見つかる。

 神保は物思いに耽るように話しだす。

「鮫島はたっちゃん池で遺体が見つかったのを覚えているか?」

「はい、もちろんです。当時は違う所轄にいましたが、あの事件は世間を揺るがしました」

「そうだな。池と言うとあれを思い出すよ」

「ドラム缶に入ってたんですよね」

 神保はうなずく。今もってあの遺体は凄惨だった。あんな事件にならないといいなと思う。

 すると濁った池から隊員が顔を出す。何やら手で合図している。何かがあったようだ。

 神保が近くに寄って話を聞く。

 隊員が口からマウスピースを外し、緊張気味に話す。「金属缶があります。恐らくその中に何かがあります」

 神保が言う。「網とロープで吊り上げられるかな?」

「やってみましょう」

 神保がフェンスを乗り越え、隊員に網とロープを手渡す。鮫島と他の署員は周囲の住民に池から離れるように指示する。おそらく遺体であれば見せられるものでは無いのだ。同時に目隠し用のブルーシートも用意する。

 再び隊員が潜水し、しばらくしてロープの端を持って上がって来る。神保はそのロープを受け取り、フェンス越しに綱引きの要領で引くことにする。

 こういう時に鮫島は頼りになる。一人で十分とばかりに猛烈に引っ張り上げる。神保や二宮は引いたふりで十分だ。

 池の水面に泥水と共に一気に金属缶が浮かんでくる。ちょうどアメリカ映画などでみる金属製のゴミ箱で円柱形をした缶である。直径は50㎝ぐらいだろうか。

 泥水を吐き出しながら上がってくるゴミ缶の蓋が取れそうになる。すると少しだけ中身があらわになる。とたんに神保の顔が曇る。鮫島は一心不乱に引いているので中まではわかっていない。

「鮫島、ゆっくり引け。遺体だ」

 鮫島の手が震える。そしてゆっくりと引きだす。

「嘘だろ」神保が唸る。

 池から浮かび上がった缶の蓋は半分、開いたようになっている。

 見ていた野次馬から悲鳴に近い叫び声が上がる。さらにみんな一斉にスマホでそれを撮りだす。

 その遺体は缶の中に詰め込まれていた。それはあたかも重機で詰めこまれたようにびっしりと隙間がなかった。


 夜になって鑑識の結果が出た。それを受けて捜査会議が行われる。

 武蔵大和署の大会議室には本庁からの管理官と捜査員を含め60名程度が集まっていた。

 会議開催の主旨と進行についての説明が署長からあった後、鑑識の報告が始まる。

 鑑識課長はいつになく慎重に話を始める。

「それでは報告します。まずは遺体が収納されていたゴミ箱ですが、トタン製の市販のものになります。ネットでも購入可能で、流通量も多く、入手ルートも含め、断定するには時間がかかると思います。また容量は45?で実際に使われていたゴミ箱を利用した可能性が高いです。缶の中にはそういった残留物もありました。その調査も行っていきます。また、ホシ(犯人)は金属製であることから池に沈める目的でこのゴミ箱を選定したものと考えます。蓋もあったのですが腐乱した遺体から出るガスで膨らんだため、一部が外れたようです。川で見つかった腕については大雨の影響で流されたものと思われます。また、水中にあったことからホシの遺留物の検出は難しいと判断しております。

 次にマル被(被害者)について報告します。推定年齢40歳代、男性で死後1週間程度経過しています。血液型はB型。DNA検査で該当者はおりません。また衣類は着用しておらず、所持品も見当たらないことから、現在のところ身元はわかっていません」

 確認の意味で管理官が質問する。「つまりは全裸というかな」

「そのとおりです。続けます」ここで鑑識課長がつばを飲み込む。「それと遺体の状況ですがバラバラになっています」

 やはりそういうことかと神保は納得する。あの缶に詰め込まれればそうなる。

「その分離状況ですが、4肢、つまり手足ですね。それと頭部、それらが胴体から分離された状態になっています」

 署員がざわめく。何かとても陰惨な事件の様相を呈してきた。一体、犯人の目的はなんなのだろう。

 さらに何かあるようで鑑識課長は汗をかきだす。

「さらに遺体の切断面から、切断で使用したものは刃物ではないと思われます。あたかも強引に引きちぎられたかのような処理となっています」

 うそだろ、どういうことだ、捜査員たちが一斉に声を上げる。

 神保の隣に座る鮫島も青ざめている。さすがにこの娘にもここまでの陰惨な事件は堪えるだろう。

「さらに分解された遺体を缶に収めるために、相当な力が加わったものと思われます。これは以前のたっちゃん池の事件と酷似しています」

 再び会議場は騒然となる。あの事件と同じとは。管理官が質問する。

「たっちゃん池事件は1トン近い圧力で押しつぶしたと記憶している。それと同様だということか?」

「そうです。1トン近い力でないと遺体はあのようにはなりません」

 あの時の犯人はもういない。つまりは同じような力を持つ者がやったということか。

「さらに遺体の頭部は損壊されています。ご丁寧に歯型がわからないように口蓋部分が粉砕されています」捜査員のため息は悲鳴に近い。「詳しくは司法解剖を待ちたいと思いますが、次に話すのは検視官の話です」課長は再び言いよどむ。「おそらく先ほどの4肢の分断は生きたまま行われたように思われます」

 神保は吐き気を催す。

 隣に座る鮫島の握りこぶしが固くなっている。「神保さん、私はこれほどの悪意を持った犯罪を経験したことがありません。悪意というか憎しみ以上のものを感じます」

 確かに鮫島の言うとおりだ。生きたまま人間をばらばらにし、ゴミ箱に詰め込むなどということは人間が出来ることとは思えない。悪魔かそれに近い者の仕業だ。

 鑑識の報告が終わり、署長から今後の進め方と署員の作業分担について話があった。犯罪対策課は付近の情報収集と防犯カメラの解析を担当する。


 捜査会議を終えた犯罪対策課の面々が自室に戻っている。やはりみんな顔色が悪い。

 佐藤係長が話しだす。「とにかく署長から話があったように周辺の情報収集から始めよう。あそこまでのことをやって何も出てこないことも無いだろう」

「佐藤さん、以前の事件との関連性は無いんですか?」鮫島が質問する。

 佐藤は考え込む。「無いと思う。犯人は亡くなっているし、もう同じ方法は使えないはずだ」

 鮫島もあの事件についての調書を読んでいるはずだ。

「ということは何かの機械を使ったということになります。素手で体をばらばらにすることや缶に詰め込むことはできません」

「鮫島でも無理か?」二宮は真剣に聞いている。

「あったりまえです。子供がカエルを引き裂くのとは違います。人体を引き裂くのにどのくらい力がいるのか想像もできません」

「鮫島、そうなんだよな。今の話で思い出すぞ。子供がカエルにいたずらする。まるでそんな感じじゃないか、面白半分にやっているのか」神保が真顔で言う。

 そうなのだ。この犯行はそういう悪意に満ちている。それがわかるので余計に犯人像が不気味に映る。

 佐藤係長が神保に指示する。

「神保、一応、例の製薬会社を当たってくれ。可能性を消す意味もある」

「わかりました」


 聞き込みや防犯カメラの解析が進められる。

 ただし、番太池周辺には遊歩道はあるが日中はそれほど人通りもない。防犯カメラも数は少ないが存在するのだが、犯行に関するものは残っていなかった。

 聞き込みでも有力な情報は得られず、事件の進捗は遅々として進んでいかなかった。

 また、人間の体を引きちぎれるかの検証では、昔は処刑の方法として八つ裂きの刑などがあり、それこそ馬を使って罪人を引きちぎることを行っていたようだった。中世のヨーロッパや中国でも行われていたようだ。

 鮫島も試しにどのくらいの力で引きちぎることが出来るのかを検証したところ、まったく不可能ではない事が分かってきた。ただ、鮫島ほどのパワーを持ってしても生きている人間については到底無理で、プロレスラー並みの力があればなんとかなりそうではあった。

 以前の事件との関連を調べるため、製薬会社に確認するが、そういったことはありえないとの回答を得ていた。

 正式な司法解剖報告も出たが、鑑識の結果に相違ないことが判明した。やはり生きたまま引きちぎられたこととなる。

 そうして2週間がたつも、残念ながら何ら捜査に進展は見られなかった。

 

 イタコの少年と冷泉との面会は、冷泉が希望してから2週間後に実現する。時期については冷泉の都合でこの日になった。イタコについては誰と面会するのかの要望が必要となるため、冷泉の叔母とした。冷泉の両親は早くに亡くなっており、以降は叔母に育てられた。その叔母が3年前に亡くなっており、彼女との面会を希望したのだ。

 冷泉とは最寄りの駅で待ち合わせし、タクシーで現地に向かう。

 妙高が話す。「今日は非番だったの?」

「そうです」

「せっかくの休みなのに悪いね」

「お気遣いは無用です。もっと早くしたかったのですが、色々あってここまで遅れました」

 昔から冷泉は生真面目で、今時の若い女性とはまったく違う。早い話が優等生なのである。それも底抜けの。

 タクシーが町田邸に到着する。冷泉は木々に囲まれたこの屋敷を懐かしい目をしてみている。

「静かでいいところですね」

「築50年は経過しているみたい」

「ああ、わかります。でも落ち着いた感じで素敵です」

 二人が家に入り、町田夫人と挨拶を交わす。そして前回と同じように彼女との打ち合わせの後、居間に案内される。

 床の間前に大きめの座布団が置いてあり、そこにイタコの少年が座るのを待つ。

 その対面に冷泉が座り、やや斜め後ろに妙高が座っている。妙高が冷泉の様子をうかがう。彼女はいつもどおり冷静で平然としている。

「叔母さんのことを考えるだけでいいらしいよ」

「ええ、大丈夫です。叔母は母親代わりでずっと一緒にいましたから、思い出はたくさんあります」

 先ほども町田夫人とはそういった話が出来ており、問題はないはずだ。

 そして縁側から夫人とその後ろに大夢少年が歩いて来る。少年は相変わらず透き通るようだ。

 何か不思議な感覚がして、冷泉を見ると様子がおかしい。先ほどまでの冷泉ではない。少年を見て何か驚いたような表情をしている。いったい、どうしたのだろうか。

 町田夫人が少年を座布団のところまで連れて行き、夫人はその脇に座る。

「それでは冷泉様、叔母様のことを考えて大夢に念を送ってください」

 冷泉を見るが、少し汗ばんでいて、これまでの冷静沈着な彼女とはどこかが違う。冷泉は目をつぶる。大夢少年も静かに目をつぶり、何かを待っている。

 そしてそれはすぐに現れる。前と同じく周辺の雰囲気が明らかに変わった。

 憑依した少年は目をつぶったまま、話を始める。

「おねえちゃん、刑事になったんだね」

 妙高はその違和感に気づく。これは明らかに叔母さんではない。大夢とは違う少年の存在を感じる。

 冷泉が震えている。そして唐突に涙を流しだす。妙高は彼女の涙を初めてみた。

「僕の夢、叶えてくれたんだね。ありがとう真理子ねえちゃん」

 真理子とは誰だ。震える声で冷泉が聞く。

「貴方は誰?」

 少年は目をつぶったまま笑みを浮かべる。「僕をからかってるの、祐介だよ」

 冷泉が嗚咽を漏らす。初めて見る彼女の狼狽振りに驚くしかない。

少年は続ける。「お姉ちゃん、僕はもう大丈夫だよ。お姉ちゃんは自分の好きなように生きて。もう僕の夢はかなったんだから」

 冷泉の嗚咽は続いていく。「ゆうすけ」ちぎれそうな声を出す。

「お姉ちゃんはお姉ちゃんで幸せになってほしいんだ。僕の分も」

 ここで妙高は気付く。そうだ。冷泉の旧姓は田中真理子だ。戸籍を変更して冷泉三有になったはずだ。そして亡くなった弟の名前は祐介だったかもしれない。つまりは叔母さんではなく、弟が出てきたことになる。どうしてだろう、そう思って町田夫人を見る。

 夫人はそれに対しうなずき、冷泉に話しかける。

「弟さんに何か言うことは無いですか?」

 冷泉は涙でぐしゃぐしゃになりながら言う。「祐介、よく頑張ったね」

 大夢は笑顔を見せると、そのまま気を失うように臥せる。今回は町田夫人がきっかけを与えなかった。

「ここまでのようです」夫人が言う。

 冷泉もそのまま顔を臥せている。

 夫人が話す。「思いの強い方が出てきたようです。おそらく冷泉様はいつも弟さんのことを思われていたのではないですか」

 冷泉が顔を臥せたまま静かにうなずく。

 そういうことなのか、今まで冷泉から弟の話が出たことは無かった。刑事になったのもそういうことだったのだと気付かされる。一流大学出身のエリートでありながら、所轄の刑事を経て捜査一課の刑事になった。彼女は弟、祐介の夢、おそらく刑事という夢を叶えていたのか。

 そして彼女の弟は幼くして不幸な死を遂げた。それがどれほどつらい事実だったのか妙高に伺い知ることはできない。

 妙高は冷泉の背中に手を置く。彼女は静かにうなずいたように見えた。

 

 その後、夫人にお願いして、大夢くんと話をさせてもらうことにする。これは冷泉からの要望である。

 落ち着きを取り戻した冷泉が大夢に話しかける。

「大夢君は憑依しているときに意識はあるの?」

 大夢が話しだす。驚いたことに先ほどの声とは違っている。彼本来の声だ。

「あるよ。なんだか違う場所から見ている感じなんだけど。自分が話していることはわかってる」

「いつ頃から憑依が出来るようになったの?」

「うーんと、気が付いたら、出来るようになってた。というか、みんなできるものだと思ってたんだ。自分だけが違うって気が付いたのは友達に言われて」

「そうなんだ」大夢がうなずく。

「気に障ったらごめんね。祐介のことは知らなかったんだよね」

 大夢はきょとんとした顔をして、そして気づく。「さっきの男の子のこと?」

「そう」

「うん、おねえさんからの想いみたいなものを感じて、彼が自分で出てきたんだよ」

「そうか」冷泉は再び涙ぐむ。

 妙高が質問する。「憑依の後は疲れたりしないの?」

「うん、呼ぶ人に寄る。想いが強いと少しだけ」

 なるほど、そういうことか、先ほどは憑依の後、しばらく動けなかったのは冷泉の想いが強かったからなのか。


 しばらく夫人と話をし、町田邸を後にする。

 駅までの道は下りでもあり、冷泉が歩きたいと言うので付き合うことにする。冷泉が弟のことを思った理由も確認したかった。

「冷泉さん、最初驚いた顔をしたよね」

「驚いた?」

「大夢君が入って来た時」

「ああ」

「あれはどうして」

 冷泉は答えない。なるほどと思い、妙高は確認を取る。

「弟さんに似ていたの?」

 冷泉は観念したように話す。「そうですね。全体的な印象ですけど」

「そうか」妙高はそれ以上聞かない。なるほど、それだけ弟への思いが強いということだ。常日頃から彼女は弟の面影を追っているのかもしれない。

 しばらく二人とも無言で歩く。

 冷泉がぽつぽつと話をする。

「驚きました」

「信じられるかな」

「そうですね。完全に信じているわけではないです。ただ、あの少年が何らかの能力を持っていると思います。誘拐事件についてですが、動いてみようと思います」

「そうしてくれる」

「ええ、ただ、イタコの話ですんなり捜査に移行するのは難しいです。ですから、少しぼかして動こうと思っています」

「ぼかすって?」

「ああ、妙高さん、以降はオフレコでお願いします。決着が付いたらそれなりにメディアに流してもらってけっこうです」

「わかった」週刊誌ネタのことを言っているのだ。

「上司には例えば、ネットからの情報だとか、匿名の電話があったとか言う話にします、そうやって動けるようにしてみます」

「なるほど」

「それで本当に動いてくれるかは不透明ですけどね」

「そうだね。でも期待してる。横田さんは必死だったから」

「わかりました。時間をください」

 冷泉は普通に歩いているのだろうが、妙高は必死で付いていかないと彼女から遅れて行く。やはりタクシーを呼んだ方が良かった。


 妙高は誘拐事件については冷泉に一任することとし、例の歌姫への取材を試みる。

 プラチナシードに問い合わせをすると、すぐに対応可能との連絡を受ける。先方も週刊ジャーナルに掲載してほしいとのことだ。露出機会を増やしたい事務所側の思惑が垣間見える。

 プラチナシードは渋谷に事務所を構えている。ここ数年でさらに勢いを増し、いまや業界でも5本の指に入る一大芸能事務所となっている。

 歌姫の資料も送られてきた。

 李沐宸、リー・ムーチェン。2007年10月14日台湾台北市に生まれる。幼少の頃より歌のうまさには定評があり、いつかは有名な歌手になるだろうと言われていた。歌だけではなく、運動神経もよく。陸上競技や体操などでも非凡な才能を見せ、選抜選手にも推薦されるが、本人は歌手を目指すという。

 彼女の歌唱能力自体も素晴らしいのだが、特に生まれ持った声に特徴があるようだ。人々の心を魅了する声質なのだ。中学に入るころにはその能力でオーディション番組を席巻しだす。そうして台湾本国でのデビューを目指している時に、プラチナシードのアジアオーディションに応募する。5万人以上の参加者の中から最終選考10名の本大会に残り、昨年8月タイで行われたその決勝大会で最優秀賞に選ばれる。審査員全員が満場一致で彼女を推挙したのだ。それほど圧倒的な支持だった。

 妙高がプラチナシードの応接室で待つ。

 個室になっており、広さは6畳ぐらいだろうか、事務所入り口脇に設置されており、事務所内の様子はわからなくなっている。つまり社内情報は外部には漏らさないようになっている。事務所が大きいとそういった対応もしっかりしているのだ。

 しばらく待つと。扉が開いて男性と女の子が顔を出す。

 妙高はその何とも言えない美しさに驚く。美しいという表現では物足りない。秀麗とでも言ったらいいのか、何かこの世のものでは無い美しさである。それでいてかわいらしい、幼児美を持ち合わせている。この娘は日本人受けすると純粋に思う。

「リーのマネージャーをしております西城と申します」20代後半だろうか、タレントにでもなれそうな美男子である。名刺を交換し、妙高がインタビューを始める。

「西城さん、直接リーさんとのインタビューで構いませんか?」

「大丈夫です。ただ、一部日本語が完ぺきではないので、訂正したい箇所は私の方から補足します」なるほど、言い間違えがそのまま紙面に載るのは避けたいということか。

「それと発行されることが決まりましたら、内容については弊社のほうで確認を取らせていただきます」

「ゲラのチェックでいいですか?」ゲラとは校正前の原稿のことで週刊ジャーナルの場合、発行前の最終チェック版となる。

「はい、大丈夫です。あ、ただ、最終版のゲラでお願いします。以前、他社ですが前段階のゲラだったこともあって、もめたこともあるものですから」

「大丈夫です。うちは何度もやり直しません。最終版のゲラしかないです」妙高は苦笑いで答える。

 そういった会話もリーはにこにこして聞いている。

「リーさんは日本語はどの程度話せるの?」

「日本に来てから勉強しました。大体のことはわかります。でも話すのは難しいです」

 やはり話し声にも不思議なものを感じる。何といえば良いのだろうか、人間の声ではない、いわば天使が話をするとこういった声色になるのではないだろうか。

「オーディションは8月にあったんだよね」

「大会のことですか?」

「そう、タイで開催された」

「はい、そうです。8月25日にありました」

「そこで優勝して、いつ日本に来たの?」

「10月からです」

「え、10月から日本語を勉強してそこまで話せるの?」

 日本語を勉強しだしてから10カ月程度しか経っていないことになる。この質問にリーはきょとんとしている。そして西城を見る。

「妙高さん、誤解があると困るのですが、リーはいわゆるギフテッドという子供です」

「えーとギフテッドって天才児みたいなものでしたか」

「そうですね。ありていにいってそんな感じです。彼女は17歳ですがすでに大学生になっています。飛び級で台北大学に在籍しています。今は休学中ですが」

 確か台北大学は日本で言うと東大に匹敵するはずだ。そこに飛び級で入れたとは驚きである。

「そうですか、すごいですね。私なんか英語も全然話せないです」

「英語は話せます」リーがうれしそうに話す。

 妙高は何も言えず笑顔で返す。気を取り直してインタビューを続ける。

「日本はどうですか?」

「そうですね。みんな優しくてフレンドリーです」

「そう、故郷が恋しくなったりしないの?」

「大丈夫です。日本に親戚もいます」

 西城がフォローする。「リーの祖父が日本で仕事をしています。鄧伟トウウェイさんと言って、星天大学で教授をしています」

「大学の先生ですか」

「はい、祖父はもう10年も日本にいます」リーがうれしそうに話す。

「そうなんだ。じゃあ会いに行けるのね」

「そうです。時間が取れれば会いに行ってます」

「それは心強いね」

 リーがにっこりと笑う。笑顔もいいと思う。歌ってる時とは別人のようだ。普段はこういった優しい印象なのだが、歌いだすとそれとは違って力強さを感じる。

「歌も素晴らしいと思うんだけど、特に声が独特ですね」

「ありがとうございます。歌うのは大好きです」

「その声は天性のものなのかな?それとも何かあるの。特別な練習をしたとか?」

「いえ、練習はしましたけど、声はそのままです」

「地声ってことね」

「じごえって言うんですか?」

「そう、持って生まれた声ってこと」リーがうなずく。

「タイの大会以外にも、色々なオーディションで優勝したと聞いたんだけど、台湾デビューの話はなかったの?」

「はい、それはありました。でも日本に行きたかったので、プラチナシードのオーディションを受けました」

「なるほど、オーディション番組だと今や韓国がすごいじゃない。そこは考えなかったの?」

「そうですね。韓国は踊りもできないと難しいです。私は歌を歌いたいので」

「そうか、踊りは得意じゃないの?」

「どうかな」リーはまた西城を見る。それを受けて西城が話す。

「実は彼女は踊りも出来るんです。こういっては何ですが韓国のオーディションに出ても優勝できると思いますよ。ただ、歌を歌いたいという思いが強いそうです」

「じゃあ、踊りはしないの?」

「そうですね。まったくしないということは無いですが」

「我々としては売り方が狭まばるので、踊りも見せたいんですけどね。リーは歌を中心に活動したいそうです。その辺は折半です」西城が苦笑しながら回答する。確かに今や踊りが出来ないと商売にならないのかもしれない。それこそ歌だけでも勝負はできるのだろうが、プラスアルファの部分で見せる要素も重要となる。

「具体的にデビューはいつですか?」西城に質問する。

「今月末からCMが流れます」

「CMですか?」

「はい、清涼飲料水のCMが取れました。メーカーさんとのタイアップです」

「ウーロン茶ですか?」

「はは、それだとはまり過ぎます。新発売の清涼飲料水です。歌も使わせてもらえるんですよ」

「それはよかったですね」

「まったくその通りです。うちの戦略とも合致しました」

「他には何かありますか?」

「来月から歌番組やバラエティ番組に出演していきます」

「バラエティですか?」

 それとなくリーを見ると、表情が曇る気がした。

「クイズ番組ですかね。お笑い番組はイメージもありますから、要検討です」

「リーさんは本当は歌だけ歌いたいのね?」そういってリーに確認を取る。

 リーは西城を見ながら、ちょこんとうなずく。

 妙高は彼女の資料を見ながら確認する。

「ご両親は台湾にいるのよね」

「そうです」

「日本には来ないの?」

「はい、しばらくは一人で頑張りたいのでそう言ってます」

 西城が再びフォローする。「お父様は向こうで事業をなさってるそうで、手が離せないということもあるようです」

「そうですか?どんな仕事をされてるの?」

「商社のような仕事です。中国本土との取引が多いです」

 あまり深く聞いても問題があるのだろうが、どこか良いトコのお嬢様と言った雰囲気はそこから来ているのかもしれない。恐らく富裕層なのだろう。


 その後、妙高は事務所近くの公園でカメラマンとしてリーを撮る。本来であればホテルの庭園などが理想なのだが、低予算の週刊ジャーナルである。ブランコ、滑り台などもあるこじんまりとした公園で、妙高による苦肉の撮影だ。

 そんな場所でもリーは快く応じてくれる。ポーズも表情も妙高の要望に素直に従う。

 リーは被写体としても十分なものを持っている。そして彼女が持つオーラがすごいのだ。公園ではすぐに周辺の若者たちが彼女に気づき、さかんにスマホで撮影している。一般人とは異なることがすぐにわかってしまうということだ。

 茉莉華の時もそう思ったが、こういった特殊なオーラを持った人間は確かにいる。そしてそういった人間がスターになっていくのだと思う。リーにはその匂いがする。

 写真を撮りながら、妙高が西城に質問する。

「水着は大丈夫ですか、そういった要望も多いと思いますけど」

 途端に西城の顔が曇る。「水着はだめですね。リーからの要望でそこは譲れない最優先事項となっています」

「露出はだめだということですね」

 西城は少し苦笑いしながら、「そうです。体の線が出る分には大丈夫ですが、肌の露出についてお互いに項目を決めてあります」

「項目も決めてあるんですか?」

 リーはその会話に気づいて言う。「お見せできるようなものではないんです」

「そう、綺麗だと思うけど」

「妙高さんのほうがきれいです」ちょっとそんなわけないぞ。ぶよぶよ度には自信がある。

 撮影も終わり、西城と今後の話をして取材は終了となる。

 妙高は帰途につく。

 リーは最後までしっかりと対応してくれていた。ただ、何故か、何か少し違和感のようなものを感じた。外国人特有の雰囲気のせいなのか、具体的にはよくわからない。これは妙高が持つ勘のようなものだ。彼女はそれでこの世界を生き抜いてきたのだ。

 今後もリーの取材を続けていこうと思う。


 冷泉は誘拐事件について、上司である保科警部補に相談する。保科は冷泉の指導係も兼ねている。冷泉は彼からの勧めもあり、捜査一課に来た。もちろん冷泉にその資格と所轄の推薦もあった。組織上のボスはこの係の長でもある清水だが、保科が冷泉を指導することは彼も了承している。

 保科は41歳、根っからの筋金入りの刑事であり、昇進よりも事件解決を優先するようなタイプである。冷静沈着で決して感情を表に出すことは無い。そんな彼の特技は筋読みである。様々な要素を元に推理を組み立てる。外れることもあるが、鋭い洞察力、人によると単なる勘ともいうが、それをして数々の難事件を解決してきた。冷泉はそんな彼を師と仰いで自らもそうなろうとしている。また、保科も彼女を一人前にしようという思いが強いようで、ことあるごとに冷泉と行動を共にしている。

 一通り冷泉の話を聞くと、しばらく考えた後に話し出す。

「にわかには信じられない話だな。ただ冷泉が言うならそうなんだろう、俺も信じてみるよ。ただ、動き方だな」

「はい、そうなんです。イタコの話をするわけにもいきませんし、どうすればいいでしょうか?」

「その誘拐事件はうちの特殊捜査係が担当していた。ただ、今は本庁の捜査は打ち切られて、県警の捜査一課預かりとなっている。特殊捜査係の担当はわかるから話をしてみよう」

「イタコの話をですか?」

「いや、匿名情報としようか、その辺は俺に任せろ」

「はい、ありがとうございます」

 やはり頼りになる上司である。とかく男社会の捜査一課で、ここまで話の分かる刑事は珍しい。冷泉はそう言った面でも保科を尊敬している。


 特殊捜査係の担当は古参でもある雁里かりさと警部だ。50歳は過ぎており、彼も刑事一筋といった印象である。さっそく会議室にて3人で話をする。

 先ほどから保科の話を黙って聞いていた雁里がおもむろに話を始める。

「俺もあの事件は心残りでな。なんとか解決できないかとは思ってる。今、お前が言ったような話も、それこそ糞が出るほど聞いたよ」

 なんとなく保科が慌てる。なるほど冷泉に気を使っているのか。

「その話の出どころはねえちゃんか?」冷泉に話す。

「はい、そうです」

「雁里さん、今時ねえちゃんはまずいかもしれませんよ」保科が苦笑いで忠告する。

「ああ、そういうことか、えーと」雁里は言い淀む。すかさず冷泉が言う。

「私は気にしません。ねえちゃんでどうぞ」冷泉はにこやかに話す。

「そうか、それは助かる。今、上もうるさくってよ。仕事にならないよ。それでその話をどこから聞いたんだ?」

「匿名情報なんです。名前を名乗らなかったし、そういう電話があって」

「ねえちゃんのところにか」

「いえ」冷泉が返答に迷う。そこにすかさず保科がフォローを入れる。

「彼女が元いた所轄からの情報だそうです」

「ねえちゃんはどこにいたんだ?」

「目黒署です」冷泉が話す。

「あそこか、ふーん、まあいいか」

 雁里もそれ以上追求しない。そして当時を振り返る。

「子供が誘拐されたのは水戸市のスーパーだった。その時の防犯カメラの映像もあってな。犯人像は絞り込めたんだ。間違いなくあの地域の変態野郎だ。実際、あれ以前にも似たような事例は何件かあったんだ。まあ、その情報が出てきたのは事件後だったんだけどな」 

 保科たちがうなずく。「ただな。防犯カメラでも犯人の顔まではわからなかった。店員に似た服を着て、マスクと帽子を目深にかぶりやがってな。用意周到なんだよ」

 冷泉もその画像を見た覚えがあった。テレビなどでも盛んに放送されていた。背格好まではわかるのだが、顔ははっきりとはわからず、さらにホシが乗っていたとする車も特定できなかった。

「車も特定までには至らなかったんですよね?」

「水戸市の大型スーパーだからな。車で来たのは間違いないはずだ。ところがその後の映像を見ても、駐車場には行っていない。おそらく近辺に車を隠して止めてたんだろ。つまり最初から計画性の高い犯行なんだよ」

「ホシの知能は高いってことですね」保科が言う。

「そうだな。それもある。それでここからは非公開情報だ」

 まだ、そんな情報があるのか、二人が色めき立つ。

「ホシから声を掛けられた子供がいてな。その証言から似顔絵も作られたんだ。それがこれだ」

 雁里は自分が持っていたファイルの中から絵を見せる。A4サイズの紙に男の顔が書いてある。ただ、やはりマスクと帽子をかぶっており、目だけしかわからない。

「これを公開しなかったのは何故ですか?」

「目撃者が5歳と幼くてな。証言もはっきりしない部分が多かった。それで変に捜査範囲を絞るのもどうかと言う話になって、公開は見送ったんだ。ただ、当時の捜査員には参考資料で配られた」

「そうですか」その男の目はどこか虚ろで不気味に映る。

「まあ、お前らの話はわかった。こちらの資料は見せる。後は茨城県警の捜査一課新村保に当たって見ろや。雁里から話を聞いたって言えばわかる」

 保科はその名前をメモする。彼はノートをまめに付けている。通称保科メモと呼ばれて、筋読みの保科にはかかせない道具だ。

「わかりました。ありがとうございます」

「俺のほうは別件で動けない。まあ、お前たちもそうだろ、事件が山のようにあるからな」

「そうです。どこかで時間を取って動いてみます」

「そうだな。こういっちゃ悪いが期待しているよ」

 その老刑事の真剣な顔で、この事件の解決を切に願うのがわかる。


 番太池での遺体発見から2週間が過ぎる。

 犯人どころか、被害者の特定すらままならぬ状況が続いていた。当然、捜査本部にも焦りが見られる。連日、本部長である管理官からの激も飛ぶ。

 神保と鮫島は地道な聞き込みを続けていた。

 今朝も国分寺駅周辺を回っていた。ここは中央線と西武線が走っており、近年は開発も進み、駅前には豪華なタワーマンションも建っている。

「すごいな何階建てだ」神保が駅前でそのマンションを見上げている。

「36階だそうです」外回りが続いて真っ黒に日焼けした鮫島が言う。

「ここいらもいっぱしの住宅地になったって訳か。昔は畑しかなかったのにな」

「はあ、いつの話ですか?」笑顔で鮫島が茶化す。

 神保が苦笑いする。「マンションの住民に当たってみるか」

「そうですね」

 神保がマンションの管理人に話を通し、上の階から下に降りる形で聞き込みを行う。

 ここは300戸もあるそうで、当然、空き家や日中の不在も多く、聞き込みは概ね半分以下の確認となる。ただ、時間もかかるし階段を降りていくのも神保には一苦労である。本当は一階ずつエレベータを使いたいところだが、鮫島にその気はない。これはいいトレーニングとばかりにどんどん先を進んでいく。階段の上り下りなど何回でも構わないといったところだ。神保はまるで孫の相手をしているお爺さんといった様相で、這うように付いていくしかない。

 なんとか午前中いっぱいでほぼ全室を回り終える。

 一階のロビーで神保は汗だくになり、床にへたり込んでいる。背広が汚れようがお構いなしだ。鮫島は汗一つかかず、チェックした部屋番号をメモ帳に書き込んでいる。

「神保さん、約半分ですね。あとは夜にでも回ってみますか?」

 虚ろな目で神保が言う。「夜の部は鮫島に任せていいか?」

 鮫島はにやりと笑いながら言う。「高くつきますよ」

 神保はがっくりとうなずく。

 するとロビーに宅急便の配達員が入ってくる。荷車に多くの荷物を載せている。二人の様子を見て何事かと一瞬たじろぐ。すかさず、鮫島が警察手帳を見せながら彼に話かける。

「武蔵大和署の鮫島と申します。少しよろしいですか?」

 この小柄な女性が刑事なのかと驚きながらも「いいですよ」と答える。神保はへたり込んだままだ。

「今、ある事件の捜査をしています。こちらの金属缶に心当たりはないですか?」

 そういいながら番太池で発見された金属製のゴミ缶の写真を見せる。

 配達員は少し考えた後、「あれ、見た覚えがあるな」と思い出そうとする。

 鮫島が前のめりになる。「どこでですか?」神保もむっくりと起き上がって近くに寄ってくる。

「どこだったかな」男は遠くを見るように天井を見上げながら、記憶を呼び覚ましている。

「多分、この近くだったように思いますよ。届け物をした時、玄関わきにあったような覚えがあるな」

「どこだかわかりますか?」

「ちょっと待ってください」そういいながら自身のタブレットを確認する。宅配の履歴を当たっているのだろうか。

「ああ、そうだ。多分、この人だったかな。白岡さん」

「間違いないですか?」

「そこまでの自信はないですけど。家に行けばわかりますよ。門の脇にあったと思ったな」

「どんな人かな?」

「なんか、今風の人だったような」

 神保が質問する。「それはどういうこと?」

「えーと、なんていうのかな、ダンスとかやってそうな、そんな感じってわかります」

 神保は首をかしげる。鮫島がフォローする。「ストリートダンサーみたいな感じですかね?」

「そうそう、そんな感じです。今風ね」

「年齢はいくつぐらいの人ですか?」

「どうかな。割といってる感じじゃないかな。でもああいう人って年齢不詳な所があるからな」

 鮫島は配達員に食らいつきそうになりながら、「住所はわかりますか?」と迫る。

 配達員は尻込みながら、「この先です。住所はここですね」とタブレットを見せる。

 鮫島はそれをメモする。なるほど国分寺の南側になる。ここからだと歩いて数分だ。

 二人は配達員に礼を言って、そこに急ぐ。


 配達員から聞いた住所まで来ると、住宅街の中でもその家はかなり大きい。表札があり英語でSHIRAOKA(白岡)とあった。

「ほとんど邸宅だな。100坪はあるんじゃないか」神保が若干、羨ましそうに言う。

 2階建てで建物と塀は白く塗られており、塀の高さは2mもある。俗にいう白亜の豪邸である。幾何学模様が付いた金属製の黒い門がある。ここには簡単には進入できそうもない。そして配達員が話をしていた金属製のゴミ缶があっただろう門の脇には何も無かった。ただ、そこに何かあったような跡はある。

 神保が何かに気づく。「鮫島、防犯カメラが壊されてる」

 鮫島が門の脇上部にある防犯カメラを見ると、確かにレンズ部分が破壊されているのがわかる。「ほんとですね」

 神保がインターフォンを鳴らす。

 しばらく待つが一向に返事は無い。

「不在ですかね」鮫島が不法侵入でもしそうな感じで構えている。

 神保は少し考えてから、「隣に聞いてみるか」そう言うと隣の家に向かう。少し残念そうにして鮫島も同行する。

 隣も一軒家でやはり大きめではある。この周辺はお金持ちが多いのだろう。

 インターフォンを鳴らすと返事があり、在宅だった。

「警視庁の神保と申します。少しお話いいですか?」

 インターフォンでの怪訝そうな受け答えの後、住人の主婦、50歳ぐらいが顔を出す。

「何でしょうか?」

「すみません。お隣について話を聞きたいのですが、今、不在のようで」

 主婦は少し迷惑そうな顔で、「何かやったんですか?」と聞く。

「いえ、そういうことでは」何かあるのだろうか、神保は質問を続ける。

「どういう方なんでしょうか?」

「業界の人みたいですよ。よくは知りませんが」

「業界というと、どういった?」

「芸能人なのかな。ダンスの先生とか聞きましたよ」

 鮫島が質問する。「ヒップホップとか、今風のダンスですかね」

 主婦はこの小柄な刑事に「あなたも刑事さん?」と逆質問する。

「はい」鮫島は元気いっぱいに答える。

 主婦は笑顔で答える。「ちょっと音が大きい時があって、仲間も来るようなこともあったかな。たまにうるさくされるので、何度か注意したことがありましたね」

 なるほど、それなりにいざこざもあったのかもしれない。神保が質問する。

「他に何か気になったようなことはないですか?」

 主婦は少し考えて、「ああ、そういえば最近は音が聞こえないかも」と言う。

「音が聞こえない?」

「そう、毎日でもないけど、いつも音楽は聞こえてたから」

「どのくらいの期間、音がしないと思いますか?」

 主婦は記憶を呼び覚ますかのように考えに耽る。「あれ、ひと月近いのかな」

「それまでは割と頻繁に音楽が鳴っていたんですよね」

「そういえばそうだわね」

「表札は白岡とありますが、どういった方でしたか?」鮫島が聞く。

「ダンスの先生なんでしょ。それぐらいしかわからないわ」

「白岡さんは男性ですよね」

「そうですよ。ああいう人は年齢不詳なんだけど、私は結構いってると思ってるの。50歳近いんじゃないかな」マル被の推定年齢がそのくらいだった。

「お一人で住まわれてたんですよね」

「そうみたいよ。普段はあんまり家にはいないみたいだけど。いる時はそういう生徒さんみたいな人とか、業界のお仲間みたいな人が来てたわね」

「それも最近は来ていないんですね」

「そうね」

 神保は何かあったのか話を聞きたそうにしている主婦に礼を言って、白岡邸に戻る。

「どうしますか?」鮫島が神保に指示を仰ぐ。

「どうするかな」

「令状もないですからね」

 神保は周囲を見る。その動きを見て鮫島が言う。

「これぐらい乗り越えますけど」そういいながら2mを超える塀によじ登りそうである。神保が家のセキュリティを確認する。ここにそういった装置はないようだ。

「ごー」犬にでも言うように神保が言う。

 鮫島は2mもの壁を一瞬でよじ登る。まるで猿だ。

「鮫島、確認するだけだからな」神保は周囲を気にしながら、門の前から小さな声で指示する。

 壁をあっという間に乗り越えた鮫島は、屋敷の方に小走りに向かう。

 数分後、神保のところに門越しで鮫島が戻る。「戸締りされてますけど、何か少し匂います」

「匂う?」

「消毒薬でも撒いたような匂いがします」

人気ひとけはないんだよな」

「はい」

「わかった。令状を取る」神保が本部に連絡を取る。


 白岡隼人はストリートダンサーの中でも特に有名で、ダンスの世界大会での優勝経験もある人物だった。芸能人の振り付けやダンス指導もおこなっており、まさに第一人者である。

 所属事務所に確認すると、確かにこの3週間の間、連絡が取れなかったそうで気にはしていたようだ。ただ、これまでも突発的に旅行に出たりして、不在になるようなこともあり、大事にはしていなかったという。

 そして令状を取り、家宅捜索をおこなう。

 案の定、現場から血液反応が出て、さらにDNA判定から遺体は白岡隼人と特定される。犯行現場も自宅と断定された。ただ、消毒された跡があり、痕跡は僅かしかなかった。

 事件は次の展開を見せる。


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