発端
冷泉三有シリーズの3作目になります。
こちらの中には拙作「正義の味方」のネタバレを含みます。
ただ、それほど重要なものでは無いのでそのまま読んでくださって構わないと思います。
ですが、できればそちらからお読みくださると幸いです。
1
陽の光が遮られる鬱蒼とした杉木立が続く山道を、6名の男たち、いや老人と言った方が良いかもしれない、彼らが猟銃を抱えて進んでいる。
恐る恐る後ろから付いて来る男が、前方の男に聞いている。「どうがな。この辺りだで思うが」
男は振り返って言う。「まだ、痕跡見づがらんな。ふんでもあればわがるんだがな」
「男鹿のこの辺りには昔はおらんかったがな」
「奴らも食いもんがのうなったんだべ」
先頭の男が白神山地の山並みを眺めて、途方にくれたように話す。「やっぱりこれはおいらたちには荷が重いな」
この秋田県男鹿の地に熊が出没したという。
このところ全国で同じような熊の獣害が報告されている。以前は山に豊富な食物があったことから、人里近くには出てこなかった。それが鹿なども増えたこともあり、植物などが食い荒らされ、食料が少なくなったことも影響しているという。熊も生きるために必死なのだ。
先月に一人、そして今月になってまた一人と、熊に襲われて大怪我をすると言う被害が続いている。そして猟友会に駆除の依頼が来る。今やその猟友会も高齢者ばかりとなっているが、対応せざるを得ない状況だ。
山の襲撃者は今にも老人たちに向かってきそうだ。
「重さん、そう言うてもな。警察じゃあ無理だで言うし、誰かがやらんとならん」
「ああ、もう二人もやられでら。これ以上犠牲はだせね」
「としょりばり(年寄りばかり)が狙われる」
「そうは言っても、としょりしかおらんからな」
「んだ」少しだけ笑顔になる。
すると前を歩いていた男が何かを見つける。
「あれ何だべ」
後ろの男が恐る恐る言う。「え、熊か?」
「いや、動物じゃが熊でねな」
樹海の中に何かがいるのが見える。
「何だべ」目をしょぼつかせながらじっと見る。
「鹿でねが」
鹿であれば危険は無いと思い、山道から下って近づいてみる。なるほど動物が横たわっているのがわかる。近づいても動かないことから、死んでいるようだ。さらに間近で見ると、確かに鹿が息絶えていた。
「こりゃ、熊さ襲われたか」そう言いながら鹿の死体を確認する。「外傷はねな」
「自然死か」
すると離れて別の場所を探していた男が話す。「こさもおるで、死んでら」
また、別の場所にいた男も言う。「こさもおる。こりゃどうしたんだ」
森の中、鹿の死体が外傷もなく、点在しているのだ。
「こいつら群れでいたんだべ」男は死体を確認しながら、「ほんに熊でねのが」そう話して周囲を警戒している。
するとさらに離れて探していた男が叫ぶ。「そこの峰の先に熊がいる」
血相を変えて全員が猟銃を構える。
ところが熊を見つけた男は平然と熊の方に歩いて行くではないか。
「重さん、大丈夫か?」
それには答えず、重さんと言われた男はさらに熊に近づいていく。何事かと他のメンバーはそのまま待機している。男がゆっくりと熊に近寄っている。しばらくしてみんなにむかって叫ぶ。
「ああ、死んでる。熊さ死んでる」
その言葉に安心したのか、全員が熊に寄っていく。
熊は体長1m以上はあるだろう、ツキノワグマのようだ。ただ、重さんが言うようにその場に横たわっており、ピクリとも動かない。
重さんが猟銃の先で熊を突く。やはり動かない。完全に死んでいるようだ。
仲間が徐々に集まって、熊の死体を見る。
「こいつも傷ねえんだが?」
重さんが熊の死体を確認している。「ああ、そうだな。何にもね」
「これはいったいどんたごどだ」
この周辺の動物たちが外傷もなく。自然死している。そんな死体が山間に散乱しているのだ。いったい、何が起きているのだろうか、老人たちは不思議な光景に言葉が無い。
2
クリーム色の電車が駅に着く。そこは郊外の駅でそれほど多くの乗客が降りるわけでもない。降りた中に女がいる。髪はセミロングで長身、170㎝はある。ぱっと見はモデルのようでもあるが、じっくり見るとそれほどでもない。
彼女はルポライターの妙高ちとせという。
何かの待ち合わせに遅れたのだろうか、急いで狭い階段を登っていく。
改札も狭い。ここは各駅停車しか止まらない駅のせいか幅は5mもない。
妙高がそこを見ると、すでに二人連れが待っていた。
「すみません。お待たせしました」
歳は40歳後半だろうか、夫婦がうなずく。
妙高は恐縮して謝る。「遅れてすみません。前の仕事が終わらなくて」
二人とも何か思いつめた顔をしており、妙高の謝罪にもそれほどの関心が無いように見える。
躊躇しながら女性が尋ねる。「妙高さん、ほんとにそんなことが出来るのですか?」
妙高はやはり来たかと言う顔で、「はい、私も確証がないんですが、そういったことのようです」と答える。
男性が若干疑り深い顔で言う。「失礼な話なんですが、我々ももう頼るものがない。こういった話でもすがるしかないんです」
夫婦からは疲労の色しか見えない。
現在、妙高が取材で追っかけているのは幼児誘拐事件である。
この横田夫妻のお子さんがその被害にあっている。誘拐当時6歳の友里ちゃんは奥さんとスーパーで買い物中に行方不明になった。健在であれば今は14歳になっているはずである。
実際、子供の行方不明事件は多い。年間50件を超える。もちろん不幸にも死亡に至る事故もあるのだが、誘拐と思われる事案もある。横田さんの事件はそれに当るのだ。防犯カメラの映像にも友里ちゃんが何者かに連れ去られる様子が映っており、公開捜査も行われた。ところが今もって手掛かりすら見つかっていない。交番には行方不明者のポスターが貼り続けられているが、今ではもの悲しく映ってしまう。
妙高が一連の幼児誘拐事件を扱っているときに、この夫婦と知り合い。今回の話となった。
「ここからはタクシーで行こうと思います。駅からは離れたところのようです」
夫婦は為す術もなくうなずく。
駅前にある小さなタクシー乗り場から車に乗る。妙高が運転手に住所を見せる。
「ああ、ここですか」運転手はしたり顔で言う。
「ご存じですか?」
「ええ、まあ何回か案内したことはあります」
「けっこう有名なんですか?」
「そうですね。そう聞いてますよ」
母親が運転手に聞く。「本当にそんなことができるんですか?」
車を発進させながら運転手が話す。「いや、内容についてはよく知りません。非公開みたいですよ。ただ出鱈目とまでは聞いてないですね。どうなんですかね」
夫婦はそれ以上質問しない。妙高もそのままとする。
車は山間の道を進む。こういった場所にも家が建っている。やはり都内の一軒家は貴重なのだろう。この周辺は山を切り開いて増築したと思われる。ただ、この坂だと歩いて通勤するのは大変じゃないかと余計な心配をする。
しばらく走ってタクシーが止まる。「ここですね」
妙高達が降りてその屋敷を見る。
大きな平屋の一軒家で、日本家屋としての威厳もある。この家はここまでにあった増築したものでは無く、昔からこの地に建てられていたようだ。当然、築年数も経っているのがわかる。広い庭もあり、木々が周りを綺麗に取り囲んでいる。
表札には町田とある。妙高を先頭に門の脇にあるインターフォンを押す。
『どちら様ですか?』中から女性の声がする。
「はい、妙高と申します」
『妙高さんですね。どうぞ、そのままお入りください』
木製の黒い門を開けて中に入る。門から玄関までは踏み石が続いており、まさに昔ながらの日本家屋の風情である。玄関もすりガラスで出来た横開きのものだ。
妙高が扉を開けると中で女性が待っていた。
「ようこそ、おいでくださいました」歳のころは40歳ぐらいなのだろうか、短めの髪で品の良さそうな人物である。「さあ、中にお入りください」
妙高は懐かしい匂いを感じる。信州の実家が同じような香りである。田舎に帰って来たような既視感を覚える。
6畳の和室に案内される。ここには今時の明るい照明もないので外からの明かりのみとなり、それが妙にこの部屋と合っている。落ち着くのである。
先ほどの女性が湯飲みをもってやってくる。
妙高が口火を切る。「すみませんが、儀式の前に2,3質問よろしいでしょうか?」
「はい、そうですね。こちらから話したいこともありますので、それでけっこうです」
「それでしたら、まずは町田さんのほうから話をしてください」
町田とよばれた女性はお茶を勧めながら話し出す。
「電話で申し上げたように、今はこういった御話は全部お断りをしているんです。ただ、失礼ながらその内容によっては、今回のようにお引き受けする場合もございます」
両親が神妙な顔でうなずく。
「私の方で話を伺ってそれを大夢に確認します。彼が受ければ対応する形にさせていただいています」
「断られるケースもあるわけですね?」
「はい、そうなります」
「イタコとは違うんですか?」妙高のこの言葉に両親も真剣な顔になる。
「私はイタコというものをよくは知らないのです。ですから、どう違うのかはわかりませんが、体験なさった方からは違っていると言われました」
「通常のイタコは亡くなった方の霊を呼ぶようですが、こちらは生きている人間も呼べるということですね」
両親は前のめりになる。
「はい、そうなります。ただ、こちらで生死の判断はできません。亡くなった方も呼べるし、生きている方も呼べるようです。つまりその人間になって話をするということになります」
妙高が核心を突く。「本当にそういったことが出来るのですか?」
町田さんは少し困った顔をする。
「私からはなんとも申し上げにくいのですが、体験なさった方からは確かに本人だと聞いています」
そして町田は真剣な顔を妙高に向ける。「それとこの話は他言無用にお願いします。妙高さんはルポライターと聞いています。そういった媒体への公開もお断りしております」
「はい、そのように対処します」
「それだけはよろしくお願いしますね」
妙高はうなずく。「話は変わりますが、大夢さんは貴方の息子さんではないということですか?」
「そうです。私は彼の叔母にあたります。両親が亡くなって私が引き取りました」
本当はその辺の事情も聞いてみたかったのだが、ここでは遠慮する。
妙高がここのイタコの話を知ったのは、横田夫妻からの情報だった。
誘拐事件を取材している過程で夫妻と交流を持ち、しばらくして二人から今回の話を聞いたのだった。彼らによると行方不明者に成り代わって話をする少年がいるというのだ。さらにそれにより、行方不明者が無事に見つかった事例もあるとのことだった。
イタコというと青森県恐山のそれを思い浮かべるが、妙高の方で調べてみた。
イタコは口寄せともいい、死者を霊界から呼び寄せ、成り代わって話をする。東北地方、特に恐山は有名で、昔は数百人いたらしい。現在は数名に減っているとのことだ。そしてその誰もが高齢になっている。イタコは修行も必要で誰もがなれるものでもない。特に弱視や盲目などの目に障害を持つ人間に適正があったようで、最後のイタコと言われた松田広子さんの口寄せでは、知らないはずの人間の特徴を言い当てたり、生前の出来事を話すこともできたと聞く。
ただ、今回の町田大夢の場合、呼べる人間の生死は問わないという。
「それで具体的にはどういった対応を取ればよろしいですか?」父親が話をする。
「はい、大夢に向かって娘さんへの思いをぶつけてください。言葉は必要ありません。ただ、一心に娘さんを思ってくれればいいのです」
「ただ、思えばいいんですか?」
「そうです。それだけでけっこうです。それと大夢には触れないでください。それをやると憑依が解かれます」
「そうなんですか」
「ええ、たまに興奮されて触られる方もおられます。残念ながらそれで終了となってしまいますので」
興奮して我を忘れてしまうということか、やはりそれだけ本人を映し出すということなのだろうか。
妙高が質問する。「大夢君はいつからそう言ったことが出来るようになったんですか?」
「私が気付いたのはずいぶんたってからです。大夢は今11歳なんですが、小学校の低学年の頃に友達が気付いたようなんです。大夢がいなくなった人の話をその人になったかのように話したりしたそうです。その噂が広まって、それが徐々に評判にもなり、ついには私の方に話がくるようになりました。ですから最初、大夢自身はそれが特別なこととは認識していなかったようなんです」
「つまりイタコが普通に出来るものだと思っていたというんですね。言い換えれば物心ついた時からそういったことができたということですか?」
「そうだと思います」
妙高にとっても半信半疑ではある。科学的に証明できないことだとも思うし、なぜそういったことができるのかが不思議でならない。
「じゃあ、行きましょうか」
一通り質問も終わり町田夫人の声掛けで別室に行く。12畳はありそうな広い和室に通される。
ここで妙高は町田夫人に封筒を渡す。いわゆる寸志というものだ。この儀式で支払うお金は心付け程度でいいと言われたが、10万円包んだ。法事などと同額としたのだ。
妙高が質問する。「こちらはいつ頃建てられたのですか?」
「50年前です。それなりに手は入れてますが、基本的には昔のままです」
なるほど、それだけの歴史を感じる。床の間に掛け軸が飾ってある。妙高はよくはわからないが水墨画のような絵だ。その床の間の前に座布団が置かれており、我々はその対面に並んで座るように言われる。
「今、大夢を呼んでまいります」
部屋からは縁側越しに庭が見える。やはり木々がたくさん植えられており、しっかりと手入れもされているようだ。まるでどこかの庭園のようである。
町田夫人を先頭にして男の子が入って来る。
大夢は11歳、小学校5年生と聞いている。それにしては小さく見える。低学年と言われても疑わない。色白でどこか不思議な透明感のある美少年である。
会釈して小声で「こんにちは」と話す。
そしてちょこんと座布団に座り、横にすわった叔母の方を見る。
町田さんが横田夫妻に話す。「それでは先ほど話したようになさってください」
その言葉を合図に夫妻が神妙に目をつぶりながら、一心に祈るようにしている。
それを受けて大夢も目をつぶり、じっとする。
妙高もその場を見守る。
数分後、明らかに何かが変わるのがわかる。周囲の色が変わるとでも言うのだろうか、五感で変化を感じる。
『ママ?』それまでの大夢の声とは何かが違う。
横田夫人が目をむく。そして口が開いたままになる。
『怖いよ。助けて』大夢は目をつぶったまま小さく叫ぶ。
夫人が話しかける。「友里なの?」
『ママ!』
ご主人が必死で話す。「友里、今どこにいるの?」
『パパ、わからない。ずっと部屋にいる。どこだかわからない』
夫婦が顔を見合わせる。とにかく何かの手掛かりが欲しいのだ。
「友里、なんでもいいんだ。そこで見たものを教えてくれ」
友里が憑依したと思われる大夢が考えこむ。そして話し出す。
『何かの塔みたいなものが見えた』
「塔?どんな?」
『ひょろ長いの』
「他には何かない?」
『放送がある』
「放送?」
妙高がそれに気づく。小声で教える。「防災無線だと思います。スピーカーで地域に知らせるものです」
夫婦がそれで気づく。
「それはいつ頃なの?」
『夕方かな』
「どんな歌?」
『なんだろう、チャイム?』
チャイムとは何だろうか、ひょっとすると学校で流れるようなものかもしれない。妙高が思わず質問する。
「学校で流れるチャイムかな?」
『友里、学校に行ってない。行きたい』
しまった。そうだ。友里さんは6歳で誘拐されていたのだ。
母親が話す。「友里は今誰といるの?」
少し言いよどむ、『おじさん』
やはり防犯カメラに映った人物なのだろうか、顔が映ってなかったので詳細は不明だが、男性らしいということまではわかっていた。
「どんなおじさんなの?」
『普通のおじさん』
「名前はわかる?」
『名前?うんとね、ボスって呼べって言う』
「ボス?」
『ママ、帰りたいよ。助けて』
徐々に目をつぶったままの大夢の顔が青ざめてくる。元々色白なのだが、それが透き通るような青さを帯びてくる。その様子に町田夫人が気付く。
「そろそろよろしいですか?」
「友里、今、助けに行くから、待っててね」
『ママ!』
町田夫人がここまでと、後ろから大夢の肩をポンと叩く。
それで大夢はそのままうずくまる。そして伏したままぐったりと動かなくなる。
「しばらくはこのままとなることもあります。今回は多分、そうなるでしょう」
妙高が心配顔で尋ねる。「それは憑依した相手に寄るということですか?」
「そうです。思いの強さによるのかもしれません」
横田夫人が泣き崩れる。嗚咽のように子供の名前を繰り返す。
ご主人が妙高に言う。
「妙高さん、確かに友里だと思います。声は違いますが話し方や雰囲気はそうでした」
「そうですか。今、手掛かりが見えた気がしますね」
「ええ、放送と塔ですか、塔って何だろう」
「どうですかね。東京タワーとかスカイツリーであればひょろ長い塔ですか」そう言いながら何か違う気がする。「防災無線の種類がチャイムであれば限られるんじゃないでしょうか?私の方でも調べてみます」
「この情報で警察が動いてくれますか?」
イタコが憑依したという情報を警察が信じてくれるとは思えない。さて、どうしたものだろうか。
「横田さん、それについては心当たりがあります。私の方で動いてみます。少しお時間をください」
横田夫妻はうなずくしかなかった。
3
朝、少年は母親の叱責を背中に受けながら、急いで家を出る。この時間に出て始業時間に間に合うだろうか、今日は小テストがあるようなことを先生が言っていた気がする。昨晩は大雨のせいか周囲が騒がしくてよく眠れなかったのだ。
先生への言い訳を考えながら、萩原涼14歳は学校に急ぐ。昨日の雨とは裏腹に梅雨の谷間の心地よい初夏の風が吹いている。ああ、早く夏休みにならないかな。そんなことを小走りで思う。
いつもの橋を渡ろうとする。橋と言っても道路に毛が生えたような小さなものだ。一応、両側に柵はある。昨晩の雨のせいか橋は濡れている。
いつもは干上がった奈良橋川もけっこうな水嵩で、大量の澱んだ水が流れている。ここは川と言っても雨水を流す専用の川で、雨が降らないと干上がっているのだ。今朝は昨晩の大雨で流れが激しい。
ふと萩原少年はそこに何かを見つける。
あれは何だ。川の端の方で何かが金属の棒に引っ掛かっているのが見える。最初はぼろ切れかと思ったが、よくよくみてぎょっとする。なぜか手のように見えるではないか。いや、まさかな。マネキンか。
時間も気になるが川の落とし物も気になる。好奇心が勝って橋から乗り出すようにしてじっくり見る。途端に冷や汗がでる。間違いない、腕だ。それもマネキンだったらあんな色でふやけたりしない。間違いなく人間の腕だ。
腕は片方だけで肩から先の部分のように見える。それが川に捨ててあった金属棒に引っかかって、流れに任せて揺れている。
少年は急いで110番に電話をする。
橋の周辺には大勢の住民が集まってきている。奈良橋川には武蔵大和署の署員がレインパンツを履いて入っている。川の流れも速いのでロープを命綱にして必死の形相だ。そうしながら川に浮いている腕らしきものを取ろうとしている。
橋の上で組織犯罪対策課の刑事たちがその様子を見ながら、話をしている。
今年44歳の佐藤係長が同じ歳の部下、神保警部に「神保、どう思う?」と尋ねる。
「腕だけじゃないと思いますよ」
「そうだよな。そうなると川全体を探すしかないか。こりゃ署員総出だな」
それを聞いた34歳の二宮巡査部長がごねる。「まじっすか、ここを総出でやりますか?」
「今ので二宮のノルマは倍になったな」神保が真顔で言う。
「ここの上流だと番太池からになりますね」紅一点の鮫島ゆきが元気いっぱいに言う。鮫島は格闘技を特技とする。
「お前なら泳いで探せそうだな」二宮がちゃかす。
「それ、セクハラです」鮫島が睨む。
「何がセクハラだよ。そんなこと考えてもいない。大体お前の水着姿なんかみたくもない」
「はい、二宮、今の時点でセクハラ確定」神保がちゃかす。
いつもの茶番劇に佐藤が仕切りを入れる。
「番太池となると潜水も必要かもしれんな。本庁の応援がいるな。川はうちらでやるしかないか。他の部位が下流まで流れていないといいがな」
「この川は全長3㎞ぐらいか、それ以降は空堀川と合流するからもっと面倒になるな」
「途中の中橋辺りに堰があったと思います。大きなものはそこで止まるので、堰までで大丈夫だと思いますよ」
「鮫島はよく知ってるな」佐藤が感心する。
「この辺りはジョギングコースなんです。多摩湖も近いし」
「鮫島のはジョギングじゃないな。ランニング。大会に出てもいいぐらいだ」
「へへ、二宮先輩には絶対負けませんね」
「ここから堰までだったら2㎞はないかもな。わかった署長と相談してみる」
そして佐藤係長が署長と相談し、ついに帳場が立つ。
『奈良橋川死体遺棄事件』として本庁からも捜査員が来る合同捜査となった。