大人になったらやってみたかったこと
※コロン様主催『酒祭り』企画参加作品です。
自分はもうとっくに人生の後半戦に入ってしまっている年代なのですが、最近になってふと気づいたことがあります。
若い頃、自分には『大人になったらこんなことをしてみたい』なんて憧れていたことがいくつもありました。でも、その多くを実現できないまま、今日に至ってしまっています。
もうそろそろ本気で動き出さなければ、憧れをほとんど実現できないまま終わってしまうのではないか──。
でも大人になったからといって、そう何でも容易く実現できる、というわけでもないんですよね。
以前、回転寿司店で高校生ぐらいの子たちが『いつかは、回転寿司じゃないカウンターだけの寿司屋にも行ってみたいよなぁ』なんて言い合っているのを聞いたことがあります。
わかるわかる。よーくわかりますよ。
もっとも、自分の若い頃にはそもそも回転寿司なんてほとんど普及してなかったですし、高校生だけで寿司屋に行くことなんてなかったんですけどね。
昔の自分が憧れていたのは──『値段が書いていない寿司屋にいくこと』です。
その日の仕入れ値で値段が変わるのでネタごとの値段が掲示されていない、いわゆる『時価』のお店です。
でも、そういう店に行くようなイケてる大人は、いちいち値段を確認するような無粋なことはしません。心の赴くままに寿司を堪能し、最後に勘定書きをちらっと見て〇メックスのゴールド・カードをスッと出すか、財布から明らかに多めの札を無造作に抜き取ってカウンターに置き、『釣りは取っといてよ』などと決め台詞を残して去っていくか──。
ドラマや映画なんかでありがちなソレを一度くらいはやってみたい、なんて思ったのは自分だけではないはずです。
まあ、ある程度財力も社会的地位もあって、着ているものも相当にお高いものじゃないとサマにならないでしょうから、実現できるとしてもかなり先の話になりそうです。
もうひとつ、こちらは実現のためのハードルはずっと低いものの、未だに実現できていない憧れがあります。
それは『赤提灯の屋台で、おでんで一杯』というやつです。
ほら、ドラマなんかで、ヘマをした若手社員が先輩からなぐさめられたり、上司の悪口でクダを巻いたりするシーンとかあるじゃないですか。
社会人になったらああいうのが普通にあるもんだと思っていたら──そもそも屋台自体が少なくなっていて、ほとんどお目にかからなくなってました。
探せば見つからないこともないんでしょうが、わざわざ探してまで行くというのも何だか違う気がします。
そうこうしているうちに、もう屋台のお店は探してもなかなか見つからないレベルにまで激減してしまっていて──これもこの先、実現させるのはかなり難しそうです。
さて、今回どうしてこの話題でエッセイを書いてみようと思ったかというと──。
実は先日、ようやくそんな憧れのひとつを実現できたからなんです。
それは──『蕎麦屋での飲み』です。
もちろん、ちゃんとしたお座敷席なんかもあって、蕎麦屋ならではのアテも充実している老舗で、ですよ。
昔ながらの蕎麦屋には、蕎麦にも使う食材を使ったアテが色々あるのです。
一番シンプルなのは『板わさ』。これはかまぼこを切って、ワサビ醤油をちょいとつけるというものですね。
あとは出し巻玉子や焼き海苔なんかも定番です。
ちょっとわかりにくいのが『抜き』です。天ぷらの盛り合わせのことを、蕎麦屋では『抜き』または『天抜き』なんて言い方をしますが、これは『天ざる蕎麦の蕎麦抜き』の意味だそうです。天ぷらだけなのに『天抜き』って──言葉としては変ですよね。
他にも『鴨抜き(鴨南蛮蕎麦の蕎麦抜き)』なんていうのもあったりして。
そういった蕎麦屋独自のアテをつまみながら日本酒を飲み、最後に締めの蕎麦を手繰る。これが江戸の町民たちから愛された『蕎麦屋の飲み』の伝統的スタイルなのです。
──残念ながら、自分は帰りの運転があるので、ノンアル・ビールでの疑似体験だったんですけどね。
アテも蕎麦も美味しく、雰囲気もいいお店だったので、これは近いうちに自分も飲めるシチュエーションで絶対に再訪しようと決めています。
もし、あなたにも『いつかやってみたい』と憧れていることがあるなら、ちょっと無理をしてでも早めに実現させておいた方がいいですよ。
食べ物関連だと、病気で医者から食べるものに制限をかけられたり、突然アレルギーを発症してしまうことだってあるわけですから。
『〇〇に行ってみたい!』と思っていても、その施設が潰れてしまったり、国なら国際情勢によって渡航できなくなってしまうこともあり得ますからね。
実は自分にはもうひとつ、『いずれ絶対にやるぞ!』と思いつつ、諦めざるを得なくなってしまった憧れがあります。
それは『〇万円くらいする超上級グレードのガンプラを作ること』です。
いや、諦めてしまった理由というのは、嫁に『いい歳して馬鹿じゃないの?』と叱られたとか小遣いが足りないからとかいうことではなく、もっときわめて切ない理由──
老眼が進んでしまって、もはや細かい作業が出来そうにないからなんですけどね。