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ほうほう、食対戦を見たぞ♡

「お待たせいたしました、アサヒ様」


 モリーユさんが戻ってきたとき、お腹を空かせた私はシロハツさんが用意してくれたパンを食べていた。全粒粉っぽい生地に木の実が練りこんであって、ハムみたいなやつが挟まれている。しっかりした歯ごたえと、強めの塩気がたまらない。

 お待たせするのも悪いので、手のひら大のパンを二口で一気に食べてしまう。そんな私を、モリーユさんが目を丸くして見つめた。


「どうかしましたか?」


 モリーユさんの丸い目に涙が浮かんで、ふっくらした頬に伝う。


「なんと美しい食……。聖女様には神のご加護が溢れているのですね」


 なんですと。それでは、私も太れるんですか!

 そんな質問をする隙も与えず、モリーユさんが手を差し伸べる。


「さあ、アサヒ様。裁きの庭へご案内いたします。下々の者の食対戦の美しさは聖女様の足元にも及びませんが」


 モリーユさんが足早に歩き出しちゃったから、なにも言えずに小走りで後を追った。


 裁きの庭は神殿を突き抜けた先にあった。京都のウナギの寝床と言われる昔ながらの住居を通り抜けると設えられてる坪庭みたいな作り。坪庭よりはずっと広いだろうけど。

 そこに白い長テーブルが置かれている。この場にいるのは私とモリーユさん。白い神官の服を着た男女一人ずつ。それと頬が垂れている老人が二人。このご老人たちが食対戦をする老夫婦……なんだろうけど。見た目がそっくりすぎて、男女の区別がつかない。というか、双子みたいによく似てる。長く一緒にいると見た目が似てくるものなんだろうか。


「リアーチャー。神の御前にて食対戦を開戦する」


 唐突に若い女性の神官が宣言した。ゆったりした服越しでもわかるお腹周りの大きさ、祈りを捧げるために組んだ指の太さ。すべてが丸くて愛らしい。

 老夫婦はテーブルに近づいていく。堂々とした歩きっぷりに迷いはない。食対戦を見慣れているのかもしれない。


 長いテーブルの両端に一人ずつ立って、見つめあう。これから戦うとは思えない静かな視線だ。熟年離婚にも深い理由があるのかな。


 男性神官が両手に巨大なお皿を持ってやってきた。両腕で円を描いたくらいの大きさだ。そこにピラミッドのようにパンが積み上げられている。そのお皿を二人の前にドンと置く。

お皿にのっているのは、さっき私が食べたパン。食対戦用にたくさん作っていたのを分けてもらったのだろう。


「審判の時が来ました。己の心を御神前に開き、食の極みを目指しなさい」


 その言葉が合図だったのか、右の老人がパンを手に取り、がぶりと噛みついた。手のひら大のパンを、三口で頬張る。ほっぺたを膨らませて二噛み、それだけで飲み込んでしまった。

 左の老人は両手に一つずつパンを掴んで、左右交互に噛みちぎっている。こちらは噛まずに丸飲みだ。

 固めのパンの表面はバゲットみたいにパリパリで、噛みちぎると粉がこぼれる。テーブルに茶色のパン屑が散らばっていく。もったいない。

 二人の老人はおかまいなしでバクバクバクバク、とにかく口にパンを詰め込む。いくつ食べるのだろうと思って数を数えてたけど、途中で面倒くさくなってやめた。パンは砂山を崩すように簡単に消えていく。


 老人たちの勢いが衰えてきたのは、パンの山の一合目が残っているあたりだ。たぶん、二キロくらいは食べている。老人にはきつい量なんじゃないかな。

 右の老人がパンに食らいつく。苦しそうに顔を歪めながら前歯でなんとかパンに食いついてはいるが、どうやらもう齧り取るだけの力がないらしい。左の老人も両手で取ろうとしたパンを皿の上に落とした。


「リアーチャー。神よ、御前のものたちに審判をお下しください」


 神官が宣言して、老人たちはテーブルから離れた。どちらもパンを飲み込めないままで、ほっぺたがぷっくりと膨らんでいる。


 突然、ざあっと強い風が吹いた。神殿の中からだ。私の短い髪が風に巻かれて荒れる。テーブルに散ったパン屑を吹き飛ばして、風は消えた。


「勝者、ツチカブリ夫人」


 厳かに告げられた名前に、老人たちは反応を示さない。どっちが夫人なんだろう。


「離婚は成立いたしました。法的な手続きをお進めなさい」


 老人たちは深くお辞儀をして、口をもごもご動かしながら神殿に入っていった。パンは噛み切れたんだろうか。


「いかがでしたか、アサヒ様」


 いかがと言われても、なにがなにやら。


「えっと、勝敗はどこで決まったんですか? 見てても全然分からなかったんですけど」


「では、どうぞ、こちらへ」


 モリーユさんのやわらかな手が背中に当てられて、テーブルまで導かれた。残ったパンが寂しそうに置き去りにされている。


「パンの粉をご覧ください」


 完全に風に吹き飛ばされたかと思ったパン屑は、まだ少しテーブルの上に残っていた。


「パンの粉が残っている者が敗者です。より多くパンの粉をこぼすことは美しくないこと。食対戦の勝者は美しくなければならぬのです」


「はあ、パン屑の量で決まるんですか」


「ほかにもございます。食物の持ち方、噛み方、そしてなにより神の御前にいることの感謝と感激が見える表情。そういった総合点で判断いたします」


「はあ、表情」


 老人たちはどんな表情をしていたっけ。食べ方に気が行って、よく見てなかったな。


「今は、夫人の方が感激して食べていたんですね」


「いえ、残念ながらお二人とも歓喜の念は感じられませんでした。今回は美しい対戦とは言えなかったかもしれません。初めてお目にかけましたのに、申し訳ございません」


 頭を下げようとするモリーユさんの両肩に手を置いて、お辞儀を阻止する。肩が柔らかくて気持ちいい。


「謝らないでください、見たいって言ったのは私なんですから。それより、ササちゃんと食対戦って、やっぱりやった方がいいんですかね?」


 何をするのかは分かったけど、子どもに大食いさせるのって、どうなんだろ。健康に悪いことってないのかな。


「アサヒ様が望まれるのでしたら、ぜひに。ササ様はとても美しい戦士ですので、国中のものが対戦を待ち望むことでしょう」


「せ、戦士? ササちゃんが?」


「はい。食対戦に挑むものを戦士と呼ぶのですよ。優秀な戦士ですと、騎士に取り立てられることもございます」


 はあ、なんともすごい世界だ。食べることで騎士になれるなんて。日本中のフードファイターに教えてあげたい。


「じゃあ、食対戦したら、私も騎士になれますか?」


 じつはひっそり、甲冑や剣に憧れているのだ。でも、モリーユさんは困った様子で眉根を寄せた。


「聖女様は唯一無二のお方。騎士との兼務はまかりかねるのではないかと」


 そうだった。私は聖女なんだった。そんで、聖女の座をかけてササちゃんと食対戦するんだった。


「私、とくに聖女になりたいわけじゃないですし、ササちゃんに譲っても……」


「なりません!」


 横合いから大きな声がしてぎょっとした。思わず飛び上がるかと思った。声の主は黒い神官服を着ている男性だ。四十代ぐらいだろう。固太りで、登山なんか似合いそう。


「聖女様は御神託によって選ばれたお方。そのお役目を放棄することなどありえません」


「えっと、あなたは?」


 聞いてみたけど、モリーユさんが私とおじさんの間に立ちはだかって、おじさんは、かしこまってしまった。


「クギタケ、あなたは下がっていなさい」


「しかし、これだけはお伝えせねば……」


「聖女様には私からお話しいたします。クギタケ、身分をわきまえなさい」


 クギタケさんは九十度に腰を折って、ふかーいお辞儀をしている。モリーユさんはその前を悠々と歩いていく。えー、この状況、なんなの?


「アサヒ様、お部屋までご案内いたします」


 屈託のない笑顔でモリーユさんが振り返ったけど、クギタケさんのことが気になって歩きづらい。けど、なにもわからなくてどうしようもなくて、ちらちら横目でクギタケさんを見つつ、神殿を後にした。


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