逃げ出さない2
そして。
私の涙が乾き、お化粧直しも済ませました。
ダンスパーティーが始まります。
分かっていた事ですが、殿下もダン様もアンヘル様も、私たちのエスコートに訪れませんでした。きっとヒューイ様も同様でしょう。
何も知らない生徒たちが、華やかに装って入場してきます。
王宮で行われるような正式なものでは無い為、入場に順番などありません。
楽団は王立管弦楽団を招聘致しました。素晴らしい楽曲を提供してくれています。3年生の最後を飾るイベントです。派手に、豪華に、艶やかに夜中まで踊り続けるのです……他の3年生たちは。
私たちにとっては大捕物です。
国王陛下も立ち会い、騎士団の精鋭や近衛兵も揃えました。
計算違いだったのは、姫殿下が両陛下と共に来臨された事です。姫殿下……私たちの3歳下の15歳です。私も仲良くさせて頂いてますが……来年から入学するはずの学園に見学がてら、兄君の王子殿下に会いにいらしたのでしょう……。
ですが、悪手です。15歳の姫殿下。
国王陛下には全てをお話していたはずです。王妃殿下はどこまでご存知なのか、分かりません。魔女が憑依体を変えるなど、詳細をご存知ないのでは……。でなければ姫殿下の来臨を許すとは思えませんもの。
私たち3人は素早く目線で会話を交わしました。せめて殿下には会場の外、遠い所に退避しては頂けないか、そう私たちが陛下と交渉を始めようとしたその時。
「エリザベス・エクセター! 何処にいる!」
ダンスホールの中央付近から、名指しでの呼び出しがありました。
それは愛しい人の声。
愛しい人の、冷たい声。
「お兄様? どうなさったの?」
呆然とした姫殿下の呟きが、彼女が何も知らない事を、魔女の虜になっている事さえご存知ない事を、物語っていました。
「ふたりは姫殿下の避難を優先して」
「エリー」
と、リリが私に囁きます。
「エリー、貴女……」
アリーが私の手を一度ぎゅっと握りしめました。
「行くわ。どうやらご指名のようだし」
大声で私のフルネームを何度も繰り返し叫んでいます。目を向ければ、あの6人……
私を引きずり出して、何をしようと言うのでしょう。
今まで近寄るな、声をかけるな、姿を見せるなと、散々私を拒絶して置いてのご指名。
嫌な予感しかしません。
ハッキリ言って、恐いです。
でも。
「私、逃げたくないの」
えぇ、逃げたくない。
殿下の命ずるままに、会う機会を減らされ、名を呼ぶ権利を奪われ、隣に立つ栄誉を取り上げられました。
その上、この場で派手に私を呼び出し、何かをしようとしている。
私も公爵家の令嬢です。
我がエクセター家は王家に次ぐ古い家系です。初代宗主は王家から臣籍降下した元王族。
私の中に流れる誇り高い青き血に賭けて、これ以上の侮辱・屈辱をおめおめと受け取ったりしませんわ!
華やかなドレスは戦闘服。
艶やかな髪飾りと首飾りは女の武器。
そして入念に直した化粧は、私の恋心を隠してくれる。
扇を広げ顔の下半分を隠す。
何度も呼ばれたから、人垣が割れ彼らの所まで道が出来てしまいました。
まるで舞台の花道のようね。
「すぐ、駆けつけるから」
リリの囁きを後に、私は笑顔を貼り付け彼らに向かう。
王子妃教育の賜物かしら。
震えることも無く、まっすぐ歩けているわ。
ゆっくり、優雅に。
殊更典雅に見える様、進む先には、愛しい人。
私を傷付けた、酷い人。
「あぁ! そこに居たのか! 逃げ出さなかったのは褒めてやる」
殿下が前面に立ち。
すぐ後ろに魔女に憑依されたマーガレット・ブラウン嬢。
その隣にダン・ウェイマス。反対の隣にヒューイ・ブリスベン。
やや斜め後ろの左右にはアンヘル・フェートンとルイ・チャタム。
絶妙なバランスで並ぶ布陣ね。
魔女を守る為の。
なんとまぁ、こうして改めて見ると皆様の髪色が色取り取りで賑々しいこと。
黒、ピンク、赤、青、黄色に緑。
なにか、本当に舞台劇を観てるようね。派手な役者に賑々しい配置。
誰かの作った台本に沿って動いているような錯覚が私を襲う。
──まさか、あの予言の書。贄となる五つの生命。贄……殿下のお命が?
……ゾッとする。
大丈夫、今晩は満月。聖女の力が強い夜。予言の書とは違う展開になってるはず。
なんとかしてあの布陣を崩して、ブラウン嬢と直接話せないかしら。
「今この場で、私、コージー・イノセント・コーナーは皆の前で宣言する!
エリザベス・エクセター! 君との婚約を破棄する!」
え。
今、なんと仰いました?
婚約破棄?
その後も次々と私の名を挙げ連ねて、ありもしない私の罪とやらを声高に言う面々……なんなの?
仮にも公爵令嬢の私の名を軽々しく呼び捨てて連呼しないで頂きたいわ。失礼にも程がある。
婚約破棄したいのはこちらの方だと言うのに!
どれだけアリスが悩んだと思っているの?!
ルイーズが怒ったと思っているの?!
リリベットは侮辱されて、アレクサンドラは……ん? なにか言ってたかしら?
彼女から愚痴は聞いてないわね。
神官長様はお嘆きだとは言ってたけど。
アリーは婚約者の事、元々よく思っていなかったのかしら。そうね、顔だけ男なんてアリーが勿体無いし、あんなのこっちから願い下げよ!
……殿下?
なにか、殿下のご様子が変です、わね
あちこちと目が泳いでます……
そんな事、ここ最近無かったのに
いつも、虚ろな目で何を見ているのか分からなかったのに
そして
目が
殿下と、目が、合った……!
真っ直ぐ私を見ている!
心臓がドクンっと音を立てて跳ねました。
……まさか
「遅くなった」
「1人で頑張りましたね」
頼もしい友の声が左右から囁かれる。
リリは私を庇うように斜め前に。
アリーは隣に。背に添えられる手が温かい。
「王女殿下の避難は?」
「ダメ。見届けるって聞かなくて。仕方ないから護符を渡してコッチ来ちゃったわ」
「護符? 効くの?」
「気休めでしかないわね」
「2人とも、コッチに集中しろ」
アリーとコソコソ話してたら、リリに怒られてしまいました。
「リリベット・グローリアス。俺は貴様との婚約を破棄する」
ダン様の力強い宣言がホール中に響き渡りました。
「クソが」
リリ、お口が悪くてよ。私達にしか聞こえてないから良いけど。
「アレクサンドラ・カレイジャス。私も貴女との婚約を解消させて頂きます」
アンヘル様の落ち着いた静かな声が続きました。
「フフッ解消済よ。」
……え? アリー? そうなの?
その後、ヒューイ様、ルイ様も同様に婚約破棄宣言をなさいましたが……
「あの二人は誰に言ったんだ?」
「滑稽ね」
全くです。さも正義を貫いた! といった風情での宣言でしたが、私たちに言ってどうするのでしょう?
アリスもルイーズもこの場に居ないというのに!
会場中も、なんともおかしな空気に包まれています。そこここであの方々は正気か? といった囁きが聞こえます。
正気じゃ無いんです、とお伝えしたいのは山々なのですが、生憎そんな余裕はこちらにもありません。
何とかして、アソコで守られている魔女本人に発言させねばならないのです。
すると、ゆっくりと王子殿下がこちらに歩み寄って来ました。
先程から殿下の様子がおかしいです。いえ、ここ2年弱ずっとおかしいのですが、そうではなく。
殿下は、彼らと私たちの間にあった空間の丁度真ん中辺りで歩を止めました。
彼らを振り返り、問います。
「お前たち。本当に、いいのか? 後悔はないのか?」
彼らは正義に満ちた表情で答えます。
「ありません」
……本当に舞台劇なのでは? 台本がありそうです。
殿下は大きなため息をひとつ、しました。
そして俯き肩を落としました。
ゆっくりと顔を上げ
私たちに背を向け
彼らを見据えて
こう言ったのです!
「では諸君。君らの言い分が正しいのかどうか、検証しようではないか」