逃げ出さない1
「これが、『聖女の錫杖』ですか」
ダンスパーティー当日。私は初めて『聖女の錫杖』を拝見させて頂きました。淡く白く発光する長い棒は身の丈を超えています。その片方の先端には不思議な形の大きな輪があり、小さな輪がそこにいくつもぶら下がっています。
「不思議な形の輪がいくつもぶら下がっているのですね……」
私が言うと、アレクサンドラ様は楽しそうに笑いました。
「あら。エリーにはこれが見えて? リリは感じられるけど、見えないって」
なんですか、それは。
「あぁ。私にはただの光る長い棒だ。ただ、こちらの先端になにかしらの強い力を感じる……」
不思議ですね。人によって見え方感じ方が違うなんて。
「リリ。短く出来て?」
「あぁ。やってみる」
リリベットが杖を水平に持ち替えると、ぶら下がっていた小さな輪がぶつかり合い、シャランと小さく鳴りました。まるで鈴の音のような清浄な響きでした。
リリベットは目を瞑って何事か呟いています。すると音もなく杖が短くなりました。リリベットの肘から手首までの腕の長さくらいでしょうか。相変わらず美しく発光していますが。
「よし、いいわ。リリはこれを隠して携帯して、いつでも出せるようにお願いするわ」
「『聖女の錫杖』を第三者が持っても良いのですか?」
「今夜一晩だけ、使用者権限をリリベットに移したの。生憎、わたくしは錫杖に慣れていなくて……。修業不足を露呈して恥ずかしいけれど、拘束と封印を同時には出来ないのよ。幸い、武具として扱うならリリの右に出る者は王都にはいないし、聖なる力も使えるしね」
「え? 聖なる力を使えるって、リリベットってば聖女だったの?」
「いや、まさか。違うよ。アリ程はっきりとした力ではないんだ。ただ、剣の腕を磨いて修業していたら偶然……」
「うふふ。凄いでしょ? 実はリリはね、修業の成果で『剣聖』の神託を受けているの。騎士の位を正式に頂いたら『聖騎士』と呼ばれる存在になってよ」
まぁ! すごいわ、神様認定済の騎士さまでしたの?!
「まだ今はただの学生で、騎士見習いの立場だから……」
リリベットは困ったように言います。まったく、あいかわらず謙虚さんね。
「この錫杖で、どうやったら『拘束』する事が出来ますの?」
「この遊環がある方……リリが何かしらの力を感じると言った方の先端を魔女に向けて、以前教えた祝詞を唱えて頂戴。大きな声でなくとも大丈夫よ。貴女の剣聖としての力、多いに期待していてよ。
つまりね、エリー。こちら側から拡散される聖なる力で動きを封じるのよ。錫杖に込めたわたくしの聖女の力とリリベットが持つ剣聖としての力が相俟って充分『拘束』出来るわ。但し、常人の目には見えないわ。ある程度力のある人間でないと、そもそもこの錫杖、見えないの。だからこそ、エリーがこの錫杖の形態を正しく見えるなんて、凄い事だわ。貴女も修業すれば聖なる力を使いこなせるかもしれなくてよ?」
私が?
そんな事できませんよ。
「あぁ、違うわね」
アレクサンドラ様が……アリーが、優しい目で私を見詰めます。
「聖なる力が貴女に与えられたのではなく、貴女自身が聖なる存在なのだと、わたくしは思うわ。
貴女の、その殿下を想う一途な気持ち……それは何者にも侵されない貴女だけの尊い、美しい想いだと。覚えていてね、エリー。わたくし、貴女を誇りに思うわ」
私の頬に、温かく柔らかい聖女様の手が添えられました。
「大丈夫よ、エリー。わたくしが必ず貴女に、貴女の愛する殿下を取り戻して差し上げるから」
「アレク、サンドラさま……」
強くて美しくてカッコいいアレクサンドラ様。貴女が私たちと一緒に居てくれて、なんて心強い事でしょう!
「もぉ! こんな時まで貴女はわたくしを愛称で呼んでくださらないのねっ。少し余所余所しいのではなくて?」
ちょっと戯けて唇を尖らすアレクサンドラ様。そんなお姿もとても可愛らしいです。
「なんだか、気恥ずかしくて……あの、気を悪くしたならゴメンなさい、昔から、人との距離を上手く掴めなくて……決して嫌いだからじゃないの、あのっむしろ、好きっなの……」
わかっています。言葉にして伝えなければ、この想いは届かない。今、言わなくては……!
「ア、……いつも、アリーって、呼びたいと思っていましたの……」
何故でしょう。心臓がドキドキしています。途轍もなく恥ずかしいです‼ 顔が熱いです。皆のように打ち解けて、愛称で呼んで、気さくに話をしたいと、思っているのに! 皆様は私を『エリー』と愛称で呼んでくださるのに!
「……リリ……リリベット。どうしましょう! エリーが可愛すぎるわ。こんな愛らしい方に殿下なんかを返すなんて、わたくし一世一代の過ちを言ってしまったわ……っ」
「落ち着けアリ。さりげなく不敬な発言をしているし。本音なのは解るが」
「だって! こんな……あぁ、もぉ! こんなに真っ赤になって! わたくしも好きよ! 大好き!」
アリーが私を抱き締めます。つい最近もアリスに抱きつかれた事がありました。
最近の流行なのでしょうか?
「エリーは、女子にハグされ易いな。最近もあの二人にくっつかれてたし」
苦笑しながらリリベットが言います。同じこと、考えていたのね。
「リリ。貴女も仲間に入りたいなら、そう言いなさいな」
「……やれやれ」
リリベットは肩を竦めながら私たち二人を纏めて抱き締めました。
「あのね、エリー。ハグは心身の健康を保つのにとてもいい行為なのよ? 勿論、信頼出来ない人や嫌いな人とではダメだけど。幼い頃、ご両親に抱き締められた記憶はあって? 乳母でも良いわ。兄弟でも。心許す存在とのハグは、とても良い思い出でしょう? 勿論、友だちともね」
あぁ!
アリの言葉に真っ先に思い出したのは──
コウ……
私の一番愛しい人……
小さい頃から仲良しで、手を繋いで、
幼い貴方は、よく私を膝に乗せてくれた。
ふたりでそうやって一緒に本を読んだ
一緒に歌を歌った。
一緒に……笑っていた……
あの頃は、なんの心配も憂いも無かった
だって……
あなたが私を見てくれていたから……
コウ…私だけが呼ぶ貴方の愛称。
貴方だけが呼ぶ私の愛称……リズって、また、呼んで欲しいの。あの優しい声で、もう一度、呼んでくれたら……全部、全部許せるのにっ
……許してしまう、のに……
私はふたりの温かい体温に慰められながら、しばらく涙を流し続けました。ふたりは優しく背を、頭を撫でてくれました。
この後でやっとリリベットを『リリ』と呼べました。ずっと呼んでみたかったの、呼べて良かった。そう言ったら……
「不敬にならずに殿下を撲殺する方法は無いだろうか」
などと、非常に物騒かつ矛盾した事を言ってました。
撲殺はダメです。
……後ろに立って膝カックンする位なら、いいんじゃないかしら。そう伝えたところ、
「そうか。手を出さなければ良いんだな」
と、いい笑顔で返されました。
私の友である護衛は、どうやら私に甘いようです。