挫けない2
そんなある日、私の友人であり、同時に護衛を担当してくれているリリベットが、(リリベットはグローリアス辺境伯家の令嬢です。剣の腕前は凄腕揃いの辺境伯家でも随一です!)二人のご令嬢を紹介したいと申し出ました。なんでも、私に相談したい事がお有りだとか。
二人の下級生の相談とは何でしょう?
なんとか予定をやり繰りして開いたお茶会は、学園の特別教室をお借りしたものでした。
ひとりはアリス・ドレイク侯爵令嬢。
私たちよりふたつ年下の1年生ですが、入学試験で歴代最高得点を記録した才女だと聞き及んでおります。全ての教科において満点だなんて、なかなか出来る事ではありません。ドレイク家は古くから王家に忠実に仕え、文官を多く輩出する頭脳派の家門です。直接お会いしたアリスさまも理知的な黒い瞳が印象的な、濃い藍色の髪の美少女でした。
もうおひと方はルイーズ・ノーサンプトン子爵令嬢。
かなりの商才をお持ちのノーサンプトン子爵家は、我がエクセター家と肩を並べる程の商売上手で大きな財力をお持ちです。今は国内有数の大商会、チャタム商会の後ろ盾であり、かの商会がここまで大きくなったのは、ノーサンプトンの力あればこそ、と謳われるやり手です。
そのご令嬢、ルイーズさまは私たちよりひとつ年下の2年生です。度々お姿を拝見しておりましたが、明るい黄緑色の髪と輝く琥珀色の瞳を持つ、快活で華やかな美少女でした。
自己紹介をし合い、学園の中なのだから名前で呼び合いましょうと提案すると、この2人の下級生はホッとしたように微笑みました。
そして。
「婚約者の様子がおかしいのです」
出された紅茶に手をつけるより早く、アリス様が口を開きました。
「わたくしの婚約者は、3年生のヒューイ・ブリスベンです。今まで領地が離れていたせいで、ほぼ会う機会がなく、文通で交友を育んで参りました。学園に入学してやっとご本人に会えると楽しみしておりましたのに、なかなか会っては貰えないのです。あちらからのお手紙では、私に会える日を楽しみにしていると書かれていましたのに!
というか、そもそも少し前から手紙が全く無くて、心配していたのですよ? わたくしは!
それなのに……蓋を開けてみれば女に現を抜かし、学園内でも隠すこと無く破廉恥な振る舞いをしてるではありませんか!」
……たいへんな憤りようです。心配が怒りに変化したのですね分かります。私もそうですもの。
「アリスちゃんも?! 私の婚約者も最近様子がおかしいのです! 私の婚約者は同じ2年生のルイ・チャタムですが、余所余所しい態度がいかにも浮気しているようで気持ち悪くって! しかもあのブラウン嬢に纏わりついているのです!」
ルイーズ様もお怒りが激しいです。
浮気……心に重く響きます……。私のコ……いえ、殿下もそう、なのです。私という者が有りながら、私よりも優先する令嬢が現れるなんて……。
でも、『浮気』なら……私は認めなければならないのでしょう。正式な婚約者は私です。このままなら、私たちは学園卒業と同時に式を上げて私は王子妃となります。殿下は同時に立太子され、王太子にお成りの予定です。
かの令嬢とは学園にいる間だけのお遊びだと割り切って、目を瞑るべきなのでしょう。
かの令嬢は様々な殿方を侍らす、言い方は悪いですが、尻軽な所があります。かの方を側室や愛妾に迎える事だけは阻止しなければなりません。でなければ、王家ではない方の子どもが王家に名を連ねる醜聞に発展するやもしれませんから。
本当に、身体の関係にまで至っているのか、確証はないのですが……。
でも、愛されていると自負していた私がまさかこんな苦悩を背負うとは……
「遅れました、申し訳ありません」
そう言って入室して来たのは……
アレクサンドラ・カレイジャス伯爵令嬢でした。3年生になってから転入してきた方で、私もちゃんとお会いするのは初めてです。輝くプラチナブロンドの髪と意志の強そうな紅い瞳。サラサラのストレートヘアは羨ましい限りです。私の髪は毎朝の侍女の労力あってこその出来ですもの……。
「エリザベス様、今回の殿下のなさりよう、お心を痛めていらっしゃると思われます。が、これは恐らく魔女の仕業です」
開口一番、アレクサンドラ様はとても信じられない事を仰いました。
『魔女』? 魔女など、物語に出てくるものでは? 実在するのですか?
「やはり……」
リリベットが眉を顰めます。
「実は、ここに居る御二方と同様、私の婚約者、ダン・ウェイマスも挙動不審なのです。それを友人であるアリ……アレクサンドラ様に相談したところ、心当たりがあると……そうだよな、アリ」
あら。リリベットとアレクサンドラ様はお友だちだったのですね。
そして元々この茶会に招待する予定だった、と。ひとつ空いている席は誰の物かしらと訝しんでおりましたが、そういう事ね。
リリベットに視線を向けると、彼女はイタズラがバレた子どものように肩を竦めます。次からはちゃんと話を通してね、と思いを込めて眉を上げました。
アレクサンドラ様は私達の様子を見て、ニッコリと微笑みました。
「えぇ。まずは、わたくしの事を説明しなければなりませんね。
わたくし、本来なら学園には通わず神殿で祈りを捧げなければならない身なのですが……今回の王子殿下たちのなさりようを重く捉えた陛下からのご依頼で、学園に赴きました。率直に申し上げますと、この学園中に禍々しい気配が充満しています。知らず、体調を崩された方も多いのでは? 全て魔女のなせる技なのです」
先程もおっしゃいましたね。魔女、ですか……
「何故、貴女にそれが解るの?」
「それは、わたくしが聖女の御位を頂いているからです」
『聖女』。ほぼ100年に1度、神託によって決まる稀有な存在です。まさか、実際にお会い出来るとは。
「17年前、わたくしが祝福を受けた時に降った神託で、わたくしは聖女となりました……」
アレクサンドラ様の説明は驚きの連続でした。
この国では生まれて初めての1歳のお祝いに神殿で祝福を受けます。だいたいは神官様に祈りを捧げられて終わるものですが、その時に神託が降りたのですね。
そして聖女の神託とは、同時に魔女の出現を意味するものだと!
魔女は必ず現れる。それを封印する存在、それが聖女。アレクサンドラ様は幼き頃より、魔女を封印する為に修行を重ねてきたのだそうです。けれど、なんとも曖昧な事に、魔女の顕現はいつ、どこで、誰が、どんな能力を持っているのか、まるで分からないのだそうです。
聖女が誕生した事で、事情を知る神殿関係者は、こぞって国中に異変が無いか探ったのだそうですが、何事も起こらぬまま17年が過ぎ……。
「陛下からのご依頼……という事は、殿下を始めとする皆様方の奇行を、陛下は既にご存知なのですね……」
なんという事でしょう。陛下のお心をも煩わせていたなんて。
「では、近頃の婚約者のおかしな様子は、全部魔女のせい、という事ですか?」
ルイーズ様が訝しげに問います。
「そうです。今回顕現した魔女は、魅了の力を持つ魔女です。マーガレット・ブラウンが魔女に精神を乗っ取られた第一の被害者です」
第一の被害者?
「神殿に残る記録によりますと、魔女は大体にして15~16歳の少女に憑依するのだとか。そして前王朝が滅んだのはその時顕現した魔女の仕業だったのだと……」
「そんな事! 歴史では習いませんでしたわ!」 とアリス様。アリス様の頭脳にない歴史ですものね、驚かれるのは当然でしょう。
かく言う私にも驚きです。
「現王朝の興った原因でもありますから、秘匿になるのも無理はないかと。
真実は王家と神殿にのみ伝えられました。もしその事実が広く周知されれば、聖女が生まれたと同時に全ての15歳の乙女が魔女と見做され、迫害される恐れもあります」
ですから皆様も、この件に関しては他言無用でお願いします。アレクサンドラ様はそう言って頭を下げます。
確かに、少女に憑依する、という事が解っているのならその年頃の少女がいなければいい。そう考え、聖女が生まれた後、毎年15歳になる少女を魔女に憑依される前に始末していったら、……男だけの世界になってしまいます。そうしたら国そのものが滅びます。殿方だけでは人口が増えませんもの。なんて恐ろしい事でしょう。
「“第一の被害者”とは、どういう意味ですか?」
私が問うと、アレクサンドラ様は苦い顔で笑いました。
「記録によりますと、ほぼ魔女だと判明しても、すぐに始末できないのだとか。例えば、今すぐにブラウン嬢を死刑にするとしましょう。そうすると魔女はブラウン嬢の身体を捨て、別の少女の身体に新たに乗り移るのです。そうなったら、また一から魔女の憑依体を探さねばなりません。第二、第三の被害者を出す訳にはまいりませんわ」
憑依する魔女! なんと恐ろしい!
「ブラウン嬢は捨て駒になるだけで、ただ殺しただけでは魔女自身を始末する事にはならない、という事か?」
リリベット、確認の仕方がストレートですね。具体的にブラウン嬢が殺される図を想像してしまいました……
「えぇ。本人に『魔女の自覚があるという宣言』をさせ、『正しい力で拘束』し、その上で『聖女の祈り』で封印するのです」
なんとも、手間がかかるのですね……
「ブラウン嬢の魅了の力とは、どう言ったものなのでしょう?」
アリス様が興味津々といったご様子で質問します。
「学園での殿方たちの様子で、自分に恋心を抱かせるようになる力、と推測されましたが、それだけではありませんでした。
まず、マーガレット・ブラウン嬢には捜索願いが出されています」
「捜索願い?」
「市井の憲兵に、です。実は『マーガレット・ブラウン男爵令嬢』は存在しません。それ以前に、『ブラウン男爵家』が爵位を返上して、既に貴族では無いのです。どうやら領地経営を失敗して代替わりの際の相続税が払えなくなったらしくて」
「男爵家は、存在しない……」
「はい。一市民であるジョージ・ブラウン氏より娘の捜索願が提出されています。……そして、我が学園は貴族のみ通う学園。マーガレット・ブラウン男爵令嬢と名乗る令嬢が転入して来た時期と、捜索願が提出された時期が一致します。彼女は今、学園の寮に入寮してるとか。街の憲兵には探せない場所ですね」
「それは、つまり……」
「魔女の力を使い、この学園に潜入したと思われます。
陛下からお聞きした王子殿下のご様子も、記憶に障害がおありだとか。城でのご様子もまるで“生きる屍”のようだと、お嘆きです。魔女から離れると、自分の意思で行動出来なくなるようです。
恐らくは相手の記憶を都合の良いように操作し自分に心酔させるものではないかと、推察されます」
生きる屍? 殿下が?
「あぁ! 私も団長様から同じような愚痴? というか報告を聞いている。息子のダンがおかしい、家にいる時は座って宙を睨むのみで寝る事も食べる事もしないと……」
リリベットの発言でルイーズ様も声を上げます。
「ルイも家ではそうなのかしら……チャタムのおじ様に今度確認してみますわ」
「学園では普通に生活しているように見受けられますが……」
私の問いにアレクサンドラ様は苦いお顔で答えました。
「魔女が傍にいるからでしょう。今は彼女からの指令がないと何も出来ない操り人形と同じ状態だと推測されますわ。
……今回、ブラウン嬢が魔女だと確定されたのは……わたくしの婚約者であるアンヘル・フェートンまで魔女の術に冒されたからです。
彼は一応、神官の位を持っていまして……常に神殿で祈りを捧げ、精神修業に努めていたはずなのに、心の隙を突かれ魔女に誑かされるとは……なんと陛下にお詫びすればいいのか分からないと神官長さまも大変なお嘆きようで……」
それは……確かに神官長様にとってはお辛いでしょう……
「そしてエリザベス様、お願いがありますの。エクセター家は何代か前に王家から臣籍降下した方が興した家門だと伺っております。エクセター家に秘蔵されている蔵書に魔女に関する記述がないか、確認して頂きたい。一つでも多く情報が欲しいので」
「解りました」
驚く事ばかりでしたが、嘆いている場合ではありません。私には魔女を制する事も封印する事も、そして殿下を正気に戻す事も出来ません。ですが、一つでも多くの情報が欲しいという聖女アレクサンドラ様の願い、叶えるのに否やはありません。
その場はお開きになり、すぐさま王都のエクセター家と領地にある本家の邸にも使いを出して調べなければ! と、慌てて部屋を出た私は、ちょうど廊下を通りかかった方にぶつかってしまいました。