挫けない1
「今後、私の名を呼ぶな。不愉快だ」
……婚約者様に、またひとつ、私だけに与えられていた特権を取り上げられてしまいました。
しかも、不愉快だと仰せです……
どうしたら良いのでしょうか。
私の婚約者はこの国の王子殿下です。
まだ王太子ではありませんが、この国の王子は彼だけなので、事実上殿下が次の王位を継ぎます。
私、エリザベス・エクセターはこの国でも古い家柄を誇る公爵家の令嬢です。婚約者である王子殿下の立派な妃となるべく、日々精進して参りました。
学園に入学してからは特に忙しく、午前中は学園で授業を受け、午後には登城し王子妃教育を受ける等、ハードスケジュールをこなす毎日でした。
3年生になったばかりの頃から、週に一度あった2人だけのお茶会は、延期に次ぐ延期の上にすっぽかされるようになりました。
先日、その事を問い質したら不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、『あれはもう辞めにしよう』と言われました。『もう話しかけるな』とも。
決して視線は合わないのに、冷たい、何を考えているのか解らない瞳で見つめられて、私は絶望を味わいました。
2人だけのお茶会が無くなるとは思ってもいませんでした。日々忙しくしている私に、少しでもゆったり寛ぐ時間を、と殿下が言って組んでくださった予定でしたのに……
殿下はまるで人が変わってしまったようです。
殿下だけではありません。
側近候補の方々も、様子が変なのです。
最初は、まさかあの殿下が、う、浮気なんて、心替わりなさるなんて、夢にも思ってはいませんでしたから、寝耳に水の出来事でした。
私は幼い頃から殿下の許嫁で、お互いを未来の良き伴侶として尊重し合ってきました。
いいえ、私は初めて会ったあの日から殿下をお慕い申しております。私は5歳になったばかりでした。同じ歳の殿下は初めての王城に緊張する私の手を取り、優しく笑いかけてくれました。
黒い髪、黒い瞳の殿下はとてもお美しくて、幼い私はこんな人がこの世には存在するのねと、うっとりしてしまいました。
その上、殿下は快活でお話上手で、私を沢山笑わせて下さいました。
あの日、私はこの方の為に生まれてきたのだと確信したのです。
たった5歳の子どもではありましたが、
私はあの日、殿下に恋をしたのです。
殿下の為に。殿下に相応しい自分に成れる様にと、日々努力し研鑽を重ねて参りました。
貴族令嬢として恥ずかしくない振る舞いを身に付け、いずれこの国を背負う殿下のお力に成れるよう語学を履修し、様々な学問を修めました。
成長するに従い、庭園を駆け回るような事は無くなりましたが、昔駆け回った庭園を二人でゆっくり散歩したり、東屋に用意したお茶会で二人過ごしたあの日々を、今更忘れる事など不可能です。私のこの想いは決して一方通行などでは無く、確かに思い合っていたと確信しておりました。
だって、瞳を見れば分かりましたもの! 殿下の黒曜石の様に輝く瞳は、いつも私を熱く見詰めて下さいました。時折触れる指先は、躊躇いがちにではありましたが、確かにご自分の意思で私に伸ばされていました。殿下が優しく触れて下さる私の髪、私はこの濃い灰色の髪がキライだったけど、殿下が好んで下さったから、少しだけこれでいいのかなと思えるようになりました。
二人で沢山のお話をしました。いずれ王となる自分を支えて欲しいと請われ、私の胸は歓喜に打ち震えました。否やと答えるはずなどありません。
『その代わり、俺は全力で君を守るよ、リズ 』
殿下のお言葉に感動の余り涙してしまいました。殿下はいつも私の心に響くお言葉をくださるのです。それはまだ声変わり前の幼い頃から。今はしっとり落ち着いた甘いテノール。そのお声で耳元で囁かれるとドキドキして、どうしたらいいのか分からなくなります。
『リズ、俺を見て。俺だけを見て?』
甘く囁いて、その美しいお顔で殿下は微笑むのです。ズルいです。私は5歳のあの頃から18になった今迄、ずっと殿下の虜なのです。
これからもずっと、こんな日々が続くと思っていました。
なのに。
たった一人の転入生が私の日常を変えてしまったのです。
マーガレット・ブラウン男爵令嬢。
ピンクブロンドの柔らかそうな短めの髪に明るい空色の瞳。そして魅惑的なお胸をお持ちの彼女は、2年生の途中から編入してきた途端、次々と男子生徒を虜にしていきました。
国内有数の規模を誇る大商会の会長ご子息、ルイ・チャタム様。
騎士団長様のご子息、ダン・ウェイマス様。
宰相閣下のご子息、ヒューイ・ブリスベン様。
神官長様のご子息、アンヘル・フェートン様。
そして、我が国唯一の王子殿下、コージー・イノセント・コーナー様まで…。
彼女のその行いは貴族令嬢としては余りにも粗雑で、眉を顰めてしまうものばかり。
何より次々に噂される御仁は将来国の重鎮になるだろうと予想される殿方たち。
令嬢としては有り得ない行動の数々が、逆に新鮮だと殿方のお気持ちを掴んだご様子。
私の耳に次々と入る噂話は酷く醜悪で、どうしたらよいのか途方に暮れておりました。