その4
薄暗い、あなぐらのような地下の部屋には、思っていたより、ずっと大勢の男たちがいた。
わずかな灯りの中で、酒を飲んだり、コインを積んで、カードゲームをしたりしている。
「なんだあ、てめえら」
「おっ、可愛い女じゃねえか」
「ここが俺様たちの縄張りと知っていて、わざわざ地獄への階段を下りてきやがったのか?」
男たちはジェラルドを睨みつけるが、当人はまったく気にした様子もなく、よくとおる美声で言う。
「ここに子供が入ってきただろう。盗んだものを、返せと言ってくれ」
男たちは、あるものはこちら威嚇し、あるものはニヤニヤと笑っている。
「ああ? ガキなんか知らねえな」
「女だけ置いて、とっとと帰りやがれ」
「嬢ちゃんは、俺の女にしてやるよ」
巻きたばこの煙がもうもうと立ち込め、お酒と生ごみのような匂いで、私は頭が痛くなってきた。
「いや、いくら女を残しても、このアジトにのこのこ入って来やがって、無事に帰すわけにはいかねえだろ」
「なんて腹の立つ、すましたツラの男だ。俺はああいう野郎の顔を見ると、ずたずたにしてやりたくなる」
ロウソクの灯りがてらてらと、いかにもならずものという感じの酔って赤い、男たちの油ぎった顔や、盛り上がった腕の筋肉を照らす。
多勢に無勢、という言葉が、ちらっと私の胸をかすめた。
しかしジェラルドは、天気のいい日に庭園を散歩している、とでもいったくらいの、平然とした表情をしている。
「聞こえなかったか。子供が盗んでいったペンダントを返して欲しい。用事はそれだけなんだが」
「てめえなあ。生意気なんだよ!」
ジェラルドより、かなり身長も横幅も大きな男が、ぬっと立ち上がった。
他の男たちも次々に立ち上がり、手に刃物を持っているものもいる。しかし。
「……もう一度だけ言う」
すっと目を細くして、ジェラルドが眼光を鋭くした。
「ペンダントを返せ」
「野郎、ふざけ……」
「おい、待て」
男たちの一番背後から、のっそりとこちらへやってきた、アゴひげの男が声をかける。
「その兄ちゃん、相当な使い手だ。気配でわかる」
「本当ですかい、ボス」
「ひょろっとして、生白いヤサ男じゃねえですか」
「俺は傭兵あがりだからな。あっちこっちの戦場を渡り歩いて、知識も相手を見る目も、おめえらより格段に上なんだ。まあ、俺にかかっちゃ、赤ん坊みてぇなもんだが」
言いながらゆらゆら歩いてきたアゴひげの男が、どうやらこの集団のリーダーらしい。
男は水晶がついた短い棒を、懐から取り出した。
「兄ちゃん。これがわかるかい」
アゴひげの男は、へらへらと何本か歯のない顔で笑う。
「闇の魔道使いから買った、魔道具だ。多少は腕に覚えがあるんだろうが、こいつの前じゃ剣なんか無力だぜ。なにせ、手が痺れちまうんだ」
ヒューッ、と男たちが口笛をふく。
「いいぞ、やっちまえ、ボス!」
「女を裸にむいちまえ!」
(冗談じゃないわよ。風邪をひいちゃうじゃない)
私は腹を立てたけれど、ジェラルドがいてくれる限り、そんなことには絶対ならない、と思っていた。
ふふん、と勝ち誇った顔で、アゴひげの男は言う。
「何年か前、ここからちょっと近いんで、ダグラス王国のおえらいやつが、ふらふら町で遊んだあげく、俺らの身内の女に手を出しやがってな。ここに連れてきて、袋叩きにしてやったことがある」
あった、あったと、酒臭い男たちがはやしたてた。
「公爵だかなんだか知らねえが、へなちょこ野郎だったな!」
「ああ、護衛も役立たずだった」
「たんまり金貨を置いて、命乞いをしたから命だけは許してやったんだ。なあ、ボス」
「ああ。ちょっとは手品みたいな魔道を使ったが、俺のこの魔道具を見せたら、震えてたぜ」
「王族でさえそれなんだ。剣なんか、耳かきくらいの役にしかたたねえよ」
ドッ、と笑い声が薄暗いあなぐらに響いた。
私は、かばってくれるように前に立ったジェラルドの後ろで、顔をしかめ、よどんだ空気と悪臭に耐えながら、密かに思う。
(嫌な感じの魔道具。アルヴィンが持っていたものと、気配が全然違う。多分、人を傷つけるためだけのものだわ)
一瞬、私は不安になったのだが。
「そうか。では試してみよう」
平然とジェラルドは言い、剣の柄に手をかけた。
すると、ブーン、とうなるようなかすかな音が、剣と鞘の隙間から聞こえる。
ジェラルドの剣の、柄にはめ込まれた一番大きな宝玉がぼうっと光り、その周りに魔法陣が浮かび上がった、瞬間。
ワァッ! という叫びが上がった。
「帝国の魔法陣だっ!」
悲鳴に近い声で言ったのは、ボスと呼ばれたアゴひげの男だ。
「帝国?」
「まっ、まさかグリフィン帝国の皇族か?」
「嘘だろ? なんだってこんなところに!」
グリフィン帝国の魔道は、相当に恐れられているらしい。
私はジェラルドが、まったく危険を感じていなさそうだった理由を、はっきりさとる。
こぼれるほどに目をひんむいて、アゴひげの男が絶叫した。
「皇族相手じゃこんな魔道具、玩具にしかならねえ! 野郎ども、逃げろ!」
わっ、と男たちは奥のほうにある、入ってきたのとは別の階段に、殺到しようとしたのだが。
「待て!」
ビン、とお腹に響くような声でジェラルドが一喝した。
男たちは恐怖に硬直したような顔で、いっせいに動きを止める。
「どうやら、剣を使うまでもないようだな」
「ま、待ってくれ。わかった、悪かった、殺さねえでくれ」
両方の手のひらを開いて、必死にこちらに突き出し、汗だくになって、アゴひげの男は許しをこう。
ジェラルドは柄から手は離したものの、冷徹な表情を変えなかった。
「動くな。動いたら、全員砕く」
私が初めて聞くような、冷たい声だ。
静まり返った地下のあなぐらで、ジェラルドは片方の手を顎のあたりまで上げ、短い呪文を口にする。
すると光の玉が宙に浮かび、ジェラルドの長い指先が、それをピンと弾いた。
「わっ」
「うわわ、なんだっ」
小さく飛び散った光は男たちの額に、ぴたりと張りついた。
驚愕して動けない男たちに、ジェラルドは静かにつぶやく。
「人を傷つけてはならぬ。世のために清廉に働け。この命にそむいたとき、額に烙印を持つものは、暗黒の炎に焼かれるだろう」
すると光は消え、代わりに爪の先ほどに小さな黒い魔法陣が、男たちの額に残った。
男たちは、額につけられた丸い痣のような魔法陣を、互いに見てざわめいていた。が、やがて少しずつ気力が戻ったらしい。
「なっ、なんだこんなもん」
「どうせ、こけおどしだろう!」
「痛くも痒くもねえじゃねえか、なっ、ボス!」
強がってはいるが、情けない、すがるような声で言う男たちに、アゴひげの男は涙目になり、震える声で言う。
「だ、駄目だ。こいつは本物だ。てめえら、もう、こうなったからには、まっとうに生きるしか道はねえ」
「ああ? 怖気づいたのかよ、ボス。見損なったぜ。帝国だかなんだか知らねえが、こんなヤサ男……!」
長身の男が短剣を持って、ジェラルドに切りかかろうと駆け寄ってくる。
──危ない!
咄嗟にそう思った私は、斜め後ろから身を乗り出してジェラルドを見る。
けれどその横顔には、ひるむどころか、薄く笑みが浮かんでいた。