その3
「見て見て、ジェラルド! ずらっと並んだ出店の灯りが綺麗! ねえあの、お化けの干物みたいなのが吊り下げられているけど、なにを売っているのかしら。あっちもほら、あんな大きな木彫りのお面、見たことがないわ」
活気のある市場の様子に、私はすっかり興奮していた。
「キャナリー、そんなにあちこちに腕を引っ張られたら、袖が千切れるよ」
ジェラルドはたしなめるが、その顔は楽しそうだ。
「だって見たことのないものばかりなんだもの! それに……」
私は目をつぶって上を向き、くんくんと風の匂いを嗅ぐ。
「あちこちから、いい匂いがする」
「本当だな。なにか食べるかい? お腹に余裕があればだが」
もちろんあるわ! と私は断言した。
「夕飯は食べたけれど、まだまだ入るわよ。ええと、まずはあれがいいわね」
私が最初に飛びついたのは、ミルクに浸されている、見たこともない真っ赤な、こぶし大の丸いものだった。
ふたつ下さい、と言って小銭を払うと、店主は赤い球体に棒を差して、渡してくれる。
「果実のようだな」
「そうね。爽やかな匂いがするわ」
かぷっ、とかぶりつくと、じゅわわと口の中に、酸味とミルクがちょうどよく混ざった、不思議な甘酸っぱい風味が広がる。
果肉はとても柔らかく、なんだか生クリームのようだった。
「果実の中にたっぷりミルクが染みてる。初めてよ、こんな果物を食べたのは」
「俺もだ。しかし甘すぎなくていい」
「変わった味ねえ。でも美味しいわ。ああ、あと三つくらい買えばよかった」
「そんなに食べたらお腹を壊すぞ」
「平気よ。私のお腹は、そんなにお上品じゃないもの」
出店には他にも色とりどりの、変わった菓子やパン、干し肉やキノコの煮たものなど、様々なものが並んでいた。
私は見ているだけで楽しくなって、次に何を食べようかなと考えながら、棒についていた最後のひとくちを、ごくんと飲み込んだ。
市場にはもちろん、食べ物だけでなく、衣類や生活雑貨も売っている。
いくつか珍しいものを食べ、次に私が立ち止まったのは、ガラス細工の品々が並べられている店先だった。
「綺麗……!」
大きさはさまざまだったが、いずれも丸く膨らんでいて、その表面に絵が描いてある。
軒先の灯りに照らされたそれらは、宝石よりも美しいと、私には感じられた。
アクセサリーにも加工されていて、革ひもを通し、ペンダントとして売られているものもある。
「ガラス細工って綺麗ねえ。宝石と違って、絵が描いてあるのも、とっても可愛い」
どれも微妙に色も形も、描かれている絵も違う。
ひとつひとつ丹精込めて、職人が作ったものなのだろう。
いくつか手に取り、しばらくうっとりと見つめてしまった。
「気に入った?」
「ええ、綺麗ね。でもすっごく高いわ。ラミアの薬を何日か売り歩いても、買えないくらい。この辺りの伝統工芸品みたいね。目は充分楽しませてもらったし、もう行きましょう。ちょっと喉が渇いてきちゃった」
「そうだな。飲み物を売っている店を探そう」
それから別の店でお茶を買い、外に出されていた椅子に座って飲んだ。
甘い果物のいい香りがする、冷たいお茶だ。
すると急に、ジェラルドが立ち上がる。
「悪い、店に忘れ物をした。キャナリー。少しだけ待っていてくれ」
「いいけど、なにを忘れたの?」
「たいしたものじゃない。すぐに戻るよ」
ジェラルドも結構そそっかしいのね、と思いながら、私は木の皮で作られている使い捨てのコップから、乾燥した果実を刻んだものと、蜜の入ったお茶を口にしていた。
ジェラルドは本当にすぐに戻ってきて、なぜか私の前に立ち、にっこり笑う。
「忘れ物は見つかったの?」
首をかしげて尋ねると、ジェラルドはすっと手を前に出す。
その指には、先ほどのガラスの工芸店で売っていた、濃い青色のガラス玉に革ひものついた、ペンダントがぶら下がっていた。
えっ、と私はジェラルドを見る。
「もしかして……私に買ってくれたの?」
「うん。きみが気に入ったみたいだったから」
「嬉しい! すごく綺麗で可愛いわ! ありがとう、ジェラルド」
ガラス玉には精巧な技法で、美しい金色の鳥の翼が小さく描かれている。
なぜだか胸が熱くなり、感動するほど喜んで、私がペンダントを手に取った、そのとき。
「あっ!」
パッ、とそれをつかんで、小さな姿が走って行った。子供だ。
「ちょっと! 泥棒、待ちなさい!」
すぐ追いかけようとした私に、ジェラルドが落ち着いた声で言う。
「相手は子供だ。別の、似ているものを買えばいい」
「駄目よ!」
私は両手を握り、断固として言った。
「欲しいと思った私の気持ちを察して、ジェラルドが買ってくれたのよ! こんな嬉しいプレゼントって、生まれて初めてだわ。それにあなたの瞳と、同じ色をしてた。私にとってはすごく、特別なものなのよ!」
子供を罰したいわけではない。ただ、あのペンダントは、代わりのきかないものだと感じたのだ。
するとジェラルドは、わかった、と言った途端に走り出す。私も必死に、後を追った。
子供は時折こちらを振り返りつつ、どんどん町の外れまで走って行く。
もう店が少なくなってきた、というところで、道端に座って酒瓶を口にしていたおじいさんが、急に声をかけてきた。
「おい、あんたたち! そっちは行かないほうがええよ。おっかないのがいるからよ」
「えっ? おっかないって、誰が?」
思わず立ち止まって尋ねたその間に、子供は無骨な石造りの建物の下にある、階段を駆け下りて行ってしまった。
「あそこの地下のあなぐらはよお。悪い連中の、たまり場なんだよ。人を殺した、っていばってるやつや、泥棒の元締めみたいなのがいるのさ。気味の悪い、魔道具を使うやつがいる、なんて話も聞いとるよ。お嬢ちゃんや、そっちのあんたみたいに、育ちのよさそうな人が行くとこじゃない」
私はジェラルドと顔を見合わせた。
「でも、だったらなおさら行かなきゃならないわ。そんなところに出入りする子供を、放っておけないもの」
「しかし荒くれた男たちの、たまり場になっているらしいぞ。俺にはきみを守れる自信はあるが、怖くないか、キャナリー」
平気よ、と私は胸を張る。
「森でもたまに、山賊や盗賊が出たもの。そういう連中はラミアと罠を仕掛けて、生け捕りにしてたわ。落とし穴とか、網で捕獲して木の枝につり上げたりとかして。だからわりと、見慣れてるのよ」
「ええと。キャナリー、ちょっと待ってくれ」
ジェラルドは額に手を当て、難しい顔になる。
「山賊を、生け捕り? きみとラミアさんと、ふたりきりで?」
「そうよ。そのあと、盗賊をどうしていたのかまでは知らないわ。いつも私だけ、先に帰されていたから」
「ラミアさんは彼らを、町や村の自警団や、城の衛兵には引き渡したりはしなかったのか」
そのはずよ、と私はうなずく。
「一度だけ口を滑らせて、薬草の実験に……みたいなことを言ってたけど。でも、詳しくは聞かなかったの。『秘密を知りすぎると、ろくなことはない』っていうのがラミアの口癖だったし」
「な、なるほど。賢明な判断だな。恐ろしいほどに」
「ともかく、そういうわけだから、私のことは気にしなくていいわ。ジェラルドが守ってくれる、って信じてるもの」
「ああ。それは任せてくれ」
そこで私とジェラルドは、底の知れない、暗い地下に続く階段を、一緒に降りて行った。