やり返す
「先生には一応連絡しといた方が良さそうだね」
みんなからの評価も無断遅刻よりは幾らかマシになると信じて俺はポケットからスマホを取り出した。
「それなら秋梔がさっきコンビニに行ってる間に連絡しといたぞ」
「ほんと!? ありがとう、それは助かるよ」
さすがは男虎愛萌、視野が広い。肉食動物とは思えないぜ。
「とは言え、できるだけ急いだ方がいいだろうな」
「うー。できれば俺は、もう少し愛萌と一緒にいたいんだけど」
男虎さんと話してると楽しいし、学校に行った後、ニノマエくんや朝比奈さんとの気まずい流れを考えると、どうしても足が重い。
どの道遅刻は確定なのだ、と思うと、どうしても先延ばしにしたい欲が強くなる。
「……お前、思ったことすぐに口に出すのやめた方がいいぞ?」
「え、あ、うん。わかった」
「それに駄々こねたってしかたねぇ。あたしのことはいいから先に行け!」
「……言いたかっただけだよね?」
「ああ。言いたかっただけだ」
なんと言うか、ものすごく満足気な笑顔だ。
一度は言ってみたいセリフだけれど、実際に言う機会はほとんどないからね。
少し羨ましい。
「さすがに女の子の家まで付けていくのは無神経だと思うからタクシー代渡すけど、とりあえず病院までは行こうか」
「お前、意外と頑固だな!?」
「んむっ!」
何故それを知っている。
全然図星なんかじゃないけど、どうしてそれを?
「簡単な推理だ」
「名探偵だったの?」
「虚実はいつも複数!」
何も解決してないじゃんか。
「冗談だ。やっぱり秋梔、お前いいやつだよ。ほんと……良い奴だ」
しみじみ言われるとこっちも何だか照れくさい。
根負けした男虎さんが俺の背中におぶさってくる。首に巻かれた腕がさっきよりもキツい。
というか顔も近い!
「ごめん、ちょっと顔遠ざけてもらっていい?」
「なんだよ。照れてんのか?」
当たり前じゃん。俺、女の子に耐性とかほとんどないんだから。男虎さん相手ならなら尚更。
さてはこいつ、可愛いにコンプレックスを抱きつつも、自分の容姿が優れてることは自覚してやがるな!?
恐ろしいやつだぜ。
左肩に顎を掛けられている俺はぷいっと右を向いて顔を遠ざける。病院に着く前に、俺が倒れるかもしれない。
「へぇ〜。ふーん」
からかうような声を上げる男虎さん。
ただ俺の説得が効いたのか、静かに顔を離してくれたけど、今度は首筋に顔を埋めだした。
何してるの? 俺、臭くないよね?
少し気恥ずかしく思いながら、俺は病院への道を行く。
「あ、そうだ。男虎さん、情けは人の為ならずって言葉知ってる?」
「あ? ああ、知ってるぞ。なんだ? お前の行動理念か?」
「いや」
未来の君のために送る言葉だよ。
☆☆☆☆☆
「あたし、本当は愛萌って名前、結構気に入ってんだ」
病院について診察の順番待ちをするあたしは──男虎愛萌はそう口にした。
秋梔はただ、黙ってそれを聴く。
こいつになら、胸の内を曝け出せる気がした。
まだ出会って一日。お互い知らないことだらけのあたし達だが、秋梔はあたしの想いも望みも受け止めてくれる、そんな確信めいたものがあった。
「でも、あたしには合わないって言うか、名前負けしてるって言うか。──まぁ、そんな訳で、みんなには苗字で呼ばせてたんだ。でも、秋梔には、これからも愛萌って呼んで欲しい」
言った。言ってしまった。
あたしを愛萌と呼ぶのは、父親だけだ。
昔は母親にそう呼ばれていたこともあったし、保育園に通っていた時には先生にそう呼ばれていた気もする。
けれど、今現在あたしをそう呼ぶのは父親だけ。3人いる弟達でさえ、あたしを名前では呼ばない。
自分の名前を気に入る一方で、コンプレックスでもあったあたしの名前。
もし、あたしの事を理解した上で肯定してくれる誰かが、その名を呼んでくれたのなら、きっとあたしは今よりも自分に自信が持てる気がする。
──あたしの名前を呼んで欲しい。
それが心の奥底に眠る臆病者の本懐だ。
「いいの?」
「こっちがお願いしてるんだってば」
思わずくすりと笑ってしまう。
どうしてこの男は、みんなから怖がられているのだろう。
真面目で、すげぇ良い奴なのに。
「い、嫌なら別に無理しなくていいんだけどな」
自分自身、思いの外緊張していたようでつい余計なことを口走ってしまう。
落ち着かないあたしは無意識に髪をクルクルと弄る。
自分にとって都合の悪いところばかり女々しいのだから、困ったものだ。
「嫌じゃないよ。むしろ、こんなにも誇らしいことはない。よろしくね愛萌さん」
「愛萌でいいぞ」
愛萌さんって……ほんとうにこいつ、見た目の割に中身は堅いよなぁ。
「わかったよ。愛萌」
「よろしくな……夏芽」
久しく感じていなかった照れくささのようなものが、心臓をトクンと打つ。
ほんの少し胸がきゅっとする心地良さに思わず頬が綻ぶ。
考えてみれば、自分が家族以外の誰かの名を呼ぶのもはじめてだった。
「ちょっとハジィな」
「じゃあ、慣れるまでたくさん呼ばないとね、愛萌」
ただ、この男のこういうところは、少し嫌いだ。
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