天才
「嘘だろ……」
後半戦残り7分。
3対1でリードしていたはずの3年A組は、1分も経たぬ間に同点へと追い付かれていた。
あまりの急展開に、前半でハットトリックを決めた3年 A組のキャプテン──柊木優は驚きを隠せずにはいられない。それは他の観戦者達も同じだろう。
担任教師に正座をさせられていた秋梔夏芽がフィールドに戻ってきたときから、何処か嫌な予感はしていた。
明らかに纏う空気がおかしかったあの男は、コーナーキックによる郷右近へのアシストと、ロングパスによる成木へのアシストの2プレーで3年A組から2点をもぎ取ったのだ。
「クソっ……!」
柊木は奥歯をギリリと鳴らす。
彼にはわかっていた。得点を取ったことにはしゃぐ黒髪やロン毛の男たちよりも、警戒すべきは秋梔夏芽だということを。分かっていたのに──止まらない。
秋梔夏芽の技術力はかなり高いが、それでも経験者である自分たちからすれば1段2段劣る。だが、この男はフィールド上で誰よりも速いのだ。
特にドリブルの緩急とそこからの加速力には、最早素人では手が出ない。
純粋な運動能力はグラウンドに立つ他の21人と比べても抜群といっていいほどだった。
グラウンドに立つ全員が経験者だったならば、こうは容易くいかないだろう。ただ、両チーム合わせてたった3人しか現役プレイヤーがいないフィールドで、最早秋梔夏芽の翼を折れる者はいない。
秋梔を止めようとすれば他が止められない。
他を止めようとすれば秋梔が止められない。
またもや夏芽のパスを受けたシュートがゴールネットを揺らし、ついに逆転を許してしまう。
「おい、鉄やん! 俺、一旦下がるぞ!」
柊木はもう1人のサッカー部仲間に声を掛け、ポジションを下げる。元々彼のポジションはセンターバックであり、鉄壁の守護神として、さらには視野の広さからチームの司令塔としても活躍している選手だ。
今までは点を取ることを意識していたが、秋梔夏芽の勢いが止まらない今、自分が止めるしかない。
そこからカウンターを狙えば、鉄やんなら点を獲ってきてくれるだろう。
柊木は神経を集中させ、試合の流れを読み解く。
柊木のポジションが変わった影響もあってか、1年B組の攻めにも変化が現れた。
先程までは秋梔夏芽を中心にしたパス回しであった攻めが、今度は瀬戸大樹を中心とした攻めへと切り替わったのだ。
「へえ……」
柊木はニヤリと笑う。
恐らく自分が秋梔夏芽対策のためディフェンスに回ったことを悟った瀬戸大樹が1年B組のメンバーに指示を出して作戦を変更したのだろう、そう考えたからだ。
実際、それは柊木の読み通りであり、瀬戸とやり合うのであれば、まず柊木が勝つだろう。
丁寧にひとりずつプレイを組み立てこちらへと迫った瀬戸大樹。柊木は既に彼のパスコースを塞ぐようディフェンス陣に指示を出している。つまりここからは1or1だ。
軽いステップのような足さばきで切り込んでくる瀬戸大樹に対し、柊木は1歩間を取る。
瀬戸大樹の特技はシザース──つまり、ボールを跨いでからの左右への切り返しだ。
ゴール前では自分の特技に頼る癖のある瀬戸の特性を見抜いていた柊木は、自身の右側が空くように瀬戸に迫る。
案の定柊木の狙い通りに動いた瀬戸はシュートの姿勢に入る。が──
「……っ!」
撃てない。
柊木の計算によって絶妙に調整された角度により、完全にコースが遮断されていた。
「もう1回切り返せばって考えるよなあ?」
「……っっっ!」
更に逆サイドへ切り返した瀬戸だったが、そのシュートは柊木によって無慈悲に弾かれる。
「甘ぇよ」
未だインプレー中。
すべて柊木の手のひらの上であったことに唖然とする瀬戸の脇を抜けて弾かれたボールの方へと走る柊木。
──このボールを鉄やんに繋げば同点に追いつく!
宙に舞ったボールの落下地点へと入りトラップし、カウンターを狙う。しかし、その柊木の隣を何かが高速で通り過ぎた。
ふわりと舞う風を置き去りに足音が遠ざかっていく。
「バカなッ!」
秋梔夏芽だ。
何処からともなく現れたその男は、ボールを運んでいるにも関わらず、柊木を突き放してゴールへと突っ込んでいく。
頭に過ぎるのは敗北の二文字。
しかし、それ以上に分からなかった。
「何故あの男があそこにいた……?」
柊木優の武器は視野の広さだ。
あの場に秋梔夏芽はいなかったはず……。いや!
「違う。……俺はあの男を見失っていたのかッ!」
いなかったのではない。見えていなかっただけで、秋梔夏芽は確かにそこにいたのだ。
「何者だ……。忍者か?」
柊木は秋梔夏芽を認めている。
あの男は紛れもなく強者だ。そして強者とは必ずしも凡人とは違ったオーラを出す。
眼に頼らずとも、そういったオーラを持つ相手には危機察知能力が働くものだ。
──なのに見えなかった。
例えば瀬戸大樹のようにカリスマ性の高い相手なら、観客の反応などで、見なくても凡その動きが読める。
郷右近左近のように、闘志を剥き出しの男が相手ならば、殺気をも連想させるピリついた空気感で動きを察知できる。
しかし、秋梔夏芽は無だった。
そう。例えるなら、秋梔夏芽は陰キャだ。それも、ただキャラが陰なだけではない、コミュ障のような存在。喋る前には「あっ」とか「えっと」とかがつくようなゴリゴリの日陰者。まるで存在そのものが社会から否定されているかのような影の薄さだ。
そして闘争心という心の熱もまるで感じさせない。
そう。例えるなら、秋梔夏芽は既に昼飯のことを考えている。それも、ただの昼飯ではない。5人の女の子から4つのお弁当を貰い、さらにはその全てがカツ丼であったかのようなワクワクと軽い焦燥を感じさせる。
もちろん秋梔夏芽はどう見ても不良生徒で、内気なコミュ障であるはずなどないし、一日で女の子から合計4つもカツ丼を貰うなんて、ラノベ主人公でもない限り有り得ない。
故に、間違っているのは柊木の方なのだが、どうしても秋梔夏芽が陰キャ系ハーレムラノベ主人公に見えて仕方なかった。
ハーレムラノベ主人公の瞳には男達が映らないのと同様、男達の瞳には陰キャが映らない。
「いや、おかしな妄想はやめよう。視野の広さを武器にしていた俺のプライドが、あの男を見失っていたことに対する言い訳をしたがっているだけだ」
柊木は全力で走っているにも関わらず、少しずつ開いていく秋梔夏芽の背中を眺めて自嘲する。
「「「うおおおおおおおお!!!!」」」
直後に広がった歓声は秋梔夏芽が得点したことを大いに称えていた。
「ああ、そうか。これが天才か……」
たった一人で試合の流れを変えてしまう男。
その大きすぎる壁とも言える敵を前に、柊木の心は挫けかけ──奮起した。
「舐めやがってっ……!」
「うん、いい感じかな」と、ゴール前で屈伸を始めた秋梔夏芽。
「屈伸」それは主にeスポーツにおいて、煽りプレイと呼ばれる行為である。
もちろん、夏芽にそのような意図があったわけではなく、ただシュートを撃った後に身体の状態を確認しただけのことだ。
ただ重要なのは何をしたかではなく、受け手が何を思ったか、だ。
少なくとも、それを間近で見ていた柊木は奮起し、憤怒した。
「ぶっ潰してやるぞ、1年が……っ!」
試合時間残り3分──本気の後半戦が始まる。
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本章のお話ですが、今後サッカーの描写について、改稿する可能性がありますので、ご了承ください。僕自身、サッカー経験が体育以外ないので、ルールも、本章に併せてお勉強中です。
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では、次話もよろしくお願いします。




