いじめっ子こわい
「なぁ、秋梔。あたしのこと、愛萌って言ったか?」
「あ、え、言ってない!」
「言っただろ?」
「言ってない!」
「言ったよな?」
「言ったって証拠はッ?」
「ない」
「じゃあ、言ってない!」
「言った!」
「言ったナイ!」
「どっちだよ! 言っただろうが!」
「言ったかもしれない!」
「言ってんじゃねぇか!」
ええ、実は言いました。
つい、ゲームをしていた頃の呼び方になってしまったのだ。
男虎愛萌はその見た目とコンプレックスから、可愛らしい下の名前で呼ばれることを嫌っている。
距離感、見誤っちゃったかな。
考えてみれば、初対面の距離感じゃないかもしれない。
「ごめん、馴れ馴れしかった?」
「ふんっ。このエッチめ!」
可愛すぎる……。
「もう一回言ってもらっていい?」
「あ? やんのかセクハラ野郎」
怖すぎる……。
というかセクハラ野郎!?
「……お、俺が?」
「お前以外誰がいんだよ」
おんぶ←セクハラ
靴下を脱がす←セクハラ
可愛いと言う←セクハラ
下の名前で呼ぶ←セクハラ
えっちと言わせようとする←セクハラ
「ほらな」
なんと!
俺はいつのまにか、セクハラにセクハラを重ねたせいで、五重の塔を建築してしまっていたらしい。
明日から性徳ヘン太子ってあだ名になったらどうしよう。
「あーあ、これは言い逃れできねぇなぁ」
「ひ、ひぇぇ」
出会って1時間もたたぬまに、クラスメイトから生殺与奪の権を握られた。俺の人生はもうおしまいかもしれない。
しかし、俺が絶望にひしがれている一方で「くくっ。冗談だよ。お前、意外とノリがいいんだもん」と笑う男虎さん。
どうやらからかわれただけのようらしい。
さすがヤンキー。いじめっ子だぜ。
「……けど、お前が呼びたいなら、好きに呼べば……いいんじゃないか……?」
基本的に堂々としている男虎さんには珍しく、俯いて小さな声を発する。
お陰で彼女の言葉を聴き逃してしまった。
「もう一回言ってもらってもいいかな?」
「は? 何も言ってねぇし、別に何も言ってねぇし!」
「嘘だ、言ってたよ?」
「言ってない!」
「言ってねぇって!」
「い、痛った!」
肩パンされた。ヤンキーだ! 暴力だ!
「じゃ、じゃあ、とりあえず病院まで送るから、今日は学校休んでお医者さんに見てもらうといいよ」
俺は話を逸らすために早口で告げた。
陰キャ特有の早口だ。
やっぱりちょっと怒ってるのかな。
男虎さんの顔が少し赤い。
駅まで歩いて通学していることを考えると、男虎さんの家はここからそう遠くはないはずだ。
足を挫いてしまった男虎さんを家まで送るには、またおんぶしなきゃだろうけれど、運動神経オバケの秋梔夏芽に転生した俺ならば、きっと大丈夫だろう。
俺は男虎さんの隣に座ってアイスを食べ終わるのを待つ。
「あたしとしてはありがたいけど、その……いいのか? 学校遅刻だぞ?」
「うん。よくはないんだろうけど、優先順位を履き違えたりはしないよ」
「いや、履き違えてるぞ。学生なんだから学校に行けよ」
ええ……。
女番長からこんなセリフが飛んでくるとは思わなかった。繊細だったり、真面目だったり、男虎愛萌という人間は見た目だけでは想像もつかない内面の持ち主のようだ。
「あー、秋梔、そのワイシャツ本当に弁償しなくて良いのか?」
「これ? 大丈夫だよ、洗えば落ちるから」
このシャツ、実はさっき男虎さんとぶつかった時、彼女が咥えていたパンのケチャップがシャツに付いてしまったのだ。
銃で撃たれたみたいになってるけど、洗えば落ちるし問題ない。
「じゃあ、今日はあたしのワイシャツ着て行くか?」
着てかないよ。どんなご褒美だよ。
もしも、元の世界に持って帰れたらえげつない額で売れそうだ。
「けど、秋梔はクラスメイトから目の敵にされてたよな? そのシャツだとまた変な誤解されないか?」
「うっ。嫌なことを思い出させないでよ」
俺はかくりと項垂れる。
それを思うと急に気分が重くなるよなぁ。
入学して初日に無断欠席。次の日の放課後にはクラスメイトと揉めて更に次の日に遅刻。
俺にコミュニケーション能力があればもう少しマシな結果になってたんだろうけどなぁ。
「夏芽が悪い奴じゃねぇってのは、なんとなく分かったわ。まあ、ちょっと不器用っぽいけどな」
からかうような笑い声。
恥ずかしいから、やめてよ。
「で、実の所、なんで一昨日は学校休んだんだよ。クラスの奴らは無断欠席の理由をあーだこーだ言ってるけど、実際はどうなんだ?」
「……間違えて妹の歯ブラシ使ったら蹴られて気絶した」
「っぷふっ。……あはははははは」
大爆笑だった。
「ちょっ、恥ずかしい! 声抑えてよっ!」
頬が紅潮しているのが、自分でもわかる。
顔が熱い。
「っはははは! すげぇな、夏芽!最高だよ! まさか色々と黒い噂が流れてる不良生徒が、妹に気絶させられてるとかっ! あはははははは」
「くっ! 殺せ!」
俺だってその件に関しては、結構気にしていたりするのだ。まだ傷が癒えていないうちからそんな風にネタにされてしまうと、こっちも堪える。
「絶対、絶対、秘密! 誰にも言わないとここで誓って!」
「分かってるよ。あたし達だけの秘密だっ!」
まるで旧友のように、人目もはばからず笑い合う俺たち。それが楽しくて、嬉しくて。時を忘れそうになる。
いつまで続いて欲しい、そう思える二人だけの世界だった。
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