【閑話】私の方が
少し長いです。
「夜鶴ちゃんってなっくんのこと何処が好きなの〜?」
事件から数日経ったある日のこと。
珍しいことに私は二重さんから話しかけられていた。
最近になって少しずつ人との会話が上達してきた私だけれど、二重さんに対する苦手意識だけは剥がれない。
私みたいな根暗女子に、彼女の輝きは眩し過ぎるのだ。
キラキラと眩しい笑顔に耐えかねた私は、間を繋ぐために曖昧な言葉を零す。
「えっと、その、私自身こういうのは初めてでして……なんて言えばいいか……」
けれど、実際。
この気持ちを上手く言葉にするのは難しい。
中学時代まで、関わりのある人達はほぼ全員が敵だった。もちろん、中には少なからず私と対等であろうとしてくれた人達はいる。
けれど、私は「イジメられている子と関わる」というリスク以上のメリットを相手に与えることができなかった。
私と一緒にいる利点がなければ、自然と人は離れていく。結局、すぐに独りに戻る。
それが当たり前だった。
けれど、今は違う。
学校に通うことが心から楽しい。
その機会を与えてくれた夏芽くん。
これからもずっと、彼の傍にいたいと思う。
幸せで、嬉しくて、楽しくて。
明日はどんな事を話そうか、だなんて家に帰っても考えるのは夏芽くんの事ばかり。
それは私から彼への純粋な好意なのだと思う。
「私は夏芽くんの優しさに救われました。だから、その、はい。そういうこと、です」
「へぇ〜初恋なんだ。素敵だねっ! なっくん優しいもんね!」
二重さんは笑う。
明るい笑顔で。
同性の私でさえ思わず目を見開くような、柔らかくて優しい笑顔を咲かせ──
「……そっか。そうなんだね。うん。やっぱりそうだったんだね」と。
何の前触れもなく。突然に──枯らす。
顔を俯かせた二重さんは、私の言葉を咀嚼し。噛み締め。納得しながら。
何かに失望したような、そんな顔をした。
「……うーん。ねえ、夜鶴ちゃん。それって本当に恋なのかな。夜鶴ちゃんが本当に好きなのは夏芽くんじゃなくって、ヒーローなんじゃない?」
背筋に冷たいものが走る。
再び顔を上げた二重さんの表情はいつものまま。
けれど、その目の奥に潜んでいたのは紛れもなく負の感情だったから。
「あ、あの──」
「恋は盲目だよ。向日葵は太陽に魅入り、影の存在に気づかない」
二重さんの言う通り、光と影を同時に見るのは不可能だ。太陽から目を逸らさずして、影は見えない。
当たり前のようで、考えもしなかったことを突きつけられる。
「ここらは……。私は、なっくんの在り方が嫌い。同族嫌悪って言うのが正しいのかな?」と、二重さんは声のトーンをひとつ落として言う。
私には夏芽くんと二重さんの性格はあまり似ているようには見えない。
二重さんが人の懐に入っていくような積極的な人なのに対し、夏芽くんはそれらを許容し包み込むような人だ。むしろ真逆の性格とも言えると思う。
彼女は一体夏芽くんの──そして、自分のどこを嫌悪しているのだろう。
そんなことを考え、黙り込む。答えは容易に見つかるものでもないようだ。
「……! ああ、ごめんね。感じ悪かったよね。ここらは別に暗い話がしたかった訳じゃないんだよ!」
取り繕うように笑う二重さんを見ていると、胸がざわつく。
きっと、二重さんは私が知らない夏芽くんの一面を知っているのだろう。
知っているから。
きっと、私の言葉は彼女にとって受け入れ難いものだったのだ。
「あの、聞かせてもらえませんか。二重さんにとって、夏芽くんがどういう人なのか」
「うん? ううん。同じだよ。私も夜鶴ちゃんと同じ。なっくんは私にとっても優しい人だよ。誰にでも優しい。その優しさに、私も救われたことがあるんだ。きっと、今回の花束ちゃんの件も同じだと思う。なっくんはそういう人だよね。そんな彼を夜鶴ちゃんは好きになったんだよね」
「……はい」
「気持ちは分かるよ。私もその時限りは感謝したからね。でもさ。その優しさを受けて、夜鶴ちゃんは──悔しいとは思わなかったの?」
「え?」
「私は悔しかったよ。私ね、親しい人に優しくするのって失礼だと思うんだ。実際、なっくんにとって私は親しい相手でも何でもないって事なんだろうけどね」
それは……。
どうなんだろう。私の価値観とはズレているように思う。けれど、二重さんの顔は至って真剣で、その言葉が決して軽々しく紡ぎ出されたものでないことはわかった。
「あのね、夜鶴ちゃん。優しさなんて、所詮はただの気遣いだよ。夜鶴ちゃんだって、本当は優しくしてもらうんじゃなくて、大切に思ってもらいたいんじゃないかな」
儚げに瞼を瞬かせてこちらを覗き込む二重さんは、私の心を見透かしているようかのようだった。
私が理解していない、私の事でさえも。
「結局、私も夜鶴ちゃんも、なっくんに心を開いてもらえてないんだよね、悲しいけど。常に私たちの気持ちを汲んで、他人の求める最適解を提示し続ける。その行為になっくん本人の意思は介在しない。なっくんにとって私たちとの交流はマニュアルに沿って進行する作業みたいなものなんじゃないかな」
……あはは。こんな虚しいこと、ある?
と。自虐的に笑う二重さんの声が少しだけ濡れていたように感じたのは気の所為だろうか。
私は。
夏芽くんのことを何も知らないのかもしれない。
彼の見たいところだけを見て、その本質をまるで理解していない。こんな体たらくで「好き」を語る私は、二重さんからすれば滑稽な存在だろう。
そして夏芽くんにとっても。
迷惑なだけなのかもしれない。
でも。やっぱり。それを知っても尚。
「私は夏芽くんを嫌いにはならないし、ずっと好きなままだと思います」
だって。
夏芽くんに出会って。
学校を楽しいと思ったこの気持ちも。
色付いて見えるこの世界も。
手と手が触れ合って高鳴るこの心臓も。
横顔を盗み見ては染まるこの頬も。
全部ホンモノだったから。
私の気持ちに偽りはないのだから。
「そっか。うんうん。そうだよね!」
またも1人で納得して、何かを解決した様子の二重さんに置いてけぼりにされる。
けれど、その顔付きは今日一番の喜色に滲んだ笑顔だった。
☆☆☆☆
朝比奈夜鶴が夏芽くんを好きだと語った時、もしかしたら分かり合えるんじゃないかって期待した。
だからかな。失望だなんて言葉を口にするほど、私は誰かに望んだりなんてしないけれど、裏切られたような、そんな気分になった自分がいるのは事実だった。
だって。
まさか私が秋梔夏芽という人間の中で最も嫌いな部分に、夜鶴ちゃんが惹かれていただなんて、考えもしていなかったもん。
かつて本当の私を見つけてくれて、私が1番欲しかった言葉をくれたのがなっくんだった。
アイドルである「ここちむ」としての自分と二重心々良としての自分。
相反する気持ちに向き合うことに苦しむ私に手を差し伸べ、そして理解を示してくれた。
──でもさ、夏芽くんにだけは言われたくなかったよ。
彼はあまりにも私に似ていた。
他人に優しさを振り撒き続ける彼の在り方は、アイドルとしての私にそっくりだった。
私が私の嫌いなところにそっくりだった。
じゃあ、なんでそんな彼を好きになってしまったのかと言えば、それは単純で、彼が完璧な人間ではなく弱みを持った人間だということを知ることができたからだ。
きっかけは……そう。
ここちむファンの一人がストーカーと化して、私に襲いかかったあの時だ。
私はあの時、初めて秋梔夏芽という人間の心を見た。刃物を持った大人相手に、私を背に庇った彼は決して勇敢だったわけじゃない。
震えてたんだ。
怯えていた。
当然だろう。だって、人間だもの。
怖いに決まってる。
逃げ出したかったに決まってる。
私なんて置いて、一目散に走り去りたかったに決まってる。
でも。夏芽くんはそうしなかった。
「嫌で嫌で嫌で嫌でどうしようもなく嫌だったよ。怖かった。逃げたかった。痛い思いなんてしたくないし、死ぬなんて以ての外だよ。──でもね、後悔ってのは時に命よりも重いんだ。もし二重さんを見捨ててたら、結局僕は死んでたよ」
なんて事を後日語っていた夏芽くんは、強過ぎる意志とは裏腹に人としての弱さをちゃんと持っていた。
彼は傷を負いながらも誰かに手を差し伸べずにはいられない。そんな業を背負っているのだろう。
そんな夏芽くんを私は支えたいと思った。
だから生徒会選挙日、私を頼ってくれた事は嬉しかったし、弱さを隠すために心を閉ざした夏芽くんは今も嫌いだ。
本当にもどかしい。
なんだってしてあげたいのに、本人が私を必要としていないのだから。黙って見ているしかない。
苦しくて。悔しくて。狂おしい程に愛おしい。
本当に。
何であんなヤツ好きになっちゃったかなあ。
なんて、後悔しているわけでもないのに考えたりする。
せめて、もう少しでいいから私を意識してくれるといいんだけど。
まあ。だから結局のところ、私と夜鶴ちゃんとの差は与えたいか与えられたいかの差なのだろう。
どちらが間違っているなんてことはないし。
そもそも、好意なんてものは理屈じゃない。
夜鶴ちゃんにはちょっぴり、強く当たってしまったけれど、それで引き下がってくれるなら、むしろ儲けと言うべきなんじゃないかな。
どのみち。
夜鶴ちゃんが夏芽くんの本質を知って尚、好きだと言うのなら私たちはライバルだ。
「競争社会で生き残るにはね。意地汚くてもみっともなくても、泥にまみれ、地に這いつくばって、他を蹴落としてでも、掴んだその手を離しちゃいけないんだよ」
私にはその覚悟がある。
ねえ、夜鶴ちゃんはどうなのかな。
閑話終わりました。
次のお話から章が変わります。




