裏切り
「うーわ、ついにやったわアイツ」
「有り得ねぇだろ」
「はあ。いい加減退学になんねぇかな」
「ホントそれな。要らねえだろ、アイツ」
水浸しになった御手洗花束が保健室へ。
先生に拘束された秋梔夏芽が相談室へ。
事件の当事者たちが姿を消した教室では、多くの生徒が先程目の前で見た蛮行を非難している。
そんな教室の片隅に顔を伏せる生徒が一人。
朝比奈夜鶴は──彼女だけは、このクラスでただ一人、真実を知っていた。
夏芽が御手洗花束に水を掛けるまでの一部始終を彼女は見ていた。
初めこそその行いの意図がわからず困惑したが、今ならわかる。彼は御手洗を守ろうとしたのだ。
夏芽は先生に対し「カンニングさせてくれなかった御手洗さんへの腹癒せです」と語っていた。
しかし考えてみれば、彼にカンニングなど必要ないのだ。彼は元から勉強だってできたし、人の頭に理由もなく水を掛けるような人じゃない。
夜鶴にはすぐに夏芽の語ることが全て嘘であることがわかった。
だから気に入らない。
クラスの皆が夏芽を悪く言うことが実に不快だ。
今すぐにでも声を上げて真実を伝えたい。実際、彼女にそれだけの度胸があったならそのような行動を取っていただろう。
だが夜鶴はそんな感情の発露を必死に抑え込もうと、下を向いて唇を噛み締めることしかできない。
「おい、やべぇぞ! 夏芽が退学になるかもしんねぇって!」
相談室へと呼ばれた夏芽の話を盗み聞きしに行っていた左近が、慌てた様子で言い放った。
それに歓喜する生徒も一定数いる。当然の結果だと憤る生徒もいる。しかし夜鶴の胸は酷く締め付けられるような気分だった。次第に訪れる焦燥感に似た何かが夜鶴の鼓動を加速させる。
そんな夜鶴の様子に気付いた愛萌が「大丈夫か?」と声を掛けるも、返ってくるのは生返事だ。
「夏芽ならきっと大丈夫だろ」
愛萌は安心させるように夜鶴へ慰めの言葉を言う。愛萌には夏芽が何を考えてあんな事をしたのかさっぱり分からなかったが、それでも夏芽はいつも通り全てを解決して話を終わらせてくるのだ、という謎の信頼があった。
しかし、その言葉を受けた夜鶴は違ったようで、彼女の反応は明るくない。
「大丈夫じゃないですよ。……全然大丈夫じゃ、ない。もし退学になったりでもしたら……」
「あいつを信じろって。きっと今回だって上手いことやるだろ? なんでアイツがあんな事したのかはわかんねぇけど、きっと理由があったに決まってる。おまえはそう信じてんだろ? あたしもだよ」
「う、嘘です。男虎さんは……本当に夏芽くんを信じてるんですか? だって男虎さん、夏芽くんを殴ったじゃないですか!? 夏芽くんは少しも悪くないのにッ!」
男虎が夏芽を殴ったのは情報操作の為。夏芽と同じ不器用な優しさでもあるだろう。実際、秋梔夏芽を悪者にする、という点においてはこれ以上なく良い動きだったとも言える。
だが、夏芽を中心に物事を考えてしまっている夜鶴に、裏の意図を正確に想像する力はない。
愛萌を責める夜鶴の声が徐々に大きくなっていき、普段の彼女からは考えられない声量になったところでクラスメイトの視線が集まりだす。
「夏芽くんは……本当はただ、庇おうとしただけで……」
情緒が些か不安定になりつつある夜鶴の様子を見抜いた愛萌は敢えて優しく語りかけることを選ぶ。
愛萌の目には夜鶴がとても脆く見えたのだ。
「あたしだってわかってるよ。夏芽はそういう奴だ。でもよ、夏芽が隠そうとした事実を明るみにして、あいつの優しさを暴いて、一体どうするってんだよ。それはあいつの為にならない。そうだろ?」
「知りませんよ、そんなこと。事実を隠した夏芽くんが悪いんです」
「……っ」
あまりにも夜鶴らしからぬ言葉に、愛萌は思わず怯む。
──こいつ、こんな事言うやつだったか?
愛萌にとって朝比奈夜鶴という人間はここまで己の意志を賭すことのできる人間ではなかった。
それは周囲のクラスメイト達も同じ認識だ。彼女の発言はさすがに予想外だったようで、先程まで騒がしい様子だった教室も今では静まり返っている。
夜鶴はメガネを外し、愛萌と目を合わせる。
表情こそ弱気にも感じられるが、その言葉は明確に己の意志を表明していた。
「私は何でもかんでも夏芽くんの思い通りに動く人形じゃありません。時には自分の都合を押し付けたりだってします。優しさに甘えたりだってします。……裏切りだってしますよ!」
愛萌はそんな言葉に気圧されつつも、まるで聞き分けのない子供のような事を言う夜鶴に少しだけ言葉をを尖らせた。
「自分勝手言ってんじゃねぇよ。気持ちはわからんでもねぇけどな、そういうのは夏芽の話を聞いてから考えるべきじゃねぇのか?」
「夏芽くんはきっと私を許してくれます」
「そういう問題じゃ……!」
あまりにも甘えた考えに、愛萌が糾弾しようとするも、夜鶴は言葉を被せて言い放つ。溢れた想いを感情に乗せて解き放つ。
「──嫌なんですっ! 我慢できないんです! 私……学校がこんなにも楽しいと思ったのは初めてなんです……!」
小学生時代から長年虐められていた彼女にとって、毎日の学校が楽しみに思える日が来るなんてことは、考えもしない奇跡だっただろう。たった3ヶ月。高校生活が始まってまだ100日も経っていない。にも関わらず、夜鶴にとって大事な思い出がたくさんに溢れている。こんなに充実した日々を幸せと言わずなんと言うのか。
「私は夏芽くんが好きなんです。彼のいる日常が好きなんです。一日一日が、私にとっては宝物のように大事で、宝石のように輝いているんです。──私は知ってしまったから。この日々を何もせずただ手放すなんてこと、できせまん。私は私の為に夏芽くんを繋ぎ止めたい。ただ、それだけなんです」
我儘かもしれない。自分の事しか考えていないかもしれない。でも、これだけは譲れない!
「……せっかくまた隣の席になれたのに。夏芽くんに会えなくなっちゃう」
眉を八の字にし、悲痛な声を漏らす。
ここまでの想いを見せられて尚、秋梔夏芽に対する陰口を叩けるクラスメイトは流石にいなかった。
静まり返る教室内で、おもむろに席を立った二重心々良がここぞとばかりに口を開く。
「なっくんはー、ここらの命の恩人だもん! 事情はよく分からないけど、一緒に居られなくなっちゃうのは悲しいなあ」
天使の困り笑い。
ベストなタイミングでベストな言葉を届ける。
「黙って私に従えよ」と、内心では中指を立てている二重だが、張り付いた仮面は分厚く、誰もが心揺さぶられる。
「……ここらちゃんがそこまで言うなら」
「いや、普通に許せなくないか? アレはここちむが優し過ぎるだけだろ?」
「それな。つまりここら姫は天使。秋梔にまで情けを掛けるなんて……」
「でも、ここちむの命の恩人ってのは本当の話らしいし……」
「あー、そんな事もあったなあ」
──計画通り。
クラスメイトの視線が夜鶴と愛萌から二重心々良の方へと移る。
二重自身、夜鶴が夏芽の事を好きだなんだと言い出した頃から、声を上げたくてうずうずしていたのだ。
アイドルとしての「ここちむ」がクラスメイトを相手に夏芽の味方をするのはかなりのハイリスクだ。ゆえに、クラスメイトからの好感度を損なわずに夜鶴を牽制するのは今しかないと踏んだ。こんなときでも二重心々良は策士である。
「お前ら姫を悲しませる気でごわすか!」
赤服黄熊の言葉に反論する生徒はいない。
実際のところ、本気で秋梔夏芽の事を嫌っている生徒がクラスにはいないというのも事実なのだ。実害を受けた生徒は一一と一二三三二一くらいのものであり、他の生徒達はただ噂を又聞きしたに過ぎない。とりあえず秋梔夏芽を嫌っておけばいい、という一種の集団心理がこの環境を作っているのは火を見るより明らかである。
二重心々良は教室中を見渡してから、最後に夜鶴と目を合わせて言った。
「ここらの騎士様だもん。ここらが何とかしてみせるよ」
その言葉に、何となく二重の内情を悟っている左近が口許を引き攣らせた。
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