怒怒
「……。」
いや、全然帰ってこないんだけど!?
もしかしてアレと同じ?
出会い系サイトで出会った女の子と食事に行ったら、「トイレに行く」って言ったっきり、帰ってこなくなるアレ!?
いや、自分から誘っといてそれはない、よね?
「もしかしてナンパされてついていっちゃたとか?」
……いや。それもないな。
眼帯と包帯の明らかに痛い子を見て、わざわざ地雷を踏み抜く男なんて、そうはいない。
「あれだな! 多分トイレが長引いてるんだ! そう言えば柏卯さん便秘気味って言ってた気がするし(言ってない)」
ならば、俺にできることは寝たフリをして、柏卯さんが帰ってきたときには「むにゃむにゃ、おはよう、早かったね」と言うことだけだ。
「くっくっく」
さすが気弱の気遣いスキル。我ながら恐ろしい空気読みだ。
おっと、柏卯さんの笑い方が移ってしまったぜ。
それじゃあ、おやすみ。
zzz……。
ズズズ……。
ぜっとぜっとぜっと……。
「いや、帰ってこないじゃん!?」
結構長い時間寝たフリしてたけど、全然帰ってくる気配がない。
痺れを切らした俺は柏卯さんに電話を掛けると、意外にも彼女は直ぐに応答した。
『あ、もしもし、秋梔さんですか? あの、今から4階の本屋の隣のトイレに来て貰えませんか? できれば急ぎで』
「う、うん? うん。わかった」
その声は弱々しくも、少しだけ安堵の混じった声だった。なんだろう。紙がなかったのかな。
なんて。
そんな楽観的な考えをしながら、トイレに向かったのが悪かった。
3人……いや、4人の、見るからにヤバい男達が柏卯さんを囲んでいるだなんて、誰が想像するだろうか。
「おらガキ! 何とか言わんかい。俺がガジっとるみたいやないかい!」
怒鳴りつけられた柏卯さんは半べそ状態だ。
「あ、あの……すみません、えっと、これは何事でしょうか」
ペコペコと頭を下げながら、スキンヘッドの男に問う。もう見るからに裏社会の住人だ。
……帰りたい。
ファンクラブといい、二重極先輩といい、この人たちといい、この辺り、治安が悪すぎませんか。
まあ、実際はこれも『トモ100』の設定だったりするのだが。
ヤンキーとかから友達を助けるイベントというのは使い勝手がいいのだろう。
それに、友達と共闘してガラの悪い人を倒すと友情ポイントが手に入るというRPG的設定もあった。
悪役というのは色々重宝されるのだ。
ゲームが現実となった今はただただ怖い。
ちなみに、男虎愛萌をパーティーメンバーに入れると、不良に遭遇してもバトル展開は起きなくなる。
ちなみに、ちなみに、秋梔夏芽がいると、戦闘から逃走する際必ず成功するようになる。
ゲームではお調子者だった夏芽は、喧嘩も馬鹿みたいに弱かった。
ちなみに、ちなみに、ちなみに、今いる目の前の男の人達のうち、ピアスやネックレス、指輪をガチャガチャさせたメタリックな男2人は、倒すといっぱい友情ポイントが手に入るが、すぐ逃げる。
「……。」
現実逃避終了。
「ニイちゃん。この子の連れかァ?」
「えっと、あっ、すん」
至近距離で顔を覗き込まれて、ピシリと身体が固まる。やっぱり、怖いものは怖い。
いくら銃火器を持たされたとしても、獅子に囲まれれば萎縮するのが陰キャの性だ。いや、陰キャじゃなくても、萎縮するに決まってる。
「クックック。死んだぞ、お前ら!」
一方、何故か勢いを取り戻した柏卯さんは、目尻の涙を拭って笑っている。
「秋梔さん! ぱぱっと全員倒してください!」
ビシッと指をさして声高らかに言う柏卯さん。
他力本願もいいところだ。
「いいか、凡夫共。ここにいる我が眷属は、刃物を持った男をも打ち破った者だ。武器を持たない男が5人集まったところで、敵ではない!」
「は? はあ?」
いやいや。借りるなら虎の威を借ってくれよ。この人達がライオンなら俺はチワワだよ。
どう見ても全員二十代半ばだし、身体が完全に出来上がっている。
しかも、柏卯さんが比較対象として挙げたこの前のファンの人は、衝動的に刃物を振り回していただけだ。今いる人達はどう見ても喧嘩慣れしている。
殴られても、やり返そうとも思えない。
「ほほう。大した自身じゃあねぇか、ニイちゃんよォ?」
俺は何も言ってません。絶対勝てません。
ていうか、勝つ勝たないの話じゃないでしょ!?
「あは、あはは……。や、やだなあ、柏卯さんは冗談が上手いなあ。よ、よくないアニメの影響かな」
丸く収めて逃げるんだよ!
「ちょっ、あっ、秋梔さ……」
ちょっと黙ってろ!
この際、柏卯さんがどうしてこんな目に遭っていたのかなんてどうでもいい。
今はただこの子に一言も喋らせず、この場を離れることが大事だ。
「たっ、たいひぇんご迷惑をおかけしました」
土下座したい一心で何度も何度も頭を下げた俺は、男の人達が背後から掛けてきた言葉に耳を貸すことなく柏卯さんを連れて、走って逃げた。
「柏卯さん、何やってるのさ……」
逃げた、とは言っても、さっきまで座っていた席に戻ってきただけ。俺は鞄や制服を置きっぱなしにしていたので、さっさと回収して、今日はもうお家に帰るつもりだ。
が、その前に、一言問い詰めなければならないだろう。
「ックック。ああ、見えるぞ。黄昏時。業火に焼かれ灰とともに散り逝く奴らの姿が!」
両手で顔を覆い昏い声を出す柏卯さん。
そう言えば、以前にも『汝はまだ知らぬようだ。やがて訪れる黄昏時。その身は業火に包まれる。命を救うのは双刃の剣と双器の衣なり』と言っていた気がする。
業火ね……なんだか嫌な予感がする。
「秋梔夏芽。我は今、怒っている」
「はあ」
俺も柏卯さんにちょっと怒ってる。
「激おこプンプンマル」
「はあ」
なんでちょっと陽キャぶったのかな?
「我が怒りは全てを呑み込み大地を焼き、天を焦がすだろう」
「そうだね。それは怖いね」
「クックックッ。はははっ。アーハッハッハー」
高笑い。
デパートの食堂で人目をはばからない高笑い。
「来着火業火炎!」
──ズガァァァァァァン!!!!
「っ!?」
なに? 何が起きたのっ!?
柏卯さんが叫んだ直後、爆音のようなものと衝撃が響き渡り、気付いたときには、俺は床に伏していた。
三半規管がやられたのか、はたまたま脳が揺れたのか、クラクラと視野が定まらない中どうにか姿勢を戻そうと起き上がる。
「……んだよ。これ……」
悲鳴が聞こえる方へ視線を向けると、デパートの床が見事になくなっていた。
「……嘘だろ? 21世紀のコンクリートデパートがこんなことになる訳が……」
下の階から立ち込める業火。
どうやら、下の階で何かが爆ぜ、床を吹き飛ばしたらしい。
「まさか……っ!?」
柏卯さんの仕業? と、聞こうとして、思わず口を噤む。
「だっ、大丈夫!?」
コンクリートの破片が飛んできたのだろうか。
右足から血を流した柏卯さんがその場に座り込んでいた。
この爆破が事故なのか、本当に柏卯さんの仕業なのかはどちらでもいい。
火の手が回る前に逃げなければ。
「あ、あああっ……」
スプリンクラーをものともせず燃え広がる火を見て、柏卯さんは完全に我を失っていた。
「しっかりして、柏卯さん!」
金魚のように口を開閉する柏卯さん。
どうやら彼女にとっても想定外の自体らしい。
「まったく」
神というのはなんと無慈悲な存在だろう。
もしかして俺の事、嫌いなんですか?




