誘い
その光景はまるでスローモーションになったかのように鮮明に見えた。
向日さんが振り抜いたラケットから放たれた球はまっすぐ柏卯さんへと飛んでいき──
「ダークジャベリング!」
──弾かれた。
「……!!」
俺はたぶん、この光景を一生忘れることができないだろう。それくらいに衝撃的で。劇的で。感動的だったから。
柏卯さんは練習でも散々失敗し続けた必殺技をここに来て成功させたのだ。
なんて激アツな展開だろう。
柏卯さんが打ち返した打球はそのまま向日さんの脇を抜けていく。
この瞬間。ついに俺たちの点が逆転したのだ。
ティッシュを鼻に詰めながらドヤっとする柏卯さんはどこか間抜けだったが、その背中は正しくヒーローのそれだ。
「わーっはっはっは! 同じ技を二度食らう我ではないわ!」
唖然とする面々の中で高笑いが響く。
きっと嬉しいのだろう。俺だって嬉しい。
「さあ、勝とう。ラスト1点だ!」
試合は二重さんのサーブから。
そして始まる怒涛のラリーラッシュ。
向日さんからの猛攻はここに来て更に勢いを増した。別にこれまで手を抜いていたわけではないだろう。その深く沈み込むような集中力が、取り戻しつつあるプレイヤーとしての感が、俺たちを崩さんとしているのだ。
あと一点が……遠い。
でも──
「これで終わりだッ!」
俺はコートの右側から対角に向かってラケットを振り切る。
向日さんは打球に合わせて1歩引くと、そのまま打ち返す姿勢に入った。
が、次の瞬間、大きく目を見開く。
「ちかっ……」
近かったのだ。
跳ねた打球が、思ったよりも身体に。
変化球というやつだ。
試合中に向日さんが見せたスライスのような、目に見える変化はほとんどない。
ただ素人であるはずの俺がこのタイミングでそれをやった、ということに大きな価値がある。
バウンドが僅かに内に入ってきた球を向日さんは窮屈そうに返す。本当ならこれで決まって欲しかったが、さすがは経験者だ。
けど、宣言通りこれで終わり。
俺はそのままコート前方に駆け、ラケットを振りかぶる。目の前には甘く入ってきた球。
「っしゃあ!」
俺は地面を蹴って飛び上がり、地面に叩きつけるようにラケットを振り抜いた。
よし。……やった? やったぁ!
「柏卯さん! 勝ったよ!」
お互いに駆け寄りハイタッチ。
スポーツをやっていて、これほど楽しくて嬉しかったことはない。
俺はいつだって、体育祭や球技大会で盛り上がるクラスメイトを端から冷めた目で見ていた。
でも、ようやくわかった。
これだ。きっとこれなんだ。
言葉では言い表せない──身体で表現するしかない程の喜び。
それを分かち合える友がいる。
幸せって、こういうことなんだろうなって、そう思う。
「私たちならきっと優勝だってできちゃいますよね!」
「うん! 勝てる! 絶対勝てるよ!」
手を繋いでらんらんらーんとはしゃぐ俺たち。
しかし、そんな俺たちに掛けられたのは無慈悲な宣言だった。
「残念だが決勝戦は中止だ。秋梔は柏卯を連れて保健室に行ってこい」
「!?」
三崎先生はビシッと保健室の方を親指で指さす。
「今すぐに行け。体育教師としては、お前が怪我したタイミングで試合中断するべきだった。それを試合終了まで待ってやったのはお前たちのやる気を汲んでのことだ。だが、これ以上は教師としての矜持が許さん。それだけの根性見せてくれりゃあ、成績の心配もいらねぇから。今日はもう休め」
先生の言うことも一理ある。というか、これ以上なく正しい。
むしろ俺たちは見逃してもらっていた立場だ。ここは素直に引き下がるべきなのだろう。きっと柏卯さんもそれは分かっている。
分かっているはずだ。しかし柏卯さんは止まらなかった。
「貴様、我が覇道を阻むつもりか!?」
そう。今や俺たちは成績のために戦っているわけではない。このコンビで戦うことが、ただただ楽しいのだ。そして、自分達の腕がどこまで届くのか見たい。
きっと柏卯さんだって、そんなふうに思ったはずだ。
「一度ならず二度までも教師を貴様呼ばわりとは、随分と肝が据わってるなあ、柏卯」
ただ、先生は恐ろしい。
鬼の形相を浮かべる三崎先生の前から、柏卯さんは脱兎のごとく逃げだした。
「失礼します」
柏卯さんを追って保健室に来た俺は扉を開けて部屋の中を確認する。
どうやら先生は留守らしい。
柏卯さんをソファーに座らせてキョロキョロと辺りを見渡す。
鼻血はもう止まっているようだが、念の為頭部を冷やしておきたい。
「熱さましシートがあればいいんだけど……」
「あるよ?」
「え?」
振り返ると、ベッドが並ぶ部屋の隅、カーテンの隙間から顔だけを覗かせた女子生徒が冷蔵庫を指さしている。
「下から2番目に入ってる」
「あ、ありがとう。助かるよ」
最小限の事だけを言って、すぐにベッドへと戻ってしまった女子生徒にお礼を言ってから冷蔵庫を漁る。
今の子、多分クラスメイトだよな……。
たしか、名前は與微愛
『トモ100』のβ版ではほとんど情報のなかったキャラだ。彼女とは出席番号が近いはずなのに教室で見た覚えがほとんどない。
……保健室登校というやつだろうか。
「秋梔さーん、ありましたー?」
「うん! 今持ってくよ」
俺は柏卯さんのおでこにシートを貼り付けて、保冷剤で首も冷やすように伝える。脳震盪の心配はなさそうだし、多分平気かな。
「勝てましたね。秋梔さん」
「うん! まさか、柏卯さんがあのタイミングで必殺技を成功させるとはね!」
「ええ。そうですね。そうですともさ! 本番には強いタイプなんです!」
俺に声をかけてくれたのが柏卯さんでよかった。
初めは運動音痴の厨二病と組むことが心配で仕方なかったけれど、今となってはいいコンビだったと言える。
熱に浮かされたまま談笑し、同時に決勝戦に参加できなかったことを悔やむ。
ああ、楽しかったな、と一息ついたところで、柏卯さんが珍しく遠慮気味に口を開いた。
「あの、私、今日、怪我しちゃったじゃないですか?」
「うん。そうだね」
「だから、ですね。……今日、もしお時間よろしければ、放課後、祝勝会も兼ねて回復ポーション飲みに行きませんか?」




