第三話 マイナスから始める異世界生活
放課後の教室に一組の男女。
三つ編みの瓶底メガネ──朝比奈夜鶴
見た目陽キャの超ド陰キャ──秋梔夏芽
以上の二名だ。
「あの、お話って言うのは、なんでしょうか」
「うん。実は僕のお話を聞いてもらいたくて」
「……僕、ですか?」
うん。分かるよ。この顔で『僕』だと違和感あるよね。
前世では、気弱のくせに俺なんて遣ってんじゃねぇよって言われたらイヤで、一人称はずっと僕を遣っていたけど、思い切って変えてみるのもいいかもしれない。
「オ、オデ……オデのコト、ドウオモウ?」
慣れない一人称で僕がもう一度尋ねると、朝比奈さんはキョドキョドとし始める。
急に変えたものだから、戸惑わせてしまっただろうか。これは失礼。
「私は、秋梔くんの顔、かっこいいと思います。腹筋も割れてそうです!」
「あ、うん。ありがとう、ございます……朝比奈さんも、身長が中位でいいと思うよ」
「……どうも」
微妙な反応。
それはコミュ障とコミュ障の目も当てられない会話とでもべきだろうか。
AI同士に会話させたって、こんな稚拙にはならないはずだ。
せめて、筆談ならもう少しだけちゃんとお話できるかもしれないけど……。
「そうだ! 連絡先を交換すればっ!」
「いつでも呼び出せるようにってことですか?」
「…………。」
違うってば!
この子被害妄想強くない?
僕の顔が怖いのがいけないの?
「あのさ、やっぱり俺って怖い、かな?」
答えづらい質問だっだかもしれない。
しかし、それでも彼女は嘘をつかなかった。
目こそ合わなかったものの、確かに「はい」と明確な意思表示をしたのだ。
お世辞も、機嫌取りもせず、心の内を曝け出した。
「アナコンダと同じくらい」
「う、うん。そうだね」
「……なんちゃって」
「…………。」
もしかして、和ませようとしてくれてる?
たた、腹筋やアナコンダはともかく、怖がられているというのは案の定というべきだろう。
人の外見が与える印象は何よりも大きく相手に刺さる。
その印象を良い意味で裏切れるだけの内面がなければ、判断材料なんて、外見止まりなのだ。
「あ、あの! でも、ですね、悪い人じゃないってのは、私もわかってます! お金も返してくれたし、痛い事、してこないし……。秋梔くんは、きっといい人なんだと思います!」
朝比奈さんの言葉は有難いものだった。
しかし正しくはない。
悪くないからって善いわけじゃないのだ。
それを指摘しようとしたところで、朝比奈さんの様子が普通でないことに気づく。
よく見ると唇が乾燥し、端が小さく痙攣している。
何かを堪えるように。耐えるように。
そんな彼女の姿を痛々しく感じる。
ただ友達になりたい、それだけの事で何故僕はこんなにも彼女を傷付けているのだろう。
何故僕はこんなにもそれを苦しく思ってしまうのだろう。
「……。」
僕は震える彼女の手を見下ろす。
スカートの端をギュッと掴み、右手で左手を押さえつけるように握る手を。
──その傷を。
全てに気付いたとき、これまでの朝比奈さんの言葉が僕の胸に深く深く突き刺さった。
彼女がもし、この世界の主人公としての朝比奈夜鶴なのだとしたら、この子は中学時代まで酷いイジメに遭っていたという事になる。そういう【設定】が、彼女には施されているのだ。
無愛想で、服に血が付いていて、変な噂ばかりが飛び交う、まだお互いよく知りもしない関係の男に呼び出されて、警戒しないわけがない。
僕はそれを知っていたはずなのに……。
何やってんだよ。
きっと、彼女の中でも葛藤はあっただろう。
それでも、彼女は勇気を振り絞ったのだ。
新たな環境で、新たな自分になる為に。
朝比奈夜鶴は変わろうとしている。
今、新たな道を進もうとしている。
「それを邪魔しちゃダメだろうがッ……!」
だって僕が──いや、俺こそが!
この子の心の鍵を開く存在という役目を担った男なのだ!
俺が──秋梔夏芽なのだッ!
「……。」
秋梔夏芽……俺はすごい奴なんだ。
そう。だって俺は、いとも簡単に主人公の鎖を引きちぎったヒーローなんだぜ?
少なくとも、ゲームの中ではそうだった。
確かにゲームの中の秋梔夏芽と、この世界の秋梔夏芽は別人かもしれない。
けど、だからこそ!
俺が秋梔夏芽を全うしなければならない。
「朝比奈さん!」
「は、はい!」
俺が君の最初の友達、そして君が俺の最初の友達。
汗ばんだ手のひらをズボンで拭きながら、朝比奈さんと目を合わせる。
思えば、こうして家族以外の誰かと目を合わせて話すのは初めてかもしれない。
「俺は見た目もちょっと派手で、口数も少なくて、面白いことも全然言えない。もしかしたら朝比奈さんからすると苦手なタイプかもしれない。でも、せっかくの高校生活を楽しみたいのは俺も一緒なんだ。だから、もし良ければ、俺と……」
そこで一拍。
俺は大きく息を吸い込む。
クラスメイトには怖がられ、隣の席の子には嫌われた。
準備運動はこの程度で良いだろう。体はもう十分に温まったさ。
ここからが俺の高校生活の本当の始まりだ!
覚悟を示せ。背筋を伸ばせ。矜恃を見せろ。
言えッ!
「俺と友だ──」
「おい、秋梔! いい加減にしろよ!」
「ふぇ!?」
後ろを振り返ると、そこにはクラスメイトがいた。
確か名前は一一。
いや、でも。どうして、彼がここに……!?
「教室から声が聞こえて来てみればっ! お前! そうやって弱いものイジメして楽しいかよっ!」
「え、いや、あの、俺は……」
咄嗟のことで上手く弁明の言葉が出てこない。
クラスメイトが自分に対して声を荒らげている。
俺を御するにはそれだけで十分だった。
「大丈夫? 朝比奈さん。酷いことされてない?」
俺と朝比奈さんの間に入るようにして立ったニノマエくんは俺から遮るようにして朝比奈さんに声をかける。
「えっと、私は、大丈夫です」
「良かった。まだ何もされてなかったんだね。──秋梔、お前は二度と朝比奈さんに近づくな! この事は担任の三崎先生にも伝えておくぞ!」
ニノマエくんは敵意を隠しもせず俺を睨み付ける。
今にでも殴りかかって来そうな程だ。
「いえ、あの、大丈夫です。私は何もされてません。秋梔くんはそういう人じゃありません」
「……っ!」
思わず、俺は目を見開く。
だって、だってだって、朝比奈さんが、確かに今、俺の味方をしてくれたのだ。
それがどれだけ嬉しい事か。
君が俺を庇ってくれたのなら、ここで俺も勇気を振り絞らなきゃダメだ。
俺だって、ちゃんと──
「ニノマエくん。俺は!」
「うるせえ、このクズ野郎!」
「おふぅ……」
「騙されてるよ、朝比奈さん! 早く職員室に行こう」
「あの、ニノマエくん。私の話を──」
腕を捕まれた朝比奈さんは、最後に申し訳なさそうにこちらを向くとニノマエくんに引っ張られるようにして姿を消した。
もう、やだ……。