厨二病テニス
新章入りました
厨二病。平成の流行病。
主に思春期の子供に発症しやすいことから名付けられたその病にかかった者は、自身の価値観と世間の価値観との隔たりにより痛い子として扱われることがある。
実際、彼ら彼女らの瞳に映る世界は空想的で妄想的で現実には程遠い。
しかし、不思議なことに、この世界にはプラシーボ効果というものも存在する。思い込みの力が現実に作用するということは、実際にあることらしい。
故に思う。
厨二病。
彼ら彼女らの見ている世界は本当に偽りなのか。
たとえ全て思い込みだったとしても、その思い込みが現実に影響するほどの強さをもっていたのならば、それは本物ではないのか。
俺はどうしても、彼女の見ている世界のすべてが偽りだなんて思えなかった。
☆☆☆
「っくっくっ。深淵を覗きし我が同胞よ。この手を執れ。さすれば、闇に苛まれし汝の孤独に、我が一筋の光を差し込もう。悪魔の言葉に心を痛めることなかれ。汝、死にたもうことなかれ。──我が名は黄昏の女帝ジ・アビス。さぁ、世界に縛られし傀儡よ。その手を差し出すが良い」
「ごめん、なんて言ったの? 柏卯てつ子ちゃん」
「我が名は黄昏の女帝ジ・アビス」
「てつ子でしょ?」
「ち、違う! 私はそんな弱そうな名前じゃない!」
中学生のような小さな体躯を震わせて、ギャーギャーと抗議するのは、クラスメイトの柏卯てつ子。
低身長で色白。色素の薄い金髪のツインテールに眼帯と黒い指空き手袋、更に包帯。
ネコに喧嘩で負けてきた子供みたいな彼女は、名前以前に見た目がもう弱そうだ。
「名前に強いとか弱いとかないでしょ」
「ん」
俺の疑問に答えるように、柏卯さんが1人の男子生徒の方を指さす。
「ああ……纔ノ絛龘くんか」
確かに強そう。というか画数多過ぎ。
一一を見習った方がいいのでは?
確かに彼は俺たち1年B組のメンバーで、断トツに変わった名前だ。しかも龍が3匹もいる。のくせに、実際はおとこの娘だってんだから、この世界の製作者もなかなかにぶっ飛んでる。
左近なんてフラれた挙句、地面に埋められそうになったこともすっかりと水に流して次の告白の作戦を考えている。申し訳ないと思っている俺の方が置き去りだ。
本当は俺がちゃんと彼女達を反省させて、左近に謝らせなきゃならないんだろうけれど、彼があの調子じゃあ、それも意味をなさない。
左近にとってはすべてが終わったことらしいが、俺がこんなにもスッキリしない気分なのは、彼以上に、今回の件が俺の周囲で尾を引いているからだろう。
妹たちとは最近不仲。
ただひとつわかったのが郷右近左近と秋梔冬実々、この2人の間には多分なにかがある。俺の知らない何かが。左近は水に流してくれた、とさっきは言ったが正確に言うと冬実々の話題を避けたがっているようなのだ。
この辺については、時間を置いてから、ちゃんと把握しておきたい。
「聴け! 愚者よ! 我の声を聞け!」
「あ、ああ。ごめん。考え事してた」
「もう少しで我のサラマンダーブレスが貴様を焼き尽くしていたぞ?」
「そうかな。柏卯さんは猫にも勝てなそうだけどね」
「……ふっ。嘲笑を禁じ得ないな。我があのような獣に劣ると? 否。我が左手に宿りし──」
「ねえ。そろそろ俺に分かるように要件を伝えてほしいんだけど何の用かな?」
「……え、あ……だ、だからさ、その……」
ボソボソと話し始める柏卯さん。
どうやら厨二病キャラを演じてないとまともに人とコミュニケーションを取れないらしい。気持ちはわかるので彼女が話してくれるのを黙って待つ。
俺も初めて朝比奈さんと話したときはこうだったな。そう思うと、だいぶ人とのコミュニケーションにも慣れた気がする。
「体育のテニス、まだペアが出来てないの私達だけだから、一緒に組んでくれないかな……って」
「ああー、そういう、ね」
「とっ!ととと! というか! 秋梔さんはどうしてそんな所に座り込んでるんですか!? みんな始めちゃってますよ!」
「いや、ごめん。気を失っててさ」
「具合が悪いのですか?」
「いやいや、違うよ。ほらさっき──」
『じゃ、2人組を作って始めろー』って、三崎先生が。
酷い言葉だ。
体育の授業が始まり準備運動を終えた頃、担任でもあり体育の担当でもある三崎先生がそんな事を口走ったのだ。あんなの一種の暴力だよ。
「クックック。汝。やはり、悪魔の囁きに精神を蝕まれた者か」
あー、厨二病再発しちゃった。
この手を執れとか言ってたけど、それは単に、ペアがいないから一緒にしてくださいって意味でしょ? 不思議な子だなぁ。
「じゃあ、早速やろうか。よろしくね」
ペアを組んだ俺たちはテニスコートに場所を移する。既にどこも埋まっているので、一番端のコートのスペースを分けてもらう。俺が来ただけでおろおろと慌てるクラスメイトを見ていると、やっぱり嫌われてるんだなぁと思う。柏卯さんも勇気を振り絞って声をかけてくれたに違いない。
遠くでは、愛萌が桜の木の下で見学している。
サボりかな?
「いくよー」
まずはラリーを続けるところからはじめる。
俺は彼女が取りやすいようにサーブを打つ。
角度も速度も彼女にぴったりの打球だ。
しかし。
──スカッ
空ぶった。
タイミングがまるで合っていない。
反射神経がえらく鈍いようだ。
「なるほど。魔球遣いか」
「ん? なんの事」
「ならば我も見せてやろうぞ。大いなる力を!」
そう言って何やら呪文を詠唱し始めた柏卯さん。
とっても待ち時間が長い。
「──狙撃せよ。黒き稲妻! ダークジャベリング!」
──スカッ
そして再び空振る。
うん。まぁ、何となく予想出来たよね。
とてとてと転がるボールを追いかける柏卯さんはどこか小動物を思わせる。和むなぁ〜。
「柏卯さーん、ラケット換えたらー? 全然振り切れてないよ?」
コートの対面にいる柏卯さんに声をかけるが、彼女はむくっと頬を膨らませて俺のアドバイスを無視する。どうやらプライドの高さは人一倍らしい。
──スカッ
「選べ!! 我を選べエクスカリバーよ! テニスの女帝様である我を選ぶのだ!」
ついにはラケットのせいにしやがった。
君はテニスの女帝じゃなくて黄昏の女帝じゃなかった?
──スカッ
──スカッ
──スカッ
「そうか。我を選ばぬと言うか。大いなる闇の力を前にいつまで抵抗できるか見物だな」
ついに空ぶったとき用の保険まで掛けやがった。
──スカッ
──スカッ
──スカッ
その後何度もサーブを繰り返し──
「ちくしょう!!!!」
折れた。
「だから体育なんてイヤだったんだ! もう知らないッ!」
拗ねとるがな。
「うぜぇ〜、うぜぇよぉぉ」
うわ、案外口悪いなこの子。
「ほら、俺が教えてあげるから一緒に頑張ろ?」
「……ぐすん。わかった」
俺はぺたりと座り込む柏卯さんを立ち上がらせる。小柄な体格というのもあり、とても軽い。
愛萌の3分の2くらいの体重かな。なんてことを考えながら、いい子いい子と柏卯さんの頭を撫でる。
ついでにツインテールをもしゅもしゅ。
しばらくして目尻に溜まった涙を拭いとった柏卯さんは地面に落ちたラケットを拾うと左手にボールを握った。
どうやらやる気が戻ってきたらしい。
「まずなんだけど、ボールを投げる高さが低いかな」
柏卯さんは小柄で筋力もあまりない。
しかも、スイングスピードの初速が遅いため少し高めにトスを上げないとラケットが間に合わないのだ。
「それから目だね。視線がブレるって事は身体の軸がブレてるって事だから気を付けるように」
「わかった」
こうして、体育の授業の片隅で俺達の特訓が始まった。
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