表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/125

二重の心

ちょっぴり加筆修正しました。


「落ち着いた?」


 二重さんの肩の震えが弱くなったタイミングで、俺はそう訊いた。

 彼女からの返事はなかったけれど、こくりと頷いた二重さんは、俺の胸元から顔を上げて立ち上がった。


 濡れた瞳を人差し指で拭い、作り笑顔を浮かべる。


「ごめんね、取り乱しちゃった」


「ううん。俺のことはいいんだ」


 それよりも重要なのは、二重さんのこと。

 助けを求めた彼女の様子は普通じゃなかった。


 不本意ながら、俺はゲーム知識以上の事を知らなくて、彼女が何を抱えているのかを知らない。

 俺はただのクラスメイトで、君の役に立つような奇跡でもない。


「何もできないかもしれないけど、何とかしようとはしてみるからさ。話してよ、二重さんのこと」


 それがきっと、俺がこの世界に生まれた理由だから。できる限りのことはしたい。


「なっくんはヒーローみたいなことを言うね」


 ヒーロー、か。なれるならなりたいものだ。

 もし俺がヒーローだったなら、今頃二重さんの手を握って『大丈夫だよ、きみのことは俺が助けるから』とかなんとか言っていたはずだ。


 でも、あいにく俺はそんな器の大きな人じゃないから、泣いてる女の子に慰めの言葉ひとつも掛けてあげられない奴だから。


「強がって、虚勢を張るので精一杯だよ」


「そう。そうだよね、ここらも同じ。……ねえ、なっくん。ここらの話、聞いてくれる?」


「うん」


「始まりはね、ひとつの手紙だったの」


 そう言って話し始めた二重さんの話を聞いているうちに、どうやら彼女はストーカー被害に遭っていることがわかった。しかも、かなり過激な。


 これはゲームでは、聞いたことなかったな。


 手紙やプレゼントが直接自宅に届いてしまうということは時々あるそうで、あまり気にしていなかったらしい。


 しかし登下校の最中に偶然を装って声を掛けてきたり、後をつけてきたりと、次第にエスカレートしていったらしい。

 

「それで、ついに昨日は、い、えの、玄か……玄関に……」


 段々と声が小さくなっていく二重さん。

 

「ごめん。言いづらいこと訊いちゃったね」


 これ以上を問うのは野暮だ。

 そう思い会話を切ろうとしたとき、二重さんが小さな悲鳴を上げた。

 

「あ、あぁ……っ」


「二重さん? どうしたの?」


 限界まで見開かれた目は俺ではなく、その後ろを見ていた。

 まるで硬直したように──呼吸も忘れ、ただその目だけで驚愕を訴える。


 俺はゆっくりと振り返る。

 ほん怖のラストシーンさながらに。

 ぎぎぎ、と油の切れた機械のように。


「……っ!」


 ──そして俺は見た。視認した。


 春先には見合わない上下真っ黒の服装。

 息遣いは荒々しく、目は真っ赤に血走っている。


 一目見ただけでわかる。


 普通じゃない。


 そんな男を。


「なんで……」


 時間はまだ、あったはずだ。

 彼がここに来るのは、もっと後のはずだ。


 なんで? どうしてっ!?


「本当だった……ココラ姫に彼氏ができたのは本当だった」


 持っていた鞄。

 男はそこからナイフを取り出す。

 ゲームと同じシチュエーション。


 違うのは主人公がいるはずの場所に立っているのが俺だという点だ。


 つまり、ナイフを持った暴漢を相手に二重さんを護らなければならない。


 ──俺がだ。


「……ぁ、あっ」


 声が掠れ、空気のみが口から零れる。

 逃げろ。たった一言でさえも、俺の口は紡ぎ出せない。


 恐怖心が脚の力を奪う。

 産まれたての子鹿だって、生きるためにその足を動かすだろう。

 でも、俺には……無理だ。


「いい加減にしてよ……もう散々っ」


 動けない俺。

 しかし、二重さんは俺の脇を抜けて、あろう事か暴漢との距離を詰めだした。


「気持ち悪いんだよ、このストーカーがッ! 毎日毎日毎日毎日毎日毎日嫌がらせしやがって! さっさと消えろよ!」


 溜め込んでいたものをすべて吐き出すように、胸の内を曝け出す。

 彼女の目には手に握られたナイフが見えていないのだろうか。


 ストーカーと呼ばれた男は二重さんの言葉に萎縮した様子を見せたが、やがて怒りに震えた様子で俺を睨みつけた。


 お前のせいか、と。その眼は言外に告げている。

 ヘビに睨まれたカエルが動けないように、暴漢に睨まれた陰キャは、ただ怯えることしかできない。


 動け……動いてくれっ! 頼むよっ!


 必死に動かそうとする脚も、ピタリと地面に縫い付いたままだ。

 

「お前さえいなければ……お前なんかいなければッ!」


 男の充血した眼に宿るは怨恨のみ。

 一歩一歩男が近づいて来る度に、圧倒的な悪感情が俺を呑み込まんとする。


 相手は正気じゃない。

 何をされたっておかしくない。

 そんなことくらい、分かってる。

 分かってるんだ! でも俺は──僕は。


 動けない。


 怖い。


「逃げてッ!!」


「っ!」


 二重さんの声で我に返ったとき──男は既にナイフを振り上げていた。


 全くの考え無し。俺を殺すつもりと言っても過言ではない。


 俺は咄嗟に横へと飛んでそのナイフを躱す。

 心臓の鼓動が加速し、上がった体温を冷やそうと、急激に汗が吹き出す。


「死ねッ……死ねよ、クソがっ!」


 本気だ。この人は本気で俺を刺すつもりだ。

 

「くっ……」


 唇を噛み締めて立ち上がる。


 ダメだ。このままじゃあ、殺されちゃう……。


 泣きそう。失禁してないのが奇跡だ。


「や、やめようよ。こんなこと。よくないよ……?」


 俺の口から出てきたのは、命乞いというにはあまりに稚拙な言葉。


「きっと後悔する。いい事なんて、ひとつも無いって」


「っせぇんだよッ!」


 言葉を振り払うように横薙ぎにれたナイフが俺の左頬を掠める。


 ひりつく痛みと共に、体内から液が零れるのを感じた。


 少し離れたところで、二重さんが悲鳴を上げる。

 今ここにいる人間は誰も彼もが正気じゃない。あるのは狂気だけ。


 

「助けて……」


 この場に及んで俺が唯一紡げた言葉は、誰かに縋る弱者の言葉だった。

 誰にも届くことのない消えそうな声。

 嫌という孤独を味わってなお、俺は誰かに救いを求めた。


「馬鹿が……」


 ──俺は陰キャだ。


  妹しか家族のいない今の俺を誰が命懸けで救ってくれるというのだ。


 人との関わり方は分からないし、気持ちを汲み取る能力も低い。

 直ぐに誰かを怒らせるし、失望もさせる。


 友達作りに四苦八苦だ。



 そんな俺を誰が守ってくれると言うのだ。


 俺は陰キャだ。そして誰よりも──孤独だ。



 じんじんと痛む頬に手をやり紅い雫を拭う。

 その痛みが、逆に俺を冷静にさせた。

 冷たく、静かに。




「俺は知らない。人を知らない」


 ずっと孤独だった。ずっと独りだった。


 でも、だからこそ。俺は知ってる。



 俺は──(ぼく)を知っている。



 そうだ。


 そうなのだ!


「……僕が武器を持った程度の素人に、遅れを取るわけがないじゃないか」


「あ?」


「…………。」


 瞼を閉じて深呼吸。そしてゆっくりと開く。


 目が覚めた。

 視界が鮮明に明ける。


 すぅっと、気持ちが冷めていくのがわかった。

 身体が軽い。どうやら恐怖という呪縛からは完全に解き放たれたようだ。


「なんだその目は! あぁ?」


 怒鳴り散らしながらこちらへ向かってくる男。

 俺は軽い足取りで距離を詰めると、右腕を振り被り、そして男の脚を払う。


「がっ……!?」


 フェイクにも反応できていない。

 どうやら対人戦闘に関しては全くの素人らしい。

 

 尻もちをついた男の手にはまだ、ナイフを握られたままだ。しかしそれを奪うのも簡単なこと。


 右手首を掴んで捻りあげれば、簡単にソレを落とす。実に単純な作業だ。


 わずか数秒。

 俺は目の前の男を完全に無力化した。

 

 この男が二重さんの手を握っている間、俺は拳を握ってきた。

 この男がペンライトを振っている間、俺は竹刀を振ってきた。


 武術の経験がそもそも違うのだ。

 負けるわけがない。

 心さえ強く持てれば。


 あんなにつまらなかった前世も無駄じゃあなかった。


「こちとら人生17年分をコミュニケーション以外に捧げたんだぜ?」


 我が家の英才教育を舐めるなよ。



☆☆☆☆



 後日談。

 

 事件の後、駆けつけた警察によって男は連行された。俺は軽傷で済んだのだけれど、一応すぐに病院で怪我の様子を見てもらうことになり、その後に事情聴取を受けた。


 監禁の方は完全になかったことになっている。


 男の正体は黒の騎士団の団長を務めていた男で、近頃二重さんのストーカーをしていたのもこの人だ。

 結果、ここちむに彼氏がいる疑惑を耳に挟む。

 二重さんが学校を休んだタイミングを見計らって、犯行に及んだらしい。「ここちむを殺して自分も死のうと思った」との事だ。


 ちなみに二重さんが学校を休んだ理由だが、こちらは言うまでもなく、ストーカーによるストレスだ。

 お腹を壊したと学校に連絡があったが、どうやら胃潰瘍だったらしい。

 

 それももう一昨日の話である。


「大変だったなあ……」


 何より怖かった。

 秋梔夏芽の膀胱でさえなければ、俺はきっと生き恥を晒していたことだろう。ほんと、転生してよかった。夏芽の膀胱でよかった。


『そ・れ・で! 二重さんと道路で抱き合っていたのはどういう事なんですか!』


「うっ……」


 もはや恒例となった手紙のやり取り。しかし、今日は休み時間になった今も続いていた。

 そう。どうやら朝比奈さんは、涙を零す二重さんを抱きしめている一部始終を見ていたそうなのだ。


 なんて言い訳すれはいいのかな……。


 多分、だけれど、朝比奈さんはここちむのファンなのだ。

 お金を払って握手会に参加をしている人がいる一方で、1円も払わずアイドルを抱きしめてしまったのだから、恨まれても仕方がないだろう。

 

 あの時は、俺も必死で何かを考える余裕もなかったからなぁ。せめて、感想だけでも伝えておくか。


『小さくて、ふわっと柔らかくて、守ってあげたいと思うような、そんな感じだったよ』……と。


 朝比奈さんは俺からの手紙を受け取り──ああ! また破った!


 そういえば前回手紙を破ったのも、二重さんの話をした時だった。


『もしかして嫉妬してる?』


『そういうことを訊くのは意地悪ですッ!』


 さては図星だな。へへん、羨ましいだろう!


 病院で見た時は少し揉めているようだったけれど、それくらいでファンを辞めるほど、朝比奈さんの推し力は弱くないらしい。


 なんて、勝手な考察をしてると、机をひらひら避けながら、二重さんがやってきた。


 いつものアイドルスマイル。

 みんな大好きここちむだ。


「次、移動教室だよ? 一緒に行こっ。なっくん」


 キラキラと、日陰者には少し眩しすぎる笑顔で俺を誘う二重さん。

 けれど、今度は少しだけ真面目な顔をして、朝比奈さんの方に顔を向けた。


「一昨日はごめんね。あの時は余裕もなくて、感じ悪い態度取っちゃったよね」


「いえ。大丈夫です。それよりも、二重さんに怪我がなくて良かったです」


「あははっ。心配しくれてありがとう。でも、ここらには頼れる騎士様がいるからっ!」


 そう言って俺の右腕に抱きついてくる二重さん。

 さすがにそれは──あ、ほら、朝比奈さんが白目剥いてるからっ!


「ナカヨシデスネー」


「えへへ、そう見えるかな? まあ、ここらはなっくんが、ちょっぴり苦手なんだけど」


「そうなのっ!?」


「きらいかも」


「ガーン」


 無神経にも俺の心を抉った二重さんは──しかし、背伸びして俺の耳元で小さく囁いた。


「でも、()は夏芽くんのこと、結構好きだよ」



 やっぱり二重さんはアイドルだなぁ。


 近衛騎士生活一日目。

 出だしはそこまで悪くなさそうです。




お読み頂きありがとうございます!


第2章おしまいです。


二重極の額の傷については、また今度触れることにします。


次回閑話を1話入れてから、次の章に移ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お読みいただきありがとうございます。 高評価頂けると更新の励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 大量のメスガキとダンジョン攻略するローファンタジー  メスガキ学園の黒き従者〜無能令嬢と契約した最凶生物は学園とダンジョンを無双する〜 小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ