悪魔
少し長いです。
「あれ……私、何してたんだろう」
朝比奈夜鶴が目を覚ましたとき、真っ先に視界に入ったのは、薄暗い部屋の中で揺れるひとつのろうそくだった。
不思議なことに、目が覚めるまでの記憶がない。
自分がどこにいるのか、何をしていたのか、全くわからないのだ。
帰らなきゃ。
夜鶴はその場を離れようとして──自分の体が思うように動かないことに気がつく。
「あ、あれっ……?」
ろうそくの火が揺らめく。
どうやら夜鶴は何かに縛られているらしい。
「あ、あの。誰かいませんか?」
返事はない。
代わりに薄暗い部屋に明かりが灯った。それは単純に、誰かが電気をつけただけのこと。
しかし、夜鶴は自分でも驚くほど大きな悲鳴をあげた。
なんと、そこには自分を囲むようにして座る、複数人の仮面人間がいたからだ。
性別や年代はまちまち。
ただ共通するのは、黒い服に身を包み、SMの女王様のような目元だけが隠れる仮面をつけているということ。
そして自分はそんな集団の真ん中で、十字架に磔にされているということ。
「な、なっ……」
声がでない。
顎が震え、喉元で掠れる。
恐怖と混乱に支配され、呼吸が荒くなる。
「捕らえたぞ。悪魔の手先よ、でやんす」
正面にいた前歯の長いネズミ顔の男が口を開いた。
座っていた椅子から立ち上がり、夜鶴との距離を詰める。
「……あ、っの、あくまって、何ですか?」
「とぼけるな。お前が1番よくわかっているはずだ、でやんす」
「……っ」
もしかして!?
夜鶴には、ひとつだけ、悪魔という単語に心当たりがあった。
「悪魔召喚の儀式……」
彼女がまだ中学生の頃、友達欲しさに、悪魔を呼び出そうとしたことがあるのだ。
ただ、それは失敗に終わったし、そもそも朝比奈夜鶴は中学時代、青森県に住んでいた。
もちろん、そんな黒歴史は誰にも語っていないし、目撃者なんているはずがない。
──どうしてそれを……。
「ふっ。どうやら心当たりがあるようだな、でやんす」
男は口角を吊り上げ、クンクンと、包帯で巻かれた両手の匂いを嗅いでは、頬擦りをする。
まるで愛おしい物を愛でるような行為ではあるが、底知れぬ狂気を感じる。
「どうしてこんなことをするんですか? わ、私をどうするつもりですか?」
「決まっているだろう、でやんす。お前には悪魔を呼び出してもらうでやんす。拒否権はないでやんす」
「いえ、できません。私は既に悪魔を呼び出すことに失敗しています」
ついでに言うと、高校の入学式の日の朝に行った、友達召喚の儀式にも失敗している。
「……。そうか、いや、構わん! 失敗したらそのとき考えればいいのだ」
そんな……。
夜鶴は泣きたくなった。
失敗するとわかった上で、あの召喚の儀式をこんな大勢の前でやれというのか!?
「やらねば、貴様は永遠にそのままだぞ」
「うぅ……」
瓶底メガネの奥。つぶらな瞳が潤む。
やりたくない。でも、やらなきゃ帰れない。
「……わかりました。やります。ですから、縄を解いて下さい」
夜鶴は葛藤の末、覚悟を決める。
警戒しながらも、縄を解いた仮面の男から紙とシャーペンを受け取ると、そこに、魔法陣を描き始めた。
「友達がぁ〜、ほーしいなぁ〜。どうしよ、どうしよ、どうしましょ♪」
やけくそな歌声が部屋に響いた。
作詞作曲:朝比奈夜鶴(14歳)の、友達が欲しいの唄だ。
かつて、この歌を歌いながら、朝比奈夜鶴は悪魔召喚を試みた。
結果は失敗だったが、当時はなぜか、できる気がしていたのだ。今は微塵も成功するとは思えない。
「ひとり隠れんぼ〜ひとり絵しりとり〜、ららら〜」
ひどい歌だ。
「……お前、ふざけてんのか、でやんす」
「えぇ、いや、本気です」
「本当にそんな方法で悪魔を呼べるのか? スマホを使うべきじゃないか? でやんす」
「呼べるはずです」
呼べません。
そもそも、悪魔なんて生き物が、本当にいるのかどうかも疑わしいものだ。
夜鶴は悪魔召喚に失敗して以来、悪魔の存在を信じていない。
だが、今夜鶴を囲むように座る彼ら、彼女らは悪魔が現れることに過度な期待をしているように見える。
それに悪魔をスマホで呼ぶってなんだ?
この人たち、頭がおかしいのかな。
やばい宗教の人たちなのかな。
「……」
やがて魔法陣が描き終わる。
夜鶴は、どうにでもなれ、と言わんばかりに叫んだ。
「来たれ! 愛すべき者よ! 我の孤独を癒したまえ!」
「……」
部屋に静寂が訪れる。
仮面の集団は互いに顔を見合わせるが、やはり変化は起こらない。
「失敗か……? でやんす」
あたりまえだろう、と口を開きかけた時、仮面のひとりが、声を上げた。
「でた! 出ました! 悪魔です! 悪魔が来ました!」
☆☆☆
二重心々良を巡るイベントについて、俺の知っている限りの情報を整理しようと思う。
二重心々良──明るく天真爛漫。誰とでも分け隔てなく接することのできる彼女は、今一番売れている人気アイドルだ。
しかし、それはあくまでアイドルとしての顔であり、彼女の本質とは反する。
まるで二重人格のように、裏と表の顔をもつ彼女は、ファンには見せられない冷徹な一面も持つ事ということを俺は知っている。
もし朝比奈さんが、ゲーム通りにイベントを進めているのだとすれば、現在、彼女は二重心々良のファンによって監禁されているはずだ。
それも、二重心々良の指示によって、だ。
二重心々良は人の心の扱いに長けている。
洗脳とまではいかないにしても、ファンを思いのままに操る程度のことは、彼女にとって容易いことだろう。
俺が事ある毎に彼女のファンを警戒していたのも、それが理由だ。
ゲームでは、下校中に、二重さんのお腹がぐーっと鳴るのを聴いた主人公が、どこかで軽食を摂ろうと誘ったのが原因で監禁されることになる。
ただ、今回の件に関して、ひとつだけ疑問がある。
朝比奈さんは一昨日、三つ編みメガネを解いていた為、見た目は別人だった。
それに、二重心々良のイベントが解放されるのは、主人公のリア充度メーター(友達の数)が30%を超えてからだ。
現時点のリア充度メーターが3%にすら届いていなさそうな朝比奈さんが、二重さんに対して声をかけられるとは思えない。
もしかしたら、今回朝比奈さんが監禁された理由は別の可能性がある。
『トモ100』のβ版をプレイしていた俺だけれど、β版はあくまでβ版なのだ。この世界の在り方に、全てが当てはまるわけではない。
俺がチュートリアルをミスして朝比奈さんと友達になれなかったように、朝比奈さんが監禁された理由に変化が生じても不思議ではない。
「くそっ」
焦りと苛立ち。心配と不安。
ごちゃ混ぜになった感情で、道を駆ける。
幸い、彼女の居場所の大体の目処が立っている。
「誰かが拾ってくれると祈り〜わざと消しゴムを落としてみたり〜」
半ばやけくそな歌声が微かに聞こえた。
「この声……きっと朝比奈さんだ!」
俺はフェンスを登り、廃工場の中へと侵入する。
「国語の授業〜音読で〜私が噛んでも誰もリアクションを起こしてはくれない〜ららら〜漢字を読み間違えると〜密かにザワつく〜るるーるー」
ヘンテコな歌だが、耳に残る。
きっと、朝比奈さんは自分の居場所を知らせるために歌っているのだ。じゃなきゃこんな歌、普通歌わない。
なんだよ、この歌詞。切な過ぎる。
俺は声のする方へ。
ただひたすら声のする方へと駆ける。
そして──
「でた! 出ました! 悪魔です! 悪魔が来ました!」
いきなりの悪魔呼ばわりには些か面食らったが、朝比奈さんを発見。
よかった。無事だったらしい。
「まさか本当に呼び出せるとはな、でやんす」
仮面をつけたネズミ顔の男が感心したように言う。多分彼は、赤服三太。赤服三兄弟の末っ子だ。
「両手を上げて人質を解放しろ!てください!」
俺の中の陰キャが勝手に下手に出る。
こんなときくらい、堂々としていたいものだけれど、喧嘩のひとつもまともにした事のない俺が、10人を越える大人たちを相手取って強気でいられる理由なんてひとつもない。
こちらの様子を伺うだけで、特に動きの見られないここちむのファン達の間を抜けて、俺は朝比奈さんの元へと向かう。
「大丈夫? 朝比奈さん。迎えに来たよ」
「はい。大丈夫です……」
俺は、怯えるように俯く朝比奈さんの肩をぽんぽんと叩いて元気づける。
彼女はこんな所に女の子ひとりで拉致監禁されていたのだ。耐え難い恐怖だっただろう。
「さっさと帰ろう。ここは俺たちのいるべき場所じゃないよ」
監禁された理由はわからないが、縄が解かれているのを見る限り、朝比奈さんへの扱いは、そこまで酷くなかったのだろう。
朝比奈さんの手を引き出口を目指す。
彼女には、まだやるべき事がある。
「朝比奈さん、今から病院に行って怪我をしてないか見てもらった方が──」
いや、ダメか。
今、病院に行けば、そこには二重さんと、そのファンがいる。
それもまた、イベントのひとつだが、非力な朝比奈さんが、ナイフを持った男を相手に対峙して、二重さんを守り切れるのだろうか。──否だ。
もし可能なのだとしても、朝比奈さんをそんな危険に晒す訳にはいかない。
ここは大人しく、警察を頼るべき場面だ。
未来がわかればゲーム通りの対応をする必要はない。
「おい悪魔、考えごと中悪いでやんすが、お前をここから出す訳にはいかないでやんす」
赤服三太が声を上げ、その他のファン達が俺の行く手を遮る。
なるほど、どうやら朝比奈さんは、俺をおびき寄せるための囮だったらしい。
でなければ、朝比奈さんも無傷ではいられなかっただろう。
俺がここに呼ばれる理由は──心当たりが多すぎるなあ。
仕方ない。
「朝比奈さんは先にここを出て」
ここは俺に任せて先に行け。
「で、でも……!」
俺を気遣ってくれているのだろう。
こんな状況でも、彼女は主人公だ。
瞳には恐怖の色が浮かび、足は震えているものの、彼女は逃げる素振りを見せない。
「秋梔くん、あの、私も……」
「大丈夫だよ。すぐに追いつくから」
俺は強ばる口許を無理やり動かし微笑むと、朝比奈さんの背を押して、無理やり走らせる。
朝比奈さん、できれば警察を呼んで欲しいです。
俺は、遠ざかる背中に一抹の願いを込めて、二重さんのファン達の方へと向き直る。
「へぇ〜、かっこいいじゃないでやんすか」
「あ、ありがとうございます」
「褒めてなどいないッ! 貴様はそうやって、我らから愛する人を奪ったのでやんすな!」
その言葉を皮切りに、周囲のファン達からも怒号が飛んでくる。
彼らの大事な「ここちむ」を奪った怒りは、まるで狂気のようにすら感じるが、それもまた、ひとつの愛の形なのだろうか。
「悪いけど、俺は忙しいんだ。さっさと終わらさせてもらうよ」
二重さんの命が掛かっている以上、こんなところで遊んでいる暇はない。
今はただ最善を尽くすのみだ。
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