誤解は怖い
激動の一日。
始まりの合図は愛萌の言葉だった。
朝、学校に登校すると、机の上に腰掛けていた愛萌が問いつめるように言った。
「な、夏芽……お前、二重と付き合ってたのか?」
「え?」
「噂になってるぞ。特にファンクラブの方は大荒れだ」
いや、俺だってびっくりだ。
友達すらまともに作れない俺に恋人?
「はははっ!」
冗談もほどほどにして欲しい。
俺なんかに恋人ができるわけないじゃないか!
俺なんかに、恋人が……ぐすん。
「つーか、お前、彼女いたなら言えよな! 良かったのかよ、あたしとこの前二人で出掛けたのだって、見ようによっては……その、デートだと思われてもおかしくないだろ?」
「デート? あはは! 何言ってるの? どう見ても、クラスメイトとのお出掛けでしょ? って! 痛い痛い痛い痛い痛い!」
なんで? なんで二の腕つねったの?
暴力反対だ!
「わかんねぇけど、なんかムカついた」
理不尽っ!?
俺は頬を膨らませる愛萌を睨みつけながら腕を摩る。アザになったらどうしよう。
そんなことを思っていると、いつの間にか、俺たちの前に巨漢のクラスメイトが立っていた。
「秋梔夏芽! 今の話聞かせて貰ったでごわす! 貴様、ココラ姫の彼氏でありながら、そこの女とデートをしたというのは本当だなッ!」
赤服黄熊
その名の通り、熊のように大きな体格で、ワイシャツの下には赤色のカラーシャツを着ている。
彼は二重心々良のファンで、二重が拾ってくれた消しゴムをペンダントにして常に持ち歩いているなかなかユニークな青年だ。
「あのね、赤服くん。実はその事なんだけど、誤解なんだよ。ファンクラブのみんなにも伝えてくれないかな」
「きっ、貴様ァァァ! 二重さんを裏切っただけでなく、言い訳をするつもりでごわすかァ!」
いや違うわ!
誤解っていうのは、二重さんと付き合ってるという方だ!
心中で強気に否定するが、「愛萌とは普通に遊んだだけです」と、口から出たのは情けない声だった。しかも敬語。
「そこの女とは遊びの関係だと言うでごわすかっ!」
「ま、間違いじゃないけど……」
間違いじゃないけど、言い方悪くない?
放課後、一緒に遊びに行ってくれる程度には仲の良いクラスメイトって言うのが、本当のところだ。
遊びの関係って言葉だと、やっぱ印象が悪い。
「愛萌もそう思うよね? どうせ俺が言っても信じてくれないし、愛萌の口からも言ってあげて」
なんか赤服くんの顔が怖いので、バトンタッチ。
愛萌はヤンキーなので赤服くんとも対等に渡り合える。
そう思っていたのだけれど、なんか愛萌の様子がおかしい。明らかに落胆しており、唇を尖らせている。
「あ、あたしは……あたしはちょっとショックだぞ?」
あ、あれ……?
仲良くなったと思っていたのは俺だけだったの?
嘘、それは俺もショックなんだけど。
「そうか、夏芽はあたしのおっぱいが目当てだったんだな……可愛いって言われて、嬉しかったのに、ぐすん」
「違うよ!」
そりゃあ、愛萌の胸はすごく魅力的だけれど、別にそれを目当てにした覚えはない。
可愛いと思うのだって本心だ。
「ほ、ほら、じゃあ、全部二重さんに聞けばいいよ!」
俺は教室内を見渡す。
えっと、二重さんはどこに……
「ココラ姫は今日、体調不良で欠席でごわす」
「なんでや」
思わず関西弁で突っ込んでしまった。
何故にこのタイミングで体調を崩す?
「胃腸炎って噂だぞ? それに昨日から休んでただろ? お前、彼氏なのに気づかなかったのかよ」
「……ねぇ、愛萌。俺、もうこの際誰に誤解されてもいいから、愛萌には信じて欲しいんだけど、本当に俺、付き合ってないんだよね」
俺……まだ女の子と手も繋いだ事ないんだぜ?
こんな恥ずかしいこと、告白できるはずもないけれど、それでも俺が二重さんと付き合っていないことだけは信じて欲しい。
赤服くんは「アイドルが胃腸炎になるはずない!」と騒いでいるけれど、もはや狂信者なので、二重さん本人の口から事実を語られない限りは誤解は解けないだろう。
「つうか、お前、ちゅぱちゅぱうるせぇな。さっきから何してんだよ?」
少し不機嫌気味の愛萌は八つ当たり半分で、赤服くんにキレる。
でもまあ、俺もうるさいと思ってた。
だって、さっきからずっと、哺乳瓶ちゅぱちゅぱしてるんだもん。
「これはココラ姫の親衛隊である騎士のみが飲むことのできる『ここちむ汁』という代物でごわす」
ここちむ汁──ゲームにも出てきたストレス回復のアイテムだ。
ここちむ汁なんて、頭のおかしい名前がついているものの、実際は薄めたハチミツドリンクだ。
どうやら赤服黄熊くんはこれの中毒者の様子。
哺乳瓶に入れたここちむ汁なるものをずっと啜っている。信者こわい。
「ファン垂涎のアイテムでごわす」
本当に涎を垂らしながら言われるとドン引きだ。控えめに言って気持ち悪い。
ちなみに、コンセプトとしては、甘いものが大好きなここちむの体液ということになっている。
桃娘みたいな?
「なあ、夏芽、あたしこの前ゴールデンタイムの番組で二重が歌ってるの見たけど、大丈夫なんだよな? ちゃんと健全なアイドルグループなんだよな?」
「た、多分……?」
正直自信が無い。
「ココラ姫と付き合っていないと言うのなら、二重極先輩のあの傷は何でごわすかっ!? 妹を守ろうとする兄上にも手を下したのではないのでごわすか!」
いや、何それ。
俺って何者なんだよ。
「おのれ! ココラ姫を穢そうとする悪魔め!」
あああ、掴まないで。
ううう、揺らさないで。
「お、俺は何もしてません」
「夏芽、お前悪魔だったのか。あたしもそうじゃないかって思ってた」
なんで今日の愛萌はこんなにも攻撃的なのかな?
一昨日はあんなに楽しそうにしてたのに。
俺が無理言って試着してもらったリボン付きのカチューシャ似合ってたなぁ。
「悪魔な夏芽。お前のあだ名は今日からアクメだな」
「絶対にやめてください」
だったらせめて、秋梔夏芽を訳してアク……いや、なんでもないです。
あだ名に憧れがないわけじゃあないけれど、初めてのあだ名はもう少しいい感じのにして欲しい。
「……こほん」
でも、そうか。
二重さん、今日はおやすみか。
これじゃあ、まるで──
「ああああっ!」
……まずい。まずいぞ!
「朝比奈さんって、もう学校来てる?」
「ん? いや、見てないぞ」
もうすぐ朝のホームルームが始まるというのに、朝比奈さんはまだ登校していない。
となると、やっぱりそうだ!
これ、【イベント】だ!
二重心々良は、いつも早いタイミングで下校する。校内のファンに家までつけられないためだとか何だとか言っていたけれど、今はそれはどうでもいい。
……一昨日、俺は愛萌ではなく朝比奈さんと遊ぶ予定だった。
しかし、朝比奈さんは用事を思い出してダッシュで帰宅。結果愛萌と出かけることになった。
ここで、重要なのが、朝比奈さんがダッシュで帰ったという点だ。
主人公と二重心々良の【イベント】の開始条件は、下校中、電車で会話をすること、だ。
もし、ダッシュで帰った先で、朝比奈さんと二重さんが会話する機会があったとしたら、それはもう【イベント】開始の合図に他ならない。
否。仮定ではなく、既にもう始まっているのだろう。
二重さんが昨日、学校を休んでいたのが証拠だ。
まずい、まずい、まずい!
このイベント、アイドルが関わっているだけあって、かなり難易度が高く、更に危険までついてくる。
このままでは朝比奈さんの身が危ない。
そして。
二重さんはファンに刺される可能性も。
俺は考える間もなく、教室から飛び出した。
いよいよ、本格的にイベントが始まりました。
朝比奈はどうなってしまっているのでしょうか!