名前は大事だよ。
ちょっと長めです
どうやら調子に乗ってる一年がいるらしい。
屋上で寝転んでいた男の耳に入ったのはそんな噂だった。
「そいつの名前は?」
「秋梔夏芽って言うんスけど……」
奇しくも、男にとって、その名は聞いたばかりの名だ。舎弟の情報によると、その秋梔夏芽という男はとんでもないクズ野郎だった。
入学式を無断欠席。
翌日、血塗れで登校してきたそいつは女子生徒を恫喝し、金銭を巻き上げただけでなく、強姦までしようとしたという。
そちらは未遂で終わったらしいが、更に翌日には別の女子生徒と揉めて、流血沙汰になったらしい。
全治一週間の怪我をさせ病院送りにした後、なんて事のないように遅刻登校したのだとか。
「俺の島で随分とやらかしてくれちゃってんじゃねぇか。高校デビューだかなんだか知らねぇが、誰がてっぺんなのか、教育してやらねぇとな」
男は立ち上がる。
2m近くある高身長と、鍛え抜かれた筋肉。
今にもボタンが弾けそうなシャツの袖を腕までまくり、肩に制服のブレザーを掛けている。
「極さん、行くんですか?」
「ああ、実はそいつには身内も世話になったみたいでな」
「身内って、もしかして──」
極と呼ばれた男は舎弟の言葉を聞く前に校舎内へと戻っていく。
「……待ってろ、秋梔夏芽!」
階段を下り、校舎の3階。
一年の教室へと向かう極の目の前を、帰りのホームルームを終えて教室を飛び出した男子生徒が横切った。
一年二組で、茶髪。高身長、しかも性格の悪そうな変態ヅラ。間違いない、こいつだ。
秋梔夏芽の外見と特徴がマッチした1年を見つけた大男は、自身のスキンヘッドを撫でる。
「ちょっとツラ貸しな」
一方の一一は未だに目の前の存在が信じられなかった。
「お前、最近調子乗ってるらしいじゃねぇか」
二重極。
この学園の三年生であり、この辺りでも名の知れた不良生徒である。
起こした暴力事件は数痴れず。
圧倒的な体格差から放たれる一撃は、相手の意識を一瞬で刈り取るという。
そんな男が自分に敵意を放っている。
一一はダラダラと汗を零した。
まっ、まさか!
秋梔の奴……二重先輩と繋がってたのか!?
「色々とクラスメイトにちょっかい出してるらしいじゃねぇか」
間違いない。
確実に秋梔夏芽と二重極は繋がっている。
ニノマエは確信した。
二重極はクラスメイトの二重心々良の兄である。
最近、彼女が秋梔夏芽と話しているのを見て、それをダシに連絡先の交換を迫っていたのだ。
以前、秋梔に絡まれていた朝比奈夜鶴に対して「困った時は相談に乗るよ」と言って連絡先を聞き出したことがある。
その手法に手応えを感じた一だったが、二重心々良には通じず、結果、連絡先の交換を少しだけ強引に迫っていたのだ。
それを考えれば、秋梔が二重極を嗾けてくるのも納得がいく。ニノマエは、もう二度も秋梔の邪魔をしているのだ。
「あ、あの、心々良さんの事は……」
どうにか許してもらおうと、謝罪の言葉を口にしようとするニノマエ。
しかし、それを許さないとばかりに、二重極は言葉を被せた。
「そうか。やはりあの話は本当だったようだな。妹も世話になったと聞いている」
「それは……」
絶妙に話が噛み合っているが、二人の間では大きな勘違いが起きていた。
そもそも、二重極が対面している目の前の男は一一であり、秋梔夏芽ではない。
二重極は秋梔夏芽が寄越してきたコーヒーを飲んで腹を下したという話を、昨日の放課後に妹から聞いていた。
妹がトイレに篭っていたお陰で少しばかりパンツを湿らせる結果となったのだから怒り心頭だ。
秋梔は妹に腹を壊させて、アイドルとしての道を立たせようとしたに違いないと、二重極は推測していた。
もちろんそれは見当違いなのだが、それが事実だったとしても目の前の男は無実だ。
何故なら、執拗いようだが、この男は秋梔夏芽ではないのだ。
「妹の邪魔をする奴は許せねぇ!」
「うぅっ……」
怒鳴る二重極をまえに、ニノマエの心に後悔の念が押し寄せた。
自分が、二重さんの何を邪魔したのか。
そんなの、考えなくてもわかる。
そうか。秋梔夏芽と二重心々良はきっと既に恋仲だったのだ。そしてその仲を邪魔してしまった(違うそうじゃない)
「成敗だ!」
吼える二重極はその岩のような大きな拳を振り抜いた。
罪なき者が──裁かれた。可哀想。
☆☆☆
事件翌日。
学園中に噂が広まった。
何でも、ここら地域一体の頭を張っている不良生徒と秋梔夏芽がやり合ったらしい。
当然俺はそんな事しないし、何も知らない。
クラスがざわめく中、席に着くと、一一が俺の元へやってきた。
左頬が大きく腫れており、左目の視界が半分埋まっている。
「あれ、一くん、どうしたの? 顔を怪我してるね」
「……お、お前……お前が告げ口したんだろ?」
告げ口? 一体なんの事だろう。
俺は秘密は守るし、秘密を話せる相手がまずいない。
「そもそも、告げ口がダメってことは、何かやましい事があったんじゃないの?」
「お、お前……」
「あ、無理して喋らない方がいいよ? 唇も怪我してるし、傷が開いたら大変だからね」
「この傷を見て言うことがそれかよ!? どう見てもやり過ぎだろうがっ!」
「あっ、傷口が開いちゃった。ほら、保健室に行こう。手当、手伝うよ?」
わなわなと震え出す一くん。
その顔に宿すは──怒りだ。
俺、またなんかやっちゃいましたかね。
「なんなら、俺がおんぶして連れて行くよ。身体だって痛めてると思うし。ああ、大丈夫! 俺の体は丈夫だよ?」
おんぶした状態で、階段だって降りられる。
「夏芽さまさまだ。夏だけにさまーってね」
「お前の体が丈夫なのは十分知っている!!」
俺の中の渾身の陽キャが、物の見事に無視された。
「お前だって昨日、二重先輩とやり合ったんだろ?」
「あー、あの噂ね。あれは嘘だよ。俺は何もされてない」
彼も秋梔夏芽と二重先輩がやり合ったって噂を聞いたに違い。噂を鵜呑みにするのはよくない。
暴力とか、俺は絶対反対だ。
痛いだけでいい事なんてひとつもないからね。
「だ、だが、二重先輩自身が秋梔夏芽とやり合った、と言っていたらしいぞ?」
「そうなの……? でも、俺はこの通りピンピンしてるでしょ?」
二重先輩がガセネタで武勇伝を語っちゃったというか、騙っちゃた可能性が高い。もしくは、俺と間違えて別の人とやり合ったとか? いや、前者はともかく後者はないか。滑稽過ぎるし、被害者も可哀想過ぎる。
「確かにお前は無傷のようだな。お前にとっては二重先輩ですら敵じゃねぇって事か。……って、いや、待て。こいつと二重先輩が繋がってるなら、どうしてこいつがやり合うことになった?」
そうだよ。普通に考えておかしいよね。
俺、昨日は真っ直ぐおうちに帰りました。
まあ、一昨日はリア充してましたけどね。
愛萌と放課後寄り道しました。
放課後! 寄り道! しました!
ただ、今の話の流れから察するに、ニノマエくんは十中八九、その二重先輩という人に暴力を振るわれたに違いない。
「二重先輩め! 俺のクラスメイトになんて事を! いくらなんでもやり過ぎだ! こんなにかっこいい一くんの顔に傷跡まで残しやがって!」
怒りつつ、好感度を上げに行く。
媚びを売るのは得意だ。
「……そういう事か。証拠が残らないよう腹を殴るのが鉄則だが、二重先輩はそれをせずに俺の顔を殴った。だから、お前は二重先輩に躾をした。そういう事だな?」
「え? ごめん、よく聞こえなかった」
何かをぶつぶつ言い出した一くん。
もっと大きな声で言ってくれないと。
俺は完全に置いてけぼりだが、やがて何かを確信したような顔で、一くんがこちらを見てきたので、俺は無実を主張する。
三崎先生は「言わなくてもわかってもらえるなんて思うな」と言っていた。
ならば俺は、できる限り言葉を尽くすのみだ。
「とにかく、俺は何もしてないよ。俺が少しも関与していないところで、一くんと二重先輩は揉めたんだ」
「お前があくまでしらを切るつもりならそれでいい。けど、秋梔。二重先輩のあの額の傷、一体何をした? 明らかに刃物で付けられたものだったぞ?」
「え、いや、なんの事?」
「お前ッ、とぼけんなよッ!? 俺が昨日先輩に会った時はあんな傷なかった! お前しかいねぇだろ! 二重先輩にあれだけの事をして、報復が怖くねえのかよ!」
震える手で俺の二の腕を掴んでくる一くん。
ポツポツと、飛んできた唾が机を濡らす。
「だから、俺は何もしてないって。信じられないなら二重先輩? に直接聞いてくればいいよ」
そもそも、二重先輩なんて人と遭遇すらしてない。 誰ですかそれ。
変に悪評判を広めるのはやめて欲しい。
「……悪魔だ。二重先輩にあれだけの傷を追わせて、口封じまでしたってのか……」
床に座り込んだ一くんがまたブツブツ言っている。
いやいや、そもそも、顔を殴ると証拠が残るから、と指示した人間が、どうして躾で相手の顔を刃物で傷付けるというのだ。
少し考えればわかるだろうに。アホなのかな。
「とにかく、俺はもうお前には関わらない。だからもう、お前も俺に関わらないでくれ!」
それは懇願にも似ていた。
「え……友達にはなれない?」
「なれるかっ!」
あーあ嫌われた。
「二重さんの事も悪かったな。彼女にも謝っとく」
二重さんに何かしたの?
「なんだか、よくわからないなぁ」
次の日、俺と二重心々良が付き合っているという噂が流れた。