誰かの誕生日、それは誰かの命日。
──ぎゅるぎゅるぎゅる〜
アイドルはトイレに行かない。
ましてや(自称)学年一の美少女が、お腹を壊してトイレに籠るなんてあり得ない。
こんなこと、あってはならない。
「ここらー、あんたまだトイレ入ってるの?」
「うっ、うるさい。お母さん、お薬持ってきて……」
「こーらー。女の子がそんな言葉遣いしちゃダメよ?」
「分かったからっ!」
絶対あいつのせいだ……。
二重心々良はトイレで蹲り、とあるクラスメイトの顔を思い浮かべていた。
秋梔夏芽。入学以来何度も問題を引き起こしている不良生徒だ。
「あれ、腐ってたんじゃないの?」
思えば、お腹の調子が悪くなったのは、夏芽の持っていたコーヒーを飲んだ辺りからだ。
ボリボリと、掻きむしるように頭を掻く。
艶のある桃色の髪が何本か指に絡みついてブチブチと音を立てた。
二重にとって、夏芽はいい餌食だった。
ほとんどの時間を独りで過ごす日陰者。
彼はクラスメイトから距離を置かれているが、決して孤独を好んでいるわけではない、そんな事は二重の観察眼ですぐにわかった。
あとは優しい笑顔で語りかけてやればいい。
あの男は簡単にオチる……はずだったのだ。
「私がこうすることで喜ばない男はいなかった……」
正直、理解に苦しむ。
二重の経験則では、そろそろ夏芽が好意を向けてきてもいい頃合いだった。
会話していても、あの男はいつも楽しそうに頷いていたのだ。手応えはあった。
しかし、実際は腹を壊す結果に。
二重にとって、男を惚れさせるのは簡単な事だ。
そもそも、自ら行動せずとも大抵の男は彼女にそれなりの好意を持つ。
それを恋愛感情へと昇華させるのはまた別の話だが、アイドルとしてこれだけの成功を収めている時点で、二重の周囲への影響力は証明されているようなものだろう。
夏芽はクラスのカーストでは間違いなく底辺だ。
そんな彼に手を差し伸べる美少女。
構成は完璧だった。
他人から愛されるのは気持ちの良いことだ。
自分がアイドルという肩書きをもっている以上、仮に告白されることになっても断る口実がある。
惚れさせて、愛されて、やがてはそれも金へと変わる。
二重にとってアイドルは天職といってもいい。
そう思っていた。
なのにあの男は、あの男だけは一向に自分へと靡く気配がない。
──ぎゅるぎゅるぎゅる〜
「ああ、もう! お母さんまだ!?」
やり場のない腹痛への苛立ちを母親にぶつけつつ、余りを夏芽へと放る。
「つーか、なんでまるまる一缶残ってんだよ! 飲めねぇなら買うなよっ!」
イライラと自宅にいることも相まって、素の口調が零れた。
げしげしとトイレの扉を蹴りつけるが、下着のゴムが伸びることを危惧してすぐに止める。
トイレに篭もり始めてから40分経っている。
二重は下校途中の電車でお腹に違和感を感じてからダッシュで帰宅後、トイレへと駆け込んだ。
アイドルがトイレに行かないというのは、獣のようにどこでも撒き散らすという意味ではないのだ。
漏らすのだけは有り得ないと自分に言い聞かせ、どうにか家に辿り着いた次第。
冷たい汗と貧乏揺すり。
密室に籠る臭い。窓を開けたいがお腹が冷えそうで勇気が出ない。
「ん! 誰かトイレに入ってるのか?」
「あっちいって、兄貴!」
「お兄ちゃんも漏れそうなんだが!」
「コンビニ行ってしてきて! 後、温かいコーヒー買ってきて! 無糖ね!」
ムカつく、ムカつく、ムカつく。
もう何かを考えるのがムカつく。でも考えてないと、お腹の痛みに意識が向いてしまう。
二重にとってそれは、負のスパイラルだ。
「秋梔夏芽ぇぇっ!」
意識を逸らすように、夏芽の顔を想像する。
整った容姿、優しげな声。
時々見せる儚げな笑顔……。
クラスでは不当な扱いを受けているが、朝比奈や男虎との交流を経ている二重には、秋梔夏芽に隠されたスペックがわかる。
控えめに言っても、学年で3本の指に入る好物件だ。
そんな男を落とせたならば、自分の能力もいよいよ極まったと言える。
しかし彼は特別だった。彼だけは、特別だった。
決して友情以上の感情を夏芽は二重に対して向けてこないのだ。
まるで友情こそが、彼にとって最も大切な情だと言わんばかりである。
せっかく間接キスまでさせてやったのに、全然ドキドキしてる印象もなかった。
「もしかして、そういうの慣れてるわけ? ちょっと顔が良いからって……!」
足りないなら、もっとスキンシップを増やそうか。なんて、馬鹿げたことが頭をよぎる。
二重自身、無意識のうちに少し焦っていたのだ。
駆け引き──それ即ち勝負である。
少なくとも、二重にとってそれ等は同義だ。
今朝、二重は夏芽を遠足の班に誘った。
その時に夏芽が発した言葉に、不覚にも心高鳴ってしまったのだ。
それは彼女にとって、敗北を意味する。
二重はアイドルだ。
ときに愛を受け取り、ときに愛を与える。
しかし。恋はダメだ。
恋心は受け取れない。そして、与えられない。
あのときに二重が感じた胸の高鳴りは、恋に準ずるものである。
二重心々良にとって、秋梔夏芽は路傍の石でなくてはならない。
敗北は絶対に許されない。
「あれ……?」
先程のやり取りを振り返り、ひとつ疑問が生じた。
「あれって、間接キスって言うの?」
考えてみれば、夏芽は二重が口をつけてからは一切缶に触れていない。
当然だ。だって、相手の飲みかけた缶に口をつけたのは、自分の方なのだから。
「……。」
人差し指で、そっと唇に触れる。
二重はたしかに、この唇で間接的に夏芽の唇に触れたのだ。
「〜〜〜っ! んっ、もうっ! ムカつくッ!」
げしげしと、壁を蹴る二重心々良。
トイレで吼える女子高生の姿がそこにはあった。
これこそが、超人気アイドルの本性である。
その頃、夏芽は──
「はっくしょん。おっと、どうやら青春を謳歌している俺の噂をしている人がいるみたいだな」
「わかんねぇぞ? お前に恨みを持ってるやつかも」
「そんなわけないよ!」
「「わっはっはー」」
「よし、記念にプリクラでも撮ってみるか!」
「いいの!? ずっと憧れてたんだよね──」
男虎愛萌との放課後デートを存分に楽しんでいた。
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