浮気
朝のホームルームを終えて、授業が始まった。
高校一年生で習う勉強はひと通り抑えてあるので、基本的には全て復習となるのだけれど、ここであることに気付いた。
これ……中学生で習ったところだ。
当然、進〇ゼミでも習った。
どうやら、このゲームの世界感と俺のいた現実の世界観には時間差があるらしく、『トモ100』の舞台となる「平成」時代では、まだこの内容を高校生でやっていたみたいだ。
ちょっぴり退屈に思いながらも、ペンを走らせていると、チラチラと朝比奈さんがこちらを見ていることに気がついた。
……なんだろう。
俺はこっそり鼻に手をやって、鼻毛が出ていないか確認する。うん。多分平気。ズボンのチャックも閉まってる。
となると、なんだ? 寝癖かな?
朝比奈さんと「約束」をしてから、土日を挟んで計4日が経った。その間の会話はほとんどなく、朝のおはようくらいのものだった。
何か俺に用があるのかな。
横目で朝比奈さんを観察していると、紙切れを一枚差し出された。
机の下でこっそりと、周りの目がつかないように。
俺は四角く折られたそれを受け取り、紙を開く。
するとそこには『遠足の班決まりました?』の文字が、可愛らしい丸文字で綴られていた。
驚いて朝比奈さんの方に顔を向けるが、朝比奈さんは真面目な顔つきでノートを取っている。
俺の視線に気づいていないわけがないだろうけれど、しかしこちらを見るつもりはないようだ。
……なるほど、みんなにバレないようになら、話をしても問題ないという事か!
さては朝比奈さん、天才だな?
俺は『二重さんに誘われた』と書いて、机の下で手渡す。もちろん、視線は黒板に向けたままだ。
「……あっ」
朝比奈さんの手が俺の手を包むように触れ、思わず紙を落としてしまった。
とくんと心臓が高鳴る。
鎮まれ俺の童貞。
こんなことでいちいちドキドキして、情けなくないのか?
こんなんじゃ朝比奈さんに笑われちゃうよ。
必死に自制して、平然を装う。
恐る恐る視線を向けた先では、触れてしまった左手を胸に抱いた朝比奈さんが、顔を真っ赤にして俯いていた。どうやら朝比奈さんの方もかなり動揺しているらしい。
そう言えば朝比奈さんもこっち側の住人だった。
うんうん。恥ずかしいよね。
気持ち、すごい分かるよ。
やがて朝比奈さんはパタパタと顔を扇ぐと、床に落ちた紙を拾い──更に顔を赤くしてこっちを睨みつけてくる。
あれ? なんか怒ってない?
すぐさま紙が届く。
『よかったですね』
殴り書きだった。
そういう朝比奈さんは誰と一緒に行くんだろう。
俺はその旨を紙に書いて朝比奈さんに手渡し──瞬間粉々に破られた。
あれだ、まだ決まってなかったパターンだ。
そう思うと、さっき睨まれた理由がよくわかる。
……なんかごめん。
『私だって、ニノマエくんに誘ってもらいましたから!!!!!』
なんだ、ちゃんと一緒に行く人いるじゃん。
というか、ビックリマーク多いなあ。
人の心配をできるほど、俺自身に余裕はないけれど、それを聞いて安心する。
ちゃんと友達できてるんだね。俺と違って!
愛萌は……友達と言ってもいいのだろうか。
正直、陰キャと陽キャ、住む世界が違いすぎて、学校では話す機会があまりない。
俺が愛萌と話していると、彼女の取り巻きの女子たちが嫌そうな目で見てくるのだ。
『最近ニノマエくんと仲良いよね』
『はい。でもまだ返事をしてません』
『そうなの?』
『同じ班になりたかった人がいたんですけど、その人はもう別のグループに誘われちゃったみたいで』
『あー、それは残念だね』
なんて、やり取りを繰り返しているうちに、やがて授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
もちろん、休み時間だからといって俺と朝比奈さんが会話をすることはないし、目も合わない。
少し寂しい気もするけれど、この距離感が、今は互いのためだ。
そう思っていたのに、放課後になって、俺は朝比奈さんに度肝を抜かれた。
「へ、へい! そこの君、お茶してかない? ……なんちゃって」
いつも通り、下校のために校門をくぐったところで、後ろから声をかけてきたのは、大胆なイメチェンをした朝比奈さんだった。
ふたつに分けたお下げの三つ編みは解かれ、さらさらストレートへ。瓶底ぐるぐる伊達メガネも外している。
有り体に言って──
「めちゃくちゃ美人だ!」
いや、まじですか。なんかズルい!
「朝比奈さん、なかなかやるじゃあないか。不覚にもときめいてしまったぜ」
「朝比奈さん? だっ、誰かね、その人は」
あれ、しらを切るスタイルですか?
「私と秋梔くんは今日が初対面です。だからその、私が放課後遊びに誘っても、全然大丈夫です」
な、なるほど……。
変装して朝比奈夜鶴とは別人として接する作戦か。
やはり朝比奈さん、天才かもしれない!
しかも、朝比奈さんって意外と行動力あるよね。
さすがは主人公と言うべきだろうか。
内気なのは相変わらずだけれど、胆力はあるようで、俺が思う以上に勇敢な性格なのかもしれない。
意外とユニークな性格だし。
すべったら、なんちゃってで誤魔化そうとするところがまた愛らしい。
あれ、待てよ?
というか、待ってくれ。
俺、今遊びに行こうって誘われなかった?
誘われたよね? 誘われた!
よっしゃあ!
天に拳を振り上げガッツポーズ!
行くよ! 死んでも行くよ!
今この瞬間にインフルエンザに掛かっても行く!
「なにやってんだ? 夏芽」
「え?」
振り返ると、そこにはクラスメイトの男虎愛萌が立っていた。
あの日以来、しばらくは松葉杖の生活を強いられていた彼女だけれど、どうやら今日はもう普通に歩いていいらしい。
「探したぞ? お前帰んの早すぎだろ」
「そうかな。それで、どうしたの? 青春を全力で謳歌している俺になんの用かな?」
「お、おう……。実は今日から普通に歩いていいことになってな。リハビリついでに、夏芽と少し遊んで帰ろうかと思ってさ! お詫びも兼ねて、飯くらいなら奢るぞ?」
な、なんて、魅力的な提案なんだ!
朝比奈さんの誘いがなかったら瞬間飛び付く内容だ。しかし、愛萌には悪いけれど、俺には予定が入っている。
全く、放課後に二人から遊びに誘われちゃうなんて、人気者はツラいぜ。
まさか俺が遊びの誘いを断る立場に置かれるなんて、なんて贅沢なんだろう。
「ごめん、愛萌。実は今日、俺は──」
「う、うわあ! そう言えば今日、お母さんのお手伝いがあるんだったなあー、急いで帰らなきゃだー」
「え?」
「あでぃおす! なんちゃって!」
朝比奈さんは過去一大きな声を上げると、走って消えていった。
「……夏芽、誰なんだ? あの残念美人は」
あー。
なんて説明するべきだろうか。
「もしかして、あたし邪魔しちゃったか?」
「いや、ちょうど良かったよ。本当はさっきの子と遊ぶはずだったんだけど、他に予定があったみたいだし」
「いや、今の奴明らかにあたしを見て去ってったんだが?」
「愛萌の顔を見てやることがあるって思い出したんじゃないかな?」
「……お前もう少し言葉の裏を読む努力をしろよ」
あたしは空気を読めてなかったみたいだけど、と呟いて愛萌は再度、俺に放課後の誘いを持ちかけてきた。
もちろん、断る理由はない。
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