伝統
ちょっと長いです。
文化祭一日目のお昼過ぎ。
メイド喫茶での店番の仕事が終わった俺は暗号の解読に勤しんでいた。
先程夜鶴に言い渡された『しっ、ししししご、ぉったらららら……っ、しゃあうらァ! ……っさい!』という暗号。まるでアニメの戦闘シーンを彷彿とさせるセリフだけれど、彼女の切実な表情を見てしまうと、ただのおふざけだったようには思えない。
そう、あれはまるで想い人に告白するアニメヒロインだ。もちろん夜鶴は俺に告白をしてきたわけじゃあないけれど、それくらい真剣だった。……と思う。
既に何処かへと走り去ってしまった夜鶴を探しながら、フラフラと廊下を行く。と、その時、階段を駆けるように降りてきた女の子とぶつかってしまう。
「いたたぁ。大丈夫ですか? って、君はさっきの!」
「あァ? ナンパですか? 男キモッ! 消えてください」
「ええぇ……」
その少女は午前中一緒に写真を撮ったカメラっ娘だった。あの時は、俺をお姉様と慕ってくれている風だったのに、メイド服姿をやめてクラスTシャツ姿となった俺に対しては唾棄するように言葉を吐いた。
態度違い過ぎるよ。普通に傷ついたぞ!
「というか貴方、私のスカートの中覗きましたよね?」
「えっ!? 見てないよ! 全然見てないよ!」
それはさすがに言い掛かりだよ!
確かにピンクの布は見えたような気がしたけれど、あれは見えてしまっただけで、覗いてはいない。不可抗力だ!
「抵抗しても無駄ですよ。私、この学校の風紀を守るために巡回しているお姉様と知り合いなんですから!」
多分それ俺のことですね。
「そうだ。こいつを突き出せばお姉様が褒めてくれるかも!」
やめてください。お姉様はとても困ります。
「あの、本当にごめんなさい。見逃してくれないかな?」
「イヤです」
「oh......」
目の前の少女はスマホを取り出すと、お姉様とやらにLlNEを送った。
当然、その通知は俺のスマホに来る。
──チュッキプリィwwwww
LlNEを開くと、そこには『変態に襲われました。助けてください泣』のメッセージが。
誰が変態だよ。どちらかというと、階段を走っていたこの子の方が悪いと思うんだけど。当たり屋か何かですか?
俺は何となくやけくそで『その人は変態じゃないよ』とメッセージを返す。
通知を受けた少女は、キョロキョロと周囲を見回してから、信じられないものを見るかのように俺と目を合わせた。
「嘘……。いや、そんなまさか……」
今度は電話がかかってくる。
『もしもし秋梔です』
『ど、どどどどういうことですか!? なんで貴方がお姉様のスマホを持ってるんですか!』
「いやあ、なんでって言うか。同一人物、みたいな?」
『う、ううう嘘です!』
「いや、本当だよ。俺のクラスは仕事中全員メイド服を着ることになってるんだ」
『そ、そんな……』
あ、膝から崩れ落ちた。
気の毒だけれど、俺も騙すつもりはなかったんだよ。
「えっと、ごめんね?」
「うぅぅ。まさかこんなに早く失恋するなんて……」
ふざけんなよ、なんだコイツ、有り得んわ、男だか女だかわかんない名前しやがって、とブツブツ文句を言っている。声量は小さなものだが、スマホの画面を通して鮮明に聞こえてきた。
『おい、なんか揉めてるぞ』
『ほら、あいつだろ。一年の秋梔。生徒会役員の癖にいつも問題を起こしてるって噂の』
『ああ、あいつかよ』
段々とギャラリーが集まってくる。
あまりにもワンパターンというか、お決まりの流れすぎて、もう慣れちゃったよ。
「とりあえず、場所を移さない? えっと、ジュース奢るよ」
「いえ結構です。消えてください」
「お菓子あげるから着いてきなよ」
「誘拐犯ですか、貴方は」
いや違うけどさ。
俺はスマホを操作して、未だに通話中となっている画面を閉じる。LlNEの登録名はTaiになっているのだけれど、これは本名なのだろうか。
「えっとタイちゃん? でいいのかな?」
「……? はい。そうですよ。纔ノ絛龘って言います」
「ん?」
纔ノ絛龘?
それって俺のクラスにいる男子生徒と同じ名前なんだけど。あそこまで特殊な名前の子と同姓同名なんてこと、普通あるだろうか。
さては偽名だな。
「もしかして、纔ノ絛くんとお友達なの? 実は俺もそうなんだよ」
「はい? 貴方何言ってるんですか? 纔ノ絛龘は私です」
それは見下げ果てるような目だった。
私って……じゃあ、本当に同姓同名なの?
そんなことってあるのだろうか。
「えっと、君は今高校生かな?」
「何言ってるんですか。ピチピチの中学一年生ですよ」
まじか。半年前までランドセル背負ってたのか。そうは見えないけど。こういってはいけないのかもしれないけれど、春花と比べても全然年上に見えてしまう。
「君は男の子だったりする?」
「……はあ。やっぱりさっきスカートの中見たんですね。そうですよ。私はこう見えて男です」
「…………。」
何故か聞いてはいけないことを聞いてしまったような気になる。本当にただの偶然なのだろうか。
俺のクラスにいる纔ノ絛龘くんとは一人称も見た目も違う。なのに同姓同名で、女性服を身にまとっている。二人の間にある大き過ぎる共通点。
クラスメイトの纔ノ絛くんも、恋愛対象は女性だと語っていた。お姉様の正体が男でショックを受けたのは、そういった理由だろう。
変な汗が出てくる。冷たくて、嫌な汗だ。
「君は──」
質問を重ねようとする声が震える。
この子のことをもっと知りたいと思う気持ちを上回る恐怖が、俺の声を遮る。
もしこの子の家が母子家庭だったら?
誕生日が同じだったら?
一致する可能性は十分に考えられる。
それはつまり、同じ設定の人間が、複数人存在することになる。そうなってしまえば自分が人間かどうかも怪しい。
この世界は一体なんだ?
この学園は。
この身体は。
この人生は。
誰のものなんだ?
「何怖い顔してるんですかー?」
「ああ、いや。何でもないよ」
「変なの。私行きますね。貴方に時間を使うよりも新しいお姉様との出会いを優先することにします」
クラスメイトの纔ノ絛くんよりも随分と積極的な纔ノ絛くんはそう言い残して去っていった。
少し頭を冷やそう。
彼の存在を知った今、俺の仮説がだいぶ現実味を帯びてきてしまったのだけれど、せっかくの文化祭で暗いことばかりを考えても仕方ない。
そのままの足で人気のない場所へと向かう。
どこもかしこも人で溢れているけれど、校舎裏には普段人が寄り付かない場所がある。先生の喫煙所と焼却炉くらいしかないので、喧騒をバックに黄昏れるのもいいかもしれない。
外廊下を進み、石畳の通路を抜ける。
進むごとに段々と人数は減り、ついには誰もいなくなった。俺と彼女以外。
「夜鶴?」
「あ、夏芽くん、来てくれたんですね!」
階段に腰掛けていた彼女は立ち上がってこちらへと小走りでやってくる。
「待ってました」
えへっとはにかむ夜鶴に思わずドキッとしてまう。
珍しく、夜鶴は三つ編みを解いており、メガネも外していた。いつもグルグルメガネをかけている彼女の瞳を見るのはかなり久しぶりだ。……なんだか慣れない。せめて普段から普通のメガネをかけてくれればいいのに。せっかくの美人さんが勿体ない。
あれ。でもそういえば俺、ここで待ち合わせる約束した覚えがないんだけど。そう口にしそうになったところで、あの暗号を思い出す。
『しっ、ししししご、ぉったらららら……っ、しゃあうらァ! ……っさい!』
これってもしかして『仕事終わったら校舎裏に来てください』ってことなのでは?
思い返してみれば、なんだかそう言っていたような気もしてくる。てことは……もしかして告白?
俺、今日夜鶴に告白されちゃうの!?
まじか。
さすがにこのシチュエーションともなれば、告白以外考えられない。
そっか。そっかあ……!
ついに俺にも恋人ができちゃうのかあ。
「そっかあーーーー!」
「……どうしたんですか?」
「ああ、いや、なんでもないです」
女の子に告白されるなんて、生まれて初めての経験過ぎてついつい浮かれてしまう。ダメだ。にやけちゃう。
「あの、夏芽くん──」
「ずっと前から貴方の事が好きでしたー! 私と付き合ってくださーい!」
「……ん?」
あれ。どういうことだろう。
その声は俺が思うよりも遠くから聞こえた。
というか、夜鶴の声じゃない。
「あっ、始まったみたいですね。実はこの学園では文化祭1日目に大切な友達に告白して、2日目は恋人として過ごすっていうイベントがあるらしいです。もちろん非公式ですが、今では伝統になってるみたいで」
「なるほど?」
つまり夜鶴もそのイベントに乗っかるつもりだな!
「あっ、あの……よければ、本当に、その、時間があればでいいんですけど、今からそれ、見に行きませんか? 多分何人か告白すると思うので」
「うん。いいよ。行く?」
「はいっ!」
花開くように笑顔を浮かべる夜鶴。
あれ、告白は?
もしかして俺の勘違い?
はっず……。
「どうしたんですか?」
「いや、非モテを拗らせた自分に嫌気がさしてました」
「そ、そんなことないですよ! 夏芽くんだって来年は! ……いや、再来年とかには、告白されるはずです!」
「あはは。ありがとう。そうだと嬉しいな」
「頑張ります!」
「夜鶴が頑張ってどうするのさ」
女の子紹介してくれるとか?
それはなんか嫌だな。
自分で頑張るよ。
「じゃ、じゃあ、行きましょうか!」
言い間違えたのが恥ずかしかったのか、頬を赤くした夜鶴に連れられ、告白会場へと向かった。
どうやら彼ら彼女らは、屋上の上から、下に向かって告白しているらしい。未成年〇主張みたい。道理て校舎裏まで声が届くわけだ。
「うおおおおぉぉぉ! 拙者は永遠にここちむを推すでごわすうぅぅぅぅぅ!」
「俺だってずっと大好きだぞ、春花あぁぁぁぁぁあ!」
なんか知ってる人も叫んでいた。
春花も二重さんもギャラリーの中にはいないのに、順番が終わるまでずっと叫んでいた。
彼らは恥ずかしくないのだろうか。
そう思う反面、自分の気持ちをさらけ出せる勇気を羨ましく思う。それは俺が持っていないものだから。
またひとり、またひとりと、告白は続く。
晴れて恋人となる者もいれば、叶わず涙する者や、仲違いした友人に謝罪の言葉を口にした生徒もいた。
確かに愛の告白だけが告白じゃないよね。
「あれ、男虎さんじゃないですか?」
「あ、本当だ」
夜鶴が視線を向けた方を見ると、そこには愛萌が突っ立っていた。視線に気づいたのか、こちらを見た愛萌が人混みを掻き分けてこちらへとやってくる。……というか、人の群れが愛萌を避けるように裂けたのだ。やっぱりヤンキーの貫禄があるよね。
「お疲れ。お前らはこんなところでデートか?」
愛萌にからかわれ、夜鶴が顔を赤くする。
今はメガネがないから、表情も隠せていない。
「にしてもお前、相変わらず可愛い顔してるよなあ」
俺以外では唯一夜鶴のメガネなしバージョンの顔を知っている愛萌が、感心したように感想を述べていた。
あんまりいじめないであげてよ。
「愛萌の方こそどうしたの? こういうの、興味ないと思ってたけど」
「あーなんつーか、ほらあいつだよ」
愛萌が指さす方──屋上には、ひとりの少年が経っていた。確か彼は……そう山川ってひとだ。山川大介。この前愛萌と買い物に行った時に絡んできた不良だ。
中学時代、愛萌に4回振られたらしい。
「もしかして愛萌……」
「まあ、そういうことなんじゃねぇの?」
彼女は言葉を濁すが、つまりは今から、愛萌はあの人に告白されるということだろう。
「お、おめでとうございます! 凄いですね、男虎さん」
夜鶴は小さくぱちぱちと拍手をしている。
そんな中、彼の告白が始まった。
「俺には好きな女がいる。中学時代、4回告白をして、4回振られた。そいつはいつも堂々としていて、かっこよくて、俺の憧れだった。だけど、最近、そいつの新しい一面を見ちまった。可愛く着飾り、彼氏の隣で笑うそいつは、俺がこれまで見てきたどんな姿とも違っていて、無性に腹が立った。──男ができて変わっちまったお前を、他人の影響を受けたお前を見て、正直、ガッカリした! ……そう思ってた。だけど! 話してみたらやっぱりお前はお前で、何も変わってなんかいなくて、多分その彼氏は、俺が知らなかったお前の一面を知っていて、背中を押してくれただけなんじゃないかって考えた。多分そうなんだろう! だから今、お前は素晴らしい恋人に恵まれて、きっと幸せなんだろう! けど! 俺は悔しいよ! めちゃくちゃ悔しい! だから! お前の彼氏をぶん殴ろうと思う! 完全に八つ当たりだが! それでも! ムカつくからぶん殴る! 後夜祭にて、柔道場で待つ! 以上だ!」
拍手喝采。
彼の告白が終わると同時に、ギャラリーがどっと湧いた。熱気が熱気を呼び、波紋のように広がっていく。
暴力はよくない。ぶん殴るとかよくない。だけど、以前俺が「ダサい」と斬り捨ててしまった彼はとても輝いて見えた。俺なんかよりもよっぽど勇敢だ。
そうか。俺はあんな人を指して、ダサいと言ったのか。
「はあー……」
深くため息を吐いた愛萌。なんだか疲れてるようにも見えた。どうやら彼は愛萌に告白するつもりはなかったようだ。いや、そんなことよりも。今の宣言を聞けば誰もが気になってしまうだろう。
同時に愛萌へと言葉を投げかけた、俺と夜鶴の声が重なる。
「「彼氏いたの?」んですか?」




