ケツ良いとか決意とか
「なんで断ったのよ。せっかく面白そうなことになりそうだったのに」
「そりゃあ当然だよ……」
「まったく。せっかく良いケツしてるんだから、使わなきゃ損じゃない」
「損じゃない!」
ブツブツと悪態を垂れ流す一二三さんと共に、教室を目指す。どうにか二重極先輩の誘いを断った俺は、早足でその場を離れ、次の巡回に向かった。その間は特に気になるようなトラブルもなく、平和そのもの。
見回り交代の時間を迎えることが出来た。
「そういえば、一二三さんはこの後店番の予定は入ってないの?」
「入ってないわよ。……なに? もしかして一緒に店を回りたいとでも言うつもりかしら? 答えはNOよ」
「いや。そんなつもりないけどね。俺は店番あるし」
「そう」
一二三さんの素っ気ない返事を聞いてから、教室に入る。中はかなり賑わっていて、他のクラスや学年の生徒はもちろんのこと、校外から来た人たちもたくさんいる。
理事長と話す三崎先生はとても恥ずかしそうで、エプロンの端を握る手にはかなり強い力が入っていた。
「おう夏芽、交代か?」
「あ、愛萌だ。お疲れ様! いいじゃん。似合ってるよ」
「うっせ」
可愛い服にはかなりの抵抗を示していた愛萌も、いくらかは慣れた様子で、給仕をしていた。
いつも通りスカート丈は長くて脚の露出はないけれど、それもまたいい!
「写真撮ってもいい?」
「お前が一緒に写るならいい」
「是非!」
文化祭で友達と一緒に写真とか、青春っぽい!
俺は教室を見回して、写真を撮ってくれる人を探す。みんな何かしら仕事をしているのでできれば手が空いてそうな人がいいんだけど……あ、いた。
俺は教室の隅でオロオロしている女子生徒に声を掛け、こちらに呼ぶ。
「ごめんね、夜鶴。写真撮ってくれないかな?」
「えっ、私とですか!? そんな、ちょっと、照れますね」
「あー、いや、えっと」
勘違いした夜鶴が嬉しそうな笑みを浮かべる。
気持ちは分かるよ。写真撮ろうって言われるとすごい嬉しいよね。
「3人で撮ればいいだろ」
「そうだね」
俺はスマホを起動してカメラを表示する。
「今どき無加工なんだな」
「え?」
「ふつーは、なんかしらのフィルターを使うもんだろ? そっちの方が写りもいいしよ」
「そうなの?」
もちろん俺だって、そういうフィルターがあること自体は知っている。写真を撮ると、綺麗に写るよう加工してくれるやつだ。プリクラみたいなやつ!
「夜鶴はそういうアプリみたいなの入ってる?」
「いえ、ごめんなさい。そういうのはちょっと疎くて」
「だよね。愛萌は?」
「あたしは……まあ、一応入ってるけど……」
「おお! じゃあ、愛萌にお願いしよっかな」
さすが陽キャだ。
きっと日頃から写真を撮る機会は多いのだろう。前世でも、クラスメイトが「JKは写真と共にある」って言ってたしね。たまたま聞いただけだけど。
こういうのは得意な人にやってもらった方がいいね。撮影係は愛萌に任せた方が良さそうだ。
「じゃあ撮るぞ」
愛萌が腕を伸ばし、そちらへと顔を向ける。
これが斜め45°というやつか。
画面に写る3人のメイドさんたち。真ん中に写る1番背の高いメイドさんは……これ、本当に俺ですか?
なんかもう普通に女の子にしか見えない。
加工ってすごい……。
「ん。まあ、いいんじゃねぇの?」
「よかった。あとで送ってね」
「あの、私にもお願いします」
「ああ」
それだけ言うと、愛萌も夜鶴も仕事へと戻っていった。さて、俺も働かなくちゃな。
お昼になればますます人は増えるだろう。
よーし忙しくなるぞー!
☆☆☆
文化祭とは高校生活を彩る大イベントだ。
この思い出は煌びやかな記憶として、青春の1ページに刻まれるだろう。……多くのものにとっては。
だが朝比奈夜鶴は知っていた。文化祭を楽しむためには人間関係が大きく関わってくることを。
もちろん1人で楽しむことのできる人間もいるだろう。今、このクラスのメイド喫茶に来店している客の中にも、ひとりの者はいる。
けれど、それは本人の気質によるだろう。少なくとも朝比奈夜鶴には、誰かと楽しみたい、という思いがあった。そして、もし叶うのであれば、彼と一緒に、学校を周ってみたい、と。
今もメイド服姿で仕事をする想い人を目で追う。
日頃からカフェでアルバイトをしていることもあって、その動きには華があった。
「あっ、写真撮ってる……」
上級生の女子生徒に囲まれた彼は、ぎこちない笑みを浮かべながら写真に納まる。
彼はどこか人との関わりを苦手としている──私と同じ景色が見えている、そう感じることも多々ある。それでも彼の隣にはいつも人がいて、殻に閉じこもってばかりの自分とは全然違っていた。
──私はいつも誰かが手を引いてくれることを待ってばかり。
人に期待してばかりで、自分から行動しようとはしない。ヤドカリだって、自分の殻は自分で見つけるというのに。
本当は今日だって、彼を、秋梔夏芽を誘って、文化祭を周る予定だった。
けれど明日誘おう、明日誘おう、と日を伸ばしている間に、当日を迎えてしまった。
「せめて夏芽くんが1人になってくれれば……」
そしたら声を掛けるくらいはできるかもしれない。
うまく誘えなくても、もしかしたら誘ってくれるかもしれない。なんて、この場に及んでも情けない気持ちが湧き出してくる。
前回、勇気を出して遊びに誘おうとしたときは、先約がいて断られた。挙句に、タピオカの割引券だけ取られたのだ。あのときの傷は大きい。
けれど、今日ばかりは引くわけにはいかないのだ。
夜鶴は昔と比べて人と関わる機会が増えた。そして、人間関係の中で生まれる人の感情も、少しずつ理解できるよになってきた。
かつては、二重によって、夏芽への好意を否定されるようなことを言われたこともある。しかし、夏休みや文化祭を通して成長した夜鶴は、ちゃんと自分の感情と向き合うことができるようになった。
彼女は秋梔夏芽ラブだ。
ちゃんとラブである。依存気味だったあの頃の気持ちと比べると、やや気持ち悪い面も顔を出し始めたが、それでもちゃんとラブである。
だからこそ──想う。
渡せない。他の誰にも。
今日、ここで行動しなければ、自分と彼の距離は縮まらない。ゼロ? いや、マイナスだ。
何故なら秋梔夏芽と親しくなりたい人間は、自分ひとりではないからだ。二重はもとより、最近では転校生の安藤ロイ子がやたらと付きまとっている。
負けたくないのなら、泣きたくないのなら、今日ここで踏み出さなければならない。
臆することなかれ。
俯くことなかれ。
ただ正直に。ただ真っ直ぐに。
己が心に従え。
夜鶴はめいいっぱいに域を吸い込む。
今日この場が、この瞬間が、彼女の門出。
夜鶴は大きく一歩を踏み出した。




