よくない家族
「あっという間に時間が溶けていくなあ」
夜、ベッドの上に座りながら、しみじみと思う。
文化祭まであと数週間。当日に向けて生徒会でも色々と動いているし、土日も含めて毎日が忙しい。
毎日忙しい……けど、多分これが青春ってやつなんだろうな。この忙しさが、とても楽しいのだから。
「お兄ちゃん頭やってー」
「んー」
目の前に座った冬実々の頭をドライヤーで乾かしながら、明日の予定を整理する。
ついに明日、バンドで歌う曲の楽譜が届くのだ。
1ヶ月で5曲も作曲するって、尋常じゃない負担だったはずだ。さすがに1人で書いたわけじゃないだろうけど。こんな難題を引き受けてくれるなんて、その人いったい何者なのだろう。
「ねえ、お兄ちゃん。文化祭行ってもいい?」
「だめー」
「んむう。ケチ!」
「ケチって言われてもなあ」
別に意地悪で来るなと言っているわけではないのだ。
俺の通う鈴音学園の文化祭は、水曜日と木曜日に行われる。ゴリゴリの平日。ほかの学校では普通に授業が行われているだろう。
「義務教育だからサボりで休んじゃダメ」
「えー、またそれー?」
秋梔家の教育方針というか、まあ俺個人の価値観なのだけれど、義務教育の間は余程のことがない限り、毎日学校に行くべきだと思っている。高校や大学のように、個人の自由で通っているわけではないのだから。もちろん、高校生や大学生になっても休むのはよくないと思うけどね。
「でも義務があるのは親で、子供にあるのは権利でしょ? そもそもお兄ちゃんは親ですらないし」
「おお。正しいことを言うね」
「でしょ? じゃあ、行ってもいいよね」
「ダメ」
「なんでよ!?」
「なんでも。ほら、終わったよ。トリートメントしてきなさい」
ドライヤーを片付けてしっしと追いやる。
今の話を聞いたら、きっと春花もごねるだろう。
今は風呂に入っているので聞こえていないと思うけれど、出てきたあとがちょっと不安だ。
「冬実々アイス食べる? コンビニで買ってくるよ」
「お兄ちゃんアルバイトするようになってから、ちょくちょく物で釣ろうとするよね?」
「ギクッ」
バレてる!
「ななな、なんのことかな? 兄貴が可愛い妹のためにお金を使うのに、理由なんて必要ないんだろ?」
「…………。お兄ちゃんは汚い大人になっちゃったよ」
そんな切なそうな顔で言わないで欲しい。
アイス買ってあげるって言っただけなのに。
「はあ。大人ってみんなそう。すぐお金に頼るんだから。今では愛情表現でさえもお金だもんなあ。昔はお金なんてなくても、ちゃんと伝えてくれたのに。ほんと、時の流れってのは残酷よね」
「なんで過去に色々あった陰の多い良い女風なことを?」
バーに居そう。カクテル飲んでそう。
めちゃくちゃ発色の良い口紅してそう。
「ふっ。ときの流れって残酷よね」
二回言った。何故か二回言った。
「でも、だったら冬実々は俺に何をして欲しいの?」
「そうだね、世間一般的な愛情表現としては……添い寝とか?」
「添い寝?」
それがいったいどうして愛情表現になるのだろう。
恋人相手なら、まだ分かるよ。でもそれって家族の愛情表現じゃないよね?
確かに大型犬と添い寝する赤ちゃんの映像とか見てるとホッコリするけどさ。
「でも、毎日同じベッドで寝てるじゃんか」
今更じゃない?
シングルベッドで、押し合い圧し合い、戦いながら毎日寝ている。愛情表現というより戦争だよ。
もしかしたらこの子にとっては争いこそが愛情表現とでも言うのだろうか。幾度となく拳を合わせることで、そこに絆が生まれる──ってテレビで見たことがあるよ。
「…………じゃあ、プロレスごっこする?」
「え? ちょっ、本気? 私たち兄妹なんだよ?」
びくり、と驚いたように跳ねる冬実々。
否定的にも聞こえるけれど、多分乗り気な時の反応だね、これ。
想定外の提案だったのかもしれないが、よく見るとその顔は赤く染まっている。闘志で血が滾っているのだろう。冬実々って結構武闘派だからね。悪く言えば暴力的である。
「兄妹だと何か問題でも? もしかして日頃蹴りやパンチを放ってくる冬実々さんが、体格差を言い訳にここで引くつもりじゃあないよね?」
確かに兄と妹じゃあ、力関係が釣り合っていない。
俺の方がいくらか有利だ。でも不利だからって理由で逃げるんじゃ、俺はがっかりしちゃうよ?
「武闘家だからこそ、体格差が気になるの! それに、お兄ちゃんのは、すごく大きいし」
「確かに大きい方だけど、もっと大きい人もいるよ?」
確か秋梔夏芽の設定身長は177cmだったはずだ。クラスで一番背の高い赤服黄熊くんは180cmを優に超えている。圧が違うよ、圧が。
「他の人のなんて、どうでもいいけど……。お兄ちゃんは本気、ってことでいいんだよね?」
「もちろんだよ。それを冬実々が望むならね」
冬実々はたぶん手加減できる相手じゃない。
やるからには俺だって本気だよ。
ラリアットからの筋肉バ○ターで瞬殺してやるぜ!
「じゃあ……しよっか。だいしゅきホールドとか、首絞めとか、してもいい?」
「大手器ホールド? 何それ、絞め技?」
というか首絞めまでしてくるつもりなの?
お兄ちゃんのこと殺しにかかってない?
まさか冬実々がここまで本気だったなんて……。ちょっと怖くなってきた。やっぱりやめようかな。
「……まあ、そんな感じ。じゃあ、早速、えっと……どうしよっか」
うーん。
「じゃあ、よーいドンで始める?」
「よーいドン!? それはさすがにムードがないよ!」
吠える妹。
確かによーいドンじゃイマイチ盛り上がらないか。
プロレスごっことはいえ、神聖な格闘技。生半可は許さないということだろう。
「わかった。じゃあ、ロ○キーのテーマにしよう。サビに入ったら開始でいい?」
それなら盛り上がるよきっと。
そう思ったのだけれど、冬実々は更に怒る。
「お兄ちゃんサイテー」
「ええ……」
「ほんと、そういうところだよね。ヘタレっていうか、意気地無しっていうか。そういう煮え切らないところほんとーによくないと思う!」
「…………。」
わかんない。冬実々の求めているものがまるで分からない。
「いいよ。私からいくから」
そう言って、冬実々は俺をベッドに押し倒した。
力はほとんど入っておらず、その拘束は簡単に解けてしまいそうなものだ。
もしかして手加減されてる?
本気でやると言っておいて、今更手加減だなんて。
ここは兄としての威厳を見せなきゃならない!
俺は冬実々の身体を起こして素早く背後に回り込む。
「いくぜ大手器ホールド!」
一撃でキメる!
「お兄ちゃ……。それ、だいしゅきホールドじゃない、チョークスリーパー…………あっ、……逝く……」
パタリと倒れる冬実々。
「勝った? よし、勝ったぜ! ……あれ、なんで勝ったの?」
おかしい。まだ気道は締めてないはずなのに気絶してる。妙に幸せそうな顔で気絶している妹の頬をつついてみるが、「ふみぃ〜」というだけで特に反応はない。呼吸も安定してるし、多分大丈夫だろう。
「お兄何してるの?」
そこに下の妹である春花がやってくる。
風呂上がりのようだが、珍しく自分で髪の毛を乾かしたみたいだ。
「今冬実々とプロレスごっこをしてたんだ。もちろん俺が勝ったよ!」
「それでお姉ちゃんは悦に入った顔をしたまま半裸で気絶してるんだ……」
悦に入るっていう言い方するとまるで冬実々がMみたいだけど、どうなんだろう。あながち間違ってないのかな。普段はちょっと暴力的だけど、Sって感じでもないしね。
俺は胸もとまでめくれた冬実々のシャツを直す。
就寝前ということもあってブラジャーはつけていない。
「妹の健康的な下乳を見ると元気になるぜ」
「やめて。俺は妹の裸を見て元気になったりしないよ」
まるで俺の心の中を代弁したような言い草だが、全然そんなことない。妹じゃなかったら元気になってたかもしれないけど、冬実々は血の繋がった妹だ。可愛いけど妹だ。
「お姉ちゃんは満足したみたいだし、今日はハナとふたりで寝よ?」
ベッドに上がってきた春花はグイグイと姉の腹を押すようにして、床へと蹴り落した。
まるでカッコウの托卵を見てしまったような寂しさを感じるが、床に落ちても尚冬実々はだらしなくも幸せそうな顔をしていたので、とりあえず布団をかけてそのままにする。
「ハナもプロレスごっこしたいかも。まあ、よわよわのお兄じゃ1分も持たないかもしれないけどね♡」
「……? いや、今日はもう寝るよ」
「えー! なんでよ! お兄だってハナとシタいでしょ? お姉ちゃんだけズルいよお〜! おい、起きろ! さっさと起きろ! この単発男♡ よわよわ単発男♡」
「また今度ね」
単発男ってなに?
初めて聞いた言葉なんだけど……。
「ケチー。サイテー。贔屓だあ」
「はいはい」
やかましい妹を宥め、横になる。
「ほらおいで、明日も朝練あるんでしょ?」
「むー」
そんなこんなで就寝。
今日は冬実々が床で寝ているはずなのに、何故かいつも以上に窮屈なまま眠ることになったのだった。




