ステージの上で
俺はどちらかというと努力家だと思う。
前世では母親の期待に応えるために頑張るしかなかったし、そんな気質は今でも変わらない。
けれど、実際には物事に取り組むにあたって前向きな気持ちがあるかといえばそうではないと思う。
やっぱり辛いものは辛いし、面倒なものは面倒。
ダリィって思うことだってたくさんある。
それでも俺が努力を続けられたのは、できないことに対する不安からだろう。失敗は怖い。失敗は──痛い。
だから、俺にとって挑戦とはかっこいい意味ではなく、己との戦いなのだ。自分の弱さとの戦い。
ずっとそうだった。でも。
「こんなに前向きに頑張れるのは初めてかもしれない」
文化祭へ向けての準備。
その中で柏卯てつ子ちゃんとイリュージョンの練習をしている俺は、手応えを感じていた。
「見て。これをこーすると、ほら一瞬でルービックキューブが揃った! すごいでしょー!」
「フッ。なかなかやるではないか。しかし、そんな小手先の技など私の魔術に比べれば児戯に等しい」
「でも、柏卯さんはまだ魔法が使えないんでしょ?」
「そうだな。あの火事の後遺症でどうやら我の魔力はすべて散ってしまったらしい。だがこれしきのことで諦める我ではない。当日までには必ず魔力を復活させてみせよう」
厨二病の柏卯さんは魔力を取り戻すのに必死でぜんぜんイリュージョンの練習をしていない。
ずっと瞑想してたり、ブツブツ喋ってたりしている。
これ、本番大丈夫なの?
柏卯さんは厨二病であって魔法使いではない。
感情が強く揺れ動くと不幸なことが起きる体質らしく、実際に俺は彼女の身に不幸が訪れるところを何度か見ている。というか、ビルの火災ではもろに巻き込まれたわけで、信じられないような話ではあるけれど、ゲームの世界であるこを思うと信じてしまうような特性である。
「魔力が戻らなかったときのためにちゃんと練習しておいた方がいいんじゃない?」
というか、魔力が戻らなければ不幸体質も卒業できていいんじゃないかな。
「ふむ……。それもそうですね。ちょっとはやっておきましょうか」
急に素になった柏卯さんはカバンをガサゴソと漁ると、ハットをひとつ取りだした。
「見ててください、秋梔さん。だりだりだららららら〜ポンッ!」
ステッキでハットを叩くとモクモク煙が立ち始めた。
そして「ポンッ!」の合図と共に帽子からはインコが飛び出してきた。
「うわ、ハトじゃない!」
ハトじゃなかった!
「私の眷属2号です。プテラノドンM III 挨拶して!」
「私プーちゃん。はちみつ大好きー」
「おお。すごい! 会話もできるんだ!」
名前負け感が半端ないけど、これはすごい。
「文脈に特定のキーワードを入れると、話を続けてくれるんです。今回は『挨拶』ってワードに反応しています」
「私プーちゃん。はちみつ大好きー」
なるほど。
言葉の意味自体はさすがに分からないようだ。
今再び柏卯さんが『挨拶』というワードを口にしたことで、反応したプーちゃんが二度目の自己紹介をしてくれた。
「俺は『秋梔』夏芽だよ。よろしくね」
「私の盟友。生涯のパートナー! 運命共同体!」
「……? ありがとう」
この鳥さん距離の詰め方が凄いな。
いきなり生涯のパートナーになっちゃったよ。
あれ、でもインコに言葉を教えてるのって柏卯さんだよね。つまりこれは柏卯さんの発言でもあるのだ。
もしかして彼女、家でもこんな感じなの……?
インコの前でも厨二病なの……?
柏卯さんの方を見ると、少し居心地が悪そうにしながらこちらの様子を伺っていた。さすがにちょっと恥ずかしいのかな。
「あの、すみません。用事を思い出したので帰ってもいいですか?」
「え、そうなの?」
なんだ、せっかくプーちゃんにも会えたのに。
「また会おうね、プーちゃん」
「いえ。この子と会うことは二度とありません」
「……なんでさ」
「そ、それではさようなら!」
「あっ、ちょっ!」
止める間もなく去ってしまった。
廊下を駆ける柏卯さんは、相変わらず足が遅い。
☆☆☆
「なるほど。それで予定よりも早く家に来たというわけね」
「まあそんな感じ」
今日は皇さんの家庭教師の日──ではないが、文化祭の出し物で行うヴァイオリンの合わせの為に彼女の家に訪れていた。
「というか、ヴァイオリンの演奏の話なんて聞いてなかったんだけど」
「ちゃんと言ったわよ。貴方が聴き逃していただけでしょう? 私が悪いみたいな言い方しないでちょうだい」
なんだろうなあ。
そこまで悪びれない態度で言われてしまうと、俺の方が悪いんじゃないかと思うけれど、でも絶対言ってないと思うんだよ。
「本当に言った? というかいつ言った?」
「モスキート音で言ったのよ。ホームルーム中だったから先生に聞こえないような周波数でね」
「なるほど。確かに10代の子供にしか聞こえない周波数で話せば先生に私語がバレずに済むよね。って! わかるか!」
これには堪らず俺もツッコミを入れてしまった。
しかもノリツッコミ。もしかしたら人生初かもしれない。
「何よ。だったらどんな声で言って欲しかったのよ。叫び声? 喘ぎ声?」
「普通でいいよ。普通がいいよ!」
「普通は無理よ」
「なんでさ」
「恥ずかしいじゃない」
「…………。」
それはつまり俺をヴァイオリンに誘う照れ隠しのため、シラフではないテンションで誘おうとして失敗したって認識でいいですか?
「確かに俺も友達が少なくて、誰かを誘うことが、死ぬほどの勇気が必要なことだってのは分かってるけど、ちゃんと言ってくれなきゃ伝わらないよ」
「別に私、『貴方に伝えた』なんて一言も言ってないわよ。伝わったにしろ、伝わってないにしろ、『言った』ことには変わらないでしょう? 貴方は『言ってない』ことに怒ったようだけれど、その点で言えば私は悪くないわ。むしろ不当に責めたことを謝って欲しいわね」
まさかこの流れで俺が謝らされることになるとは!
なんて恐ろしいんだ、この子。
かなりの暴論だが、理屈はギリ通っている。
さすがは皇妃。まるで頓智の効く王族貴族のようだ。
しかも、彼女のこの語彙力を育てた責任の半分が自分にあるというのだから洒落にならない。
いや待てよ。
「俺は皇さんがちゃんと伝えてくれなかったことにも怒ってる」
「そう。それに関しては私に責任があるわね。ごめんなさい」
「全然悪びれてない……だと!?」
このメンタルがあるなら、普通に誘ってくれても良さそうなのに。
「……まあいいや。それよりヴァイオリンの話をしようか。まず1点、俺ヴァイオリン持ってないんだけど」
「……? どういうこと?」
「ヴァイオリンを買う金がうちにはないってことだよ」
「でも貴方、この前弾いたときちゃんと弾けていたじゃない。あんなにも美しい音が出せる人間、そうそういないわよ。日頃から触れているのではないの?」
皇さんが俺をヴァイオリンの演奏に誘ってくれたのは、以前お勉強の休憩中にねだられて披露したことがあったからだ。あのときは珍しく、皇さんが本音で褒めてくれたから、よく覚えてる。
……逆に言うとあのときしか褒められてないだけどね。
「いや、全然だよ。もう何年も触れてないよ。あ、この前弾いたときを除いてね」
ヴァイオリンは前世の俺が唯一続けられた習い事だった。
母は俺に色々な経験をさせるため、ある程度基礎ができたものは直ぐに辞めさせた。だから様々な分野に精通しながらも、極めることができなかった。
そんな俺が、どうしても続けたいと、わがままを言ったのがヴァイオリンだった。
前世の俺、水無月透の唯一の特技にして、好きだったもの。
初めて自分の指が紡ぎ出した音に触れたときのあの感動は、今でも忘れない。
まあ、残念ながら、秋梔夏芽の身体では、当時ほど繊細は音は奏でられなかったのだけれど。
「…………。貴方プロは目指さないの?」
「いやいや。無理だよ。世界ってのは広いんだから」
ちょっと人より上手いからって、誰でもプロになれるわけじゃない。世の中そんなに甘くない。上には上がいるよ。
「コンクールとか出たことないの?」
「あんまないかな。あーいうのに参加すると丸一日潰れちゃうからね」
「…………そう」
「でも、皇さんも上手だよね。悠雅っていうか、気品があるよ」
「そう、ありがとう。確かに基本に忠実な貴方とはちょっと違ったセンスで弾いてる自覚はあるわ。──だからこそ、貴方と合わせてみたいのよ」
「なるほどね。確かにそういうのも楽しそう」
だが肝心のヴァイオリンがない。




