ギャップ
俺が前世を振り返った時、最も苦い思い出だった行事といえば、恐らく文化祭だろう。準備期間は、クラスメイトの指示に従うだけのロボットに成り下がっていたし、当日だって自由に構内の散策をする時間を持て余し、逃げるように図書室へと向かい、受験勉強に取り組んでいたのだから。
我ながら酷い。酷くて、虚しい。
けれど、第二の人生を歩み、波乱万丈とも言っていい一学期を越えた俺は、人間的にも少しは成長したといえるだろう。こんな俺でも「文化祭が楽しみだ」と言える程度には、成長できた。行事に対して前向きな気持ちを持つことができるというのは、俺にとって大きな成果だ。
「俺は成長したんだ。成長したはずなんだよ!」
「あーはいはい。そうだな。お前の英語力には感服したよ」
愛萌が心底どうでも良さそうに、ぱちぱちと拍手する。その表情に、その所作に、俺を称える気持ちは一切ない。
それも仕方のないことだろう。
二学期始業式。生徒会代表の言葉を、緊張のあまり全文英語で話してしまったのだから。
「凄いとか以前にムカつくぜ。3年の先輩なんかはお前のこと、イキリ野郎って呼んでたからな」
「うぅ……。また俺の知らないところで目を付けられてる……」
ただでさえ二重さんのお兄さんの件で印象が悪いのにこれ以上評判が落ちたら生きて行けなくなっちゃうよ。
「愛萌、助けて」
「あ? 自業自得だろ」
愛萌に冷たくあしらわれて、半べその俺。
今日は厄日だ。そもそも、俺が生徒会に所属しているのが間違いだし、人前に立たせるのも間違い、何もかもが間違いだ。
俺は悪くないと思う!
「おーい。お前ら席つけー。チャイムなったぞー」
愛萌にダラダラと愚痴を零していると、担任の三崎先生が教室に入ってきた。
相変わらず大きな足音を立てて、ドカドカと教卓の前に立つ。
「はーい。静かに〜。今日は転校生を紹介するぞー。入ってこーい」
「「「!!!!!」」」
先生のその言葉に教室中がざわめく。
珍しいことに、俺自身もその言葉に興味津々だった。ゲーム『トモ100』には何人かの転校生キャラが存在する。遠足で出会った君垣來というラスボスの少年を始め、一定の条件ごとに新たなメンバーが加入する。
この時期の転校生として考えられるのは、2人だが、可能性としてはあの子の方が高いだろう。
ゲーム『トモ100』において、唯一人外のアンドロイド女子にして、俺の最推しキャラ──
「初めまして。今日から1年B組に所属となった安藤ロイ子です。よろしくニャン」
くるりと一回転して、にゃーんとポーズを決める女子生徒。長い緑色の髪に機械仕掛けの耳。されど表情は無。
「「「……。」」」
「……返事がない。ただの屍のようだ」
「「「…………。」」」
「コアの温度上昇を確認。羞恥心と仮定。先生、メンテナンスのため、今日はお家に帰ります」
クラスメイトを置き去りにした一人芝居で教室を出ていこうとする安藤ロイ子。みんながポカーンとしている中で、先生に腕を掴まれた安藤さんが再び教卓の前に立たされる。されど表情は無!
『おいおい大丈夫か、あの子……』
『キャラ作りに必死なんだろ?』
『いや、でもあれはないだろ、あれは……』
どうやら彼女の自己紹介は不評だったらしい。
俺なんて推しが目の前にいることに、もはや興奮を隠せていないのに!
本当はもっと考えなきゃいけないことがあるのに、胸のトキメキが抑えきれない!
でも、だって、推しだもん。
可愛い。ちょー好き。
好きだああああああああぁぁぁと、叫びたい。
『なんか秋梔のやつキレてね?』
『うわほんとだ。さっそく目付けたのかな』
違うんです。
今気を抜いたら口元がにやけてしまうんです。
俺は深く深呼吸をして思考を巡らせる。
実際、喜んでいる場合ではないのだ。
安藤ロイ子が転校してくる条件は2通り。
ひとつは、主人公が順調にクラスメイトの攻略を重ね、一定以上友達が増えてきたとき。
もうひとつは、主人公が行き詰まり補佐が必要だと判断されたとき。
今回の安藤ロイ子の自己紹介は分岐イベントとなっており、彼女の自己紹介が滑ったということは後者の理由で転校してきたということになる。
つまり、朝比奈さんの『トモ100』攻略が、滞っている。
しかも、それは多分俺のせいだ。
纔ノ絛くんの件はともかくとしても、本来は主人公である夜鶴が解決するべき問題をいくつか俺が解決したことで、友好度の上昇を妨げてしまった。
特に柏卯さんの件は大きなダメージになっていて、夜鶴が柏卯さんと話しているところなんて、ほとんど見たことがない。例えあったとしても、1回や2回くらいのことで、少なくとも彼女達の間に友情と呼べるものは育まれていない。
「……うーん」
「眉間のシワを確認。対象の人物が思考中であると仮定。声をかけて心配します。──どしたん? 話聞こか?」
「うわっ!?」
ニュルりと顔を覗き込まれて、つい反射的に椅子を引いてしまう。目の前に立った安藤さんは無表情のままじーっとこちらを見つめている。
「どしたん? 話聞こか?」
……2回言った。
「安藤ロイ子です」
「あ、秋梔夏芽だよ。よろしく」
「秋梔夏芽……。認識完了。目的の人物と断定。卒業適正皆無。サポート対象に指定」
「……え?」
サポート対象ってなんだ?
彼女の役割は、主人公が円滑に友達作りを進められるよう手伝うことだ。他の一生徒の卒業適正? をサポートするためではない。
瞬きもせずに、じーっとこちらを見つめる安藤さん。こうして推しが自分の目の前にいることは、とっても嬉しくて感動的なことのはずなのに、何故か冷や汗をかいてしまう。
「人格再設定。20代後半女性をトレース。三崎希姫を模倣します。──完了しました」
「あ?」
遠くの方で三崎先生が眉毛を釣り上げてこちらを見ている。人格のトレースをされたということは、思考や嗜好、その他諸々を彼女がコピーしてしまったということだ。恐ろしい。
「あの、そういうのはやめた方が良いと思うよ」
「あ? どうしてだ?」
喋り方まで先生みたいになってる!
「先生に迷惑だし、何より個性を捨てるのはもったいないよ。あと、もう少し優しく話しかけてくれると嬉しい……です」
「んーもう〜。だーりんがそう言うならデフォルトでいくね〜。だーりんが言うから戻すんだからね〜」
「なにその頭の悪そうな話し方!」
「今のは、三崎希姫が恋人と会話している場合をトレースしたものです。何か不都合でも?」
安藤さんの言葉に、全員の視線が三崎先生の方へと向く。
「……悪いかよ」
か、可愛い……。
この日、三崎先生の評判がかなり上がったことは言うまでもないだろう。




