君の物語
「何だろう、これ……」
大きくもなく、小さくもない封筒。
中身は恐らく紙の束で、かなり分厚い。
俺はそれを夜鶴から受け取ると、スマホのライトで照らしてみた。
封筒の端に文字が見える。どうやらそれはペンで書かれたものらしく、少し字が潰れていた。
「……なんか書いてあるね」
よく見ると、それは名前だった。
纔ノ絛鑾様
纔ノ絛龘様
画数が多くて合っているかどうかはわからないけれど、おそらくはそう書いてあるのだと思う。
「誰の名前だろう」
纔ノ絛龘くんと並んでいることから、鑾という名前は彼の家族に当たる方の可能性が高い。
「とっても画数の多い名前ですね」
「一一くんの何倍だろう」
現在、ニノマエくんは、病院に通っているそうだけれど、二学期からは登校してくるのだろうか。彼が来なければ、誰も溢れることなく、夜鶴と友達100人でフジ山に登れるんだけどなあ。
ついついゲスい考えが浮かんでしまう。
夜鶴とは、仲良くなれた気がしているけれど、それがもしも勘違いだったら、俺だけがフジ山に登れない可能性も出てくるのだ。それだけは絶対にイヤ。ぜーったいに嫌だ。
だからといって、俺のことどう思ってる? なんてことを訊いて「えっ、なんとも思ってませんけど。もしかして告白ですか? うわ、陰キャキモ〜」とか言われたら立ち直れないわけで。
臆病な俺は、とりあえずニノマエくんが復活しないことを小さく祈っていたりするのだ。我ながら、器が小さい限りである。そして最低。
「この手紙、どうしますか?」
「えっと……どうしよう」
夜鶴の言う通り、まずはこの手紙をどうするかが先だ。
正直、ストーカーが落とした物なんて気味が悪い。手紙に盗聴器が仕掛けられていたり、届けることでGPSにより家の場所が分かってしまったり。
そんなデメリットばかり浮かぶけれど、もしこれが本当に大切な手紙だったとしたら、それを勝手に処分するわけにはいかない。
とりあえず俺は、封筒を潰すようにして触り、GPS等の発信機が入っていないかどうか確かめる。
この時代のものならば、どんなに小さくても手で触れるサイズはあるはずだ。
隅々まで丁寧に弄るも、どうやらそういった類のものは入っていない。
「……。一応纔ノ絛くんに電話してみるよ」
俺が電話をかけると、彼とは直ぐに繋がった。
どうやら俺たちのことを気にかけてくれていたようで、スマホの前でスタンバってくれていたようだ。
手紙については、受け取りたいとのこと。
ストーカー相手の特定や、事情が分かるかもしれない。そんな期待からの返事だった。ちなみに、纔ノ絛鑾とは母親の名前らしい。
「じゃあ、今から届けに行くね。まだ近くにいるから」
こうして、俺は纔ノ絛くんの家に手紙を届け、夜鶴を家まで送ると、何事もなく家に帰った。
そう。何事もなく、だ。
これにはむしろ、俺の方が驚いてしまったけれど。
秋梔夏芽の夏休みを巡る不思議なお話は、ここで幕を閉じたのである。
手紙を読んだという纔ノ絛くんから「明日からはひとりで帰れる」との連絡をもらい、それっきり。
お盆どころか、夏休み中、一度も彼と会うことはなかった。
あの日以来、ストーカーが姿を現すこともなく、纔ノ絛くんも悩みから解放され、伸び伸びと勉強に向き合うことができるようになったらしい。
まさかあの一件に、こんなオチがつくなんて、意外も意外。不思議で不思議。危機が去ってくれたことは嬉しいが、何処か消化不良のようにも感じた。
とはいえ、夜鶴の家でのアルバイトや、愛萌との夏祭り、左近とプールに行ったりなど、充実した日々を過ごした俺は、人生で一番楽しかった夏休みを経て、すっかり満喫してしまった。
嘘も誇張もなく、人生で1番楽しかった夏休みだ。
俺の物語は終わった。
だからここから始まるのは、纔ノ絛くんの物語。
彼とストーカーを巡る物語の真相は彼の口から語られるべきだろう。
二学期初日、髪を短く切りそろえ、男子生徒用の制服に身を包んだ纔ノ絛くんと再会し、俺は夜鶴を交えてすべてを聞く。
ことの真実を。ことの発端を。
──10年前に遡る、彼の家庭の話と共に。
☆☆☆
結論から言えば、ストーカーの正体は、ボクの父親でした。血の繋がった、実の父親。
今はもう遠くにいる、ボクのお父さんだったのです。
10年前までは、ボクの家もごく有り触れた、普通の家族だったと思います。
それが変わってしまったのは、父と母が喧嘩をするようになってから。
原因が何だったのかまでは、ボクにも分かりません。けれど、ボクの前では仲良しな両親は、陰ではいつも言い争っているようでした。
子は鎹なんて言葉もありますが、ボクが保てたのはあくまで表面上だけ。
それからすぐに、両親は離婚をすることになりました。
ボクにそれを伝えたときの母が何処か安心したような顔だった一方で、悲しそうな、そして悔しそうな顔をした父を今でも覚えています。
離婚してすぐに、引っ越しをしたボクたちでしたが、父は連日母の元に訪れては話し合いを求めているようでした。
そんな父に煩わしさを感じたのでしょう。母に言われるがままこの街へと引っ越してきたボクと母は、親子二人で助け合いながら生きていくことになったのでした。
しかし、この街に来て以降、母の中で大きな変化が起きました。男であるボクを女の子のように育て始めたのです。
ランドセルは赤色、髪の毛は伸ばし、スカートを履かせる。母の求める少女の像に、ボクを染めました。
母は昔から娘が欲しいと言っていて、ボクに対しても「妹ができたらいいね」と、よく言っていました。
だから母は、男として生まれてきたボクを心のどこかで恨んでいるのではないかとか、代わりにボクを娘にしようとしているのではないかとか、そんなことを思っていました。
けれど母は、娘のように育てるボクを女の子という認識はしていなかったようで、性に対する束縛などはほとんどなく──人とは少し違いましたが、愛されて育った、と言えると思います。
だからきっと、母がボクに女の子のような格好をさせるのは、趣味のようなものなのだと、勝手に解釈して、気にせず、これまで生きてきたのです。
女の子の格好をしていることで、差別やイジメの対象になるようなことがあれば、きっとまた違ったのでしょう。でもこれまで会ってきた人たちも、そして目の前にいる秋梔さんや朝比奈さん達も、そんなボクを受け入れてくれました。
だからボクは人と違うことを気にするようなことはなくて、女の子のように生きる理由にすら目を向けたことはありませんでした。
しかし、物事には必ず理由と結果があるもので。
すべては必然であることをボクは知っています。今回の件もそう。ボクの女装。父のストーカー。それらはひとつの原点へ収束するのです。
「まあ、そういう訳で、この格好は、別に母親の趣味というわけではないらしいです」
「……うん」
ボクの言葉に、秋梔さんと朝比奈さんはよくわからないといった顔をします。実際、母の真意はボク自身も推し量れていない部分があります。
それを彼らにわかってもらうのも、やはり難しいのかもしれません。
「実は離婚の際に、親権で大きく揉めたみたいなんです。父親はボクを引き取りたいと、強く望んでいたようなのですが、結果として母に引き取られることになりました。──そして母は、父からボクを隠すために、この街へと引っ越して、女の子のような格好をさせるようになったみたいなんです」
「なんというか大胆だね」
そうですね。
普通はボクを父親から隠す為とはいえ、女装させて生活させるという考えには至らないと思います。
「――でも、これ、正しい対処だと思います」
「えーっ!? これって正しいの?」
朝比奈さんの言葉に、秋梔さんが目を丸くしました。
「魔除けとしては、そこまでマイナーな手法ってわけでもないですよ」
「魔除け……? それってお父さんのことを除けるってこと?」
秋梔さんはよく分からないといった顔をします。けれど、全ての事情を知ったボクからすれば、それはあまりにも的確な言葉でした。
「そういえば、朝比奈さんはボクの父親に会ったんだもんね」
「はい。私、昔から霊感は強いので」
そう言って、彼女は語ります。
今の父について。
「纔ノ絛くんのお父さんは、悪霊になりかけていました。彼自身には、纔ノ絛くんを傷つけるつもりはなかったはずです。しかし未練を残して彷徨う彼は、あまりにも負のオーラを溜め込み過ぎました。纔ノ絛くんが恐怖を感じたのも、気に当てられたからだと思います」
「ん? えっと、ちょっと待って。どういうこと? よく、理解できなかったんだけど」
「……実は、ボクの父親は既に亡くなっているそうなんです」
ちょうどこの地に引っ越してきた頃のことらしいです。実の父親が亡くなったことさえ隠されて、ボクは何も知らないまま今日まで生きてきてしまったわけですが。
「じゃ、じゃあ俺たちが見たのは……」
「簡単に言えば、父の霊かと」
その一言に、秋梔さんの顔が青ざめました。
どうやらあちこちで名を轟かせる秋梔さんにも怖いものはあるようです。
ボクだって、幽霊は怖いです。今回は父親が正体だったから、不思議に思う気持ちの方が強いのですけれど。
「ストーカーをされたのがお盆の時期だけだったことも、それで納得ですね」
「はい。お盆って8月半ばのイメージだったんでけど、旧盆や新盆──地域によって、色々と違うみたいですね」
「……俺、纔ノ絛くんのお父さんとは言えど、幽霊に話しかけたことになるのか」
ボソボソと、秋梔さんが言います。
どうやら彼は、幽霊の類が相当に苦手らしいですね。スポーツ万能、成績優秀、更には悪名名高い彼も、人間ではあるみたい。
「でも、手紙を受け取って以降は一度も会ってないんだよね? 何でもう現れなくなっちゃったんだろうね」
「確かに。それはボクも思いました」
跡をつけて手紙を渡すのではなく、正面から話しかけてくれれば良かったのに。
「それはきっと、纔ノ絛くんのお父さんの未練が手紙を渡せなかったことだからだと思います。霊の本質は──かなり単純なんです」
「夜鶴結構詳しいね。さすが悪魔召喚をするだけはある」
「あっ! 夏芽くん、それはちょっと……あの、あふぅ……」
顔を真っ赤にして俯いてしまう朝比奈さん。
どうやらボクの知らない何かが二人にはあるみたいです。あ、でもそういえば朝比奈さんは秋梔さんのことが好きなんだったっけ。一学期にそんな話をしていた気がします。
「それで、単純ってどういうことですか? ボクも気になります」
「あう、あの、はい。えっと、ですね。つまりは幽霊が海賊王になりたい〜って思っていても、幽霊になった原因の未練がお寿司を食べたいって想いならば、お寿司を食べた時点で成仏の基準は満たしてしまうんです。逆に言えば、その幽霊が海賊王になったとしても、お寿司を食べなければ成仏はできません」
「へ、へぇ〜。そんなルールがあるんだね。じゃあ、手紙を渡すことを未練としていた纔ノ絛くんのお父さんは、手紙が纔ノ絛くんの手に渡ったことで成仏してしまったってことなのかな?」
「そうですね。手紙を届けることが未練だったならば、ですけど」
信憑性はともかく、興味深いお話でした。
「手紙にはなんて書いてあったのか、聞いてもいい?」
「ああ……。手紙ですね。親権については諦めるって書いてありました。あとはボクや母に向けた言葉です。立派になるんだぞ、とか自由に生きなさいとか、母を困らせてはいけない、だとかそんな感じです」
「そっか。身を案じてくれたんだね」
「そうです。母と手紙を読んでからは、より一層支え合っていこうって思えました」
「良いお父さんだったんだね」
「そうですね。私はお父さんに会ったことがありませんから、そんな素敵なお父さんが、少し羨ましいです」
ボクはそんな2人の言葉に、苦笑いで返しました。そういえば、二人も父親がいないのだと、夏休み中に言っていました。思うことも、あるのでしょう。
「あの、確認なんですけど、お父さんは本当に成仏したと思いますか?」
「? はい。あの様子でしたら、間違いなくしたと思いますよ」
「そうですか」
ならひとまずは安心です。
──鑾、お前だけは絶対に許さない。
8枚あった手紙の最後。
殴り書きされたその手紙だけが──行き場を失い、今もポケットの中でくしゃくしゃに丸まっているのですから。
纔ノ絛龘くんのお話はおしまいです。
次回から新章文化祭編が始まります。




