ストーカーの落し物
本日2話目ですので、お読みでない方は前話からお願いします。
「あ、纔ノ絛くん!」
コンビニに着くと、纔ノ絛くんは駐車場のところで待っていた。暑そうに汗を拭う姿を見て、どうせならコンビニの中で待っていればいいのに、とも思ったのだけれど、自分だけが涼むわけにはいかないと、彼は言った。
そして有難いことに、俺と夜鶴に飲み物を1本ずつ奢ってくれたのだ。
「ありがとう。とても助かるよ」
纔ノ絛くんから受け取ったお茶を一口で3分の1程飲み干す。どうやら思っていた以上に、喉が乾いていたようだ。
「日が落ち切る前に帰ろうか」
黄昏時の空では遠くの方が暗くなり始めていて、もうすぐ夜が来る。
俺たちは早々に、纔ノ絛くんの家に向かうことにした。夜鶴がこうして合流したことに何かしらの運命のようなものを感じていた俺だったから、かなり気を張っていたのだけれど、幸いなことに不審者の影もなく、順調に進んでいく。
俺より一歩先を歩くふたりは、二学期に行われる文化祭に想いを馳せているようで、クラスの出し物について、色々なアイディアを出していた。
……文化祭かあ。
俺にとっては、あまり良い思い出のあるものではない。もちろん、イヤな思い出もなかった。
ただボッチの俺にとっては、仕事番以外の時間は退屈なもので、どうやって時間を潰そうか考えた挙句、図書館のソファで読書を行うという悲しい時間を過ごしたのだ。
「けど……仕事中は楽しかった、のかな」
3年生の頃は、喫茶店をクラスで開いた覚えがある。そのときはキッチン当番で、注文されたお菓子や飲み物を用意していたのだけれど、クラスメイトが取ってきた注文の品を用意する、そんな些細な事が、俺には何だか嬉しかった。
自分がクラスの一員であることをあの時だけは感じることができたから。
「……。拗らせてるなあ」
寂しかったんだろうな、俺は。
ひとりで生きるのは寂しかったんだ。
それを伝えられる友人をかつては作れなかったけれど、今はこうして新たな出会いに恵まれた。それを大切にしたいと、そう思う。
だから俺は──
「ダメですよ、夏芽くん。今はダメです」
「え?」
夜鶴は俺の瞳を覗き込んでそういうと、直ぐに振り向いてしまった。
集中力が疎かになっていたのは否めないが、夜鶴にはどうして俺の考えていることがわかったのだろうか。何となくそんなことを不思議に思いながらも、進んでいくと、纔ノ絛くんの家まで残り僅かという所で、怪しい気配が後ろからした。
「来たっぽいよ」
小声で伝えると、どうやら二人もそれを感じ取ったようで、肩に力が入ったのがわかった。
「どうする? 走る?」
既に纔ノ絛くんの家が特定されているかどうかは正直わからない。だけど、真っ直ぐ家に帰って場所がバレるのだけは避けなければならないだろう。
背後から感じる視線に、思わず振り向きたくなるが、そんな感情を押し殺して進む。
「角を曲がったら走ろう」
二人に告げて角を右に折れると、そのままダッシュで家の方へと走る。
「……って遅っ!?」
夜鶴も纔ノ絛くんもめちゃくちゃ足が遅い!
秋梔夏芽という人間の身体能力がかなり異常であるのを差し引いたとしても、二人の足はとてつもなく遅かった。
「私は、体力が、まだ、回復してないんです……」
「ボクは元から遅いんですぅ〜」
走るふたりに内心でヒヤヒヤしながらも、幾度となく角を折れて、若干の遠回りをしながら纔ノ絛くんの家へと帰る。
「……着いた?」
「そうだね」
幸いなことに、1つ目の角を曲がった時点で、あの視線を感じることはなくなったし、どうやらストーカーが追ってきた様子もない。
挨拶もそこそこに、押し込めるように纔ノ絛くんを玄関へと誘うと、俺と夜鶴もすぐにその場を離れた。
「今のストーカーかな? 絶対こっち見てたよね」
「そうですね。間違いないないと思います」
振り返っていないので、その姿は見えなかったけれど、何となく気配でこちらを見ていることはわかった。それがまだ近くにいるかもしれないと思うと、とても恐ろしい。
「できるだけ人通りの多い方を通って帰ろうか」
既に日は落ち、うっすらとコウモリが飛んでいるのが見える程度。街灯がなければ、隣にいる夜鶴の顔も、はっきりと認識することができない。
俺はストーカーと対峙し、そして退治するつもりでいたけれど、やはり怖いものは怖い。
心のどこかには、自分が狙われているわけではないが故の余裕みたいなものがあったけれど、纔ノ絛くんのように自分を目的としている自覚があったならば、恐ろしいどころの話じゃない。
きっと彼はたくさん怖い思いをしてきたのだろう。
「どうにかしてあげたいけど……」
もう一度、警察に掛け合った方がいいのだろうか。対処してくれるかはわからないけれど、やはり一介の男子高校生にできることなんて何もないように思えてしまった。
「あの人、私なら何とかできると思います」
「え? いや、ストーカーをするような人だよ。一体何をされるかもわからないし、危ないよ」
刃物を振り回す人間だって、本当にいるのだ。
怖い話だけど、本当に。
犯罪率の低い国だなんて、宛にならない。
狂人はどこにだっている。
「子供にできることなんて、たかが知れてるよ」
やはり一番は、大人に頼るべきなのだろう。
そんなことを思った。
だけど。
夜鶴は違ったみたいで。
ふいに、前方の電柱を指さして言った。
「見えますか、あそこ。あれ、人影ですよね」
街灯に照らされた電柱。
ここから50mくらいだろうか。
そこに不自然な形で伸びる影。
人の姿は見えない。
けれど影だけははっきりと、そこに映っていた。
「こっちを見てる……?」
どうやら電柱の後ろに隠れているようで、相手の姿は少しも見えない。にも関わらず、視線を感じるのだ。じぃっとこっちを凝視するような、視線を。
理屈はわからない。
けれど、本能が警告する。
あの人に近付くべきではない、と。
俺の本能というのは、基本的に人に怯えるようにできているので、正直頼りにはならないけれど、でもあの人が普通じゃあないことは、俺にもわかった。
「やっぱりさっきのあの人だったみたいですね」
夜鶴が言うと、ぐぐぐーっと、電柱の陰から、人がこちらに向かって顔を出した。
黄昏時──誰そ彼時。
顔は視認できないが、その背格好は確かに先程の男性とも一致しているように見える。
纔ノ絛くんはストーカーを男性だと言っていた。
ならば、先程は優しそうに笑っていた彼が、纔ノ絛くんのストーカーだったのだろうか。
そう思うと、心の底から凍てつくように、震えてしまった。
まるで裏切られたような、人の裏側を見てしまった衝撃のような、筆舌に尽くし難い恐怖が俺を襲う。
人は──怖い。
「行きましょう、夏芽くん」
夜鶴がストーカーに向かって駆ける。
すると、逃げるかのように影は宵闇へと吸い込まれていく。
夜鶴はあのストーカーを捕まえるつもりだ。
俺には彼女の行動が奇行にしか見えない。
かつてストーカーに立ち向かっていった二重さんもそうだ。何故、彼女たちは正しく恐れないのだろう。
俺だって、さっきまでは、ストーカーを捕まえようなんて、そんなことを考えていた。だけど何故、彼女はストーカーの恐怖を知ってなお、あれと関わろうと思えるのだろう。
俺はもう、今すぐにでも帰りたいのに。
「……。逃げられちゃいました。ぜはあー」
先程までストーカーがいた電柱の辺りまで走っていった夜鶴が、帰ってくる。
残念そうな顔を浮かべ、どこか不満そうだ。
しかし俺からすれば、何事もなかったことへの安心の方が強い。
結局俺は、また動けずにいた。
「ぜはあー。これ、見てください。ストーカーには逃げられちゃったんですけど、落し物を拾いました」
苦しそうにする夜鶴に手渡されたもの。
それは白い封筒だった。




