忘れ物
「そういや冬実々はさ、受験勉強の調子はどうなの? あと半年で高校生だよね」
春花を膝に乗せた俺は、チェス盤の向こう側に座る冬実々に問いかける。
これは別に揺さぶりとかではなく、単純な興味である。スポーツ少女としての印象が強い冬実々ではあるけれど、勉強の方はどうなのだろう。通知表、見せてくれなかったしなあ。
「まあお勉強はボチボチだよ」
「ボチボチねえ。行きたい学校とか、決まった?」
「んー。どうだろう。お兄ちゃんと同じ鈴音学園もいいなあって思ってるけど」
「ほほう。それはいいね。冬実々と学校に行くのも楽しそう」
「えーずるーい。ハナは行けないのにぃ〜」
春花と俺は年齢的に高校生活が被らないからなあ。こればっかりは仕方ない。大学生になれば一年間だけ被るけど、そもそも僕や春花にそんな選択肢があるのかどうかもわからない。
「……大学、行けんのかな」
今の俺たちの生活費は親戚が出してくれている。
本当に形だけの親戚というか、お盆に挨拶に行こうとしたら「来るな」と拒絶されてしまうような関係だが。
そんな方々に、いつまでも甘えている訳にもいかないだろう。さっさと自立して欲しいというのが、彼らの思いであるのは考えるまでもなくわかる。
僕が大学に行きたいといえば、当然生活費は継続して出してもらうことになるだろう。それを良しとしてくれる可能性は高くないと思う。
「うーん」
将来について、少し考える必要があるかもしれない。
正直、何かを学ぶ為に大学に行きたいというよりは、卒業するために大学に行きたいというのが本心だ。この時代は前世よりも学歴社会の傾向が強い為、それなりの会社に入社するとなれば、大学卒業は前提になってしまう。
「あーあ」
宝くじ当たんないかなあ。
まあ。買ってすらないものが当たるわけがないのだけれど。
「っと。チェックメイトだね」
俺は王を討ち取り、春花を膝から下ろして洗面所に向かう。
明日もまたバイトだ。歯を磨いてさっさと寝よう。
☆☆☆
「気合いの入り方がちょっと違くないですか?」
翌日のバイト終わり、早速纔ノ絛くんを迎えに行く俺に声をかけてきたのは夜鶴だった。今日は彼女もこの時間で上がり。
既にエプロンは外して手持ち扇風機で涼んでいる。
「違うって……なにが?」
「鹿撃ち帽と虫眼鏡って明らかに探偵を意識してますよね」
お、よくわかったね。
やはり根本的な解決が成されなければ、纔ノ絛くんに平和は訪れない。俺はこの夏休み中に、ストーカーの犯人と接触するつもりだ。ということで、今回は探偵衣装。何事にも形から入りたいタイプなので。
「あの、気を付けて下さいね。ただのストーカーならまだしも、誘拐犯とかになると本当に恐ろしいですから」
「気を付けるよ」
心配そうに見送ってくれた夜鶴に手を振り、店を出る。纔ノ絛くんとの待ち合わせ場所は駅近くの為、結構時間が掛かってしまうが、これも致し方ない。クラスメイトに何かがあるよりはマシだろう。
この世界がゲームに準じているのであれば、ストーカーの捕獲だって決して不可能ではないはずだ。
全てのイベントは攻略可能である。
「あ、秋梔くん!」
集合場所に着くと、纔ノ絛くんが控えめながらも声をかけてくれた。
「お待たせ!」
小走りで駆け寄り、纔ノ絛くんの隣に並ぶ。
彼の額には汗で髪の毛が張り付いていて、俺が言葉にした以上に、彼のことはお待たせしてしまっていたのかもしれない。
「えっと、じゃあ帰ろっか」
何を話していいかもわからず、早速歩きだす。
今日の纔ノ絛くんの私服は中性的な衣装で、こうして見ると、本当に女の子にしか見えない。少し登り坂になる道を往く彼の息遣いは荒く、やけに色っぽい。
口に出しては言わないが、どうしても俺と同じ性別であるとは考えられない。
骨格がそもそも違う。
成長期を迎えた男子が、こんな華奢で嫋やかな身体付きであるのには最早違和感の方が強い。
膝や喉仏などを見ても全く角張っていないし、声変わりだってしてないように感じる。
「纔ノ絛くんって家だとトイレ座ってする派?」
「え、いや、基本的には立ってします。そっちの方が健康に良いらしいんです」
「おー。そうなんだ。俺は座る派だなあ。どうしても掃除が億劫になっちゃうからね」
「飛びますもんね」
「飛ぶよねえ」
「……。」
「……。」
「…………。」
「…………。」
……ダメだ!
何話していいのかわかんない。
あまり深く考えずに一緒に帰るなんて言ってしまったけれど、雑談力のない俺にとってはかなりの難関かもしれない。この夏、俺は新たな進化を求められているのか!?
「あの、秋梔くん、改めてありがとうございます。正直、とっても助かってます」
「あー、うん。大丈夫大丈夫! 俺、足速いから最悪逃げられるしね」
「え、それってボクを置いていくってことですか?」
「あ、いや、違うよ? えっと。そうだ! 纔ノ絛くんを背負って逃げるんだよ!」
そう言えば纔ノ絛くんは足が早くないんだっけ。
忘れてた。一人で逃げる気満々だったぜ。
「戦わないんですか?」
「戦う? いやいや、そんなことしないよ。俺はこう見えて結構臆病なんだ」
結構というか、だいぶだ。
クラスメイトに話しかけることすらできない。
ましてやストーカーと戦うなんて、絶対嫌だ。
「でも、秋梔くんって喧嘩強いんですよね? あの二重極さんに勝ったって話もありますし、何より二重さんを刃物を持ったストーカーから守ったじゃないですか。それに火事場からほぼ無傷で生還する強靭な肉体まで──秋梔くんはゴリゴリの喧嘩師なんですよね」
「えぇ……。何そのヤバそうな奴」
「違うんですか?」
「いや違くない気もするけど、違うっていうか……っ!」
みっともなく、言い訳しようとする俺は背後から人の気配を感じ取った。
視線だ。──見られている。
「纔ノ絛くん、焦らず聞いてくれる?」
「は、はい」
とうとう現れたな、ストーカー。
気配を感じ、ミラーで後ろを確認したところ、後ろの電柱に人の影を確認した。間違いなくいる。
「いい? 振り返らずに聞いて欲しいんだけど、後ろの十字路の左端近くにある電柱の影に人が隠れてる。気付かれないようにゆっくりミラーで確認できるかな?」
息を飲み、恐る恐るミラーを確認する纔ノ絛くん。彼も俺と同様人影を見つけ、こくこくと頷く。
彼の体が僅かに身体が強ばるのを見ると、自然と握力に力が入った。
「あいつは俺が捕まえるから、次の道路で左に曲がったら、その瞬間全力で家まで走って欲しい」
「警察とかに連絡は……?」
「5分以内に俺から連絡がなかったらお願い」
「分かりました」
「じゃあ、できるだけ自然な感じで会話を続けようか」
俺たちはあくまでストーカーに気付いていない振りをしながら歩みを進める。ストーカーによる尾行は、背後を取られているが故に、不安や恐怖がより強く刻まれることになる。
敵に背を向けたままというのは、非常に恐ろしいことだ。やはり人間というのは、目の届かない方向に対しては無防備になりがちであり、対応も取れない。
平気そうな振りをしてはいるものこ、内心ではかなりビビり散らかしている俺。おしっこちびりそう。
「ここは俺に任せて先に行って!」
なんだかかっこいいことを言いながら、俺はくるりと振り返る。鈴音学園に与えられた百の試練。俺がまたひとつ、乗り越えてみせる!
ふうっ、と長く息を吐き気合を入れて立ち塞がる俺の前に、いよいよそいつは姿を表した。
チェックのシャツにジーパン。重そうなリュックを背負った女性だった。
「あ、どうも〜」
「……。ストーカーですよね?」
「え、あ、いや。そんなつもりじゃ」
手をブンブンと振って否定する女性。
ハンカチで額の汗を拭うと、ペットボトルに口を付け、ゴキュゴキュと勢いよく水を飲み始めた。
「……。」
暑そう……。
ストーカーも、この時期にやるのは楽じゃないんだろうなあ。なんて、陳腐な感想しか浮かばない。
「どうして後を付けて来たんですか? 彼は脅えてしましたよ」
「ほっ、本当に悪気はなかったんです! ただお店で声をかけ損ねてしまいまして……いやあ、面目ないで御座る」
しょんぼりと、項垂れる女性。
反省しているというよりは、本当に悪気がなく、想定外の事態に戸惑っているようにも見える。
「ああ、拙者、決して怪しいものじゃないで御座るよ。ここちむの近衛騎士である秋梔夏芽殿に惚れたただのファンで御座る」
「ファン? ……俺の?」
あれ。
あれれれれ。
もしかして!?
俺はてっきりこの人のことを纔ノ絛くんのストーカーだと思っていたけれど、それって勘違いだった?
赤服くんが『はにぃ♡たいむ』のここちむファンに、俺が朝比奈家の喫茶店で働いていることをリークしていたことは、以前から知っている。
お陰でここちむファンのお客さんがチラホラと店にやってきていることも知っている。
けどまさか!
何の変哲もない俺にファンがいたなんて!
この人の目当ては纔ノ絛くんではなく俺。
俺のことを追っていたということだ。
「お恥ずかしながら、ガチ恋勢で御座る」
……ガチ恋? って、何?
「ごっ、ごめんなさい。ちょっと待っててください!」
この人が纔ノ絛くんのストーカーでないとすれば、本物のストーカーがいるはずだ。
そして纔ノ絛くんは今一人。
ヤバい!
なんということだ。
俺が自ら纔ノ絛くんを引き剥がしてしまった。
急いで連絡しなくちゃ!
俺はカバンに手を突っ込み、中を漁る。
時は一刻を争う。
「……あれ、ないぞ」
やばい。喫茶店に忘れてきた。




