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第2話 あいは名前が欲しい。


「ってぇとその男は、本当に突然消えたのかい?」



 おばあさんはあいの話を聞くと、驚いて目を見開きました。



「うん。ちょっと余所見をしていたら……まださよならも言ってないのに」



「そうかい。消えちまったねぇ」おばあさんは何か心当たりがあるようでした。



「きっとおらと同じだな、その男は。駅に向かっただな」



 思いがけない答えに、あいの目が点になります。



「駅?なんで?」



「そりゃあ、駅に行く理由なんて、汽車に乗る以外はねぇだろ?きっと急いでいたんだ」



 おばあさんは、皺だらけの顔を更にしわくちゃにして笑いました。



「そいで、終点まで行くさね。山と谷を越えた、ずっとずっと向こうの方だ」



「なんでそんな事まで分かるの?」



「そりゃ、年の功って奴だ。おらもそっちに行くからよ」



 そう言って彼女はその細い手で、あいを優しく撫でるのでした。



 あいは、誰かに撫でられるのは久しぶりだったので、嬉しくなりました。



 きっとCも、あいと同じ気持ちだったのでしょう。



「んで、嬢ちゃん。アンタはこれから何処に行くんだ?」



「私はね、名前が欲しいの。どこに行ったら見つかるかしら」



「そりゃあ、どこ探しても見つからんよ。名前っちゅうのは人が付けるもんさ」



 おばあさんは白髪頭を掻いて、困った顔になりました。



 しかし、あいはお構いなしに、おばあさんにお願い事を言いました。



「ならおばあさん、私の名前付けてくれない?」



 Dはおもむろに首を横に振り、しゃがれた声でその願いを断りました。



「いんや、遠慮しておくよ。とっておきの名前はもう付けてしまってね」





        ◇





 結局、あいはおばあさんと一緒に、駅まで来てしまいました。



 どこに行けば名前が見つかるのか、誰が自分に名前を付けてくれるのか、見当も付かなかったからです。



 駅に着くと、そろそろおばあさんの乗る汽車が出発する時間でした。



 去り際、おばあさんはあいの手を握り、頭をもう一度撫でました。



「きっといい名前が見つかるさ」



「あれ?さっきは、名前なんてどこを探しても見つからないって、言ったじゃない」



「いんや、子どもに名前を付けない親なんて、どこにも居ない」



「どうして?」



「愛してるからに決まってるさ。生まれる前から、生まれてからも」



 おばあさんはくしゃと笑いました。



「だから、嬢ちゃんにはもう名前があるのさ。後は見つけるだけだ」



「それも年の功?」



 あいが訊ねると、おばあさんは頷いて、手を離しました。



「ああ……もう時間だ。じゃあの」



 そう言って、彼女は手を振りながら、改札へと消えていきました。



「ばいばい」



 あいも彼女の背中に手を振り続けました。



 もう、おばあさんの姿はどこにも見えません。





        ◇





 あいが駅舎から出ると、そこには見覚えのある女性が立っていました。



「おや、また会いましたね。可愛いお嬢さん」



 それは露天商のDでした。彼女はあいに気づくと、にこりと微笑んで手を振りました。



「あら。さっきは公園に居たのに。こんなところでどうしたの?」



「お仕事です!ワタクシの師匠と待ち合わせしているんですよ!」



「師匠?」あいが訊ねた丁度その時、後ろから男性の渋い声が耳に届きました。



「D、待たせてすまんな。少し汽車が遅れてしまいましてな」



 あいが振り返ると、Dと同じような黒いタキシードを着た壮年の紳士が、気品と高潔さを纏わせながら立っていました。



「こんにちは!」



 あいが元気よく挨拶をすると、老紳士もにこやかに挨拶を返してくれました。



「D、このお嬢さんは?」



「ワタクシのお客様ですよ、師匠!」



「そうかそうか。お嬢さん、これからもDを頼むよ。はっはっは」



「ええ。分かったわ……あ、そうだ!」



 その時、あいの頭にとある考えが浮かびました。



 "ケーキ"から貰った紅い玉は一体何なのか、美しい物が好きな宝石商であれば、分かると思ったのでした。



「どうしましたか?お嬢さん」



「おじいさん。これが何なのか分かる?」



 あいは手の平に紅い玉を乗せて彼に見せました。



 それを見た瞬間、老紳士は身体を強張らせて、震える声であいに訊ねました。



「これを、どこで?」



「えっと……男の人から貰ったの。名前をくれたお礼にって」



「少し……お借りしてもよろしいかな?」



 老紳士にそう言われて、「勿論」とあいは頷きました。



 彼は懐からルーペを取り出すと、眉間に皺を寄せて、手の平に置かれた宝石をじぃっと鑑定しました。



 鑑定中の彼の集中力と気迫は凄まじく、あいはまるで人形のように固まってしまいました。



 数十秒後、鑑定を終えた老紳士はハンカチで額に滲んだ汗を拭いながら、あいに結果を伝えました。。



「間違いありません。これは"紅瞳(こうどう)"ですな」



「"紅瞳"……って何?」



 あいが訊ねると同時にDのお腹が大きく鳴りました。



「す、すいません!朝から何も食べていなかったので!」



「いや、構わんよ……お嬢さん、丁度いい。ここで会えたのも何かの縁だ。お茶でもご一緒にいかがかな?」



 あいは老紳士の提案を喜んで受けました。もうお昼を過ぎ、あいのお腹も空いてくる時間だったのでした。



 それに、ケーキから貰った宝石が一体なんなのか、興味も湧いていたのでした。




        ◇




 老紳士はEと名乗りました。ずっと昔からこの街で宝石商を営んでいるそうです。



 彼が案内した駅前の喫茶店は、シックでレトロな雰囲気に満ちた場所で、渋い彼にお似合いの場所でした。



 コーヒーと木、少しのタバコが混じったしっとりとした香りに包まれ、あいは、まるで自分が大人になったように感じました。



 あい達の座る座席からは、カウンターでは喫茶店のオーナーが、大きなサイフォンを使ってコーヒーを淹れるのが見えました。



 三人はコーヒーに加え、あいはショートケーキを、Dはサンドイッチをそれぞれ頼みました。



「お嬢さんには、コーヒーは少し早すぎるんじゃないですか!?」



 Dはあいを心配してそう言いましたが、それが逆にあいをムッとさせました。



「問題ないわ。今の私はちょっと大人なの」



 あいの前に置かれた、夜の森みたいに深いコーヒーからは、湯気とともにほろ苦い香りが漂っています。



 一口、気取りながらコーヒーを啜ったあい。



 しかし、その味は想像よりもずっと苦く、あいはつい、顔をしかめてしまいました。



 あいは慌てて、その苦さを消すように、ショートケーキを口にしました。



 雲のように柔らかいスポンジとふわふわのクリームのショートケーキ。



 上には、甘酸っぱい果肉の詰まったイチゴが一粒。



「これはもう、これ以上無いくらいに"ケーキ"ね!」



 とても幸せそうにケーキを食べるあいを見て、Dはクスクスと笑いながら、真っ白な角砂糖の入った瓶を手に取りました。



「何個入れますか、"お嬢さん"?」



「沢山。沢山よ」



 Dは、あいのコーヒーに角砂糖を落としながら、師匠である老紳士に訊ねました。



「師匠、不勉強で申し訳ないですが、"紅瞳"とは一体なんでしょうか?」



 それは、彼が少女に宝石の鑑定結果を告げた時から、ずっと気になっていることでした。



「あの色・輝き・形状、どう見ても"白硝子(しろがらす)"ではないですか」



 老紳士は上品にコーヒーを嗜みながら、黙ってそれを聞いていました。



 しかしDが話を終えると、彼はおもむろに彼女の質問に答え始めました。



「同じだよ」



「え?」



「"紅瞳"も"白硝子"も、呼び方が違うだけ。どちらも、元々はその紅く美しい玉を指しているのだ」



 それを聞いたあいは「どうして、呼び方が違うの?」と訊ねました。



「今、巷に流通している"白硝子"は、どれも特殊な鉱物から造られた"紅瞳"の偽物だ。私は、本物と偽物の区別を付ける為、こう呼んでいるがね」



「そうなんですね!それは初めて聞きました、勉強になります!」



 彼の話を手帳にメモしながら、ふと、Eは疑問に思った事を口にしました。



「あれ?なら、本物は何から造られるんですか?」



「カラスだ」



 その答えにあいとDは言葉を失いましたが、老紳士は気にせずに話を続けます。



「正確に言うならば、"シロガラス"。野山に住む珍しい野鳥の一種だ……今は絶滅寸前だが」



「でも、そんな、カラスから宝石なんてできるの?」



 そのあいの質問には、Dが答えてくれました。



 なんでも、琥珀や真珠、アンモライトのような宝石はどれも生物由来で、そのような種類の宝石は珍しくないようです。



「シロガラスの紅い瞳の輝きは生きている時も美しいが、真に美しいのは、その死後だ」



 老紳士はテーブルの上にハンカチを敷くと、あいの持っている"紅瞳"をそこに置くようにいいました。あいは素直にそれに従います。



「彼らは死の直前、僅かに残った生命の輝きを眼に閉じ込めるのだ。そして、その眼はやがて紅い結晶となる。


 ダイヤモンドより純粋で、ルビーよりも情熱的な輝き、それでいて、翡翠のように深い鮮やかさを持つ、至高の宝石だ。


 見たまえ、君の持っている"紅瞳"は非常に新鮮な代物だ。結晶化して未だ半日も経っていないだろう」



 彼の言う通り、テーブル上の"紅瞳"は吸い込まれそうなほど美しく輝いていました。



 しかし、あいには一つ、腑に落ちない事がありました。



「でも、これを"ケーキ"から貰った時、カラスなんてどこにも飛んでいなかったわ」



「なら、その"ケーキ"という人物は、狩人だったのでしょう!」



 Dはそう言いましたが、すぐに老紳士に否定されました。



「それは無いだろうな。さっきも言ったが、シロガラスはもうほぼ絶滅しておる。そんな動物を狙う狩人なんておらんよ」



 しょんぼりとするDをよそに、彼はあいに言いました。



「しかしな、シロガラスには霊的な力が宿るとも云われている。"死者を生き返らせる"とか、"妖怪に化ける"だとか……」



「そんなの、作り話でしょう?」



「確かに、迷信の類だが……"火のない所に煙は立たぬ"という言葉もある。そんな奇蹟を信じてみるのも、一興ではないかな?」



「私は、そんな話を信じるほど子どもじゃないわ」



 あいが彼の提案に大人ぶって鼻を鳴らすと、横に座るDがまた、クスっと笑いました。



「子どもでしょう?お嬢さんなんですから」



「なんですって?」



 そのやりとりを眺めていたEは、ふと、あることに気がついて、あいに訊ねました。



「ああ、お嬢さん。そう言えば、私は名乗ったが、貴方の名前を訊くのを忘れていたね。申し訳ない」



「ごめんなさいね。私には名前がないのよ」



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