残ったされたもの
「ヤナイー!早くしろよー!」
「ちょっ、待てよ」
「置いてくよー」
広場で特に仲良くなったピッグルの3人に連れられ、村の外れにある池に来ていた。
リーダー格のブミー、食いしん坊のブッチョ、お転婆娘のバックだ。
拡散された噂が収まった後もなにかと話を聞き出そうとされているうちに、どうやら3人の兄貴分のようになってしまった。
池は五十メートルプールほどの大きさで、濁っていて底は見えないが、周囲の森とよくあっていた。
「釣りなんかしたことないんだが…」
「いいのいいの!オイラ達もそんなにしたことないから!」
じゃあダメじゃん…
とは思いつつも、やはりついていくほかなかった。
桟橋のような部分に着くと、ブミーが近くの小屋から釣り道具を一式取り出してくる。
勝手に持ち出して大丈夫なのだろうか…
疑わしげな目線に気づいたのだろうか、ブミーが口をツンとして答える。
「これは誰のものでもないんだよ」
「誰のものでもない?」
頭の上に疑問符を浮かべていると。
「ブターリンのだよ」
近くの木の影からブータが近づいてくる。
ブターリン、たしか俺がいる部屋の主人か。タマは悪党って言ってたけど。
3人を見るとブータをあからさまに睨みつけていた。
「なにしに来たんだよ」
「なにしにって、それはうちの家のものなんだから勝手に使われると困るんだよ」
「悪党一家のものをなにしようが関係ないだろ!」
悪党という言葉にブータは眉をひそめる。
「お前らだって懐いてたじゃないか!」
「あいつは俺らを騙してたんだ!!」
「騙してなんかない!!」
「じゃあなんで捕まったんだ!証拠だってあるんだろ!!」
ブミーの言葉が琴線に触れたのだろう、ブータは一気に距離を詰め飛びかかろうとするが、
「うぐ!!おぉぉ…!」
済んでのところで割って入った柳生がその全体重を受け止める。
「お前…なにやって、あ!まて!!」
3人の走り去る音が聞こえる。まさか暴力に走るとは思ってなかったのだろう。
「……痛くない?」
「…………めちゃくちゃ痛い」
取り敢えずこの痛みは全生物共通なんだな。
股間を抑える柳生は、立っているのがやっとだった。
「どんなやつだったんだ?ブターリンって」
3人組が去った後、ブータに頼んで釣りのやり方を教えてもらいながら、話すことにした。
釣り糸の先の重りはピクリともしない。
「…すごい頭が良かった」
「ほーん、それで」
「なんでも知ってて、村の人はみんな相談に来てたんだ」
その後もブータは話を続ける。
余程尊敬していたのだろう、エピソードを語るごとにその熱量は増していき、身振り手振りを交えながら楽しそうに話している。
重りはピクリともしない。
「それでさ!その原因がブミーのお母さんだったんだ!妊娠してたんだって、今はもう生まれたけど…」
ブミーの名前が出てくると、途端に失速してしまった。
聞くならここだろうな…
「……なあ、さっき言ってた悪党っていうのは…」
「違う!!」
やはり悪党という言葉には食ってかかってきた。
「じゃあ、一体なにがあったんだ…」
「……わからないんだ」
「わからない?」
「うん、いつも通り暮らしてたら、いきなり変な人間が来て、悪党って言い出し始めたんだ」
「…なにかおかしなこととかなかったのか?」
「…みんなおかしいんだ」
「どういうこと?」
「今までブターリンがやってきたこと全部悪いことみたいに言い出して!みんな感謝してたのに!!いきなり…!」
嗚咽を抑えながら、ブータは下を向いてしまう。
きっと、一人で戦っていたのだろう。
先ほどの3人を見るに恐らく村人全員があの様子なのだ。それでもなお、自分が信じたものを信じようとしている。
こいつは、強いんだな。
少なくとも出来るだけ傍観者であろうとして生きてきた柳生にとっては到底できないことだった。
重りが少し動いた気がした。
「たしかに悪いやつじゃないな、絶対」
「……お前になにがわかる!!」
「わかるよ」
「わかるわけないだろ!!!」
「あの部屋で寝起きしてればわかるよ」
「あの部屋って…」
柳生は転生から二週間立ったいまでも同じ部屋で寝起きしている。
もちろん、自ずと目に入ってしまうものもある。
「結構豪華な部屋なのにさ、机の上に妙に不恰好な木彫りの像があったんだ」
「……」
「台座には名前が彫ってあった」
「………」
「本棚に本びっしりのやつが机に向かわないわけないし、ましてやそこにそんなもの置くのも変だなって思ってたんだけどさ」
「……ゔぅぅ」
「人から貰ったものをそこまで大事に扱うやつは良い奴だと思うな、俺は」
そこまで言い切る前に、ブータは嗚咽を呑む。
緊張の糸が切れてしまったのだろうか、涙はとめどなく溢れ、鼻水はズルズルと流れる。
「ひっでえ顔だな!」
「ゔるじゃい!!!」
ブータの顔を見ながら笑っていると、涙を流しながらブータも笑ってしまった。
ひとしきり笑い終わるとあたりはブータの鼻水をすする音だけが聞こえる。
「…なあなあ。ヤナイ」
嗚咽を漏らしながら、なんとか声を出す
「ん?どうした?」
「ヤナイも良い奴だな」
「お?今更気づいたか!」
うるせっと柳生を小突く。
釣竿の重りは浮き沈みしながら、波を起こしていた。
ブータは続ける。
「ヤナイって転生者なんだよね」
「あー、まあ一応」
「じゃあさ、戦ったりするの?!」
「え…まあ一応」
「それじゃあさ!ヤナイ、約束しよ!」
「うん?なんだ?」
「絶対に良い奴を見捨てないって!!」
こちらに向けられた少し赤い目には一つの曇りもなく、ただただ信じる者の目だった。
相手がどんな者でも、どんな魔法でも、どんな武器であっても、こちらの勝利しか見えないのだろう。
信じられている
心臓の鼓動が指先まで伝わる。
応えたい
そう思ってしまった以上、もう柳生は傍観者でいることは許されない。
だが、
もちろんこの場合はブタゴラスも入っているのだろう。
そしてもちろんその相手はあの勇者となる。
胸中には恐怖が渦巻いていた。
相手はチート勇者だぞ?戦うのか?こちらにはなにもないんだぞ?ステータスも魔術もスキルもないんだぞ?スライムですら勝てないんだぞ?たかだか豚の村一つに俺がなにするっていうんだ?なにもしない方が懸命だろ?よそ様に関わってもろくな事ないだろ?関わらない方がいいだろ?死ぬぞ?マジで死ぬぞ?死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ
底知れない不安が安易に頷くことを妨げる。
返答を待つブータは、しかし別のことに気を取られていた。
「あ!!食いついてる!!」
見ると手元の釣竿はグイッと水面に引きずり込まれており、大きく曲がっていた。
咄嗟に引き上げようとするも柳生の力では到底ビクともせず、ブータも加勢する。
しかしそれでもなかなか上がらない。
すると、いつのまにか帰ってきていた先ほどの三人衆が後ろから加勢する。
じわじわと近づきつつある魚影を確認しつつ、ブッチョが網を構える。
ザアっという大きな音を立てながら現れたのはおよそ1メートルはあろう、巨大なブラックバスのような魚だった。
逃げられない位置まで引き上げると、皆息も絶え絶えに、その場に座り込んでしまった。
元々仲が良かったのだろう、ブータとブミーは互いに謝罪しあい、仲良く談笑している。
先ほどのことはどうやら有耶無耶になってしまったようだった。
それがいい
柳生は自分を納得させる。
俺にはなにもできないし、俺がいなくても変わらない。彼らを見捨てることにはならない。
胸の隅のチクリとする痛みを強引に無視し、疲れに身を任せようとする。
その時、村中に異常事態を告げる鐘が響き渡る。
ピッグナイトの森には、黄昏時が近づいていた。