2 僕の失態
僕には、書いて時の如く、魂を分けた兄弟がいる。
二人で一つ。
ユジュンっていうんだけど。
僕とそっくり瓜二つの顔をしていて、
違いは髪の色と声と、左右の目の色が逆なことくらい。
そうそう。
僕はヘテロクロミアっていう、虹彩異色症で、左右の目の色が違うんだよね。
左は薄浅葱色、右は忘れな草色。
オッドアイとも言うけど、それは猫に限って使う言葉だ。
人間に使うなら、ヘテロクロミアと表現するのが正しい。
大変珍しいから、重宝がられるらしいよ。
陰と陽。光と影。
僕は陰で影だから、性格が根暗なのも仕方ないよね。
ユジュンとはこの半年、手紙のやりとりで連絡を取り合っている。
最近、仲間のテンがとうとうアースシアから旅立ってしまい、
目が溶けるほど泣いたって、手紙に書いてあった。
テンは強い霊力とずば抜けた呪術師としての能力も持ち合わせていて、
アースシアにかけられた封印を解いて回った少年だ。
彼がいなかったら、僕とユーリの計画はあんなに楽にいかなかったかもね。
別れは悲しいことだけど、これから先、いくらでも会えるよ、
と、手紙の返事には書いておいた。
ま、僕らはまだまだ若い。これから先、どうにだってなれるんだし。
ってね。
翌朝。
いつもの通り、朝七時に食堂を訪れると、既にユーリが席に着いて、
新聞を広げていた。
食事はこれかららしい。
僕も食事が配膳されるまで席に着いて大人しく待った。
様々な種類のブレッドと、ジャムが並べられ、
メインにエッグベネディクトが中央に置かれた。
「おぼっちゃん。紅茶とコーヒー、どちらにいたしますか?」
ナンシーが、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
「紅茶!」
僕はそう指図しておいて、
それらを食べ進めつつ、ユーリのご機嫌を伺う。
「ねぇ、ユーリ。まだ怒ってる?」
「もとより、私は怒ってなどいない」
ユーリの声色は無色で素っ気ない。
「今日さ、街に降りて来てもいい?」
「どういった用向きでだ」
ユーリがちら、とこちらを覗き見た。
「えーとね、人間観察」
「まぁ、たまには外の空気に触れるのも良かろう。ただ、セラフィータは置いて行け」
「え、なんで?」
そう言ったのは、僕ではなく、セラフィータだった。
「忘れたのか? おまえは希少種の妖精だぞ。
良からぬ輩に見つかれば、あっという間に捕獲されて闇ルートに流される」
身の危険をわきまえろ、とユーリは続けた。
「そ、それはそうだけど……この間の旅の間も、一度だってそんな目には合わなかったわ。
ナユタの側にさえいれば、平気よ!」
確かに、この所のセラフィータは人間に対する警戒心が、薄くなっているかも知れない。
「セラフィは僕の相棒だよ。僕がしっかり守るよ」
僕は握りこぶしで、ユーリに楯突いた。
「さて。そう、毎度、上手くいくかどうか……」
ユーリは瞑目して、両手を開いた。
ちょっと、おどけている風だ。
「そんなこと言うなら、ユーリも一緒に行ってよ」
「生憎と、私にそんな暇などない。予定が立て込んでいる」
ユーリはバスケットからカットされたライ麦パンを取った。
「まぁ、百パーセント守れる自信があるのなら、連れていくがいい」
「分かったよ」
「どうなっても知らんがな」
「ふーんだ」
僕は、マーマレードを乗せたブレッドを無理やり口に押し込んだ。
玄関先で、僕は腰の前後に装備したホルダーに、
愛用の短剣二本をセットしてあるのを確かめた。
ヴァイキングの少年主人公が、
短剣二刀流で戦う冒険小説の姿に感銘を受けてから、
僕もそれに倣って短剣を振るうようになった。
完全に我流だけど、鍛錬は積んであるし、実績もある。
装備を確かめてから、マントを羽織れば、準備は完了だ。
セラフィータが定位置の左肩に止まる。
彼女もまた、姿を隠すために、人形用のフード付きマントを羽織っている。
本来なら、妖精は自らの姿を人間に見られないよう、
羽根から目くらましの鱗粉を分泌するけど、
セラフィータにはその能力が欠損している。
そのせいで、妖精の里を追い出され、立ちゆかなくなっている所を、僕が保護したんだ。
希少種の妖精が、自らの身を隠せないというのは、致命的欠陥だ。
だから、僕が守ってやらないといけないんだ。
「いってらっしゃいませ、ぼっちゃん」
ナンシーが恭しく腰を折る。
ユーリとの約束では、午後五時には戻れとのことだ。
そのくらい、なんてことないよ。
僕は張り切って、屋敷の玄関ドアを開け放つと、外に出た。
ここは王都だ。
つまりは、都会ってこと。
屋敷のある居住区の外に出ると、人出の多さにうんざりする。
行き交う人々の列に混じって歩く僕らは、完全に浮いていた。
すぐ前を歩いている大柄な男性が、
この人混みで歩き煙草をしているのが、無性に気に障った。
煙草の火が、まさに僕の目の高さに当たるんだ。
ふと、その男性が、火の付いたままの煙草を地面に投げ捨てた。
火をもみ消しもしないで……!
ユーリだったら、絶対にそんなことしない。
ユーリは煙草のみだけど、人の迷惑になるようなことはしないし、
一般的なルールは守っている。
外で吸う際は、必ず携帯灰皿を使うし、煙草のポイ捨てなんてしない。
「おじさん。煙草のポイ捨てはいけないよ」
僕は、精一杯低い声で、そう男性の背に声をかけた。
「あぁ?」
振り返った男性は悪びれもなく、不快感を露わにして、僕を見下ろした。
「下手したら、火事になるよ。おじさん、責任とれるの」
「なんだと、ガキが」
僕は、頭を掴もうと、近寄ってきた男性の脇に、すっと移動した。
そして、足払いを掛けた。
男性は思っても見なかったのか、簡単に体勢を崩して転んだ。
「?!」
完全に僕の姿を見失っている。
「公序良俗に反するよ」
僕は、転んだ男性の背後を取って、抜き身の刃をひたりとその首筋に当てた。
こう見えても、短剣の扱いには腕に覚えありなんだよね。
「この短剣、よーく手入れをしてあるんだ。
名のある刀匠の業物なんだよ。なんだって斬れるんだよ。
そりゃあ、人の首だってね」
スパッと、と言いながら、刃を動かすとどうだろう。
「ひ、ひ、ひぃぃぃ。悪かった、許してくれ」
男性は打って変わって媚びへつらい、
火の付いた煙草の火を素手でもみ消すと、
両手に大事そうに抱えて、立ち上がり、走り去って行った。
「ふん、粗忽者」
僕は、男性を小馬鹿にしてから、抜いた愛刀をホルダーに収めた。
「ナユタ、アンタって相変わらず容赦がないのねぇ」
「ルールを守らない方が悪いよ」
「まぁ、アンタの度胸には感心するわ」
セラフィータが左肩でやれやれと肩をすくめた。
「で? どこに行くの?」
「うん。公園だよ。市民憩いの場になってる、庭園を備えた公園があるらしいんだ」
街に降りるのは初めてじゃないけど、その公園に行くのは初めてだ。
目的が何かはさすがにセラフィータには言えなかったけど。
「庭園? お花が咲いてるのかしら」
セラフィータが目を輝かせた。
妖精は美しい花を愛でるのが好きだ。
露に触れたり、匂いを嗅いだり、蜜を吸ったりするのが好きなんだ。
お屋敷にいる間は、ユリシーズ家の庭園で日がな一日過ごすこともある。
そんなときは、僕も本を外に持ち出して、彼女の気配が感じられる所で過ごす。
「どうだろうねぇ」
僕はもったいぶって、セラフィータを焦らしつつ、公園に向かった。
公園は緩やかな傾斜の丘にあった。らせん状になった坂道の要所要所に花の生け垣があり、休憩場所として、ベンチが設置されている。
ベンチには愛を語らう恋人たちの姿が多く見られた。
明るいうちから、人目を忍んで、いけしゃあしゃあとじゃれあっている。
「ビンゴ」
僕は思わず、右の親指を立てていた。
適当な生け垣に身を隠し、顔だけだして、ベンチの恋人たちの様子を観察した。
「ねぇ、ナユタ、なにやってんの?」
「人間観察だよ」
「観察って……」
「しーー、黙って」
僕は左肩のセラフィータを左手で押さえつけて、目前の恋人たちのやりとりに目をやった。
身体を密着させていた男女は、やがて唇を触れあわせ、深くお互いを貪り始めた。
「ベロチュー……!」
目前で繰り広げられる光景に、僕は夢中だ。
舌をからめ、億はいるであろう口腔内の雑菌ごと、交換しあっている。
衝撃の絵面だった。
口の端から、よだれの筋がすうっと落ちるのが見えた。
「ねぇ、ナユタ。アンタ、出歯亀しに公園に来たワケ?」
肩口でセラフィータが呆れているけど、僕はそれどころじゃない。
初めて見るディープキスにすっかりやられて、頭が爆発しそうだった。
あんなこと、僕も将来できるか?
いいや、無理だ。
あんな汚らわしいこと、出来るわけない。
僕は尚もキスを続ける恋人たちから視線を外すと、生け垣から頭を抜いて、
芝生の上で四つん這いになった。
「なんか、吐きそう……」
消化途中の朝食が胃からせり上がって、食道を逆流しそうだった。
「バカねぇ。あんな、人間のすること、覗くからよ!」
「だって、ディープキスってとっても気持ちがいいって、
あの本には書いてあったんだもの」
僕はちょっとムキになってセラフィータに言い返した。
セラフィータは僕の肩から飛び上がって、目の前を滑空している。
「人間のでぃーぷきすも不気味だけど、それを出歯亀するアンタも相当よ」
「そんな言い方ひどいよ!」
ただ、僕は純粋な興味で。
出歯亀は確かにいけないことだけど。
「ふん! ナユタなんて、知らない! いっくらでも人間のでぃーぷきすを覗いてればいいのよ!」
「セラフィのバカ! 君だけは僕の味方でいてくれると思ったのに!」
「ふんだ!」
セラフィータはそっぽを向くと、そのままどこかへ飛んで行ってしまった。
僕は、彼女を追わなかった。
それが失態だったと気付くのは、後になってからだった。