中編
今回は公爵様視点です。
初めて会ったのは、俺が10歳の時。母親に連れられて行った茶会の席でのことだった。
可愛い子がいるなと思って見ていたら、悪友の妹だった。
あの腹黒ユージィンが猫可愛がりしていると言っていたからどんな子かと思っていたが、想像以上に愛らしい子だった。将来は美人になるだろうなとは思ったが、あくまで妹的な意味での可愛いという感想だった。
兄のように、きっとあの子も裏の顔を持っているのだろうなと想像し、すぐに興味が失せた。
**********************
俺は、ベルナルド・ルートウィン。
ルートウィン公爵の一人息子だ。身体の弱い母は、俺を産んだときの無理が祟って、子を産めない身体になった。公爵家の血を繋ぐため、周囲から後妻や愛人をと勧められたが、愛妻家の父は母以外と子を作るつもりは全くなく、全ての期待は俺にのし掛かってきた。
父はさっさと隠居して、都会の喧騒を離れたところで母を療養させたいらしく、早い内から領地経営やら社交マナーやらを俺に叩き込んできたため、俺は10歳にして人より大人びていると言われるようになってしまった。
両親のことは好きだから父の考えを尊重したいとは思うものの、正直荷が重い。
公爵家を継ぐことに異論はないが、決められた将来、自由のない日々。地位や見目に惹かれて群がってくる女達。
気付けば女性不信になっていた。お茶会等社交場に出れば、年下も年上も関係なく色目を使ってくる。
だが、俺自身を見てくれるものなどどこにもいない。
父母の関係を羨ましく思うものの、どうやら俺には恋愛は無縁らしい。
ーだから、きっとただの気まぐれだったんだー
彼女に声を掛けたのは。
***************
女達の下らない話を無難に切り上げて、俺は用があるからと理由をこじつけて席を立った。
…何故ああも色恋にうつつをぬかせるのだろうか。
もっと他にやることはないのか?
そんなことを思いながら辟易して、愛想笑いを浮かべてその場を離れた。
また囲まれる前にと人の少ない方へと向かったら、そこに、彼女がいた。
人目につかない小振りな木の前で周囲を窺っている。何をしようとしてるのかと思っていたら、徐にスカートをたくしあげて靴を脱ぎ捨て、木にしがみつき登ろうとしていた。
呆気にとられ、一瞬行動が遅れてしまった。
いくらなんでも無謀だと止めに行こうとしたら、彼女は驚くほどするすると木を登り太い幹に腰掛けた。
ホッと安堵するも、何故公爵家令嬢ともあろう者がこんな日にこんな無茶をするんだと呆れ半分怒りにも似た感情を浮かべた。
いつもの俺なら間違いなく放っておいた。
なのに、どうしてもそのまま無視することが出来なかった。
ーきっと、この時から俺の中にある感情が目覚めていたのだろう、無意識のうちにー
「そんなとこで何やってんだ」
突然、知らない男から声を掛けられてビックリしたのだろう。
彼女は枝先に伸ばしていた身体をビクッと震わせたかと思うと、次の瞬間ぐらりと身体を傾げ、ゆっくりと地面に向かい落ちていこうとしていた。
その時動けたのは、条件反射だったと思う。
身体を抱き込むように落ちていく彼女の元にダッシュして彼女を抱き込んだまま、背中から倒れた。
「……ぃ…っ!!」
いくら5才の女の子とはいえ、今は社交界用に着込んだドレスを纏っている。
加えて、俺はまだ成長途中の10才だ。鍛えているとはいえ、落下してくる人間をキャッチすることは難しい。咄嗟に受け身を取ることくらいしか出来なかった。
「馬鹿か、お前は!!
俺がいたからいいものの、誰もいなかったらどうするんだっ。怪我だけじゃすまなかったかもしれないんだぞ!?」
つい、責めるような口調になってしまった。
後々考えれば、先に心配するべきだとわかるが、この時の俺は怒りが沸々と湧いてきて止められなかった。
腕の中でビクッと大きく震えた後、慌てて謝罪してきた。
「ご、ごめんなさい…っっ!!でも……っ」
上目遣いで見上げてきた彼女と目が合い、言葉を止めた時、あぁ彼女も他の女の子とやっぱり同じなのかと落胆した。
きっと俺と目が合い、頬を赤らめ媚を売ってくるのだろうと。
…だが、彼女の反応はそのどれでもなかった。
彼女の腕の中で弱々しく泣く声が聞こえたかと思ったら、そこには小さな子猫がいた。
彼女はすぐさま俺から視線を下ろし、その子猫をそっと両手で抱え、満面の笑みを浮かべて頬ずりした。
「良かったー。
にゃんちゃん、怪我なかったんだね!」
そこでようやく彼女の行動の理由がわかった。
彼女は、木の上に登って降りられなくなった子猫を助けるためにあんな無茶な行動をしたのだと。
「…あんた、変わった奴だな。」
俺は思わずそう呟いた。
5才の子供とはいえ、女性に対して失言だったと気付き、気まずくなって目を逸らした。
だが、彼女は気にした風でもなく、やっちゃったとばかりに笑って誤魔化した。
「そうなの。
でも、じっとしてられないのよね~。お外であそんでる方が楽しいんだもの!!」
公爵令嬢とは思えない砕けた喋り方だったが、不思議と嫌悪感は湧かなかった。
むしろ、好ましいとさえ思ってしまった。
流石にお転婆が過ぎたと感じたのだろう。
慌ててドレスをはたき、汚れを落とすと、会場に戻ると言い出した。
俺は思わず一緒に行こうと提案した。キョトンとした顔をしていたが、俺が彼女の兄の学友だと話すとそういうことかと納得して一緒に向かうことになった。
(俺は、一体何がしたいんだ!?)
まだこの時の俺は無自覚だった。何故、助けたのか、何故一緒にいたいと思ったのか…。
その全てを理解したとき、彼女の記憶から俺の存在は綺麗に消されていた。
ー俺が手渡したブランデー入りのケーキを彼女が口にしたせいでー
…知らなかったんだ。
彼女が魔力持ちだったなんて。それもお酒を摂取すると暴走するだなんて…。
知らなくて当たり前だ。
彼女はこの日まで、本人も家族すらそのことを知らなかったんだから。
つい先程まで楽しそうに話をしながら、美味しそうにスイーツを食べていた。
けれど、魔力暴走により、会場のあらゆるものを巻き込み、彼女自身すらを傷付けようとする魔力を、俺は彼女を腕の中に抱き締め俺の魔力で押さえ込んだ。
…彼女の力が俺より下で良かった。じゃなければ、俺では止められなかった。
止めるときに多少傷が付いたが、これくらいすぐに治る。それよりも彼女の無事の方が大事だった。
その時にようやく俺は自覚した。彼女のことが好きなのだと。
目が覚めたら、改めて名乗ろう。そして、伝えるのだ。俺の婚約者になってほしいと。
…だが、現実は残酷だ。
彼女はあの魔力暴走の前後の記憶を無くしていた。すなわち、俺のことも何一つ覚えていない。
その上、面会謝絶され、会うことすら許されなかった。
再会できたのはそれから5年後。俺が15歳の時。
悪友となっていたユージィンを訪ねて屋敷に出向いた時だった。
そこには、俺のことなど何一つ覚えていないオフィーネリアの姿があった。
「はじめまして、わたくしはオフィーネリア・フェラーと申します。」
「…はじめまして、俺はベルナルド・ルートウィン。公爵家子息だ。」
何度、真実を告げようとしたかわからない。
記憶がなくなっていても、やはり彼女は俺が恋した彼女のままで。素直で、優しく明るい素敵な女性に成長していた。
何より、他の女のように俺に媚びてこない。…彼女になら、誘惑されてもいいのに。そんなことを思うくらいには重症だった。
…まさか、そんな日が本当に来るとは夢にも思わなかったけれど。
ちょっと長くなったので一度切ります。