前編
前世の死に様は、悲惨だった。
その日は、とてつもなく寝不足でフラフラしながら帰宅しているところだった。
ちょっと貧血のような状態になり、酒屋の店頭販売のテーブルに手を置いて一呼吸するつもりだった。
ただ、それだけのつもりだったのに、その手は宙を舞い、ふらついて転んだ私の上にバランスを崩した酒瓶の山が落ちてきたのだ。
打ち所が悪かった私はそのままあっけなく死亡。
酒まみれになりながら、私は心のなかで叫んだ。
『お酒なんか、だいっきらいだー!!!!!!!』
その死に様があまりにも無惨で可哀想に思ったのだろうか。
私は前世の記憶を持ったまま、生まれ変わった。
しかも、噂によく聞く、異世界転生、というやつだ。
その事に気付いたのは、5歳の時。
ラム酒入りのパウンドケーキを口にしたときだ。
食べた瞬間、私は身体が一気に熱くなり、頭がぐるぐるして倒れた。
その時、走馬灯の如く、前世で死んでしまったときの記憶がフラッシュバックしたのだった。
目が覚めて、自分が異世界転生したことを知った。
1つの身体に二人分の記憶はちょっと辛かったが、幸いなことに、前世の『私』については死に様以外の記憶は靄がかかったかのように曖昧だった。
日本という国での常識や世界観など、そういう知識は意外と覚えていた。
だからこそ、ここの世界が異世界なのだと思うに至った。
私は、フェラー公爵の娘。
オフィーネリア、五歳。
父と母と五歳上の兄の四人家族だ。
名前を聞いたこともなければ、文明も文字も違う。
そして、何よりこの世界には魔法が存在する。
私は開き直って、今の生を全うしようと決めた。
どうやら私には魔法が使えるらしい。でも、その発動条件が、まさかの『お酒』!!
それは前世を思い出したきっかけの事件で発覚した。
ラム酒入りのパウンドケーキを食べて気絶した私はなんと魔力を暴走させたらしい。
前世のトラウマからお酒が苦手になった私だけれど、魔法を制御する為にもお酒に慣れなければならないという地獄のような訓練。
私は泣きそうになりながら必死に制御を覚えた。
その制御方法というのが、お酒を通して身体に満ちた魔力を外に出さないように内に溜め込むこと。…ただし、これには色々と問題があるのだけれど…。
暴走しなくなっただけ、まだましと思うことにした。
ーそして、17歳の現在ー
社交デビューした私の前に、再びお酒の苦難が待ち構えていた。
お酒を飲むと魔力が発動するこの身体のせいで、未だに婚約者が出来ないのだ!!
舞踏会には必ずと言っていいほどお酒が出てくる。
普段から、体質的に飲めないと病弱な令嬢を装ってきたけれど、公爵家と繋がりを持ちたい貴族の子息達に騙されてお酒を出されたり、食事にお酒が含まれていたり…。
その度に私の身体は暴走を抑えるため、無意識に内に魔力を溜め込むようになり、感覚が鋭敏になってしまう。
……つまり、感じやすくなってしまうのよ!!
何度手篭めにされそうになったことか…っ。
そのせいで淫乱のレッテルを貼られてしまい、あわよくばと、ろくでもない男に幾度も襲われそうになっている。
その度に内に秘めた魔力を行使して逆襲してきたけれど。反逆された男達は、醜聞を避けるため、私にやられたことは公にはせず、その代わりとばかりに悪評を振り撒いていくのだ。
『悪いのは"オフィーネリアー私ー"で、僕は誘われただけだ。』と。
…泣きそうだ。というか泣いてもいいですか…?
なんで、人生2度目にしてまたもやお酒に振り回されなくちゃいけないのよ!!!
神様、ほんとに、何のために私をこの世界に転生させたの…?
公爵家の娘が淫乱だと噂されているなんてお父様やお母様に知られたら、生きていけない…っ!!
私は優しい家族の為にも、誰でもいいからさっさと結婚してしまおうと画策した。
そうして、私は仮面舞踏会にやって来た。
身分なんて、誰でもいい。
適当に誰かを見繕ってお酒を飲んで、閨を共にして、既成事実作って結婚してやるんだ…っ!!
幸いにして、私の見た目は可愛い部類に入る。
金髪碧眼、出るとこ出て、引っ込むところは引っ込んでる女性らしい体型だ。
それに公爵という身分もある。余程の人じゃない限り、きっと責任取ってくれるはずだわ。…幸せになることは出来ないけれど、少なくともこれ以上家族を不幸にすることだけは避けられるはず…っ!
オフィーネリアの家族がこの心の声を聞いていたら、それは違う!!と今すぐ止めたであろう考えは、誰にも止められないままここまで来てしまった。
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「あぁ、どうしましょう。
誰でもいいとは言ったけれど、どうやって声を掛けようかしら…」
「ね、ねぇ。オフィーネリア。やっぱり止めましょうよ!!」
会場の片隅で、虹色の蝶の仮面を付けてウロウロ考え事をしている私の横で、鳥の羽をあしらった仮面を着けた少女がおどおどと周りを窺いながらオフィーネリアに声を掛けている。
「巻き込んでしまってごめんなさい、リーリア。
でも、決して貴女に迷惑は掛けないわ。
ここまで連れてきてくれてありがとう。後は一人でなんとかしてみせるから。」
「だ、だからっ、そういうことじゃなくって…っ!!」
なんとか考え直して欲しいとリーリアは彼女を止めたけれど、決意の固いオフィーネリアはちょっとやそっとのことじゃ、止まってくれなかった。
リーリアの手を握り、決意の表情を浮かべダンスホールへ向かってしまった。
「…あぁああ、オフィーネリアにもしものことがあったら、わたくし、フェラー公爵様やユージィン様になんて申し上げればいいの…っ!?」
そんなリーリアの悲痛な叫びはダンスホールの音楽に掻き消されていった。
「『わたくし、少し疲れてしまいましたの。どこか、休むところはありませんか?』
…うん、よし。きっと大丈夫。後はお酒の勢いに任せればなんとかなるはず…っ」
オフィーネリアの性の知識は、前世である程度培われている。
とは言え、あくまで"知識"は、である。
実際には経験はなく、今世に至っては、男性と付き合ったことすらない。
それもこれも、偏にこの体質と悪評のせいだ。
好きな人すら出来ず、男性嫌いになりかけているほどだ。
だから、身体が拒否反応を示す前に、自分から処女を捨ててしまおうと思ったのだ。
もしこれで失敗しても、最悪修道院に入ればいいと思っていた。
そうすれば、もうこれ以上悪くなりようがないから。
「あ~あ…。
出来ればわたくしも、お母様達のように素敵な恋をしたかったなぁ…。」
貴族にしては珍しく、我が両親は恋愛結婚だ。こっちが見ていて照れてしまうほど未だに仲が良い。
そんな父や兄、ユージィンを見ていたからかもしれない。
未だに男性に夢を持ってしまうのは。それも、もう今日でおしまいだけれど…。
ダンスホールでは皆思い思いに相手を誘い、踊っている。
仮面舞踏会という特殊なスタイルの為か、皆積極的で、いつもより密着度が高いような気もする。
一夜の遊びに来ているという人も多いと聞いている。
だからこそ、今日を選んだのだけど。私も何人かに誘われて踊った。
でも、未だに相手を誘いあぐねている。選り好みしているつもりはないけれど、いざとなったらなかなか声を掛けられないでいるのだ。
ふと壁際に佇む男性が目に入った。
中肉中背。仮面の隙間から覗く小麦色の髪はさらりと綺麗な印象だ。服装も華美ではなく、かといってダサいということもない。
…あの人にしてみよう。
あまり見目の良い人は、遊び人の可能性が高い。
だから、出来るだけ平凡な容姿の人にしたかったのだ。
そう決意を固め、私は静かにその人の方へ向かった。
後少しでその人に声を掛けられる。
そう思った次の瞬間。
スッと目の前に飲み物が入ったグラスを差し出された。
「虹色に輝く麗しいお嬢さん。
宜しければ飲み物は如何ですか?」
耳許に響く艶やかな低音の声にぞくりとして振り向くと、そこには私より頭2つ近く背の高い、気品溢れる王子様然とした貴公子が、グラスを両手に掲げ立っていた。
仮面から覗く紺碧の瞳に、思わず吸い込まれそうになった。
なんとなく見覚えがある気がしたけれど、きっと気のせいだろう。
じっと無言で見つめられ、緊張していた私は失態を犯した。
誘われたまま、無言でいるのは失礼だろうと思い、私はお礼を言い慌ててグラスを受け取り、くいっと飲んだ。
「…っあ!そっちは……っっ」
「……え?
……っ!!……んぅっ」
し、しまった!!
これ、お酒……っっ。
私はその場でふらっと身体が揺らいだ。目の前の男性は、空いた片手で私の腰を慌てて支え引き寄せてくれたので、転ぶことはなかった。
見かけによらず逞しい身体に、私はどきりと心臓が早鐘を打った。
私の身体は子供の頃からの訓練の成果を嫌と言うほど発揮し、身の内でどんどん魔力が貯まっていく。
結構強いお酒だったのか、頭がクラクラする。
…このままじゃ、いつもみたくなるのは時間の問題だわ。
仕方ない。
さっきの人の元へ行くのは諦めてこの人にしよう。
こんな素敵な人ならきっと、遊び相手なんて、両手で数えきれないくらいいるだろう。
…修道院行きを覚悟しよう。きっと、私ごときに責任なんて取らないだろうから。
ドクドクと熱くなる身体を必死に堪えて、目の前の男性の胸に甘えるようにしなだれかかった。
「…あの、わたくし、どうやらお酒に酔ってしまったみたいで…。
どこか、休めるところはありませんか…?」
上目遣いで言ってみた。
ビクッと目の前の身体が動いた気がしたけれど、それから沈黙が続く。
…色仕掛け、上手くいかなかったのかな……。
相手からなんの返事もなく、私は自分の行動に後悔した。
ごくりと頭上で喉が鳴る音がしたかと思うと、その男性は私を見下ろし、静かに言葉を紡いだ。
「………っ本気…か……?」
あ、良かった。
閨のお誘いだと伝わってたみたい。
私は口に出すのは流石に恥ずかしくて出来なかったから、こくりと頷いて肯定した。
またもや沈黙が降ってきた。
…そんなに躊躇われるほど、わたくしって魅力ないのかしら……。
ちょっとショックかもしれない。
そう思ってたら、ぐいっと腰に回された腕がより近付き、耳許で囁かれた。
「……それなら、こちらだ。」
そんな何気ない言葉1つも艶があり、私は再びぞくりと身体が震えた。
モテそうな人、という予想通りというかなんというか……。
部屋に連れていかれてからは、私が不安に思う間もなくあっという間に快楽に翻弄されて処女を捧げていました。
…初めてって痛いって聞くけれど、こんなに気持ちよくなれるものなの…?
それとも、魔力効果なのか私自身の体質なのか…。
処女だったのに、朝まで美味しく食べられてしまいました…。
うんこれ絶対私だけのせいじゃないわ……っ!!
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気絶するように寝てしまい、朝、目を覚まし、隣にいる人を見て、私は驚愕の声を上げそうになった。
……っっう、嘘……っ。
何故、ここに、この人がいるの……!?
この仮面舞踏会は、男爵や子爵など、貴族の中でも下層貴族を中心の集まりだから、いるはずがないのに……っ。
目が合った彼は、仄かに瞳に熱を孕みながら、微笑んで言った。
「…おはよう、オフィーネリア。ごめんね、初めてなのに君が可愛すぎて止められなかった。
身体は大丈夫かい?」
「……ど、どうして……?
何故、貴方がここにいらっしゃるのですか…っ!?
ルートウィン公爵様…っっ」
この国の、王家にも連なる血の貴族。
ルートウィン公爵家当主が、そこにいた。