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4月30日→5月1日

法改正等にともない祝日がかわる場合があります。 

                        ――カレンダーの但書


---


「ごめん、待たせた?」


「ううん、今来たところだよ」






---2019/4/30 00:12---


『連休、お休みが取れたの。会えるかな』


 枕元でスマホが震えて、光が眠っていた俺の目を刺した。画面に表示されていた満香(みちか)からの短いメッセージに、俺は、半分眠りながら返事を送った。


『会う。いつ?』

『明日。ごめんね急に、こんな遅くに』

『31日ね。大丈夫。いつもの場所でね』


 それだけ送って、再び俺は幸せな気持ちで眠りについた。


 ああ、やった。満香に会える。




---2019/4/30 14:35---


 駅前で、俺は満香を待っていた。満香はまだ来ない。メッセージも来ていない。


 満香は几帳面な性格で、待ち合わせに遅れることはほとんどない。事情があって遅れる時でも、必ず連絡を入れてくれる。LINEを3回も確認したけれど、夜、満香が最後に送ってきた、ネコが枕を抱えて『おやすみなさい』と言っているスタンプだけがそこにある。


 満香との待ち合わせは大体いつも昼の2時、駅前のデパートの大時計が見えるこの場所だ。


 ――俺、待ち合わせ場所と時間、間違えてる?


 もしかしたら、そう思ってやりとりを見返してみたら、おかしいことに気が付いた。


「31日って……」


 4月は30日までしかない月だ。俺は寝ぼけて、ぼんやりしていたらしい。そもそも、満香の言っていた明日って、今日のことだったんだろうか。約束をしたのは夜中の0時を回ったあたりの微妙な時間だ。感覚的には今日のことだと思っていたけど、本当は1日のことだったんじゃないか。考えれば考えるほど、そういう気がしてきた。


 確認しようと思ってやめた。もしそうなら満香は今仕事中か、または仕事前に寝ているところかもしれない。


 俺の彼女――満香は看護師の仕事をしている。俺みたいな普通のサラリーマンと違って夜勤もあるし、休日も普通にシフトがあるし、この連休なんて人手不足だからって却って休みが取れないと言っていた。

 俺がまだ学生の時から、ずっとデートは不規則な満香の予定に合わせてきた。満香は申し訳ないよね、本当にごめんねって言うけどそんなの当たり前だと思っている。


 だって会いたいんだから。俺が。


 満香に会えなくて残念な気持ちはあるけど、明日になれば会えるんだし。明日を楽しみにしておこう。よし。




---2019/5/1 14:51---


 そう思っていたのに、満香は待ち合わせ場所に来なかった。


 さすがに今日は連絡を入れた。LINEのメッセージは未読のままだ。LINEだけじゃなくて電話もした。だけど、満香からの返事はない。


 体の中身が全部滑り落ちていくような気持ちの悪い焦りが俺を支配する。


「何か、」


 あったんじゃないか。

 そう思った時には体が動いていた。ゴールデンウィークの混雑、楽しそうに出歩く人たちで駅はいっぱいだ。さっきまで俺達もその中にいるはずだったのに、今はただ、人ごみは邪魔なだけの障害物で、全力で走れないのがもどかしい。


 バイクで満香の家へ走る。何度も行ったから知っている、満香が妹さんと一緒に住んでいるアパート。さすがに妹さんがいるので泊まったことはないけれど、迎えに行ったことは何度もある。

 インターホンを押すと、すごい勢いでドアが開いた。中にいたのは、青ざめた顔の満香の妹――(はるか)さんだ。


藤代(ふじしろ)くん!? お姉ちゃんは一緒じゃないの……!?」


 俺の表情で、遥さんは全てを察したようだった。




---2019/5/1 15:37---


 俺は部屋の中で、遥さんの話を聞いていた。


 遥さんによれば、満香は、29日の夜遅く仕事から帰ってきて――30日の朝、遥さんに会った後、仕事に出て行ったらしい。『明日、俺とデート』だと伝えて。そして、30日の夜遅く――帰ってきたはずだという。


「お姉ちゃんが帰ってくる前に私寝てたんだけど。お姉ちゃんが帰ってくる時は、夜もチェーンかけないから。それが朝、玄関のチェーンかかってたから、帰ってきてたんだと思った。なのに、いつまでも起きてこなくて、おかしいと思って部屋に行ったら、いなくて……」


 遥さんの説明する状況は、聞けば聞くほど奇妙だった。

 

「本当に、帰って、きてたのか……?」


 仕事帰り、何かのトラブルに巻き込まれて、そもそも家に帰ってきてない可能性もあるのではないかと思った。だが、遥さんは違うと言い切った。


「お姉ちゃんの通勤用の靴もある。鞄も」

「じゃあ、やっぱり帰ってから出て行ったんじゃ……」

「出て行ったなら気付くはずだと思う。それに、お姉ちゃんの部屋、通勤用鞄の中に、スマホも財布も置いてあるし……コンビニかどっか行くにしても、財布くらいは持つでしょ?」


 まるで、部屋から忽然と消えてしまったようだと言う。


「それでも藤代くんと約束があるって言ってたし……今日なんでしょう?」

「……ああ、多分。それで待ち合わせ場所に来ないから、俺も心配でここに」

「多分?」


 遥さんは俺のわずかな歯切れの悪さに眉を吊り上げて睨んだ。俺は満香とのLINEのトーク画面を見せて、事情を説明する。


「だけど、今日は31日じゃない……」

「いや、だから、それは勘違いで……30日にも、1日にも、満香は来なかったんだ」

「っ、まさか――」


 遥さんは何かに気が付いたようなはっとした顔をして、へたり込んだ。もともと蒼白だった顔が真っ青になっている。カンソクシャ、と彼女が呟いたのが聞こえた。


「お姉ちゃんは存在しない時間――4月31日にいるのかもしれない」




---2019/5/1 16:01---


 俺が満香と出会ったのは、俺がまだ高校三年生の時、10年前のことになる。


 大学受験を控えた冬、俺は突然の腹の激痛に襲われ、盲腸と診断された。まさかの試験前、このままじゃ落ちる、という思いが2割、残り8割は痛すぎて死ぬ、助けて、という感じだった。

 第一志望の受験日、手術を終えて心身ともにボロボロだった俺を担当した看護師が、満香だった。


 健全な男子高校生だ。白衣の天使に優しくされたら100%惚れる。間違いなく惚れる。満香に猛アタックした俺だが、今は彼氏いないからいいですよ、という奇跡の返事を貰った。多分あしらわれたんだろう。だけど俺は有頂天になって、満香をデートに誘いまくった。


 満香は看護師なので、かなり勤務時間が不規則だった。今週は平日の早朝しか時間が取れないけど、と言われたこともあったが、予備校生にはむしろ暇な時間ですから! と喜び勇んで会いに行った。時間が空くのは水曜日くらいなんだけど、と言われたら、じゃあ大学の授業とバイトのシフトは、水曜日には入れないようにしますね! と満香の都合に合わせた。


 今から思い返せば、やんわりと断られていたのかもしれないが、満香に夢中で、とにかく惚れた女に会いたかった俺は気付かなかったし、何なら今でもそうだと思う。




 満香が存在しない時間、『4月31日』にいる――遥さんの話は、受け入れがたいものだった。


「お姉ちゃんは、藤代くんとのLINEのやりとりで本来ないはずの『31日』を認識してしまった。そして31日に行ってしまった」

「そんなわけ……存在しない時間って何だよ! 31日なんてないのなら、行けるわけがないだろ!」


 壁にかけられた、まだ4月のままめくられていないカレンダーを指差す。猫のカレンダーだ。満香が好きな、猫のカレンダー。そこには30日までしか日付が書かれていない。


「藤代くん、存在する――っていうのはそもそも何?」

「は? 存在するって……あるものはある、だろ」

「あるってことは、どうやってわかるの」


 遥さんの声は震えていた。


「存在するってことを、誰かが認識することで、そこにそれが『存在する』ことになる。……だから、世界は、観測されることで成り立つ。だけど認識なんて曖昧なもの。お姉ちゃんは観測者だった。だからお姉ちゃんが認識してしまった31日に、お姉ちゃんはいるのかもしれない」

「そんな……意味わからないだろ! 第一そうなら、満香はどうしたら戻ってくるんだよ!」

「そんなの! 私だって分かんないよ!」


 きっと俺を睨み上げて、遥さんは悲鳴のように叫んだ。


「お姉ちゃんを取り戻す方法なんて、分からないよ!」


 そんな、そんなことが。

 満香に、もう、会えないなんて、そんなことが。

 俺のくだらない、間違いのせいで。




---2020/4/30 08:21---


 満香がいなくても世界は存在している。

 だけど、俺の世界は相変わらず灰色のままだ。重い体を引きずって、電車に乗って会社に向かう。

 4月30日が、5月1日が。休みじゃなくてよかった。仕事でもして気を紛らわせていなければ、俺は満香の消えた日を、耐えられそうにないから。



 あれから、俺は満香を探し続けた。存在しない『4月31日』に消えてしまったなんてそんなことが信じられるはずがない。

 職場に連絡し、警察に捜索届を出し、思いつく限り、ありとあらゆる手段で満香を探した。だけど、本当に満香はこの世界から消えてしまったかのように、手がかりさえ、何ひとつ見つからなかった。


 満香の唯一の血縁である、妹の遥さんとは――半年くらい前から、ほとんど連絡が取れなくなった。

 俺と同じ年の遥さんは、大学で何か研究をしているらしい。ただ、実際に大学には行くわけではなく、ほとんど家から出ず、パソコンの前に座っているらしい。今日び、在宅ワークは珍しくはない、ただ、何の研究をしているにしても、少しくらいは外に出た方がいいんじゃないか心配、と満香が言っていたのを覚えている。


 満香の失踪後、遥さんの引きこもりは更に激しくなり、満香の恋人ということで軽く連絡を取り合うこともあった俺のメッセージも、既読にすらならない。


 いや――遥さんにしてみれば、満香の消えた原因は、俺なのだから、当然かもしれない。


 満香がいなくても世界は存在している。

 だけど、俺は。




---2020/5/2 02:15---


 起きると、だいぶ頭が痛かった。体の節々も痛む。空のビール缶が散乱していて、いくつかは中身を零して転がっていた。酔っぱらったままテーブルで眠ってしまったらしい。


「……クッソ……」


 スマホの待ち受けにしている、俺と満香の写真が、ぼやけて歪んだ。まだ俺が大学生の時、何年も前のゴールデンウィーク、一緒に旅行に行った時の写真だ。満開の紫色の花の下、大きく枝を広げた木から零れる豪華な飾りのように咲く花の名前は藤だと、俺の名前の花だと、満香は教えてくれた。


 花があまりに綺麗だったから、二人で記念写真を撮ろうとした。俺のダチが、デートの度にたくさん記念写真を撮る奴だったから、羨ましかったのもある。すると、満香は俺と一緒に写るのを遠慮した。

 どんな理由だったかはわからないけど、俺はさっさと近くの人にスマホを預けて、撮ってくださいとお願いしてしまっていた。そうしたら満香も断りずらくなって、結局は照れたように笑いながら、一緒に写ってくれた。それが、この写真。


「……なんで、」


 その時、1件通知が来ているのに気付いた。LINEを開いて確認すると、遥さんからだった。


『今年は間に合わなかった』

『でも、もし藤代くんがまだそのつもりなら』

『あと4年、待っていてほしい』


 何時間か前に来ていたメッセージに、俺はすぐさま返事をする。


『どういうことなんだ』


 返事はない。俺は一呼吸置いて、そしてメッセージを続けた。


『いつまでも待つ。満香に会えるなら何でもする。何か知っているなら教えてくれ。』


 メッセージに既読がついて、返事が来たのは、それから3日後だった。


『ありがとう』


 たった5文字のそのメッセージを最後に、遥さんから連絡が来ることはなかった。



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