崩れた均衡
「ッッ?!」
夜。平和に食事を終え、何事も無く朝を迎えるはずだった。だがそれは幸か不幸か、何者かの侵入を告げるけたたましいアラートで打ち消された。事前に、結界への大勢の侵入を探知すると鳴るようにしておいたものだ。それが働いたことを良かったと思うべきか、ついに来てしまったことを嘆くべきか。どのみち、じっとしている暇はないことだけは間違いない。階下でも、リアとフィーネがバタバタしているのが容易に想像できる。早く合流しなければ。
「エリク!この音って」
「想像どおりだ。場所はこの館の正門と裏の二箇所だと思う。戦力差がわからないが、こちらをどう分けるべきか…」
どう分かれるか迷っている間にも、敵はこちらへ向けて進んでくる。多少なりとも罠で数が減っていればいいが、正直時間稼ぎすらあまり期待できない。ないよりはマシ、だと信じたいところだ。
「お兄ちゃん!!」
リアと話していると、フィーネもこちらへと駆け寄ってきた。その表情には、焦りと恐怖が浮かんでいたが、それでも随分と落ち着いているように思う。色々なことを通して、多少なりとも成長したのかもしれない。
「フィーネ!良かった、無事なのね。いい?今回は相手もきっと本気で殺しに来るわ。何があっても、自分の命を第一にして動くのよ」
「―――わかった!」
元気に、しかし真剣に頷くフィーネに、少し焦っていた頭が落ち着いていく。冷静に、的確に。今、何をすればいい?そう遠くない場所から響く轟音に、緊張感が張り詰める。
「ねえエリク。どっちが本命だと思う?」
フィーネを撫でながら、リアが呟く。ニ隊に分けたのなら、どちらかは囮あるいは陽動であることは明白だ。それにすぐ気がつくあたりリアもまだ頭は回っているようだ。敵のトップの情報がない以上、定石だと思われるやり方から判断せざるを得ない。
「…よし。間違ってたらその時だ。リアとフィーネは正面を、俺は裏を叩く。時間をかけたら不利になるのはこっちだ。迅速に、的確に敵の頭を潰そう。数と時はあちらだが、地の利はこちらにある」
「一人で大丈夫…なんでしょうねきっと。その本当の力、私に見せて頂戴ね?」
それは多少の強がりをも含んではいたが、それでも自信たっぷりに、不敵な笑みとともに頷く。
「任せとけ」
木の上に身を紛らわせ、少し先の男達を見据える。怒声、罵声、そういった汚い声が響き渡る。敵集団は数十人といったところ。一人で相手取るには余りにも多すぎる人数だが、それらは数々のトラップに気を取られている。数を減らすとまでいかずとも、立派な戦力にはなりそうだ。
「奴らは何処にいる!探せ!」
「目標は3人組だ!」
「急げ!敵が立て直す前に潰しきれ!!」
剣だ槍だと武装した集団が、館の庭を荒らして進む。冷静に対処しなければという理性とは裏腹に、この無礼極まりない侵入者達へと怒りが湧いている自分がいる。ああ、俺達の箱庭をよくもそんな不躾に、乱暴に、踏み荒らしていくのか。眼下まで迫った害虫共へ、強く感情を込めて、疾く立ち去れと言わんばかりに、無慈悲な鉄槌を下す。
「『刃』」
柄も無い剥き出しの刃が、一人の躰を頭から貫く。悲鳴すら上げられずに、鮮血を噴き出して倒れる姿を横目に見ながら、口を動かし続ける。
「『刃』『刃』『刃』『刃』…!」
唐突に倒れゆく仲間と、どこからともなく湧いては貫く刃と血飛沫に、ようやく敵が異変を察知した。辺りを見回し、一周も見切らないうちにまた一人。一瞬たりとも無駄にしないよう言霊を使い続ける。
「気付くのが遅いんだよ…!」
しかし、思わず目の前に夢中になってしまったのはこちらも同じだった。唐突な背後からの風切り音に身体を逸らすも、左腕を鋭い痛みが襲う。
「いッ…!!矢だと…。どこから!」
振り向くと、同じような規模の集団、ただし弓矢隊がこちらを向いて構えていた。攻撃が止み、真下の敵も構えだす。自分にに刺さるのは、敵意、殺意、いや、もっと冷たくドス黒い感情か。この程度の窮地、抜け出せなくてなにが言霊使いか。
「…上等だ。纏めて叩き潰してやる」
幾本もの矢と、怒声が突き刺さる中、単騎その中心に踊り出た。