コーディリア
「…私がまだ小さい頃の話よ」
観念したらしく、ぽつりぽつりと話し始めた。
抵抗があるのか、目を合わせようともしない。
「別に昔からここにいたわけじゃないわ。リュードという町に住んでいたの。小さな定域の、ほんの小さな町」
コーディリアから過去の話を聞くのは初めてだ。
彼女は今まで自分のことを殆ど話さなかったからな。
「両親から少し魔術も教わっていたけど、ごく普通の生活。友達と遊びながら楽しく暮らしていたわ。―――あの日までは」
話す肩が強張る。
後ろ姿から思い出したくないというのが伝わってくるが、今話して貰わないと、2度目はないだろう。
辛かろうが、止める気は無い。
「両親がね、その町の遺跡のことを研究していたの。聖遺物、アーティファクト、そんなものが眠ってたみたい。思えばそれが原因なんでしょうね。ある日突然、私達の定域は消えたわ」
話が跳躍した。思考が追いつかない。
疑問符を浮かべる俺を余所に、コーディリアは話を続ける。
「その日ね、私は友達と遺跡を探検していたの。子供の頃の私達にとってとても魅力的な場所だったわ。でもそれは、他の人にとっても同じだったみたい。満足して外に出ると、空中に巨大な魔方陣があった」
空中の巨大な魔方陣。かなり大規模な魔術だと思うが。
まさか。
「怖くなって走って帰ると、そこはもう地獄絵図。血だらけの広場、泣き叫ぶ友達、高笑いする男達。手当り次第、命を無価値とでも言うかのような略奪よ。死にたくない、その一心で逃げたわ。遺跡なら誰も来てないだろうと思ってね」
それは。
今ならば確実に間違いだと言える。
大いなる力を隠した、秘密の隠れ家。
そんなものが、標的でないと言えるだろうか。
「当然、そこにも人がいたわ。町にいた奴らよりよっぽど偉そうな人がね。彼らの本当の目的は遺跡にあった聖遺物の略奪。力が、富が欲しいという欲によって私達の町は蹂躙された」
「そして、それをやったということの証拠隠滅、つまり定域破壊を行った。禁術によってね」
定域、破壊。
それが何を意味するのか、詳しくない俺でも容易に想像できた。
「全てを、無かった事にしたというのか」
「そう。彼らがやった事どころか、私達が生きた証さえ!」
「私達は何もしてないのに、ただ『力が欲しい』なんて理由で、全てを無にされた!理不尽なんて物じゃないわ。そのせいで、私は、友達も、親も、故郷も、何もかも失ったのに!」
抑えきれなくなったのか、声は激しい怒りを孕む。
震える肩が深い憎しみを物語る。
「彼らは言ったわ。『これで管理局がやったなどと思う者はいるまい。知る者もいないのだからな』って」
…っ!
そこで、その名か。
「これで私が管理局を憎む理由がわかったでしょう?私の目的は一つ。管理局に関わる物全ての殲滅。その為には、どんな事だってする。たとえそれが同じ力、禁術であっても」
「私自身、禁術はあってはならないと思ってるわ。でも、悪用された巨大な力を潰すには、同じ位強い力が必要なの。むしろ、より強化された禁術がね。だから私はやめない。あの組織を根底から潰すまでは」
まて、じゃあ。
「何故お前は生き延びている。定域破壊後に生き延びられるはずが」
「貴方も最初に見たはずでしょう?"定域渡航"よ。といっても、当時はどこに行くかも分からないし成功する可能性も殆ど無かったのだけれど」
「遺跡で母が文字通り死に体で教えてくれた。私は全ての肉親・友人を目の前で喪い、必死で逃げ出した場所は真っ暗で何も無い場所。それがここよ。前の主が死んだか逃げたか知らないけど、人どころか生きているモノすら何一つ無い場所。暫くはまともに動くことすらできなかったわ」
両親を失い、友人を失い、故郷を失い、果ては生きた証を失った。
辛いとか悲しいとか、そういった言葉で表せるものではだろう。
元々あまり口出しする気は無かったが、喉に扉が降りたかの様に声が出ない。
こいつは、この少女は、そこまで大きなものを抱えていたというのか。
「正直もう死んで地獄にでも迷い込んだんじゃないかって思ったのだけれど。偶然に書庫を見つけて、生きる方法、戦う方法を知るうちにね。何としてでも生き延びて、何としてでも取り戻す。…いいえ、それが出来ないことは薄々分かっていたわ。つまり私は、めでたく醜い復讐者となった、というわけ」
目の前の、確かに優しく面倒見が良いという側面をもっていた少女は。
その綺麗な瞳の奥に、黒く昏い焔を宿した復讐鬼だった。
「さあ、これで私語りはお終い。満足して貰えたかしら?私は嫌な事を思い出しただけで何も変わらないけどね。どう?余りの醜さに嫌悪したかしら?それとも怖くなった?」
いつの間にかこちらを向いていたコーディリアは、苛立ちをぶつけるかのように問いかける。
その冷え切った双眸は俺を射抜き、そのまま殺されると錯覚させられる程。
だが。
「このままだとお前、壊れるぞ」
突然の言葉に戸惑うコーディリア。
憎しみの炎を秘め、長い間その身で燃やし続け。
普段が明るいせいで、全く気付くことが出来なかったが。
「管理局への深い憎しみと、黒い感情しか持たない自分への嫌悪と。そんなものに板挟みになった人間が。ましてやただの善人のお前が辛くなかったはずが無いんだよ」
「ただ失ったというだけでなく、そんな生き方をする自分が許せない。なんでそんな矛盾だらけの心になってんだよ。今の今までお前から管理局に何も出来ていないのは、誰かを自分が傷つける、その決定的な一歩を踏み出せなかったからじゃないのか。お前は、根本的に復讐に向いてないんだよ」
突然堰を切ったように話し始めた俺に。
最初目を見開いて固まっていたコーディリアは、しかし話が進むにつれその表情を怒りへと変えていった。
「私じゃ無いのによくそんなことまで言えるわね。私の心を決めるのは貴方じゃない、私よ!勝手に悲劇の主人公にしないで!」
「その通りだ。でも今お前の心は誰に決められている?その気持ちは本当にお前のものか?」
顔を赤くして反論する。
必死に、激しく、それはもう信仰のようで。
「そんなの当然じゃない!ここまでされて許せる訳がないでしょう!私は!あいつらを全員殺すまで復讐をやめる気は無い!!」
「それじゃ一人残らず、一片の情け容赦も無く、関係ある者全てを殺すんだな?」
「そんな言い方しないで!私は違う、他の人を守るため、だから」
「だから何人殺しても許されると?ふざけるな!死んでもいい人などいない!その過去を知らない奴にとってお前は災厄、死神だ!!」
再び見開かれる目。
しかし今度は、瞳が揺れている。
震える手で、肩で、それでも言葉を紡ぐ。
「じゃあ、じゃあ私にこのままアレを忘れてのうのうと生きろと?!そんなのできない!それじゃずっと私は辛いままなんだから!」
「殺してどうする?誰かがそれを認めるわけでもなく、ただ『皆殺しにした』という事実が残るだけで。その先にあるのは『虚無感』だぞ」
「どうしろっていうのよ!殺しても、忘れようとしても、どっちも私は苦しいなんて!私は救われちゃいけないの?!」
結局は。
復讐の先に救いがあると信じていただけで。
彼女はずっと、『救われたかった』『苦しみから解放されたかった』というだけだったのだ。
「壊せないなら、守ればいい。相手を壊すんじゃなくて、仲間を守る。折角定域渡航なんてできるんだ、お前のように救われない人を救う方が余程お前にとっていいだろう。人を殺さなくても、組織を殺すことはできる。お前は、誰かを傷付ける事ばかり考える必要はない」
涙を流しながら怒りをぶつけ、震えながら敵も自分も憎しみ恨み。
そんなぐちゃぐちゃになった心の果てが、目の前の縋るような目。
確かに、管理局の者は到底許されるべきものではない行為をした。
しかしそれは、彼女が苦しんで良い理由にはならない。
「そもそもだ。目の前で殺された友人は。必死で逃がしてくれたお前の両親は。その時なんと言っていた?誰かに『あいつらを殺してくれ』なんて頼まれたか?『逃げて』『生きて』じゃなかったのか?頼まれてもない復讐をする意味は無い。むしろ、同じように虐殺をして欲しいなんて思う奴はいないはずだ。なあ、フィーネ?」
「え?」
先程から後ろに隠れていたフィーネに問う。
2人の大声が気になって来たのだろう。
彼女は扉から恐る恐る顔を出して、コーディリアに向けて。
「フィーネは、リアと一緒にいれて楽しいよ?あの人達は怖いし嫌いだけど、リアが辛い方がもっと嫌」
小さな、しかししっかりとした声は、確実にフィーネを捉える。
「でも、あいつらが生きてるのよ?私達全てを奪ってのに、何も罰を受けずに」
「でも、私にはリアがいるよ。今は、お兄ちゃんもいるよ。皆一緒なら辛くないよ」
「じゃあ」
「ねぇリア、フィーネ知ってるよ。フィーネの為に色んなこと頑張ってくれてたこと。だからね、リアも楽しくないとダメなの。お友達はね、皆で楽しくした方がいいんだよ」
「何それ…それじゃ私が馬鹿みたいじゃない。復讐だの何だのって、そんなどうでもいいことなの?悔しくないの?悲しくないの?楽しくできるの?」
「フィーネが楽しくできるように、リアはたくさんたくさん頑張った。だからね、今度はフィーネがリアを楽しくさせてあげる。フィーネもね、美味しいご飯作ったりお出かけ考えたりできるようになる」
「なんで今そんなこと言うのよ…今までそんな素振り見せなかった癖に…」
口では反発しながら、その声は先よりも少し柔らかい。
「ねぇ、私の辛さはどうやったら救われるの?他の人を助ける事が出来たとして、私が助けられないのは嫌よ」
もうわかっているだろうに、それでもまだ2人に質問を重ねる。
その問いはもはや問いではない。
だから、俺は答えではなく質問を返す。
「フィーネを助けたとき、お前はどうだった?」
彼女は、いつもの綺麗な微笑みではなく。
涙に濡れた、満開の笑顔を乗せて言った。
「他のことなんて忘れるくらい、嬉しかったわ」