マオちゃんの異世界生活 6日目 その1
キラキラと輝く夏の朝日が、台所を明るく照らし上げている。
「ふんふふ〜」
ジャムを食べたがるマオに合わせて、朝ご飯はパンだった。白米に比べるとあんまり食べた気がしないから、少し物足りなさとかを感じるんだよね。
でも今日は大して気にならない。
「ふふんふ、ふふ〜」
だって食べ足りないなら、更に食べればいいだけの話だし。いやー、冴えてるなぁ。
そんなこんなでテンション高く鼻歌まじりに、クッキング中。
パンで足りないならケーキを食べればいいじゃない、とばかりにパウンドケーキを作ってます。
「ふん、ふん、ふふっふー」
実はついさっき、籐子からメールがあった。
なんと神様らしき人が商店街で働いていたらしい。
いやぁ、良かった良かった。
ちなみに情報源は籐子ママ。あの人、というか田舎の主婦は噂好きが多いからなぁ。
社会が狭い分、余所者の情報はすぐに出回る。
らしい。よく知らないけど。
そんな感じで心のつっかえも取れて、いまは上機嫌で小腹を満たそうとしているわけです。
「ふんふふ、あとはオーブンで一時間……」
……そうだ。一時間焼かないとダメだった。
そうなったら、もうほとんどお昼だよ!
かなり浮かれてたなぁ。あまりにもアホすぎる。
「はぁ」
滅茶苦茶に上がっていたテンションから一転、一気に冷静さを取り戻した。
このパウンドケーキ、どうしよう。
お昼、十二時過ぎ。
柳家のちゃぶ台には、田中さんのブルーベリージャムを混ぜ込んだパウンドケーキと、少し高価な紅茶が並んでいた。
昼ご飯がケーキ……違和感が半端ない。
マオはめっちゃ喜んでるけど、違和感が半端ない。
欧米か!
いや、いくら欧米人でも昼飯をティータイムにはしないかな?
そういう「これじゃない感」を無視すれば、パウンドケーキの出来はすごく良かった。
生地のしっとり加減と濃厚なブルーベリージャムがマッチしていて、ほんと会心の出来だね。
うん、残りは田中さんにお裾分けしよう。
……そうだ、マオも連れて行こうかな。
ちゃんとご近所さんに紹介していかないとね。魔王とは言えないし、親戚の子って設定でいいかな?
二時間後。
お腹がいっぱいになったマオは、居間の隅で柔らかく寝息を立てていた。
寄り添うように魔獣のクロも寝そべっている。
和むなぁ。
最近はあんまり反抗的じゃなくなったし、こうして無防備に昼寝もしている。
こっちの世界に慣れてきたみたいだね。
「……すぅすぅ」
こんなに気持ち良さそうだと、無理に起こすのは可哀想になってくる。
仕方ない。ご近所さん巡りはまた今度かな。
パウンドケーキの入った紙袋を片手に、一人で家を出た。
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「んぅ?」
心地よい微睡みから、意識が引き上げられる。
パチリと泡が弾けるように目を覚ました少女、マオは小さなその手で目を擦った。
ついさっきまで黄色いジャムで出来たスライムを追いかけていたのに、そこはもう見慣れた居間だった。
食べたかったなぁ。
そんなことを思う彼女の頭の片隅に、小さな違和感があった。
「……?」
家の中が妙に静かだった。
寝起きの頭でぼんやりと考えて、そして背筋に冷たい感覚が駆け抜ける。
「!!」
捨てられたかもしれない。
異世界の記憶が脳裏に浮かんで張り付いてくる。
居ても立ってもいられなかった。
勢いよく身を起こす。
「ふーた!」
不安に押されて大きな声が口から飛び出す。
どこかに隠れているかもしれないと、居間のあちこちを探す。いない。
違う部屋かもしれないと、台所の戸棚という戸棚を全て開けてみる。いない。
どうしよう。
泣きたいのをぐっと堪えて上を向く。
「あ」
その視線の先には、冷蔵庫の上で眠るタマがいた。
ふーたがタマを置いていく筈がない。
「……」
まだ不安が消えた訳ではなかった。
でもほんの少し、心が落ち着きを取り戻す。
とりあえず居間に戻ると、ちゃぶ台の上に置手紙を見つけた。
『ちょっと田中さん家に出かけてきます』
上手くもなく下手でもない。少し丸文字気味な筆跡で、そう書かれていた。
「……なんだ」
肩に入っていた力を抜くと、彼女はあることに気が付いた。
ふーたが居ないと暇だ。
「うーん」
可愛らしく腕組みして思い悩む。
彼女にとっては由々しき事態だった。
なにせ暇だと身体がウズウズして、ウガーッ!っとなってしまう。
「ぬぬぬ……あ!」
幸いなことに彼女は頭が良かった。
そのお蔭で直ぐに良いことを思いつく。
そうだ、探検しよう!
思い付いたら即行動。
部屋の隅に寝ていたクロを叩き起こすと、一人と一匹は柳家ダンジョンの散策を開始した。
「れっつごー!」
「わん!」
きょろきょろと周りを見る。
居間と台所を既にマッピングしている彼女達は、ひとまず廊下に出た。
右を向くと玄関が。
左を向くと寝室のある二階に通じる階段が。
階段をスルーして廊下を進めばトイレと、謎の扉がある。
「よし!突撃!!」
「わんわん!」
階段を登らずに、謎の扉を開ける事にしたようだ。
小さな素足が板張りの廊下に軽快な音を響かせる。
突き当たりにあるトイレを右に曲がって、アルミ製の扉の前へ。
勢いのままに開けるかと思いきや、急に止まって扉にぴたっと耳をつけた。
中の音を聞いているようだ。
「……うーん」
特に音はしなかったらしく、どうしたものかと首をかしげる。
しばらくそうしていたが、覚悟を決めたのか右手をドアノブにかけた。
左手にはいつの間にかジャーキーが握られている。
タマはまだ仲間にできないため、まずは他の生き物を探す腹積りのようだ。
考えなしにウロチョロしている訳ではないらしい。
真剣な表情のマオ。
ゴクリと喉を鳴らす。
静かに見守るクロ。
漂う緊張感。
手に力を入れて、ゆっくりノブを回す。
そして一気に腕を振り抜いた。
「っえい!」
ガタン!!
扉がとても良い音を鳴らす。
ただ、それだけだった。開きもしない。
カギが掛かっていたようだ。
「……」
なんだかバカにされたようで不服なのだろう。
頬を大きく膨らませて怒りを露わにする。
ぷいっとそっぽを向くと階段の方へと戻っていった。……ちなみに、カギは内側にあるので開けられたのだが、残念ながら気が付かなかったようだ。
階段前に到着したマオと魔獣のコンビ。
気を取り直して二階へ。
ギシギシと高い段差を登って行く。
登りきった彼女たちの目の前には、正面の大きな扉と左右のふすま、計三つの選択肢がそびえ立っていた。
そのうちの右側がマオの部屋。
そして左側がふーたの部屋だった。
正面は知らない。が、その扉が少し開いていた。
「!!」
なにかがいるかもしれない。
そんな不安と期待に胸を膨らませて、ジャーキーを構えるマオ。
姿勢を低くしながら室内を覗き込んだ。
「……ほんやさん?」
彼女は不思議そうに首をかしげる。
そこにあったのは、部屋中の壁を覆い尽くす巨大な本棚だった。
見上げるほどの高さと、びっしり詰まった蔵書量。
そこは風太の父が使用する書斎だった。
中に入って見渡せば、右も左も本、本、本。
茶色っぽい背表紙がずらりと並ぶ中、片隅に鮮やかな色合いを見つける。
関心の向くまま、その本に手をかける。
「んっ!」
ぎっしりと詰まった本棚から引っ張り出そうと力を込める。
「んぬぅ〜! うわっ!」
思い切りよく全体重をかけた瞬間にすっぽ抜けた。
床に尻餅をついた彼女の傍に落ちたのは、
「……しょくぶつひゃっか?」
持ち上げるのも困難なほど重厚な、植物図鑑だった。