幕間 神様のアルバイト生活 5日目、あるいは1日目
長くなってしまった……。
柳家から約5㎞向こう。
山と民家しかない地域を抜けて、スーパーとコンビニがひっそりと存在するエリアも通り越した地点。
そこには家からの最寄りである亜鋼駅がある。
近辺にはジャスコ的な商業施設やボーリング場があり、この辺りで最も栄えている場所だったりする。
それはつまり、この辺りで最も求人の多い場所ということ。
……その筈だが、
「はぅぅ」
ゆるくウェーブのかかる髪を萎れさせて、神様は気の抜ける溜め息をついていた。
さっきから様々なお店に飛び込んでは、雇って欲しいと頼んでいるのだが……悉く失敗。
いくら駅前とはいえ、やっぱり田舎。
ちらほらとしか客も来ないため、どこも働き手は足りているようだ。
「ぅぅ、どうしましょう」
がっくりと項垂れる神様。
沈みかけの夕陽が、辺りを照らしていた。
今から七時間前。
柳家で朝ご飯を食べた後のこと。
彼女はロスした時間を取り戻すために、野を越え山を越えてあちこちの民家に必死で郵便配達をしていた。
自転車で。
田舎だから本当に山を越えたりしている。
比喩ではない。
夏の日差しの中、西へ東へとペダルを踏み続ける。
休憩無しで続けられたそれは、神様の肉体でなければ脱水症状を起こすレベルだった。
だがそんな頑張りも虚しく、彼女は時間内に全ての荷物を届けることが出来なかった。
それでも諦めずに配達を続け、無事全ての荷物を配り終え、そして午前中に戻るはずだった駅前の配達所に着いたのが午後三時。
午後の配達で取り戻すぞ!と息巻いていたが、こじんまりとした事務所に彼女の分の荷物は無かった。
他のバイトに振り分けられたらしい。
その荷物の代わりに、腕組みした所長が待っていた。
おかんむり、というより呆れ顔である。
「なぁ、リィちゃん」
「……はい」
バイトの初日に「私の名前はリィンュフォルェスです!」と元気良く挨拶したのだが、あまりに発音が難しいので「リィ」と呼ばれていた。
……ちなみにその日も、予定にない宅配便(柳家に魔王をお届け)のせいで荷物を配り切れていなかったりする。
つまり初犯ではない。
イエローカード二枚目なのだ。
「オレは言ったよな?何度もサボる様なら、辞めてもらうって」
「あぅ」
当然のお叱りに言葉もない。
ただただ、しょんぼりと俯いた。
「……はぁ、やれやれ」
所長は軽く頭を掻くと、厳しい顔はそのままに少しだけ声のトーンを和らげた。
「で、ちなみに何があったんだ?」
落ち込む彼女を見兼ねて、水を向けてあげる所長。
根は優しい人のようだ。
「そ、それがですね!?」
言い訳の機会を得た!ちゃんと分かってもらおう!
そう勢い込んで説明を始めたが、
「知人に捕まって朝ご飯を食べた」
という謎の内容では「じゃあ仕方ない」となるはずもなかった。
とはいえ、ちゃんと説明すれば「異世界の魔王がどうのこうの」とさらに意味不明になってしまう。
嘘をつき慣れていない彼女に、それらを例え話で上手く表現する術はなく、要は完全に詰んでいた。
「うーん……何度もサボりを許すわけにはいかないからなぁ。悪いけどクビだ」
「…………はぃ」
どうにもならない。
事情はどうあれサボったのも事実。
返すべき言葉はなにもない。
午前分の荷物は配ったから、と日給の半分を渡されお払い箱となってしまった。
そんなこんなで現在に至る。
こちらの世界の標準的な服、ということで転移の前に生成したTシャツにジーンズを着た神様は、新しいバイトを求めて駅前のあらゆる建物に突撃していた。
と言っても、精々小さな雑居ビルが数棟あるくらいのもの。働き先が少ないため、必死に粘って交渉した。
けれど……残念な事に働き口はなかった。
めぼしいところは全て回り尽くし、自然と駅から遠ざかる。
気が付けば、辺りには民家が建ち並んでいた。
夕陽はとうに沈み、辺りは宵闇に包まれている。
少ない街灯を頼りにふらふら歩くこと三十分、彼女は簡素な公園にたどり着いていた。
「……今日はもう、寝ちゃいましょう」
いつもは駅前に一軒だけあるネットカフェで寝ているのだが、収入のない今ではそうもいかない。
ちゃんとお金を残さないと、マオの養育費が用意できなくなってしまう。
加えて、彼女はお金節約のために朝ご飯以降、何も食べていなかった。
「ひもじいですぅ」
もしここがネットカフェなら、ジュースで空腹を誤魔化せるのに。
そんな思いから、つい右手の給料袋に目がいく。
「ち、ちょっとくらいなら大丈夫……あれ?」
よくよく見ると、紙幣以外にもメモが袋の中に入っていた。
封を切ってゆっくり取り出すと、そこには「どうにもならなくなったら電話してきなさい」という一言と、携帯電話番号が。
ドリンクバーの誘惑に負けそうだった心に、所長の優しさが滲みる。
「はぅ……私はダメな神様です」
そっと紙を戻し、きっちりと封を閉じて、ポケットに仕舞い込む。
「明日は仕事が見つかりますように」
そう呟いて、その辺に捨ててあった段ボールをかき集めてベンチに寝転がった。
次の日。
朝から行動を開始した神様だったが、今はもうお昼過ぎ。夏の日差しが遠慮なく照りつける中、ずーっと休みなく歩き回っている。
しかし残念ながら、アルバイトはまだ見つかっていなかった。
野宿でシワだらけになった服では、第一印象が悪すぎてなかなか雇ってもらえないようだ。
ちなみに、身体だけは清潔そのものだったりする。
ほぼ力を失ったとはいえ、やはり神様。生半可なことでは穢れないらしい。
汗も全くかいていない。
まぁ身体がいくら清潔でも仕事は見つからないし、お腹も当然のように空く。
「ぐぅ〜」
本日十回目の腹の虫。
ふらふらと歩きながら、お店や事務所を探すけれど民家ばかり。
「やっぱり隣の駅に行った方がよかったでしょうか」
そんな思いが過ぎった、その時。
ふと、どこからか漂う甘く優しい香りが、鼻孔をくすぐる。
「ふわぁ、なんだか美味しそうな香りですぅ」
蜜に誘われる蝶々の様に、ふわふわと歩いて行く。
民家の間にある小道を抜けて、駅から離れる方向に道を曲がる。
果たしてそこにあったのは、
「ここは……?」
レンガ敷きの幅広い道。
その上に広がるアーチ状の屋根。
両脇に立ち並ぶ多種多様な個人商店。
それは、いわゆるアーケード型の商店街だった。
子供達が駆け抜け、主婦たちが行き交い、お爺さんたちが昼間から酒を煽る。
今時では珍しく、それなりに盛況な様子だ。
これならアルバイトがあるかもしれない!
と普通なら思うところだけれど、今の神様はそれどころではなかった。
「ふわぁ、やっぱり良い香り」
なぜなら彼女は、あの甘い香りにガッチリと胃袋を鷲掴みされていたからだ。
どうやら香りの出どころは、商店街入り口の右手に居を構える和菓子店。
敷地はそれほど広くないが、清潔感のある内装が食品を扱う心構えを、語らずとも体現している。
小さいながらに質の高い店舗である事が窺えた。
が、そんなことは神様の目に映っていない。
彼女は餡子特有の優しい香りと、ショーケースにずらりと並んだ上生菓子に釘付けになっていた。
「うわぁ、綺麗……」
自分の世界へ召喚する人間を選んでいる時に、ある程度の一般常識は勉強していた神様。
だが、お菓子について調べる暇は無かった。
ほのかな色合いと丁寧な造形。
落ち着きの中に眠る、何かを訴えかける意志の力。
初めて見る和菓子に目を奪われる。
「お嬢ちゃん、気に入ったのかい?」
「え?」
顔を上げると、ショーケースの向こうには少し恰幅のいい五十代の女性が割烹着で立っていた。
ショーケースの中に気を取られすぎて、店番をするおばさんに気づかなかったらしい。
「あ、はい!とっても綺麗です!」
その返事に気を良くしたのか、それとも元々お喋り好きなのか。
明らかにお金を持っていない身なりの神様に、おばさんは何も気にすることなく話しかける。
「そうかいそうかい。和菓子は初めて見るのかい?」
「はい、こことは違う場所にずっといたので」
「なるほど日本に来たばかりかい。随分と日本語がうまいねぇ」
「う、これはその……ちょっと裏ワザというか、なんというか」
「?」
おばさんの頭に疑問符が浮かぶ。
深く突っ込まれると困る神様は少し慌てた。
「えっと、あの、この綺麗なものは食べ物ですか?」
神様的には、流れを変えるために聞いた普通の質問だった。しかし、その問いかけにおばさんは虚を衝かれ、やがて嬉しそうに笑いだした。
「あはは! 確かにそうさね。まるで良く出来た置物みたいだろ?」
「はい! 食べ物の造形をここまで究めるなんて、私の世界では考えられません!!」
そうだろうすごいだろう、と深く頷く和菓子店のおばさん。
「ちなみにさっきお嬢ちゃんが見ていたのは、今月の新作『川遊び』。透明な寒天菓子で流れる清水を、甘く煮た小豆で川底を、そして丸く作った羊羹の粒で水飛沫を表現した、夏らしい一品さね」
「えっ、まさか毎月その季節を菓子で形作っているのですか!?」
「その通りさね。日本は季節や自然を愛でる文化を持ってるからね」
「す、凄い……。安定した環境で成熟した世界は、こんなに高次の精神性を育むんですね……」
「ん?難しい事言うね、お嬢ちゃん」
小首を傾げるおばさんを置き去りに、感動で打ち震える神様だったが、
「ぐぅー」
空腹を訴える胃袋が台無しにしてしまった。
「はぅっ」
恥ずかしさに頬を染め、ふるふると身悶えする彼女とは対照的に、おばさんは活きのいい笑声をあげた。
「あはは! しょうがない、一つだけサービスしてあげようかね」
「い、いえ、そんな! 申し訳ないです!!(ぐぅー)」
「ほらほら遠慮しないで、店先のベンチに座ってな」
「あ、ありがとうございます……ぅぅ、体は正直ですぅ」
また一つ、大きな笑い声が店内に響くのだった。
店先にて。
赤い布のかけられたベンチに座り、ぼーっと商店街を見つめる。
どうやらお茶まで入れてくれるようで、餡子の香りに混じって香ばしい茶葉の香りが漂ってくる。
「……」
ここ数日、異世界という慣れない環境に揉まれて、疲労が積み重なっていた。加えて神としての力を持たない自分自身にも悪戦苦闘している。
そんな中でのアルバイト生活は、とても慌ただしかった。
こうして緩やかな時間を過ごすのが久しぶりな気がして、ほっと息をついた。
「さぁ、お待ちかねの和菓子だよ」
そう言って二人分の『川遊び』と緑茶を運んできたおばさんは、どんっと神様の隣に座った。
「え、あの、お店は大丈夫ですか?」
「なんだい。私は食べちゃいけないのかい?」
「い、いえ! そういう訳では!?」
「あはは! ただの冗談さね。反応も可愛いねぇ」
「はぅぅ」
照れて俯く彼女を見詰めるおばさんは、とても微笑ましそうだった。
「まぁ真面目な話、今日は大して客もこないんさね。常連さんがみんな老人会の旅行に行ってるからねぇ」
そう言って竹の楊枝で切り分けた和菓子を口に運ぶ。
柔らかくほころぶ表情を前に、空腹が刺激される。
「あの、いただきます」
「じゃんじゃんお食べ」
言葉に甘えて、そっと楊枝を刺し入れる。
ぷるん、と寒天が震えた。
「ごくり」
そのまま縦に切ると、なんだか神力で川を割ったみたいで楽しくなる。
「ふふ」
その片割れを楊枝でそっと持ち上げる。光を受けてキラキラと輝く様は、本当に清流から切り出したのではないかと思わせる。
「……ぱくっ、んん!」
ひんやりと甘く心地良い寒天が舌に触れる。
羊羹の粒がころころと踊る。
小豆は味と食感にアクセントを加えて、全体のバランスをしっかり支えていた。
「はぅぅう!」
声にならない美味しさに身悶えし、堪らず残りも口に放り込む。じっくりと堪能し、そして名残惜しく思いながら飲み込んだ。
おばさんに熱いお茶を渡されて、一口飲む。
甘みと苦味が溶け合って流れてゆく。
その温かさが胃に落ち込んで、体の芯から彼女を解きほぐした。
すっ、と涙が零れる。
慌てて拭こうとするその腕を、おばさんは優しく押し留めた。
「若い子がそんな格好でお腹すかせて。何か事情があんだろ?おばさんに話してみなさい」
お悩み相談なら任せな。こう見えて伊達に歳食ってないよ! と笑い声を上げる。
「ぅぅ、その、なんて説明したらいいか……」
言葉に詰まる神様。
上手く言葉が出てこない。
「ふむ、実家には戻らないのかい?」
「えっと……あの場所はもう私の物じゃないんです」
「……そうかい。何しにこんな田舎に来たんだい?」
「えっと知人がいるんです。ここへは小さな女の子と一緒に来たんですけど、色々あって一緒にいられないので、預かってもらってて……」
「随分複雑だねえ。あんたはどこに住んでるんだい」
「一昨日までは駅前のネットカフェに。でもアルバイトをクビになってしまって……」
そこまで話して、神様の眉間に皺が寄る。
ぐっと歯をくいしばると、改まっておばさんに向き直り、勢いよく頭を下げた。
「あ、あの……。こんなの卑怯で図々しいお願いですが、どうか私をここで働かせて下さい!!」
「うん、採用!」
「えっ!?」
即決すぎて驚愕してしまう神様。
口が半開きになっている。
「ちょうど見習いの職人が出て行っちまったところでね。その穴を埋めるために、私が厨房に入んないといけないのさ」
おばさんは軽く肩をすくめる。
「そうすると店番がいないくなっちまうから困ってたんだよ。その子が使ってた空き部屋もあるから、あんたさえ良ければ住み込みでバイトしてくれないかい?」
そう言っておばさんは、楽しそうに微笑んだ。
「な、なんで……」
「ん?」
「なんで、そんなに優しくしてくれるんですか?こんな何者かも分からない人間に……」
「ふむ、そうさね。あんた『和を以って貴しと為す』って知ってるかい?」
「い、いえ」
神様が左右に首を振る。
「皆で助け合って仲良くすることが大事、って考え方でね。これこそが日本の良さであり、田舎で最も大切な事さね。そういう気持ちが巡り巡って、社会全体が良くなる。自分に返ってくる」
「皆で助け合う……」
人類の天敵がいる世界を管理してきた神様は理解していた。
あの世界は天敵がいるからこそ、人類に強い結束があったことを。
そしてそのシステム故に、腕っ節こそが最も重視されていたことを。
異世界の『和』に、魔力の少ない者は含まれない。
どれほど綺麗な菓子を作れるとしても、力が弱ければその人間に居場所はない。
皆で世界を住み良くする、そんな高次の領域には至らない。考えついても実現できない。
もちろんどちらの世界も一長一短ある。
けれど彼女は、自分の視野は狭かったかもしれない、そう思った。
「だから和を貴んでる、ってだけさ。なんせうちは『和』菓子屋だからね」
あはは!と元気良く笑うおばさんに、神様は瞳を強く輝かせて頼み込んだ。
「おばさん、是非住み込みで働かせて下さい! もっとこの世界のことが知りたいです!!」
「ああ、みっちり叩き込んであげるさね。そこが分かってなきゃ、売り子も任せらんないからね! それと……」
「それと?」
「わたしのことはお姉さん、あるいはおかみさんと呼びな」
「あう、すみません。よろしくお願いします、おかみさん!!」
「よし、ついてきな! あんたの部屋に案内してあげよう」
こうして和菓子に導かれ、神様の住み込みアルバイトが決まった。
次の日。
厨房の隅にて。
「……はい、アルバイトが見つかりまして。住み込みなんです。はい。本当にその節はご迷惑を……え、あ、はい。ありがとうございます!」
神様が固定電話で、誰かに連絡をとっていた。
「リィちゃん! そろそろ開店するよ!!」
「あ、はい!!……えっと、はい、すみません。そういう訳で……はい。短い間でしたが、雇って頂いて本当にありがとうございました!」
電話越しに深々と頭を下げ、お店の表へと急ぐ。
おばさん、改めておかみさんの待つショーウィンドウの奥に入る。
店内には、さっそく常連のお婆さんが一人いた。
「今月の新作は、涼やかだねぇ」
その一言に、リィは目を輝かせて振り返った。
おかみさんが微笑みながら頷いたのを確かめて、彼女は昨日聞いた話を嬉しそうに始めるのだった。
「その『川遊び』はですね、清流の……」
神様の新たなアルバイト生活が幕を開ける。
それは彼女の『和』が広がる第一歩でもあった。
次回からはマオの話に戻ります。