魔王ちゃんの異世界生活 2日目
田舎らしく澄んだ空気が、早朝の柳家を包んでいる。
でーでーぽっぽー、と雉鳩の鳴き声が寝室に沁み渡り、幼い少女の浅い眠りを揺らしていた。
「んぅ……」
聞き慣れない鳥の鳴き声。けれど不思議と落ち着く低音が、緩やかな覚醒を促してゆく。
ふわりと目覚めた彼女は微睡みの中で、いつものように周囲から魔力を取り込んで魔獣を……、
「??」
吸い込むべき魔力が存在しない。
その事実が異世界に放り込まれた現実を思い出させた。凡ゆる存在を屈服させる力が無意味になって、鎧もなにも付けていない村人にいい様にされる。
それは物心ついてから一度も味わった事のない敗北。
「……まけないもん」
拗ねるように、あるいは震えるように、か弱い魔王は小さな手を握り、下唇を噛み締めた。
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「まけない、か……」
襖を挟んだ向こう側から、魔王の呟きが聞こえてきた。
朝飯が出来上がったから呼びに来た訳だけど、何というか朝から悩ましい感じだなぁ。
でもまぁ、だから何だって話だけどね。
どんな背景があろうと、なにを思っていようと、俺にやれる事もやるべき事も変わらない。
普通の女の子として普通に生活させる。
昨日、籐子と話し合ってそう決めたからね。
上から目線で助けてあげるとか、憐れみを持って甘やかすとか、そういうのって何か違うと思うし。それに下手に考えて接し方を工夫したところで、俺には上手く演じきれる自信もないし。
だから、まぁ、そんな感じです。はい。
あ、それと呼び名も魔王改め、マオちゃんってことになりました。
……ちょっと安直だとか思っちゃうけど、神様の手紙に『両親に付けられた名前がマオ』って書かれてたからなぁ。勝手に変えるわけにもいかないし。
「マオ、起きてるかー?入るよー」
気軽に声をかけつつ襖を開ける。
「むっ!」
めちゃくちゃ睨んできた、けど取り敢えず無視。
「ほらおいで。朝飯の時間だぞ」
警戒心を露わにするマオ。だけど漂ってくる味噌汁の匂いに釣られたのか、俺との距離を三メートルくらい保ちつつ、一応はついてきた。
居間に辿り着くと、ちゃぶ台の上の焼き魚とご飯、そして味噌汁に瞳を輝かせた。飛び込むように二人前が用意された朝飯の前へ行くと、迷わず量の多い方を、つまりは俺の分に飛びついた。
そりゃ、そうなるか。人里離れた場所でサバイバルしてたんだもんな。量の確保できる側に飛びついて当然だね。
その辺を教えるのはまだ難しいかな、って事で諦めます。
次からはマオの身体に合わせた量を二人前用意しよう。食べ足りなければ、後でお代わりすれば良いしね。
それよりも、まずはこれを教えとかないと。
「はいストップ。食べる前に言うべき事があります」
焼き魚の盛られた皿に、顔面から突撃しようとしていたチビッコの頭を掴んで動きを封じる。
「なんだ!はなせ!まりょくすうぞ!」
「はいはい好きなだけどうぞ」
魔力持ってないけどね。
「くぅぅ〜っ、ばか!あほ!」
悔しそうに涙ぐむマオ。
なんかイジメてるみたいで悲しくなってくるなぁ。
でもちゃんと教えないと。
「ご飯の前には、ちゃんと『いただきます』って言わないといけません」
「……む?なんだそれ。じゅもんか?」
「簡単に言うと、ご飯が食べられる事への感謝かな」
「ふぅん…………」
幼い魔王は年齢に似合わない真剣な瞳で、何かを思い出すように視線を彷徨わせた。
しばらく見守っていると、何かに納得したのか大きく頷いた。
「うん。よし、あっちむけ!」
「え?」
「さっさとしろ!!」
かと思えば謎の指示が飛んできた。
従ってあげないと先に進まなそうなので、首根っこは抑えたままであらぬ方角に顔を向ける。
「……」
とても小さな声が聞こえてきた。
なんて言ったかまでは分からない。
「よし、はなせ!くわせろ!」
吠えるマオに後ろめたそうな感じは全然ない。ちゃんと『いただきます』した、ってことかな。従ったと思われるのが悔しいから、こっそり言ったんだろうけど……うーん。
取り敢えずは、これで良しとしときますか。
解放された瞬間、焼き魚に飛びついたマオを尻目に俺も両手を合わせて「いただきます」と呟いた。
問題なく朝ご飯を食べ終わり、マオの汚れた手や顔をなんとか拭いて人心地ついた後。
彼女が部屋の端をじーっと見つめている事に気がついた。視線の先には一匹の猫が。
もちろん我が家の飼い猫、タマだ。
昨日の敗北が相当悔しかったのか、歯をむき出しにして見つめている。
……そういえばマオの歯、まだ磨いてないな。
風呂より嫌がりそうだなぁ。めんどいなぁ。
なんて思っていると、今度は逆側の端っこに目線を変えた。そこには黒い子犬、というか昨日マオが生み出した魔獣が丸まって寝転んでいた。
ドックフードを食べてご満悦の様子だ。
籐子が犬飼ってるから分けて貰ったんだよね。
見た目は犬でも実際のところは異世界の謎生物だし、ドックフード食べるか不安だったけど異世界のメシより美味しかったみたいだね。涎をだらだら垂らしながらがっついてました。
そんな魔獣の下にトコトコと歩み寄る魔王。
「いけ!たおせ!!」
突然そう言ってタマを指差すマオ。
対して魔獣は「クゥ〜ン」と一鳴きして尻尾を垂らしてます。昨日の敗戦で戦意喪失してるっぽい。
「いけよ!いうこときけ!!」
そう言って、例の黒い影を身体から立ち昇らせた……けどすぐに消えてしまう。魔力で言うことを聞かせる的な技を使おうとしたのかな?でもこの世界には魔力が無い。元々マオの持ってた魔力が尽きた今の状態だと、無理矢理な命令は出来ないみたいだ。
「むぅぅぅ!!」
癇癪を起こしたマオの手が振り上げられ、魔獣の背中をペチンと叩いた。
「キャンッ」
大した威力は無さそうだったが、突然のことに驚いたのか逃げ出す魔獣。ちゃぶ台の下に逃げ込んだ。
「こら、マオ!仲良くしなさい!」
おっと、思わず大きな声を出してしまった。
びくっと身を震わせたマオは、泣きそうになりながら叫び返してきた。
「う、うるさい!どっかいけ!!」
このまま頭ごなしに言ってもダメっぽいなぁ。
どうしよ。
籐子なら上手いことやりそうだけど、今日は用事があって来れないらしいし。
何とかしようと考えてる間にも事態は動く。
拗ねたマオが部屋を出て行ってしまった。
「うーん、どうしたもんか」
困り果てた俺に「にゃ」と短い鳴き声が投げかけられた。
振り向くと、籐子から貰った犬用グッズをテシテシと肉球で叩いてる。
……あー!それは確かに良い案かも。ウチのタマは賢いなぁ。
「ありがと、タマ」
そう言って頭を撫でようとしたけど、また「にゃ」と鳴いて俺の手をかわす。そのまま冷蔵庫の上に、正確には猫用餌の入ったカゴの上に陣取った。
「にゃ」
「はは。まったく現金だなぁ」
ウチのタマは本当に賢いです。
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「マオ、入っていいか?」
タマのアドバイス通り、小袋を一つ持ってマオの部屋の前へ。
「……」
沈黙が返ってきた。
待っててもどうしようもないし、入っちゃおう。
「じゃあ入るよー」
襖を開けると、こちらに背を向けて寝転ぶマオがいた。
朝日に照らされた部屋の真ん中ではなく、隅っこの所で丸まっている。
がっつり拗ねてるなぁ。
「…………めしか?」
無視しよう考えてたみたいだけど、お昼御飯の可能性を気にしたみたい。食い意地張りすぎでしょ。
「飯はまだだよ」
「じゃあでてけ」
こいつが同世代の男なら、尻を蹴り飛ばしてるところだよ。
「魔獣と仲直りしないの?」
「いうこときかないから、いらない」
「……タマは俺のいうこと聞くよね。なんでだと思う?」
「まりょくで……あれ?」
当然ながら、俺は魔力なんて持ってない。
「話しかけたり、遊んだり、食べ物をあげたり。そうやってコミュニケーションしてるからなんだよ」
「こみゅにけーしょん……」
「ほら、魔獣と仲直りしにいくよ」
そう呼びかけたら、少し不服そうにだけど俺の後についてきた。
何だかんだ言っても魔獣は唯一の異世界仲間だしね。
だからこそ従ってくれなかったのが悲しかったのかもしれない。
居間に戻ると、魔獣が部屋の端からこっちの、というかマオの動向をチェックしてきた。多分、叩かれそうになったら直ぐ逃げられるように、身構えてるのかな。
「マオ、これ持ってゆっくり近付いてごらん」
犬用オヤツのジャーキーが数本入った、細長い小袋を開封して手渡した。
「……(こくん)」
無言で頷いてジャーキーを一本取り出すと、そろりそろりと近付いてゆく。
妙に緊張感を持ってる所為でフェンシングみたいになってるな。
マオと魔獣の間合いがちょっとずつ詰まってゆく。
近付くにつれて逃げ腰になってた魔獣が、途中からクンクンと鼻を鳴らし出す。
不思議そうな顔で様子を窺う魔獣。
やがてジャーキーが鼻先まで迫り、マオと魔獣の視線が交わる。
少し口を開けて控えめにジャーキーを咥えた。
「……」
しばらくの沈黙があってマオが手を離す。
そのままムシャムシャと食べ出した。
じーっと魔獣を観察するマオ。
「おいしいのかな?」
「犬にとっては美味しいけど、人間には美味しくないんじゃないかな」
そんな会話をする十数秒の間に、全部食べ終わったみたい。早いな。
こいつも割と食い意地張ってるみたいだね。
そんな魔獣が尻尾を振ってマオを見つめている。
「頭、撫でてみたら?」
言われるままに、そっと右手を出すマオ。
魔獣は逃げないで尻尾を振り続けている。
逃げられてしまうんじゃないかと怯える右手が、ちゃんと魔獣の頭に重ねられた。
「わふっ!」
嬉しそうに一鳴きして、マオの右手に体を擦り付けた。
すりすりと全身で気持ちを表現してくる子犬を前に、頬を赤らめて固まるマオ。
どうしたらいいか分からない、そう顔に書いてある。
動けない彼女は、さらに赤くなる。
どんどん照れてどんどん赤くなる。
トマトみたいに照れまくって、そしてついに限界を迎えた。
「が、がおー!!」
「わふん!?」
いきなり威嚇され、慌てて逃げ出す魔獣。
「ぁ、ぁぅ」
自分で驚かせておきながら、マオは名残惜しそうに自分の右手と遠ざかる魔獣を見つめていた。
「うーん……」
最後はちょっとアレだったけど、まぁ一歩前進、かな?
その日の昼下がり、我が家の縁側にて。
マオが残りのジャーキーを魔獣にあげていた。
恐る恐る、でも美味しそうに食べる魔獣の姿に、自分もパクッと一口。
「むむむ……」
美味くもなく、不味くもない。
何とも絶妙な表情を浮かべるのだった。
〜本日の観察結果〜
マオが少しだけ魔獣に歩み寄った。