幕間 神々の陰謀生活 ■■日目
危険だ。
肉付のいい指がキーボードを叩く。彼は普段、ソフトな指運びを旨としている。そしてエンターキーだけは強く打つ。他のキーを静かに鳴らすことで、その打鍵音は高らかに響くのだ。
仕事中にも遊び心を忘れない、余裕ある大人の所作であった。
しかし彼、洋館デパートのオーナーは今、焦燥に駆られていた。キーボードが騒々しくがなり立てる。
商店街との勝負開始時、圧倒的に思えた戦局は徐々に埋まりつつあった。
歯嚙みをして再度、売上予測を算出する。変数を取っ替え引っ替えし、残り数日の戦略を詰めてゆく。
彼は負けるわけにはいかないゆえに。
……そも普通のデパートであれば、これほどの接戦にはならなかっただろう。近隣でちょっと祭りが始まる程度では小揺ぎもしなかったはずだ。
しかし、彼の経営するそれは残念ながら普通ではない。ホラーのテイストを前面に出したテーマパークの顔を持つのだ。その異色さがSNSで受けたからこその集客力である。
古い建物特有の空気感、照明をギリギリまで抑えた館内、音を響かせない設備配置。普段なら客を呼ぶはずの、計算し尽くされたそれらは、近隣から伝わって来る活気と喧騒によって威力を半減させられていた。
「くっ!」
下手にバーゲンセールや抽選会など行おうものなら、かろうじて保たれている暗い雰囲気が、完全に瓦解する。さりとて何もしなければジリ貧なのも間違いない。商店街が告知しているアイドルステージが盛り上がれば、唯一のアドバンテージであるはずのSNS戦略でも遅れをとることになる。それはとどめの一撃となりえるだろう。
入力、再計算、入力、再計算、入力、再計算、、、
何度試行しても、打ち出される答えは芳しくない。けれど諦めることもできずにキーを打ち続ける彼であったが、しかし、その指もついに止まる。どう転んでもギリギリの勝負になる。
圧倒的優位からここまで引きずり降ろされた敗北感に、太い指が握りこぶしを形作る。
その時、着信音が響いた。
見計らったかのようなタイミングで鳴り出したのは、デパートに融資してくれた男が、つい最近右目付近に禍々しい刺青を入れたらしいその男が、ホットラインとして手渡してきた通信機であった。
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「久しいわね」
「ふぇっ!?」
公民館の裏手にある休憩スペースで一人、スポーツドリンクをちびちび飲んでいた女神は、突然かけられたその声を耳にした瞬間、無意識に背筋がピンと伸びていた。
彼女がゆっっっっくりと振り向けば、そこにはよく見知った女の人が、いや神が泰然と立っていた。
白を基調とした美しい和服に身を包み、一分一厘の隙もない微笑みを浮かべている。
ただ笑って立っている。それだけで万物がひれ伏すのではないかと思わせるほどの凄味が放たれていた。
「し、師匠、何故こんなところに?」
師匠と呼ばれた妙齢の女性は、その言葉に笑みを一段と深くする。
比例してリィンの背筋はさらに引きしぼられる。軍隊もかくやの直立不動を崩さない。
それに対して”師匠”は、優しく、そっと、リィンの額に右手を添えた。
「あ、あの、師匠?」
「ご挨拶ですねぇ、リィンちゃん?」
「痛い痛い痛いっ!!」
まるで花でも生けるかの如く、たおやかな所作でこめかみに親指をめり込ませた。
アイアンクローである。
「私の世界へ顔を出したかと思えば挨拶にも来ないで」
「はうー!はうー!!」
悲しいわぁ、と頬に手を添えながら、さらに駄目押しでこめかみが圧されてゆく。
「しかも『門』を作って神の力を失ったばかりか、あまつさえそれを放置したままにするだなんて」
「ひぎぃぃ!ふぐぐぅ!!」
顔面を鷲掴みにされたまま、全力で暴れ回るリィン。
かなりアレな状態であったが、こんな醜態の最中でも可憐さは失われていない。アイドルとしての才能はそれなりのものがあるのかもしれなかった。
ともあれ師匠、八百万の神々がひしめくこちらの世界を産み出した神であるイザナミは、不肖の弟子をじっくり10分ほど痛めつけたあとで、その手を離した。
ぱんぱんと手を払う師匠とこめかみを擦る弟子の構図には、どこか小馴れた雰囲気があった。二人の間ではよくある事なのかもしれない。それを証明するように、二人は切り替えも早かった。
「さて。こうしてちゃんと顔を合わせるのは、あなたがこの世界から独り立ちして以来ですね、リィンちゃん。元気にしていましたか?」
「はい! 師匠もお元気そうで何よりです」
しゃきっ、とまた姿勢を正したリィン。さっきまでの痛がり様が嘘のようだ。いや、こめかみはまだ真っ赤である。痩せ我慢のようだ。恐らく師匠にあまり無様を晒していたくないのだろう。
この師弟は付き合いが長い。そも女神リィンはこの世界で生まれており、長い間イザナミの元で神様修行をしていたのだ。
その末に十分な力を付けたと判断され、自らの世界を生み出し独り立ちした、ところまでは良かったのだが。
「こちらの人間を勇者として貸してほしいと泣きつかれたときも中々に驚きましたが、まさか更に驚かせてくれるとは思いもしませんでした」
「う、うう」
正面から見詰められ、目を泳がすリィン。
イザナミはそんな彼女を眺め続け、しばらくの後に短い嘆息を一つ。どこか力の抜けた、溜息を吐き慣れた雰囲気が醸し出されている。
「……ねぇリィンちゃん。やっぱり、あなたの選んだ『根源』は無理があったんじゃないですか?」
ぽつり、と投げかけられたその言葉を受けて、リィンは僅かに目を伏せた。
神たちがそれぞれ己に課す定義、それが『根源』。神としての力の源となり、また彼等が創造する世界における中心的な要素にもなる。
「それは……」
かすかに俯く彼女が選んだのは『願望』。生きとし生けるもの全てが抱くそれを、際限なく膨らむそれを糧にすると共に、願望を叶えるための力を、魔力を分け与える。数多の生物たちに神たる力の一端を譲渡したのである。
普通であればそんなことはしない。クーデターの危険もある。
大量の神々が一つの世界に存在するに等しいその手法は、八百万の神々のいるこの世界出身の彼女ならではとも言える。
「そう、かもしれません」
ただ、あまりに奔放なその『根源』は、神様であるリィンにとっても手に余る代物であり、その大き過ぎる力の分配を間違えた結果として、生まれてしまったのが魔王マオだった。
「……でも、私はみんなの願いを叶えてあげたいんです」
「あらあら。相変わらず欲張りね」
師匠からの問いかけに対するその返答は、自らの生み出した世界を、そしてそこに生きる全てを、こよなく愛している彼女らしい、優しく傲慢な願いだった。
それを聞いたイザナミは呆れたような口振りで、
「わたしは好きですよ? あなたのそういうところ」
けれど表情は柔らかく、微笑みを湛えている。かと思えば顔を上げたリィンと目を合わせた途端、ころりと悪戯な笑みを浮かべた。
「だからもう一度チャンスをあげるわね」
つん、と額を突かれ、「あぅっ」と咄嗟に目蓋を閉じる。が、途端に流れ込んできた力に、慌てて開き直した。
「師匠!?」
しかし、目の前には誰もいなかった。茫然と立ち尽くしながらも、無意識に自分の手のひらを見つめるリィン。
流れ込んだその力は、身に覚えのある懐かしい力。転移門となっていたはずの、神の力。
「うぅ……師匠……」
門を神の力に還元する、というのは字面ほど簡単なことではない。かなりの『根源』を消費することになる。ダメダメな自分の為にそこまでしてくれた、その事実に涙腺が緩んだのだろう。
また俯くリィン。
「おーい女神、そろそろ練習再開だぞ」
「だんすっだんすっ」
そんな彼女の背に呼び声が、自らのせいで戦う運命を押し付けてしまった二人の楽しげな声がかかる。
ぐすり、と一度だけ深く俯き、袖で目元を一拭き。
悟られないようにと、笑顔で公民館へ戻っていった。
それぞれの意図で神様たちは動き出し、
そして、運命の土曜日を迎える。




