マオちゃんの異世界生活 10日目
縁側から陽の光が差し込んで、我が物顔で宙を舞う埃たちを照らし出す。
一人で住んでいた頃によく見かけていた、少し物悲しい風景だ。
「……さて」
この退廃的な雰囲気にしばらく浸って、まったり小説でも読みたい所なんだけどね。残念ながら、そうもいかない。なにせ「家中を心置きなく掃除したい」っていう口実で家に残ったからね。
ちなみにマオたちは商店街に出掛けてます。昨日、食料品は買ったんだけどね。明日には商店街で木曜市(割引セール)をやるよ、って肉屋のおばちゃんに教えてもらったから、「じゃあ衣類は明日にしよう」となった次第です。
……まぁ、一緒に行っても良かったんだけどね。でも結構しんどいからなぁ。
荷物持ちをするのは別に良いんだけど、「買う服を決めるまでの時間が異様に長い」とか「下着を選んでる間の精神状態」とか、そういうしんどさがね。
それに、昨日の感じだとマオも問題無さそうだったし。どこか不安げなマオを見るなり、じいさんばあさん達が可愛がりまくってたもんなぁ。
まぁ実際、マオは可愛いから仕方ない。このまま成長すればそんじょそこらの読モなんて目じゃないだろうね。
ま、そんな訳で俺は絶賛掃除中です。
邪魔されずに掃除したかったのも事実だから、ちょうど良かったかな。
階段下の収納部屋から箒を取り出す。
静かな居間に畳を掃けば、さらさらと音が染み渡る。ほんとに落ち着くなぁ。
外から微かに聞こえる「ふん! ふん! ふん!」という声すら耳に心地良い。
あ、ちなみに勇者の声です。昨日、黄桜さんに回復魔法をかけて貰ったらしく、昨晩から絶好調。もう嬉々として筋トレしまくり。今日もまた限界まで虐め抜いてから黄桜さんの所に行くんだそうな。
回復魔法の原理とかはよく知らないけど、普通に筋トレするより効率良さそうだよね。まあ、正直どうでもいいけど。
これ以上、脳みそが筋肉質にならないことを祈るばかりだね。
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アジの新鮮さ、今流行りのスニーカー、キキョウの花の色彩、最新のプラモデル、揚げたてのメンチカツ、きゅうりの詰め放題。
道の左右から投げ込まれる売り文句が、煉瓦通りを埋め尽くす。
いつも通りの賑わいを見せる「和やか商店街」、その中でも一際盛況な一角があった。
服屋だ。「トレンドショップYAMADA」の看板を掲げた軒先には、近隣に住まう淑女達が鬼の形相で群がっていた。
彼女らの目的はセールス品の衣類。店先に設置されたワゴンケースに山と積まれたそれの中から、掘り出し物を求めて押し合う圧し合う荒れ狂う。もはや黄色いとは形容できない叫びを上げて獲物を掻き漁る。幾人もの修羅が舞い踊るそれは、まるで禍々しいイソギンチャクのようだ。
そんな混沌の中で、一人の少女が必死に藻掻いている。籐子だ。揉みくちゃにされながらも、気合いでワゴンケースへ接近しようと手足を押し込む。
しかし、目の前に聳える大柄なマダムたちの壁は余りにも厚い。横へと動かすことはおろか、隙間に手をねじ込むことすら叶わない。
「いや、無理でしょ、これ」
ぜぇぜぇと肩で息をする籐子。その目前で小柄な女性が魔法のように、身体をねじ込んで人垣の向こうへと消えた。
愕然とする彼女に影がさす。
見上げると、すらりと手足の長い奥様がマダムたちの遥か頭上から衣類を物色し始めた。
「す、すごい」
家計を護るべく自らの特徴を活かし、あらゆる手段でセールス品を入手する。これが主婦。これこそが主婦。
圧倒的な戦力差に項垂れる籐子。
これは勝てない。
どうにもならない。
諦めかけて、ふと後ろを振り返る。
そこには爺さん婆さんたちに囲まれて、頭を撫でられながらコロッケを食べるマオの姿が。
いいなぁ。私もたまには甘やかされたい……と思い、しかし直ぐに首を振る。
そうじゃない。しっかりしろ籐子。
自分自身に言い聞かせる。
私は知っているだろう。神様が慣れない環境で必死に働いて、養育費を稼いでいることを。知っているだろう。風太が買いたいラノベを我慢して生活費に充てていることを。そして、知っているだろう。私が誰よりも『お姉さん』である事を!
「うおおお!」
真っ直ぐ前を見据え、走り出す。
自分の武器とはなんだ。自分にあって彼女たちに無いものはなんだ。それは身軽さと俊敏性。
経験がなく未熟なのは確か。しかし裏を返せば、それは若さという武器だ!
体育の授業で学んだ事を頼りに強く地を蹴る。
そして、
「二足手前で、跳ぶ!」
踏み込み、そして宙を舞う。
大柄なマダムたちの頭を巻き込むように回転するそれは、紛うことなきベリーロール。スローモーションな時間の中で、ワゴンケース内の衣類品を目まぐるしく認識してゆく。
「見えた!」
敢えてマダムたちを飛び越えず、その安定感ある肩に左手を置いて、目一杯右手を伸ばす。
「ぬううう!」
一直線に伸びたその腕が、目当てのTシャツを掴み取る。
寸前。
「あっ、」
手足の長い奥様がひょいっと奪い去る。
目標物を失い、バランスを崩す。
「うわっ!」
そのまま煉瓦敷きの地面へと落下する。なんとか足から着地するも、尻餅をついてしまう。
それでも諦めず、何度も何度も挑みかかる。その度に失敗しては地に落ちる。
そんな彼女に一瞥すらくれる者はない。マダムたちの闘争は続き、みるみるうちにセールス品が減ってゆく。
私は十分頑張った。どうにもならなかった。もう諦めてしまおうか。
度重なる失敗。積み重なる疲労感。それらに敗北寸前となった彼女に、呑気な声が降ってくる。
「何これ。異世界の組み手ってこんな感じなの?」
額に汗の光る勇者だった。
すでに黄桜に回復魔法をかけて貰ったのだろう。筋トレによる疲労感などは微塵も感じさせない立ち姿だった。
「ううん。これはバーゲンセールって言うものでね……」
1分後。
籐子に話を聞くなり、勇者ヴィレィアが深く笑む。
「タダ飯ばかり食らって心苦しかったし、これはまた丁度いい恩返しだ」
言うなり突撃を開始する。
籐子よりも身体能力の低い勇者には、もはや無謀とも言うべき挑戦。しかし籐子の制止する声も聞かず、歴戦の主婦たちの輪へと踊り込む。
一瞬で弾き飛ばされるかに思われた。思わず目を逸らす籐子。しかしながら華麗に身を躱し、あっという間に数枚の衣類を手に戻ってくる勇者。
余りの手際に、マダムたちが驚愕と警戒の視線を勇者に向けている。
「す、凄いですね、ヴィレィアさん」
「ふふん。力だけで勇者やれるほど甘くないからね」
そして振り向いた彼女は、マダムたちへと挑戦的に笑いかけた。
「さあ、本気の闘争を始めようか!」
これが後に、「バーゲンセールの鬼」として主婦たちに語り継がれる存在の誕生した瞬間であった。